あなたは『地上に宝を蓄えるのをやめましたか』
「あなたがたは自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは蛾とさびが食い尽くし,また盗人が押し入って盗みます」― マタイ 6:19。
1 (イ)今日の商人の目的はどこにありますか。(ロ)『作り出された欲望』を満たすことに満足がないのはなぜですか。
現代の世界には,物と財産があふれています。金で買える物の種類は非常に多くて限りがありません。今日の商業はこのことを知っていて,人々の基本的要求を満たすことよりも,むしろ自分が大きな利益をあげることを目的としています。したがって商人は,徹底的な宣伝広告に多額の投資を行なっています。それにはどんな目的がありますか。あなたを利用することができるように,あなたの心の中に欲望を,つまり自分の製品に対する欲望を作り出すのが目的です。実際の必要だけでなく,こうした作り出された欲望をも満足させる道をいったん歩み始めたなら,気づいたときには,結局はあなたが望む満足をあなたに与えずに,あなたの時間,精力,注意のほとんどを消費してしまう,果てしない道を歩んでいるでしょう。賢人ソロモンのことばはなんと真実でしょう。彼は次のように書きました。「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富[収入]を得て満足しない。これもまた空である」― 伝道 5:10,口。
2,3 (イ)地上の宝についてイエスはどんな優れた助言をお与えになりましたか。(ロ)「残りの者」も「ほかの羊」も,この助言からどのように益を受けることができますか。
2 大いなるソロモンであるイエス・キリストが山上の垂訓の中で示されたところによると,神のメシアの王国の祝福を願い求める人々は,それよりもはるかに重要な宝に傾注します。したがって,弟子たちに対するイエスの次の助言は,なんと時宜を得たものでしょう。「あなたがたは自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは蛾とさびが食い尽くし,また盗人が押し入って盗みます。むしろ,自分のために宝を天に蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず,盗人が押し入って盗むこともありません」― マタイ 6:19,20。
3 これは,霊の天における「あせることのない相続財産」を得る見込みを持つ,主イエス・キリストの油そそがれた弟子たちの残りの者にとって,なんと優れた助言でしょう。(ペテロ第一 1:4。エフェソス 1:18)結局は彼らは,地上での生涯を終えるとき,物質の所有物を全部あとに残していかなければならないからです。それらを天に持って行くことはできません。間近に迫っている「大患難」を生き残って楽園の地上で永久に住む見込みを持つ「ほかの羊」の「大群衆」についても,同じことが言えます。(啓示 7:9-14。マタイ 24:21,22。詩 37:29)エホバは,「ほかの羊」がこの地上にある物質の所有物を全部「大患難」後使えるように,それらを「大患難」のときに保護する,と彼らに約束してはおられません。
歴史的実例
4 ペテロは,エホバの救出する能力を,どのように示していますか。わたしたちはノアの例からどんなことを学びますか。
4 確かに,わたしたちには,保護し救出するエホバの能力を疑う理由はありません。その力は過去において,多くの場合に,また様々な方法で実証されました。使徒ペテロはそのことをわたしたちに思い起こさせ,自信をもって,『エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すかを知っておられるのです』と述べました。(ペテロ第二 2:9,10)このことに関連して彼は顕著な実例を挙げます。エホバが,「古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られた」時などがそれです。(ペテロ第二 2:5)神のことばはこの記録をわたしたちのために明りょうかつ正確に保存しています。これは4,000年以上昔,エホバがこの忠実な族長ノアとその家族を,一そうの船に乗せて世界的大洪水を生き残らせたときにまでさかのぼります。その船は,ノアが特権を受けて,神の指示通りに建造したものでした。(創世 6:14-16)しかしわたしたちは,地上にあったノアとその家族の固定した住居を神が保存されたとは,どこにも述べられていないことに注目しなければなりません。それら地上にあった物質の所有物はきっと,「大淵の源みな潰れ天の戸開けて雨四十日四十夜地に注」いだとき,流失したにちがいありません。―創世 7:11,12。
5 ロトの救出は,この点をさらにどのように強調しますか。
5 ペテロは次に,アブラハムのおいロトの時代に言及します。邪悪で不道徳なソドムとゴモラの町を火で滅ぼされたとき,神は『無法な人びとの放縦な不品行に大いに苦しんでいた義人ロトを救い出されました。この義人は日々彼らの間に住んで見聞きする事がらにより,その不法な行ないのゆえに,自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていたのです』。(ペテロ第二 2:7,8)ここでもわたしたちは,ロトが妻と二人の娘を連れて逃げた時,物質の所有物を携えていったことを示す記録がないことに気づきます。彼らはそうすることはできませんでした。彼らに対するみ使いの指示は,『逃遁て汝の〔魂〕を救え』でした。しかしロトの妻にはまだ,後に残してきた物を「慕う気持ち」があったにちがいありません。彼女はみ使いの指示に背いて後を振り向き,その結果,塩の柱になりました。―創世 19:17〔新〕,23-26。
6 クリスチャンになったユダヤ人は,エルサレムに関してどんな指示を与えられましたか。
6 同様に,西暦一世紀のこと,クリスチャンになったユダヤ人は,ローマの将軍ケスチウス・ガルス指揮下のローマ軍団が聖都エルサレムを一時的に包囲したあと,主イエス・キリストの忠告に従わねばなりませんでした。彼らは,エルサレムとユダヤにあった財産と所有物を放棄し,ほとんどすべての物を後に残して,ユダヤ州の外の山々に「逃げ」なければなりませんでした。当時,同地域の外にいた者たちは,同地域内に何を所有していても一切取りに入ってはなりませんでした。―ルカ 21:20-24。
7,8 西暦前607年に,エホバの特別の祝福を受けた二人の人はだれでしたか。そしてどのようにその祝福を受けましたか。
7 歴史をもう少しさかのぼると,これと同様の事態が起きていたことが分かります。神のことばが示すところによると,西暦607年に,エホバ神から特に指名され,また聖都エルサレムがバビロンの軍隊によって破壊される時にエホバ神の特別の恵みを得る人が二人いました。そのうちの一人は,エベデメレクという名のエチオピア人でした。水ための中で死の危険にさらされていた預言者エレミヤを王に救い出してもらおうとして,彼のためにエルサレムのゼデキヤに嘆願したのは彼でした。(エレミヤ 38:6-13)エホバは,ご自分のしもべに思いやりを示したエベデメレクへの報いについて述べ,彼にこう言われました。『われ必ず汝を救わん 汝は剣をもて殺されじ 汝の〔魂〕は汝の掠取物とならん 汝われに倚頼めばなりとエホバいいたまう』― エレミヤ 39:18,〔新〕。
8 エホバから指名された他の一人は,預言者エレミヤの忠実な書記バルクでした。彼はエレミヤの口述にしたがって,エルサレムの破滅についての預言的音信を告げる二つの巻き物を書くすばらしい特権を得ました。第一の巻き物は後ほどエホヤキムに一片ずつ焼かれてしまうのですが,バルクはこれを書いていたときに疲れを訴えました。エホバは彼に,『汝己れのために大いなることを求むるか これを求むるなかれ』と注意されました。しかしながら,彼は忠実であったために,エルサレムのこの恐ろしい包囲期間のみならず,後ほど反逆的な逃亡者たちが彼とエレミヤを強制してエジプトに連れて行った時にも,保護と安全が約束されていました。(エレミヤ 36:4-32; 43:4-7)しかし,これがどの程度の保護であるかに注目してください。『われ災いをすべての民に降さんされど汝の〔魂〕は我汝のゆかんすべての所にて汝の掠物とならしめんとエホバいいたまふ』。(エレミヤ 45:1-5)ですから,バルクもエベデメレクも,エルサレム市の包囲と破滅の間,『魂』すなわち命だけを約束されていたにすぎません。
自問すべき事柄
9 わたしたちが住んでいる時代を考えるとき,わたしたちはどんな事柄を真剣に考慮すべきですか。
9 こうした立派な模範について考え,また『すべての事物の終わりが近づいた』ことや(ペテロ第一 4:7)はるかに大きな破滅の迫っているずっと重大な時にわたしたちが住んでいることなどを今日理解するとき,わたしたちは次のことを真剣に自問せずにはいられません。収入を増そうとして,この世的な事物の体制の中で,専門職につくための特殊の訓練を受けることに時間と努力を費やすのは,分別のあることだろうか。この地上における将来の生活をさらに豊かなものにし,「大患難」前の残された短い時をもっと快適にぜいたくに暮らそうとして,必要以上に地的財産を増やすことを望むのは,道理にかなっていますか。現在関心を向けていなければならない,それよりもはるかに重要で貴重なものがあるのを見落としているでしょうか。もしわたしたちが,わたしたちの偉大な保護者を自分の生活の中で第一にするなら,その保護者はこれから先もわたしたちの世話をみてくださる,という信仰に欠けているでしょうか。これらは,わたしたちが各自個人的に考えてみなければならない問題です。わたしたちの命がそれにかかっています。
10 わたしたちは,ルカ 17章26節から30節のイエスのことばになぜ関心を払うべきですか。
10 わたしたちは,わたしたちの時間や関心や注意を奪いかねない物が非常に多い時代に住んでいますから,イエスの預言的なことばを心に銘記することはぜひとも必要です。イエスは言われました。「また,ノアの日に起きたとおり,人の子の日にもまたそうなるでしょう。人びとは食べたり,飲んだり,めとったり,嫁いだりしていて,ついにノアが箱船の中に入る日となり,洪水が来て彼らをみな滅ぼしたのです。また同じように,ちょうどロトの日に起きたとおりです。人びとは食べたり,飲んだり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりしていました。しかし,ロトがソドムから出た日に天から火といおうが降って,彼らをみな滅ぼしたのです。人の子が表わし示されようとしている日も同様でしょう」。(ルカ 17:26-30)このことを前もって知っているあなたは,どんな状態にありますか。日常生活のさまざまな事柄に没入していますか。そこがあなたの宝のあるところ,あなたの心のあるところですか。(ペテロ第二 3:17。マタイ 6:21)ですから,イエス・キリストが,この事物の体制の終わりの時に住んでいるわたしたちをも含め,すべての弟子に対して,自分のため天に宝を蓄えなさい,と助言されたのはなんと適切だったのでしょう。もしわたしたちがそうするなら,それはわたしたちにとってなんと大きな祝福となることでしょう。
11,12 (イ)「天に宝を蓄える」ということは,どういう意味ですか。(ロ)どうすればそれは可能ですか。
11 しかし,天に宝を蓄えるとはどういう意味か,どうすればそれができるのか,とあなたはお尋ねかもしれません。それは,わたしたちの創造者であるエホバ神のみ前において良い立場を得かつそれを維持するよう努力する,ということです。『神に対して富む』生き方を追い求める,という意味です。(ルカ 12:21)個人の「りっぱな業」の記録は,天にいます創造者に預けてある富のようなもので,死そのものさえ取り去ることのできない永遠の益をその人に保証します。(ヘブライ 10:24。ヤコブ 3:13。ヨハネ 11:25)この立場は,わたしたちの神エホバに対する信仰と忠誠を固く守り,神のご意志をたゆまず行ない続けることによって維持されます。―ローマ 11:20。コリント第二 1:24。
12 イエスはこれらの天の宝を絶えず強調し,わたしたちに模範を残されました。(ペテロ第一 2:21。ヘブライ 10:5-10)地上の宝について弟子たちに助言したのち,イエスは彼らに次のように勧めました。「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです」。(マタイ 6:33)ですから,天的宝を蓄えるには,天にいますわたしたちの父エホバ神に是認される記録を作ることを目的として今生き,また行動することが最も重要です。―詩 5:12。箴 12:2。ヨハネ 6:27。
13,14 ザアカイとはどんな人でしたか。彼の人生にはどんな劇的な変化が生じましたか。
13 西暦一世紀に,これを実行した人の例が一つあります。その人はメシアの王国の関心事に献身できるよう,地上の宝を捨てました。それはだれでしたか。それはザアカイという名の非常な金持ちで,エリコの町に住んでいた,収税人の頭でした。エリコ周辺の地域は,ヨルダン川のちょうど西側にあり,今日に至るまで非常に肥沃で産出力に富んでいます。古代においては,税収も相当の額にのぼったことは疑えません。当時の多くの収税人と同様に,ザアカイも,自分の地位に関連していかがわしいことを行ない,その大きな財産の一部を獲得しました。―ルカ 19:2,8。
14 イエスは西暦33年の春,エルサレムに行かれる,そして死なれるほんの少し前に,エリコに行かれました。ザアカイはイエスが見たかったのですが,背が低かったために群衆にさえぎられて見えなかったので,先の方に走っていき,木に登って,よく見えるところに陣取りました。その行動がイエスの注意を引いたらしく,イエスは彼を呼び降ろして,エリコにいる間彼のところにとどまることを告げられました。納まらないのは町の人たちです。「罪人である人のところに泊まりに行ったのか」と,不平をこぼしました。(ルカ 19:3-7)しかしながら,イエスの交わりはザアカイに劇的な影響を及ぼしました。彼が,イエスの話を聞いて真の宝の価値を認識したことは明らかです。なぜなら,彼は次のように説明したからです。「ご覧ください,主よ,わたしは持ち物の半分を貧しい人びとに与えていますし,なんでも言いがかりをつけて人からゆすり取ったものは,四倍にして元に返しています」。そうです,ザアカイは,自分の富を処理して,主イエス・キリストの忠実な追随者になる願いを表わしたのです。イエスが彼に向かって,「この日に救いはこの家に来ました。この人もまたアブラハムの子だからです」と言われた時,ザアカイはすばらしい喜びを経験したに違いありません。―ルカ 19:8,9。
現代の例
15 生活の中で,天的宝を第一にした人の現代の例を挙げなさい。
15 ですから今日でもわたしたちは,王国の事柄に注意を注ぐのを適切なことと見てこの地上にこれ以上富を蓄えることに背を向けた人々の現代の例を,喜びを抱いて見るのです。その一つは,「ものみの塔」誌の1968年8月1日号にその生涯の物語が載せられた一兄弟の場合です。彼は天与の才能により,不動産の売買と管理の分野で非常な成功を収めました。あるときのこと,彼に事業の才腕があることをよく知っていたある同業者が,人の欲望をかきたてそうな商談をもって彼のところへ来ました。それはどんなものだったでしょうか。なんとそれは,彼自身がたった一年で100万ドルの純益をあげることのできる仕事の話でした。彼はどうしましたか。それを拒否しました。なぜでしょうか。なぜなら,その期間,全部の時間を,増大する仕事につぎ込まねばならなくなるからでした。彼は次のように言いました。「ここでエホバに奉仕するすばらしい特権を,たとえ一年でも断念することは,わたしにはできません。世界中のお金を全部やると言われてもです。このワシントン市で兄弟たちに奉仕することのほうが,わたしにとってはもっと大事なことです。ここにいればエホバの祝福があることが分かっているからです。100万ドルもうかることはもうかるでしょう。しかし,そんな生活を送った年の終わりには,わたしは霊的にどうなっているでしょうか。体でさえどうなっていることやらわかったものではありません」。もしそのような話が,あなたを誘惑するようにあなたの前に置かれたなら,あなたは同じような決定を下しますか。
16 他のどんな例を,わたしたちは今日高く評価しますか。なぜですか。
16 もう少し前にさかのぼって,別の例を考えてみましょう。それは1870年代に20代になったばかりであった,ペンシルバニア州のアレゲーニー郡に住んでいたある男の人の例です。彼は父親と一緒に商業を営み,紳士用装身具を扱う一連の小売店を経営して,百万長者になる道を歩んでいました。それは,ジョン・D・ロックフェラーが,石油事業を始めて千万長者になるよりも前のことでした。しかしアレゲーニーのこの若者はどうしたでしょうか。彼は,聖書を勉強すること,そして聖書が何を教えようとしているか,今日に対してどんな音信を持っているかを知ることのほうが重要であることを悟りました。1879年,彼は新しい宗教誌,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」(現在の「ものみの塔」誌)を発行する必要を見てとりました。その後彼は,ものみの塔聖書冊子協会の最初の会長になりました。チャールズ・T・ラッセルがすなわちその名で,彼は自分の全財産を,王国の良いたよりの伝道に投入しました。そうです,過去においても現在においても,わたしたちには,王国の関心事を生活の中で第一にするなんと優れた模範があるのでしょう。あなたは,自分のために天に宝を蓄えるために,そのような賢明な決定を下していますか。
17,18 (イ)気づかないうちに霊的なものを奪われている,ということはどのように生じますか。(ロ)イエスのどんな行動は,この世の富の真の価値を理解する助けになりますか。
17 もしだれかが,エホバに対する信仰とエホバに奉仕する特権とを断念したなら一万ドルあげよう,と言ったならどうですか。あなたはもらいますか。もしそれが10万ドル,または100万ドルだったならどうですか。「まあ,そんなことは考えられないことです。どれほど多くのお金を差し出されても,そのようなことはしないでしょう」とあなたは言います。それは全く正しい決意です。にもかかわらず,なんと多くの人が,「少しばかり余分のお金」を,あるいは非常に欲しく思っているある物を得るために,余分に仕事を持ったり,一週間のうち「ほんの」幾晩か働いたり,週末に働いたりして,より大きな責任を背負い込んだことでしょう。むろん,それによって,定期的に開かれる会衆の集会に出ることや,そこでの良い交わりから益を受けることは妨げられます。伝道活動も妨げられますし,生活の中における神の霊の作用にも影響があります。気づかないうちに霊的なものを奪われ,エホバとその組織に対する愛と感謝を失っています。確かに物質的には以前よりも豊かになりましたが,霊的にはずっと貧しくなりました。「少しばかり余分」の金を得るために,またはある持ち物を増やすために,なんと大きな代価を支払うのでしょう。しかも骨おって働くことさえしなければならなかったのです。
18 悪魔がイエスを高い山に連れていき,世のすべての王国とその栄光とを見せて,もしあなたが「ひれ伏してわたしに崇拝の行為をするなら」それらをみなあなたにあげよう,と言ったとき,イエスは,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,彼だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」と言われました。(マタイ 4:8-10)わたしたちも同じように天的宝の価値を認識し,神の信用と是認を得る決定を行なえますように。
天的宝の価値
19 物質の所有物に関するイエスの助言に注意することは,どんな面で知恵の道ですか。
19 わたしたちは,物質の所有物に関するイエスのことばの知恵をいつも認識していましょう。物質の所有物は腐食し,失ったり,盗まれたり,破壊されたりする危険がいつもある,とイエスは言われました。多く持てばそれだけ心配も多くなります。これが不必要な重荷であることがなんと多いのでしょう。そのような物質の所有物に注意を注ぎすぎると,「真の命」を得そこなうもとにもなりかねません。(テモテ第一 6:19)一世紀にその例がありました。
20-22 (イ)イエスは富んだ若い支配者にどんな助言を与えましたか。その若者は,生活の中で何を第一にしていることを示しましたか。(ロ)もし西暦70年まで生き続けていたなら,この若い支配者にはどんなことが起きたと考えられますか。
20 西暦33年ごろのこと,イエスはヨルダン川東岸のペレア州を通過する途上におられました。富んだ若い支配者のある男が,イエスのところへ走って来て,「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな良いことを行なわねばならないでしょうか」と尋ねました。(マタイ 19:16)イエスはどうすべきかを彼に教え,天で永遠の宝を得ることを,地上の物質の所有物に妨げられないようにしなさい,と忠告されました。「行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう」とイエスは言われました。(マタイ 19:21)彼は律法の下にありましたから,困っているイスラエル人を助ける義務がありました。(レビ 25:35。申命 15:7-11。イザヤ 58:6,7。エゼキエル 18:5,7-9)しかし彼はイエスのその忠告に感謝しましたか。彼は感謝しませんでした。(マタイ 19:22)ではこの若者にどんなことが起きたでしょうか。彼は引き続きどんどん成功して富を増し加えたでしょうか。もし彼が西暦70年までさらに37年生きたとすれば,ある激烈な変化を経験することになったでしょう。
21 前に述べたように,彼が住んでいた州は,クリスチャンになったユダヤ人の大多数が,西暦66年,間近に迫っていたエルサレムの破滅を生き延びるために逃れた州でした。ローマの兵士たちは,ユダヤ人の謀反を鎮圧するのに,ペレア州まで侵攻する義務を感じませんでした。しかし,地的財産をたくさん持ってその州の中に住んでいたこの富んだ若い支配者はどうだったでしょうか。彼はモーセの律法を実直に守る人でした。(マタイ 19:20)もし西暦70年まで生き延びたなら,この実直な律法遵守者はおそらく,神に対して毎年行なわれる過ぎ越しを祝うために,ヨルダン川を渡って西側に行き,ユダヤ州に入り,そしてエルサレムの町にのぼったことでしょう。―申命 16:1,2。
22 その時町の中にいたのですから,彼は聖地を包囲したローマ軍団に袋のネズミにされたでしょう。ですから彼はエルサレムの破滅の時に死んだか,または生き残ってローマの兵士たちに捕えられ,ローマ帝国内のどこかに連れていかれて奴隷にされたかのどちらかです。いずれにせよ,彼はすべてのものを後に,この地上に,残していかねばならなかったでしょう。しかし,イエス・キリストのためでも,イエスの追随者の一人としてでもありません。この若者としては,それはなんとばからしいことだったでしょう。わたしたち各人にとって,天にいます神の信用,そのみ前における良い立場は,なんと必要なのでしょう。神の信用すなわちそのみ前における立場は,最も価値の高いものであり,それは永遠に存続します。
23 箴言 23章4,5節の知恵は,どんな面に見られますか。
23 この地球上の諸政府は,わたしたちの物質の財産が,時たつうちに,経済不況,インフレ,平価切り上げなどによっても,あるいは株式市場の災厄的崩壊によっても,その価値を失うことはないと保証することはできません。神のことばは,箴言 23章4,5節で断言しています。『富を得んと思い煩うことなかれ 自己の明哲を恃むことなかれ なんじ虚しきに帰すべきものに目をとむるか 富はかならず自らつばさを生じて鷲のごとく天に飛びさらん』。
24 地上の宝に頼ることの愚かさを例をあげて説明しなさい。
24 この時代の経済状態を考えてみただけでも,それはなんと真実でしょう。「1923年末のドイツでは,わずか二年前にたった35マルクで買えた物を買うのに,1,200,400,000,000紙幣マルクかかり,ハンガリーでは,1938年にわずか一ペンゴで手に入ったものが,1946年には1.4ノウニィリオンペンゴもしました。(1ノウニィリオンは,1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000です)」。(ホートン・ミフリン著「貨幣と経済活動」をご覧ください)南アメリカのウルグアイでは,最近一年間に,生活費が約500%上昇しました。近くの国チリでは,その数字は375%でした。もしわたしたちが宝を天に蓄えるなら,確かにそれはそのように価値が変わることはなく,安くなって最後には無価値になる,というようなことはありません。―ルカ 12:33。
25,26 (イ)今の時代のことを考えるなら,わたしたちはどんな道を追い求めているべきですか。(ロ)「天に宝を」蓄える人々にはどんな将来がありますか。
25 であれば,わたしたちは今日,自分のためにさらに富を得る競争に没頭するのではなく,主イエス・キリストの助言に従って,いつにもまして緊急なわざ,すなわち神の王国の良いたよりを宣べ伝え,すべての国の人々を弟子とすることに没頭するのが当然です。(マタイ 28:19,20。使徒 1:8)どれほど多くの富があっても,それによってきたるべき「大患難」を通過することはできないことを,忘れないようにしましょう。箴言 11章4節に記されているとおりです。『宝は震怒の日に益なし されど正義は救うて死をまぬかれしむ』。
26 天を仰ぎ,神の王国とそれに関係した事柄を,生活の中で第一にすることを,わたしたちの決意としましょう。もしそうするとすれば,わたしたちは自分のために今,物心両面における数え切れない,言い表わしがたい祝福を,そしてまたハルマゲドン後の神の新しい事物の体制における永遠の命を,確実なものにしつつあることになります。それは,世界の全部の金をもってしても買うことのできないものです。あなたが望むのはそれですか。では,キリストの王国下の神の正義の新秩序における水道の命と平和と幸福は,自分のために今日地上に宝を蓄えることをやめた人すべてに与えられる報いであることを知ってください。―イザヤ 9:7。テモテ第一 6:17-19。