忠誠を保ってもたらされる喜ばしい結果
1 ダビデは忠誠の人だったと考えられますが,聖書のどんなことばがこのことを裏づけていますか。
「かくダビデ投石索と石をもてペリシテ人にかちペリシテ人をうちて之をころせり然どダビデの手には剣なかり(き)」。(サムエル前 17:50)ダビデはその忠誠,エホバに対する魂をこめた専心のゆえに,ペリシテ人の巨人ゴリアテに対して勝利を博したことを知ったとき,きわめて大きな喜びを得たに違いありません。ゴリアテとの出合いののち,ある時ダビデはエホバにこう祈りました。「忠誠と高潔そのものにわたしを守らせてください」。(詩 25:21,新)霊感を受けた記述者アサフはダビデと「その心の忠誠さ」について述べています。(詩 78:72,新)列王紀略上 9章4節〔新〕でエホバは,『なんぢなんぢの父ダビデの歩みし如く心〔の忠誠さをもって〕正しく我前に歩みわがなんぢに命じたる如く凡てを行え』と述べてソロモンを激励されました。ですから,ダビデは不完全で,確かにまちがいを犯したとはいえ,忠誠を守る人であることをその生涯を通して何度も実証しました。
2 (イ)イエスはなぜそのように進んで死を受けたのですか。(ロ)ピリピ書 2章5-11節によれば,イエスの忠誠の歩みはどのように報われましたか。
2 やがてダビデ以上に偉大な人間,人間イエスが地上に現われました。完全なイエスは,その人間としての全生涯中,エホバに対するご自分の忠誠をまさに忠実に保ち,わたしたちの従うべきりっぱな模範を残されました。(ペテロ前 2:21-23)エホバに対するその忠節はイエスに幸福をもたらすものになったといえますか。わたしたちに代わって,神のみことばに答えてもらいましょう。「彼[イエス]はその前に置かれたる歓喜のために,恥をも厭はずして〔刑柱〕をしのび,遂に神の御座の右に坐し給へり」。(ヘブル 12:2,〔新〕)そうです,イエスは忠誠を保ち,またご自分の前に喜ばしい報いが差し伸べられていたゆえに,直面した恥辱の死を進んで受けたのです。このことについてはピリピ書 2章5-11節〔新〕にさらに多くのことがしるされています。「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。即ち彼は神の貌にて居給ひしが,神と等しくある事を固く保たんとは思はず,反って己を空しうし僕の貌をとりて人の如くなれり。既に人の状にて現れ,己を卑うして死に至るまで,〔刑柱〕の死に至るまで順ひ給へり。この故に神は彼を高く上げて,之に諸般の名にまさる名を賜ひたり。これ天に在るもの,地に在るもの,地の下にあるもの,悉とくイエスの名によりて膝を屈め且もろもろの舌の『イエス・キリストは主なり』と言ひあらはして,栄光を父なる神に帰せん為なり」。
3 同様に,現代においても多くの人は何をしてきましたか。
3 20世紀の今日,忠誠を守る人びとは全世界に大ぜいいます。彼らは日々正直を表わし,エホバの目に高潔な者でありたいとの願いを,小事においてさえも自分たちの行動にって表明します。もとより,重大な論争に直面して忠誠を実証してきた人も大ぜいいます。
現代において忠誠を守る人たち
4 (イ)忠誠を守るよう努力する点で,ある16歳の若者はどんな道を歩みましたか。(ロ)担任の教師はついに何をしましたか。
4 教会と国家とが提携しているある国でのこと,16歳になるあるクリスチャンの若者は,もし十字を切ったり教会でのミサに出たりしないならば,放校処分に付すといわれました。若者は卒業を間近に控えており,要求に応じなければ,履修単位すべてを失うおそれがありました。教官からは,信じてするわけではなく,ただ動作だけして済ませるようにと言われましたが,若者は断固とした立場を取りました。その信仰にすっかり感服させられた教官は,祈りの時間にはその若者を教室のうしろに立たせ,十字を切らなくても,人に気づかれないようにさせました。(問題を起こすことを恐れたその教師は,若者がそうした宗教行為をさし控えるのを公に容認したのでは,自分の職を失いはしまいかと心配したのです。)また教師は,その若者に仕事を割当ててミサのさいに行なわせ,忙しくて礼拝には出られなかった,と言いわけできるようにさせました。こうしてみると,その若者の忠誠を守る歩みは報われたといえるのではありませんか。
5 ある若者はなぜ学校で身体上の虐待をこうむりましたか。
5 神のみことばの述べる助言に服して,身体面での虐待を受けた人たちもいます。太平洋のある島でのこと,ふたりの少年は,偶像崇拝に類する行為の関係する愛国的儀式に参加するのを拒みました。島で認められている信教の自由を正しく評価しなかった教師は,一方の少年の腕を折るほど極端な仕打ちを加えました。問題はその教師とともに話し合われてから上司に持ち出され,教師はしたたか叱責されました。以来,その教師はたいへん協力的になりました。確かに当の少年はかなりの苦しみをこうむりましたが,忠実を保ち,そうすることによって,エホバに対する真の忠節を実証しました。
6 (イ)13歳のある少女に輸血の問題が持ち上がったのはなぜですか。(ロ)少女とその母親はエホバの律法に対する忠誠をどのように守りましたか。
6 白血病と診断された,ベルリンの13歳の一少女は,忠誠を守った人の近年のもう一つの例となりました。医師は,輸血をすれば,少女の病状はもっと楽になり,病気の進行をくい止められるかもしれないと述べました。その母親は神を恐れるクリスチャンなので,血を食べることを禁ずる聖書の教えを知っていました。(創世 9:4。使行 15:28,29)それで,母親は輸血を施すことを断わりました。少女も輸血を断わって,こう言いました。「もうしばらく生きたいばっかりにエホバ神のご命令を破るよりは,むしろエホバに忠実を保って死にたいと思っています」。(マタイ 10:39)その少女はなくなりましたが,母親あての遺書を残しました。その手紙は少女の知っている人すべてにあてたもので,輸血に反対したことで母を責めないでくださいという趣旨の遺書でした。少女はこう述べています。「律法を破る者となるよりも,神のみことばに誠実で従順でありたい,これこそ母と同様,私の堅い決意です。……もし生命の偉大な与え主であられるエホバが私を価値ある者とみなされるなら,喜びと幸福の宿る清められた楽園の地に ― 正真正銘の血肉の人間として ― 復活させてくださるでしょう。死ぬのがつらくなかったのはそのためだったのです。わかっていただけるでしょうか」。
7 (イ)何に対する信仰があれば,死を直視できるようになれますか。(ロ)どうすれば,そのような信仰が得られますか。
7 それにしても,その少女にとって死ぬのがつらくなかったのはなぜですか。なぜなら少女は,「神は死人の中より之[息子イサク]を甦へらすることを得給ふ」と考えたアブラハムと同様,信仰を持っていたからです。(ヘブル 11:19)少女は,神が約束された新しい事物の体制と神のみ子の犠牲によってあがなわれる人たちの復活とに対する十分の信仰をいだいていました。(ヨハネ 5:28)しかし,死に面してさえ忠誠を守るよう少女を助けたほどの信仰を,それほど若い人がどこから得られるのでしょうか。それは神のことば聖書を研究して得たのです。今ではエホバの証人の全時間奉仕者となっている別の若い女性は,子どもたちを訓練する親に関して聞いたある資料について語り,こう言いました。「母が家族研究のために骨を折ってくださったことを思うにつけ,私はもう一度喜びを味わいました。親とその助言を無視するそれらの子どもたちをだれか奮い立たせてあげられたら,と思えてなりません」。
8 (イ)忠誠を守る点でなぜ中立の問題が関係してきますか。(ロ)ある母親と息子は中立にかかわる論争でどのように試みられましたか。どんな結果になりましたか。
8 ヨハネ伝 18章36節〔新〕には,「わが〔王国〕はこの世のものならず」というイエスのことばが引き合いに出されています。わたしたちが忠誠を守ることには,その王国に対して忠節であるとともに,この邪悪な事物の体制の事がらに対する厳正中立の歩みを保つことが関係しています。ある島国でのこと,エホバの証人の一婦人は,息子が良心上の理由で軍事教練を拒んだため,放校処分にするといっておどされたことを知りました。そこで,婦人は息子のために学校当局に事情を訴えました。当局者のひとりは,息子には身体上の障害があるので教練を免除させてほしいと申し出てはどうかと提案しましたが,うそをつくことに関する神の見解を知っているゆえに,母親は,それは真実を曲げることになると告げました。(黙示 21:8)次に学校側は,ただ教練服をつけて出席をとり,木製の銃を配るだけではどうかと勧めました。ここでもまた母親は,そうすれば,息子は教練を支持していると見られることになると述べました。業を煮やした学校側は,彼女の宗教はあまりにもきびしすぎると述べて,腹だちまぎれに婦人を退場させました。婦人は穏やかにその場を去りましたが,さほど歩かないうちに,学校側があわてて彼女を呼び戻しました。そして,前言をわびたうえ,その宗教上の堅い信念には敬服するほかはないと述べたのです。他の生徒が教練を受けるさい,その少年には校長室で仕事をしてもらうことにすると学校側からいわれたとき,婦人はどんなにかエホバに感謝したことでしょう。クリスチャンの中立にかかわる論争の点でこの母親と息子が忠誠を保とうとした努力は確かに報われました。
9 ある女優とその夫はなぜ生活上の変化を遂げましたか。どんな結果がもたらされましたか。
9 真の宗教およびエホバの清い崇拝に加わったばかりの人たちでさえ神への忠節また忠誠を表わす機会に面します。あらゆる階層の人びとが真理の正確な知識を得るに至るのです。女優をしていた中東のある既婚婦人が聖書の研究を始めて,すぐ真理を受け入れました。そして直ちに,テレビや演劇でキリスト教の原則に反する配役は受けるべきではないことを知りました。(ペテロ前 4:3,4)俳優をしていたその夫は,生活上の変化を遂げるのにさらに苦労しました。この世的な仲間たちに進歩を妨げられたためです。しかし,エホバの証人から激励を受け,またみずからも内省を重ねたのち,ほどなくして神に喜ばれる立場を取りました。その後,友人や近所の人たちみんなに聖書研究をするよう勧めるようになりました。どうしてそのように変わったのかと尋ねられると,彼は,「あなたがたは真理を知り,真理はあなたがたを自由にするでしょう」と答えました。(ヨハネ 8:32,新)この夫婦は生活をエホバのみことばとその原則に一致させる忠節な努力を払った結果,みずからが変化するのを見るとともに,ふたりが新たに見いだした宗教にかんする事がらを他の人と効果的にわかち合える喜びにもあずかりました。
10 関心をいだいて間もないある人が,家族の反対にどのように敢然と立ち向かいましたか。どのように報われましたか。
10 忠誠を保つと,真の宗教を理解しない親族からの反対を招く場合がよくあります。しかしイエスは,「人の仇はその家の者なるべし」と予告なさいませんでしたか。(マタイ 10:36)アフリカの南部のある婦人は,聖書の研究を始めるとすぐ,教会の偽りの教えに気づいたので,教会と手を切りました。その夫と母は激しく反対しましたが,この婦人と聖書研究を行なっていた人は彼女にマタイ伝 10章37節を指摘しました。その句の中でイエスはこう述べています。「我よりも父または母を愛する者は,我に相応しからず」。こうして彼女は研究を続けるよう励まされ,神の王国の良いたよりゆえに憎まれる人たちはほんとうに祝福されるということを知って慰められました。(マタイ 5:10,11)そして婦人は聖書研究で学んだことを実践したいとの決意をいっそう固めました。とはいえ,彼女の確固とした態度は成果をもたらしました。その後しばらくして,彼女の母も良いたよりについて友だちに証言するばかりか,これまで時間を浪費したことが残念でならない,とさえもらすのを見聞きして,たいへん驚かされたからです。次いでその母は,やめずに努力するよう娘を励ましました。この若い婦人の忠誠を守る歩みは豊かに祝福されました。というのは,彼女とその母はともに働いてエホバに仕えているからです。
11 ある兄弟は,盗みを禁ずる聖書の戒めを破らせようとするどんな誘惑に直面しましたか。問題はどのように解決されましたか。
11 忠誠を守ることには,「盗する者は今よりのち盗すな」というエペソ書 4章28節のことばの述べる考えに合致した生き方も関係しています。重大な経済的困難を伴うこの時代において,世俗の職場で責任の地位にある人びとは数多くの誘惑や脅迫に直面します。聖書の原則を勉強すれば,平衡と正直を一貫して保つのに役だちます。アジアのある貧しい国のとある銀行で出納係をしている人がエホバの証人と研究を始めました。行員たちはお金を得たいばっかりに,彼を買収また強要したりして小切手を変造させようとしばしば試みました。それら不正な行員は彼の抵抗を和らげ,自分たちの側に引き入れようとして,一式の家具と一台の新車を彼に提供しようとさえしました。聖書の真理でみずからを強化していたその行員は忠誠を保ち,そうした贈物すべてを断わりました。バプテスマを受けたのち,ほどなくしてその銀行の責任者が正当な領収書を添えずに多額のお金を彼を通して入手しようとしました。兄弟はその求めをも拒否しました。それは銀行の規定にふれるばかりか,聖書の原則にも反するからでした。その後,銀行当局者による監査が行われ,前述の責任者は解雇されました。しかし,この兄弟は当局者から正直さを買われて依然その職にとどまっています。彼は,その不正な責任者といっしょにやってゆかねばならないとか,もし上司と協力しなければ,ひどいめに会わされるかもしれないなどと考えて,上司の要求をのむこともできましたが,エホバに対する忠節の歩みを追い求めることを選び,ついに豊かに報われました。
12 ある聖書研究生は宣教のための資格を得るためどんな努力を払いましたか。
12 聖書は,大いなるバビロンつまり偽りの宗教の世界帝国について語りこう述べます。「わが民よ,かれの罪に予らず,彼の苦難を共に受けざらんため,その中を出でよ」。(黙示 18:4)忠誠を保つことにはこの助言に留意することも関係しています。西アフリカのある男の人はエホバの証人と聖書を研究して二,三か月もたたないうちに,野外宣教に携わりたいとの願いを表わしました。彼は大いなるバビロンの一部とあまり密接な関係を持っているので,まず世俗の仕事の面で事情を調整しなければならないことが指摘されました。身体上の障害のため,適当な替わりの職を捜すのは困難をきわめましたが,エホバは正しいことを行なう人すべてを祝福されるということを知ったので,新しい仕事につくため,640キロ離れた所に移りました。彼があるエホバの証人といっしょに事務をとることになったときの喜びを想像してください。この人は直ちに野外宣教をはじめ,神権宣教学校に加わり,またエホバへの献身を象徴するバプテスマを受ける取り決めを設けました。
13 (イ)伝道のわざに対するどんな態度は報いをもたらすものとなりますか。(ロ)ある若い女性は自分の家族が真理を学ぶのを助けるために何をしましたか。そうした努力を払うだけの価値がありましたか。
13 エホバに対するわたしたちの忠節,またエホバに対するわたしたちの忠誠を保つことは,神のことば聖書からの良いたよりを他の人びととわかち合うことによっても表わせます。わたしたちは真理を知っているのですから,「我心にありて火のわが骨の中に閉こもりて燃るがごとくなれば忍耐につかれて堪難し」と語ったエレミヤと全く同様に感ずべきでしょう。(エレミヤ 20:9)エホバの目的を語ることに対するこうした正しい態度は,喜ばしい報いをももたらすものとなります。よその国にいる親族を尋ねた,ある若い女性は,親族のひとりがエホバの証人と研究をしているのを知り,その研究に同席して急速な進歩を遂げ,二,三か月ものうちに献身したエホバの証人になりました。彼女は聖書から学んだ真理について自分の家族に手紙で伝えましたが,家族はそうした手紙に快く答え応じませんでした。そこで,直接家族に話して,真理が自分の生活にもたらした変化のほどを見てもらうため,家に帰ることにしました。ところが,物事は思いどおりに進まなかったばかりか,家族の者は彼女がエホバの証人の集会に出席することに反対さえしました。会衆のある男の人たちは彼女の家族を親しく訪問するよう取り計らい,そして,何が行なわれているのかを見るために一度だけ王国会館を尋ねてもらうよう,その家族を説得しました。集会に来て,兄弟たちが表わした愛や親切また喜びに深い感銘を受けた家族は,その若い女性が集会に出席したり野外宣教に携わったりすることにもはや反対しなくなりました。やがて彼女の妹が真理に関心を持つようになり,今では献身した神のしもべとなっています。引き続き努力した結果,彼女の母と,結婚した姉の一家も真理を学び,次いでそれを他の人びととわかち合っています。今やこれらの人たちはエホバの奉仕のうちに結ばれて喜びを得ています。このすべても,元はといえば,真理を学んで,それを自分の一番近い家族の人たちに思いきってわかち合ったその女性の忠実な歩みによるのです。
今そして将来における喜び
14 (イ)忠誠を保つことによって今どのように喜びにあずかれますか。(ロ)喜びをいだけるということに関連して箴言 27章11節を説明しなさい。
14 前述のことからすれば,わたしたちが今忠誠を保てば,喜ばしい結果を現在もたらすことになると言えるのではありませんか。わたしたちの奉ずる宗教が真のそれであることを知るよう他の人びとを助けたり,この世の上司から称賛されたり,もしかして昇進させられたりなどして喜びのもたらされる場合があるのは確かです。しかし喜びをいだいてしかるべきさらに大きな理由が箴言 27章11節(新)に述べられています。その句を読んで,いっしょに検討してみましょう。「わが子よ,賢くあって,わたしの心を喜ばせなさい。わたしをあざけっている者にわたしが返答するためである」。エホバはわたしたちに,賢くあれと命じておられます。どうすれば賢くなれますか。どうすれば知恵を表わせますか。聖書から知識を取り入れて,それを生活に適用する,言いかえれば,聖書の原則に対する忠誠を守るのです。そうすることによってわたしたちが賢くなれば,今度はどうなるのですか。神の心を喜ばすことになります。なぜ? なぜなら,わたしたちは,『神をあざけっている者』すなわちサタン悪魔に対する答えとなれるからです。そうです,エホバはヨブの件で行なわれたとおり,忠誠を守る人たちをさし示してあらゆる人間を神から引き離してみせるというサタンの挑戦の誤りを実証できるのです。(ヨブ 1:8)立ちどまって考えてみてください。わたしたちは行動によって,つまり正しいことをそれも特に試みや試練のもとで行なうことによってエホバを喜ばせているということを知るのは,喜びをいだいてしかるべき顕著な理由ではありませんか。それに,このことを知れば,そうした正しい道を歩み続けるよう助けられます。『エホバを喜ぶ事はわたしたちの力』だからです。―ネヘミヤ 8:10。
15 忠誠のもたらす幸福はどうしてつかの間の幸福ではないと言えますか。
15 それにしても,エホバに対する忠節ゆえにもたらされる幸福は,つかの間のそれではありません。その種の幸福は,間近に迫ったこの邪悪な事物の体制の滅びにも存続するものなのです。イザヤ書 65章18節にはエホバの招きのことばがしるされています。「なんぢらわが創造する者によりて永遠にたのしみよろこべ」。エホバが創造しておられるものとはなんですか。17節はこう述べます。「われ新しき天とあたらしき地とを創造す人さきのものを記念することなく之をその心におもひ出ることなし」。神がおつくりになる義の新体制は,わたしたちがそれについて無限に喜びを表わしうるものです。なぜなら,もしわたしたちが神の意志を忠実に行なうなら,その取り決めの中で生きる希望があるからです。わたしたちの忠誠は,邪悪な人びとが滅ぼされるとき,いわばわたしたちを保護する避難所となるでしょう。「邪悪な人々は自分の悪のゆえに押し倒されるが,義人は自分の忠誠のうちに避難所を見いだすであろう」― 箴言 14:32,新。
16 どんな喜びが『小さな群れ』の残れる者を待ち受けていますか。
16 イエスの『小さな群れ』の,なお地上に残っている人たちにとって死に至るまで忠誠を保つことは,イエスとともに千年の間,王また祭司として仕えるために天でキリスト・イエスと結ばれるという偉大な報いをもたらすものとなります。(ルカ 12:32。黙示 20:6)ピリピ書 3章13,14節でパウロは,そうした賞を受ける道を歩み続けるために何をしたかを説明しています。「後のものを忘れ,前のものに向ひて励み,標準をさして進み,神のキリスト・イエスに由りて上に召したまふ召にかかはる褒美を得んとて之を追求む」。依然,肉身で生きている,それら油そそがれたクリスチャンは同様な道を進まねばなりません。そうすることによって,今数多くの喜ばしい経験にあずかり,またエホバのご予定の時に,神の天の王国政府の一部としてイエスとともに不滅性にあずかるという比類のない報いを与えられるでしょう。―コリント前 15:53,54。
17 どんな喜びが『大いなる群衆』の人たちを待ち受けていますか。
17 天の命の賞を得る限られた数の人たちについて述べたのち,黙示録 7章は続いて9節で,全世界から出て来て,やはり命を得る『大いなる群衆』について述べています。しかし,それらの人たちが得る命は,楽園の地で人間として享ける永遠の命です。エホバに対する忠誠を保って,エホバの前に清い状態を保持し,かつ救いはイエスを通してエホバから来ることを勇敢に認めるそれらの人びとにとって,その喜ばしい結果は,次のことばが成就するときにあずかるとこしえの命です。「[神]かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく,悲歎も号叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり」。(黙示 21:4)これは,いわゆる“あまり良すぎて信じられない”約束ではありません。聖書の次の節は,「書き記せ,これらの言は信ずべきなり,真なり」と述べているからです。そうです,神ご自身がそれを保証しておられるのです。
18 もし忠誠を保つなら,わたしたちはダビデと同様,どんな態度を取れますか。
18 忠誠を保てば,今そして将来,喜ばしい結果がもたらされます。このことには疑問の余地がありません。もしこの道に従えば,ダビデと同様,わたしたちも神にこう言えます。「わたしはといえば,わたしの忠誠のゆえにあなたはわたしを支えられました。そして,あなたにわたしをあなたの顔の前に定めのない時まで置かれるでしょう」― 詩 41:12,新。