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こらしめを軽んじますかものみの塔 1963 | 9月1日
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エホバ神と御国の関心事を愛するゆえに協力を惜しまなかったことは,監督にとって感謝すべきことではありませんか。おもだった地位を占めている人でも,こらしめを必要とします。ゆえに喜んでこらしめを学け入れなければなりません。
30,31 従ってだれがこらしめを受け入れるべきですか。それにはどんな益がありますか。
30 それでこらしめを笑ったり,避けたりするべきではありません。その目的はエホバの崇拝をすすめることです。それによって,クリスチャンは宣教のわざをしっかり果たすようになります。また自分の立場を守って,エホバのわざを行い,崇拝を実践できます。エホバのこらしめを受け入れる人は生命を得ます。これもこらしめの目的のひとつです。ゆえにエホバの制度内にどんな地位を占めている人でも,こらしめを軽んずることはできません。「我子よ汝エホバのこらしめをかろんずる勿れ,そのいましめを受くるをいとふこと勿れ,それエホバはその愛する者をいましめ給ふ,あたかも父のその愛する子をいましむるが如し」。―箴言 3:11,12。
31 次の記事の中では,全地のエホバの証者の行動やそのとりきめの一端を紹介し,エホバの証者が義の薫陶を受けていることを示したいと思います。こらしめの価値を知る人にとって,学ぶところがあると思います。
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こらしめを受け入れて固く立つものみの塔 1963 | 9月1日
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こらしめを受け入れて固く立つ
1 どんな歴史の事実から見て,今しっかり立つことが必要ですか。
「しっかりと立場を定めている」あるいは「方角が定まっている」― これが固く立つことの意味です。世界のハルマゲドンに首尾よく対決するには,固く立つことが必要です。ペテロは,サタンの世,その天と地のすべてが崩壊することを考え,クリスチャンの兄弟に次のように書き送りました。「愛する者たちよ。それだから,あなたがたはかねてから心がけているように……あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい」。(ペテロ後 3:11-17,新口)永遠の生命への道を歩み通し,神に喜ばれる行いをして何時までもエホバを崇拝するには,こらしめによって固く立つことが必要です。なぜかと言えば,忠実を保つかどうかが問題なのです。―ヘブル 10:38,39。
2 どんな事柄に関してしっかりした立場をとることを望みますか。
2 生命に至るクリスチャンの道は,エホバのわざと崇拝 ― 宣教にあります。エホバの御国と崇拝に反対するいろいろな要素が,生命に至る道をふせぐ障害物となっています。それでこれらを克服して行かねばなりません。エホバ神の恵みにより忠実を固く守る人は,それを克服できます。エホバの証者は,忠実をためすさまざまの試練に会います。困難な事態の下でエホバの証者はどのような努力をし,またどのように障害物を見ますか。
物質主義に抗して固く立つ
3 物質主義とは何ですか。
3 放縦な物質主義はクリスチャンにとって危険なものであり,げんに世界中の人々を悩ましています。物質主義に抵抗して固く立つ人は,エホバを崇拝することを第一にして日々を過す人です。次のことに注目して下さい。物質主義に陥るのは,必ずしも富んだ人とは限りません。これは何を愛するかという問題です。エホバ神を愛し,エホバを崇拝して御国を第一にする人,「まず神の国と神の義とを求め」る人は,その事を必らず日々の生活にあらわします。肉の欲を満足させることに心を向け,またそのために
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