若い人は尋ねる…
他の人にどう思われるかについて,不安を抱くべきだろうか
次のような状況に置かれた時,あなたならどうしますか
● 友達の一人がたばこを吸い,ほかの幾人かの友達の前であなたにもたばこを勧めます。あなたは,たばこを吸うのはいけないことだと考えています。友達は皆あなたがどうするか注目しています。
● 幾人かの学友がボーイフレンドとの性行為について話しはじめます。あなたは道徳的に純潔でありたいと思っています。すると中の一人があなたに言います。「あなたにぴったりの男の子を知っているわよ。本当のことを言うと,彼あなたに会いたがっているの。今日帰りにわたしの家に寄らない? 彼も来るわよ。父も母も出掛けちゃったから二人だけになれるわ」。
● あなたは4人の男の子と一緒に車の中にいます。一人が小さな赤い錠剤の入ったびんを取り出し,一錠口にほうり込んでから隣にいる男の子にそのびんを渡します。その男の子は笑いながら錠剤を一錠取り,次の男の子にびんを渡します。4人全部が錠剤を取り,最後にびんを渡されるのはあなたです。あなたはためらいます。すると一人が,「取れよ,このいくじなし。どうしたんだ,怖いのか?」と声を荒立てます。
● あなたが学校で,新しく転校して来た少女と親しくするので,ほかの子たちがあなたをからかいます。その少女は「裏町」に住んでいるからです。あなたがその少女のそばにいる時はいつも,みんながあなたを無視しているように思えます。
たぶんあなたも,これに似たグループの圧力に直面したことがあるでしょう。「ほかの人にどう思われようと怖くない」とあなたは言うかもしれません。しかし,このような状況のもとでは,仲間のグループの考えや行動に同調しないようにするのは大変難しいことになるでしょう。
だれしも,ほかの人たちと変わっていると言ってからかわれるのは好きではありません。ある若い人々にとって,ほかの人たちと違っていたり,またそのためにあざけられたりするのは死ぬよりもつらいことなのです。その一つの例ですが,14歳になるある少年は次のような書き置きを残して自殺しました。「お父さん,僕はお父さんが大好きです。でも,どうしても生き抜くことができません。学校で……受けるちょう笑に耐えることができません」。なんという悲劇でしょう! しかし,ちょう笑の持つ力と,それがもたらす心の痛みをよく示している例です。あなたは,仲間がどう思うかが気にかかり,憂うつになったことがありますか。仲間からそのような圧力がかかるために自分の規準を曲げたことがありますか。もしかしたらあなたは,両親と仲間の板ばさみになっていると考えているかもしれません。
あなたは,みんなに気に入られるようにするわけにはいかないのだということに,もう気付かなければなりません。もし仲間に対して「ノー」と言うことを恐れるなら,結局だれかほかの人に「ノー」と言うことになります。それはあなた自身 ― あなた自身の規準 ― か,あるいはご両親に対してであるかもしれません。それで,あなたが答えなければならないのは次のような質問です。わたしはだれに対して「ノー」と言うだろうか。だれの意見や感情を重要視すべきだろうか。言い換えれば,優先させるべきものを決めなければならないということです。そのために必要なのは……
「思考力」
若い人の中には,自分で考えないでほかの人に考えてもらう人が少なくありません。自分で最善の道を決定するのではなく,群衆に従うのです。例えば,15歳のロビンは,みんなが吸うから自分もたばこを吸うようになったことを認めました。しかしこう付け加えました。「後になってわたしは,『こんなことをするのはいや。どうしてたばこなんか吸っているのかしら』と考えるようになりました。ですから今はもう吸っていません」。ロビンは,自分で考えることによって仲間に立ち向かう勇気を培ったのです。もっとも,若い人たちの中には自分の思考力に自信のない人もいます。正しい規準は何かについてあまり確信のない人もいるかもしれません。
そのことで大変助けになるのは聖書の箴言です。箴言は,「経験のない者たちに明敏さを,若者に知識と思考力を与える」ことができます。その忠告に注意を払う人はだれでも,生活において「巧みな指導」を得ます。どうしてでしょうか。―箴言 1:1-5。
まず,霊感によって書かれた箴言の中の忠告は,あなたが自分で決定を下す助けになりますから,あなたは仲間の導きに頼る必要がありません。また,だれの意見を心に留めるべきかに気付かせてくれます。箴言はどの原則が正しく,かつ支持に値するかを示してくれるからです。次に,箴言の書から実際的な忠告を幾つか拾ってみましょう。
「賢い者は恐れ,悪から遠ざかってゆき,愚鈍な者は憤怒を覚え,自己を過信するようになる」。(箴言 14:16)思考力のある賢明な人は,「自己を過信」してすべての意見を無視するようなことはしません。『わたしはだれの指図も受けない!』などとは言いません。「助言に聴き従い,懲らしめを受け入れよ。それは,将来,あなたが賢くなるためである」。(箴言 19:20)そうです,聖書にある「エホバの助言」をあなたに与える人たちの忠告に注意することは,一番あなたのためになるのです。しかし,その助言を論理的によく考えてみましょう。その根底にあるものを理解することに努め,その考えを自分自身のものにすることです。―箴言 19:21。
箴言 2章11節から19節によると思考力は,悪事をしないように,また問題を引き起こす人や不道徳な人たちからいつも離れているように,あなたを守ります。しかし,あなたが自分で物事を考え,正しい原則を支持することを仲間が知ったなら,幾らか問題が起きてくることを予期しなければなりません。なぜでしょうか。
思考力があるために憎まれる
「思考力のある者は憎まれる」。(箴言 14:17)思考力を働かせて,正しくない仲間の圧力に従おうとしない若者は,多くの場合嫌われたりあざけられたりします。しかし,そのようなあざけりを本当に気にすべきでしょうか。あざけられるからといって,自分はつまらない人間だ,と考えるべきでしょうか。
欲情や感情を制御できない人と,みだらな欲望に対して「ノー」と言える人と,どちらが強いでしょうか。(箴言 16:32と比較してください。)そのあざける人たちはどこに向かって人生を歩んでいますか。あなたも自分の人生がそこにたどり着くことを望んでいますか。正確な知識を取り入れるあなたの能力や思考力をねたんでいるということはありませんか。「あざける者は知恵を見いだそうと努めたが,何もない。しかし,[思考力を持つ]理解ある人にとって知識は容易なものである」。(箴言 14:6)彼らはあなたをねたましく思い,自分たちの不安定な状態をあざけりによって覆い隠そうとしているでしょうか。
巧妙なわなから逃れなさい
「人に対するおののきは,わなとなる。しかし,エホバに依り頼んでいる者は保護される」。(箴言 29:25)聖書時代のわなは,えさに飛びついた警戒心のない動物を素早く捕らえる,えさでおびき寄せるわなだったのでしょう。受け入れてもらいたい,というえさにつられてわなの中に入り,あなたが持っている正しい規準に背いたりすることがないようにしなければなりません。人を恐れるというわなは避けることができるのです。ほかの若い人たちもそのわなを避けてきました。
例えばデビーは一時群衆に従っていたことがありました。18歳の時彼女は,大酒を飲んだり麻薬を乱用したり,ひどく乱れた奔放な生活を送っていました。ところがある時から,エホバの証人の援助で聖書の研究を真剣に行なうようになりました。そして,エホバとの関係を深めてエホバに頼るようになりました。学んだことが彼女の考えに影響を及ぼすようになったのです。
「あの少人数のグループがしているようなことはもうしないことを決意しました」と,デビーは言いました。18歳のデビーは仲間のグループに向かって,「あなたたちはあなたたちの道を行けばいいでしょう。わたしはわたしの道を行きます。もしわたしと交際したいなら,わたしが尊重している規準を尊重してくれなければ困ります。悪いけどわたし,あなたたちにどう思われようと構わないわ。わたしは自分の道を行く決心をしたの」。
グループの中の幾人かは彼女を一層尊敬するようになったことにデビーは気付きました。特に一人の女の子はデビーの宗教的信念について色々質問し,彼女に忠告を求めることさえありました。「みんなが反応を示したわけではありませんが,でも,わたしはそう決意した後の自分の方が好きになりました」とデビーは言いました。
あなたはいかがですか。思考力を培い,人間への恐れを断固退けることによって自尊心を向上させることになるでしょうか。エホバの証人に援助を申し込んではいかがですか。
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受け入れてもらいたい,というえさにつられてわなの中に入り,あなたが持っている正しい規準に背くことがある
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小鳥がわなから逃れるように,あなたも人への恐れに捕らわれないようにすることができる