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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 9月15日
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に,遺族のことを忘れて平気で宴会を開いたり大騒ぎをしたりすべき時ではありません。むしろ,嘆いている人々を慰める機会となります。同時に,「嘆きの家」に行く人は健全な影響を受けます。そのような人は,人生のはかなさを,また人の計画や活動がいかに素早く中止させられてしまうかをいやおうなく思い知らされます。この事は,人が自分の人生をどのように送っているかを真剣に考えるきっかけとなります。一方,宴の家に満ちている精神が,そうしたまじめな考えに人を導くことはありません。
ソロモンはこう続けています。「いらだちは笑いに勝る。顔の不きげんさにより心は良くなるからである。賢い者たちの心は嘆きの家にあり,愚鈍な者たちの心は歓びの家にある」― 伝道 7:3,4,新。
「嘆きの家」にいる人は,人生のはかなさを認識させられ,不慮の出来事に対していらだちを覚えます。そのような人の顔は,「宴の家」にいる人のように笑いで満ちるかわりに,悲しげで厳しい表情をしています。その顔に表われている厳しい態度は心に良い影響を与え,さらに良い方に変化するよう促します。そうした人々の心は,どのように人生を送るべきか,またその理由を熟考するので,「賢い者たちの心は嘆きの家にあ(る)」と言えます。そのような心が,宴会の場につきものの浅薄で向こう見ずな精神を反映することはありません。
ソロモンはこの論法を続けて,次のように述べています。「賢い者の叱責を聞くことは,愚鈍な者たちの歌を聞く者となることに勝る。愚鈍な者の笑いは,なべの下のいばらの音のようであり,これもむなしいことだからである」― 伝道 7:5,6,新。
正しい道からそれる人は確かに賢い人の叱責により益を得ます。しかし,愚かな者の歌や無意味なへつらいにはどんな益があるでしょうか。そのようなものは間違いを隠し,人を誤った道に進ませ,評判をだいなしにしてしまいます。愚かな者の軽薄な笑いがふさわしくない時に聞こえるなら,それは,なべの下でいばらがパチパチと音をたてて燃えているのと同じように,耳ざわりに感じられます。愚かな者の笑いは不快な音をたて,何の啓発も与えないからです。
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女らしい慎みものみの塔 1977 | 9月15日
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女らしい慎み
● 皆さんの住んでおられる地域では,女性の最新流行の服装に「慎み」という特質が見られますか。世界中の多くの男女は声を大にして「いいえ」と答えるでしょう。丈の長目のスカートが流行しても,大抵,人々が身に着ける衣類は非常に露出的であったり,慎みを欠いたものであったりします。皆さんも恐らくそうしたことに気付いておられるでしょう。
では,クリスチャンの女性は,慎みという特質にかなった衣服を買うか縫うかするよう努力すべきでしょうか。様々な国にいる多くのエホバのクリスチャン証人の女性は,それが賢明な道であることを認めています。エホバの証人の女性は,きちんとしていて魅力的な身づくろいに関心を持ってはいますが,同時に「よく整えられた服装をし,慎みと健全な思いとをもって身を飾」らねばならない,という霊感を受けた助言を自分の考えの導きにしているのです。―テモテ第一 2:9。
ものみの塔協会のプエルトリコ支部事務所は,一人の若い証人からこの事に関する興味深い手紙を受け取りました。その手紙には次のように書かれていました。
「私たちは先日,とてもうれしい経験をしたので,そのことについてお知らせしたいと思います。二人の若い姉妹と私が,戸別伝道の業に携わるため道を歩いていると,一人の男の人に呼び止められました。最初その男の人の動機を疑っていたので立ち止まろうとはしませんでしたが,あまりにもしつように呼ぶので,何の用なのかを聞くために立ち止まりました。その人は,『皆さんの服装をほめようと思ったのです』と語りました。私たちは,自分たちがエホバのクリスチャン証人であること,また,慎み深く装わねばならないと聖書が述べているのでそうしていることを説明しました。『それだからこそ皆さんに敬服しているのです。私は福音教会に属していますが,聖書に従ったふさわしい服装をしているのはあなた方だけだということが分かるからです』と,その人は述べました。それで私たちは,ふさわしい装いに関して聖書から優れた諭しを与えられていることを,どんなにうれしく思い,感謝しているかをお知らせしたいと思います」。
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