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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 11月1日
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両極端を避けるのは賢明
不完全な人間はすぐに平衡を失って極端な見方をしがちです。そこでソロモン王は次のように諭しました。「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。
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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 11月1日
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義に過ぎる人は,ささいな問題を心配しすぎます。例えば,聖書中に述べられていない事柄で,完全に人間が考え出した手段または方法によって行なわれる事柄について大騒ぎをします。だれかが親切な行ないをしているところや,あわれみ深い行ないをしているところを見ても,特定の「慣習」が無視されたことを理由に異議を唱えます。そういう人はパリサイ人によく似ています。パリサイ人は,イエス・キリストが安息日に苦悩している人々にすばらしい解放をもたらしたことを喜ぶどころか憤怒しました。そして神の子が安息日にいやしを行なって律法を犯したという結論を下しました。(マルコ 3:1-6。ルカ 14:1-6)義に過ぎる人は,何をすることがあわれみ深い,愛のある,あるいは助けになる事なのか考えない場合が少なくありません。規則を極限まで守ろうとします。自分たちから見てある規則が犯されたと考えたら,ほかのことはもう一切考慮しようとはしません。―マタイ 12:2-7; 23:23。ローマ 14:1-4,10を参照してください。
彼ら自身の場合について言えば,義に過ぎる人は,自分の健康を害するところまで自己を抑制するでしょう。コロサイ 2章20-23節にある健全な助言とは反対の行動を取ります。「なぜあなたがたは,世に生きているかのように,『手にするな,味わうな,触れるな』といった定めになおも服するのですか。これは,使いつくされてすべて滅びるはずのものに関することであり,人間の命令と教えにしたがうものです。いかにもそうした事がらは,自ら課した崇拝の方式と見せかけの謙遜,すなわち体を厳しく扱うことにおいて,知恵の外見を有してはいますが,肉の満足と闘うことにはなんの価値もありません」。
ソロモンが言ったように,義に過ぎる人が『自分を滅ぼす』危険に面していることは確かです。思慮の欠けた熱意,または極端な自制によって,身体的,精神的,あるいは感情的障害を引き起こすかもしれません。さらに悪いことに,その人の愛のない態度は,神の恵みと祝福を失う結果を招く恐れがあります。
さらには,ソロモンが示しているように,『賢きに過ぎて』,自分の知恵を他の人々に印象づけようとする人がいます。批評家と自負して,だれよりも見識が高いという印象を与えます。自分の知識にうぬぼれているので,他人の問題に口を出し,頼まれもしないのにその問題の解決策を提供するようなことが少なくありません。やがて人々はその人から離れていき,あらゆる手を使ってその人を避けるようになります。また,その人の助言もあまり良いものでなかったことが時のたつうちに分かってきて,起こさなくてもよい問題を起こしたと非難されるかもしれません。
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