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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1978 | 4月1日
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記されている知恵と調和して進歩するよう聴き手あるいは読み手を促すでしょう。また,文言,つまり真に価値ある金言を集めることに専念する者たちは,くぎのようです。なぜなら,そうした人々の持つ,エホバ神の知恵を反映する良い言葉は,聞き手をしっかり支えるのに役立つからです。
ソロモンは,自分の調べた事柄全体を要約して,次のように述べています。「すべてのことが聞かれたからには,事の結論はこうである。真の神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めの全体だからである。真の神はあらゆる種類の業をそれが善いか悪いかについて,すべての隠されたことに関連して裁かれるからである」。(伝道 12:13,14,新)創造者への健全な恐れや尊敬の念があれば,わたしたちは,言い知れぬ困難を自分自身にもたらすような無謀な生き方をしないよう守られるでしょう。また,創造者の目を逃れられるものはないということを認めれば,創造者のおきてを守るよう心を動かされます。至高者は,人間の目からは隠されている事柄をも含めてすべての事柄を裁かれます。至高者のおきては,わたしたちの永続する福祉を図って作られているのですから,そのおきてを守るのは正しいこと,また本当に賢明なことではありませんか。
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覚えていますかものみの塔 1978 | 4月1日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● クリスチャン会衆の長老たちの主要な役目は何ですか。
長老たちの主要な責任は,会衆の霊的関心事に注意を払うこと。そのためには,「良いたより」の宣明に,また教え,助け,戒め,矯正し,説き勧めることに率先することが求められている。長老たちは各人の霊的福祉に積極的に関心を払わねばならない。―1/1 22-24ページ。a
● 命に至る道はどんな意味で狭いのですか。―マタイ 7:14。
自分自身に,あるいは他の人々に有害な結果を招くような事柄を行なわないよう禁止するという意味で狭い。―1/15 13,14ページ。
● イエスはなぜ,「わたしは世を征服したのです」と言えたのですか。―ヨハネ 16:33。
イエスは世に似ないようにすることによって世を征服した。イエスはご自分が世に染まらないようにされた。―1/15 30ページ。
● 「心が欠けて」いる人は何によって見分けられますか。―箴 6:32; 10:13,21; 12:11。
「心が欠けて」いる人とは,未熟な人,あるいは,間違った行動のもたらす重大な結果を意に介さない人のこと。良い動機を持っていない上に,心の認識が欠けている人。―2/1 20,21ページ。
● 詩篇 16篇7節で,ダビデは腎臓が自分を正すと述べていますが,これはどのように理解できますか。
聖書の中で,腎臓は,人が実際にどんな人間であるか,つまり人の根本的性格を表わしている。体内の非常に奥に位置していることから,腎臓は人の最も奥深いところにある,と言うことができた。ダビデの場合,エホバの忠告はダビデの性格の一部となった。その忠告は,ちょうど腎臓の中にあるかのように,ダビデの内部の深いところに埋められた。それゆえ,ダビデの腎臓,つまりダビデの内部に埋められたエホバの忠告は,目を覚ましていた夜の間ダビデを正すことができた。―2/1 25,26ページ。
● 重大な悪行を犯した人が,会衆に対しても罪を犯したことになり,会衆の許しを求めることが必要になるのはどんな場合ですか。―コリント第二 2:7と比較してください。
会衆の一員による重大な悪行のために,会衆が他の人々から不評を買う場合があるかもしれない。会衆は,その代表である長老たちを通して,悪行者の重大な罪そのものを許すことはできない。それをなさるのはエホバ神だからである。しかし,長老たちは,悪行者が真に悔い改めたかどうかを決定した上で,その人の罪がどんな非難,困難,悲しみを会衆にもたらしていたにせよ,それをしたことに対して彼を許すことができる。―2/15 21ページ。
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