時間を賢明に用いなさい
あなたの生涯の一日一日はある意味で砂時計の砂粒に似ているということを,これまでに考えたことがありますか。その砂粒のように,生涯の一日一日は絶え間なく過ぎ去り,遂には最後の一日も過ぎ去ってしまいます。これを止めようとしても,どうすることもできません。その上,時の経過とともに,余命が徐々に短くなってゆくのに気づくでしょう。若い時には,人生の大部分がこれから始まるので,人は自分の生涯についてほとんど考えません。若い盛りを過ぎ,人生の半分以上を経たことに突然気づいてから,大抵の人は自分の生涯について深く考えるようになるものです。
時間はこのように貴重なものですから,肉体的な快楽や物質的な事柄を無意味に追い求めて,時間を浪費するのは愚かなことではありませんか。これらのものを追求することによって,永続する満足感を得,あるいは人生を真に有意義なものにすることはできません。また心の平安や私たちの創造者とのよい関係ももたらされません。むしろ人生は欲求不満,恐れ,極度の心配でいっぱいになることが多いものです。そして,人生は空虚で,なんら目的のないものに思えてきます。しかし時間を有意義に用いる良い方法があるのです。
賢明な王ソロモンは,自分がほしいままにできるすべての快楽,全財産,自分の作ったすべての偉大な建造物などについて深く考えた結果,それらの事柄は人生にとってほとんど無意味であるという結論に達し,次のように語りました。「わたしはわが手のなしたすべての事,およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき,見よ,皆,空であって,風を捕えるようなものであった」。(伝道 2:11)生涯の残りの日々が過ぎ去ろうとする時,それらすべてのものにはなんの意味もありません。このような時に,それらのものがなんの役にたちますか。それがあなたの寿命を延ばせるわけではないのです。弱ったひざを強めることもなく,血液の循環を活気づけ,弱った視力を回復することもありません。寿命が尽きた後に,墓の中でそれらを楽しむこともできず,また物質の富にはあなたを墓から解放する力もありません。このように考えると,それらのものを求めて生きるのは,風を追い求めるようにむなしい事ではありませんか。
何一つ持たずに世に来て,また何物も持たずに去る以上,物質的な持ち物や快楽を一生の間追い求めることには,一体どんな益があるのでしょうか。ソロモンはこの点についてこう述べました。「彼は母の胎から出てきたように,すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携えて行くことができない。人は全くその来たように,また去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者になんの益があるか」。(伝道 5:15,16)しかし肉体的な快楽や物質主義よりもさらにまさった事柄のために,人は自分の時間を用いることができるのです。
たとえば,敬虔な知恵を学ぶことにより,人は自分の人生をはるかに意味深いものにできます。これは物質的な持ち物とは異なり,さびることがなく,摩滅したり,使えなくなったりしません。盗まれることも,滅びることもなく,用いれば用いるほど,なお一層満足をもたらし,これを得るとき,人生にさらに大きな目的を見出せるのです。それに導かれて,よい判断を下し,義の道を歩むことができます。知恵によって人は,困惑,心労,後悔をもたらす悪の道をさけることができます。また正しい道を捨てる悪い仲間との関係が避けられます。それで知恵を得るために時間を費やすのは,時間の有意義な使い方です。
真実の知恵の源は,創造者であるエホバ神です。神は,記録されたみことばの中に実際的な知恵と知識を備えていますから,時間を費やして勉強すれば,それらのものを得ることができます。聖書の中には,いかにして正しい道を歩むか,他の人々を益する奉仕によりどのように幸福を見出せるか,世界の恐ろしい情勢を見ても不安に悩まされないようにするにはどうしたらよいか,また,どうすれば自分の生命を限りなく延ばすことができるかなどに関して賢明な助言が書かれています。
時間というものの価値を知らず,未熟さのために物事の価値を見誤る傾向のある若い人々にたいして,ソロモンは次のように助言しています。「あなたの若い日に,あなたの造り主を覚えよ」。(伝道 12:1)若い時には快楽を求める欲望のため,人は,聖書の知恵を学ぶために時間を用いるのをやめ,自分の造り主を忘れやすいものです。しかし若い人は人生のこの時期にこそ,神の知恵からのよい感化と導きを特に必要としているのです。そして正しい道を学び,どのようにしてその道を歩み続けるかを学ぶ必要があります。この時期は,一生涯続くよい習慣や物事の正しい考え方をしっかりと身につける時であり,また高潔な原則を自己の人格の一部とすべき時です。以上のことを行なう助けとして神の知恵を求め,そのために時間を費やすなら,時間を賢明に使うことになるでしょう。
あなたの造り主を覚えるために,これから神のみことばを通して造り主を学んでも,決して遅すぎません。神が人間の生活に一大変革をもたらそうとする時点に,人類が今さしかかっているため,神の知恵を導きにすることは,これまでになく重要な問題になりました。神が新しい事物の制度をもたらす時,その導きの下に歩む人は,これまでの普通の寿命よりもはるかに長く生きることでしょう。
エホバ神は人間の造り主として,あなたの寿命を限りなく延長させる力をお持ちです。これは,あなたが自分自身ではどうしてもなし得ない事柄です。しかし,あなたに対する過分の恵みとして,神はなし得るのです。神の知恵を導きとして歩む人々のために,神がこの事を行なわれるという事は,書かれたみことばの中で約束されています。このゆえに私たちは「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望み」を持っているのです。(テトス 1:2)決して終わることのない生命という見込みはそれ自体,あなたが今何歳であろうと,造り主を覚える十分の理由ではありませんか。またこれは,神の知恵と,どのようにして神に仕えるかに関する教えとを得るために時間を費やす当然の理由ではないでしょうか。
あなたの寿命が延ばされるという見込みや,聖書の知恵を学んで今得られる益を考慮すると,神のみことばを勉強し,やがて神に奉仕するという事は,時間の最も賢明な用い方であると言えるでしょう。