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エネルギー問題の将来の見通し目ざめよ! 1980 | 5月22日
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よっては無政府状態の一歩手前まで行っている状態を目にします。狭い範囲での権益を求める団体は,より広範に及ぶ国益を無視して,各々自らの主張する権利を要求します。諸国家はと言えば,協定を結ぶのには困難を覚えるのに,それを破棄する段になると,いとも容易にそれをやってのけます。
現状においてエネルギー危機は,今世紀に世界を覆うとイエス・キリストの予告された諸問題からの「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」をさらに増大させています。(ルカ 21:25)国家指導者はエネルギー問題の解決へ向けての努力を払うとなると二の足を踏み,その努力は麻痺状態へと向かっています。その失敗は,人間には自治能力がないという聖書の言葉を議論の余地なく証明しています。(エレミヤ 10:23)問題は人間の手に負えるようなものではありません。神の王国が地球を支配することによってしか,エネルギー問題を含む人間の諸問題は解決されません。
聖書は,「人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想」には十分根拠のあることを示しています。(ルカ 21:26)それら臨もうとする事柄には,人間の政治,経済,および宗教上の組織が全き終わりを告げ,キリストの手中にあるエホバの王国による地の支配に道を譲ることが含まれています。
楽園でのエネルギー
聖書の物の見方を受け入れる人にとって,将来のエネルギー源に関する問題は,当面の危機を切り抜けるというだけの問題ではありません。これから先1,000年間に,いえ,永遠まで人間の用いるエネルギーに関心があることでしょう。
将来にならなければ明らかにならない事柄を,ここで詳細にわたって推測しようという意図はありません。しかし,聖書の原則にのっとって推論すれば,ある形のエネルギーのほうがほかのエネルギーよりも,新しい事物の体制に行き渡ると予想される生活様式に調和することが分かります。
まず,地球が楽園になるという点を考慮に入れてください。全地に広がるそのエデンのような庭園の美しさを損なったり,公害を引き起こしたりすることは決して許されません。―ルカ 23:43。啓示 11:18。
石炭が広範に渡って利用されると,それが採掘される所でも,燃焼される所でも,田園地帯の美観が損なわれるのは周知の事実です。また,商業ベースでの石炭の採掘は,身体的に危険で,炭坑夫の健康にも有害です。今日の大気汚染は,主に石油燃料の使い過ぎによって引き起こされています。石油に含まれる実に多種多様で複雑な炭化水素分子は,あらゆる種類の有用で驚嘆すべき物質を合成するための出発点になる,ということを化学者たちは発見しました。この自然の宝物を容赦なく燃焼させて,それを破壊することは,この宝に対する感謝の念が全く欠けていることを如実に物語っています。
また,地上の住民に害を及ぼすことはもちろん,災害に対する恐れを抱かせることさえ許されなくなる,という点も忘れてはなりません。(ミカ 4:4)危害の及ぶ可能性は原子力の利用に付き物ですが,そうした可能性からすると,原子力は新しい地にとって望ましくないエネルギー源になると思われます。
人間が地球上に永遠に住むことを考えに入れると,作り出されるよりも早く使い尽くされてしまう源からエネルギーを引き出すとはとても考えられません。(詩 37:29。伝道 1:4)そうすると,石炭や石油を大々的に燃焼させることやウラニウムの核分裂などは除外されます。むしろ更新可能なエネルギー源を利用する方が,その条件にかないます。伝道の書 1章5-7節は,あらゆる物を維持し,更新する力となっている自然の循環を際立たせています。論理的に言って,人間の用いるエネルギーは,こうした自然の循環に適合した,決して枯渇することのない源から入手されるはずです。伝道の書のこの数節の中で,太陽光線や風や流水が各々継続的に利用できるものとして特に取り上げられていることに注目するとよいでしょう。(ヨブ 38:24-27もご覧ください。)これらはいずれも,絶えず再生されるエネルギー源として利用できます。しかも,それらはきれいなエネルギー源で,自然環境を損ないません。それを利用するための装置は,周囲の景色に調和し,よく溶け込むようにすることができます。
考慮すべき別の点は,この事物の体制の終わった後には天然資源が商業的な目的で開発利用されることはなくなるというものです。金銭への愛ではなく,同胞に対する愛が,様々なエネルギー源を開発する動機付けになるでしょう。(テモテ第一 6:10。マタイ 22:39)この原則に従えば,様々なエネルギー源のうちどれを望ましいものと見るかは現在の経済体制下に行き渡っている見方とは全く異なったものとなるでしょう。
最後に,また何にも増して大切なこととして,生ける者すべては生活を楽しくする良い物すべてと命とをエホバに負っていることを認めます。エホバはありとあらゆるエネルギーの究極の源であられ,この源は無限で尽きることがありません。(イザヤ 40:28-31)「天の光の父」であられるエホバは,人類に対する愛ある贈り物として絶えることなく光と熱を供給する太陽を創造された方です。―ヤコブ 1:17。詩 74:16。
太陽にそのエネルギーを与えている核反応を考案されたのはエホバです。神はその反応を完全に理解し制御しておられます。そして,幾十億年も先を見越して太陽にその燃料を供給されました。その燃料が尽きてしまう前に,神はわたしたちが古い衣を新しいものと取り替えるのと同じほど容易にそれを交換する力を持っておられます。(詩 102:25,26)太陽エネルギーが危機にひんすることはありません。
エホバはとこしえの存在であられるので,その従順な臣民に対するとこしえの命の希望は実質の伴わないものではありません。神はその被造物を定めのない時まで,永遠までも生かす能力を持っておられます。(詩 104:5)その恵み深い支配の下では,行く末のエネルギーをどこに見いだせるかについて心配する必要は二度と再びないでしょう。
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化石燃料目ざめよ! 1980 | 5月22日
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化石燃料
石油と石炭は“化石燃料”と呼ばれています。それは,大昔に繁茂していた植物の残骸から形成されたと考えられているからです。地中に埋まった植物中の有機物質が,通常の腐敗を促進する大気中の酸素から隔絶され,炭化水素化合物へと変えられたようです。大きな圧力と地中の高い温度が幾千幾万年も作用して,石油や石炭を形成する主な要因となったものと思われます。
各種の炭化水素化合物の水素含有量にはかなり大きな差があります。水素含有量の一番多いのは,天然ガスの主成分であるメタンです。石油を造り上げる複合液体炭化水素の水素含有量はそれよりも少なく,固体であるアスファルトの場合にはさらに少なくなります。最後に石炭の場合,残っている水素は数%だけで,その他の水素は極端に高い温度と圧力によってすべて押し出されてしまっています。こうした化学反応は,人間が創造されるよりもずっと前から地中で行なわれていたに違いありません。
石油と石炭の起源に関するこの理解が正しいとすれば,その中に含まれるエネルギーは緑の植物の光合成によって有機化合物の内に固定されたのですから,元々太陽から来たものであるということになります。しかし,この燃料が現在も引き続き形成されているとしても,人間がそれを使ってゆく勢いにはとても追い付いてゆけないことは確かです。
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