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「斧」と切る者ものみの塔 1976 | 5月1日
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イザヤ書 10章5,6節(新)にはそのエホバの言葉が次のように記されています。「ああ,アッシリア人,わたしの怒りのためのむちよ。彼らの手にある,わたしの告発のための棒よ。
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「斧」と切る者ものみの塔 1976 | 5月1日
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そうです,エホバが明言された目的を遂行されるに当たってお用いになる象徴的な道具は「アッシリア人」です。この名称は一人のアッシリア人でも,アッシリアの帝王を指しているのでもありません。聖書預言の第二の世界強国アッシリアの国民全体のことを言っているのです。どのアッシリア人も,王自身でさえも,エホバが「アッシリア人」に割り当てた業を単独で成し遂げることはできません。そのことは,エホバがアッシリア人を「わたしの怒りのむち」と呼んだあとで,「彼らの手にある,わたしの告発のための棒」と言われている事実が暗示しています。(イザヤ 10:5,新。24節にも注目してください)このことから,複合のアッシリア人,つまりアッシリアの国民全体,とりわけ軍隊を意味していることは明らかです。
9 イザヤ書 10章5,6節の預言の成就は今日のわたしたちにどのように影響しますか。使徒パウロはこのことをどのように示唆していますか。
9 しかし,「アッシリア人」に関するその古代の預言と今日のわたしたちとどんな関係があるのでしょうか。それは非常に大きな関係があります。その預言は,遠い過去の事柄だけにかかわるものではないのです。それは生きた預言で,今日におけるその成就は,わたしたちすべてに影響します。わたしたちの時代においては,大規模な,そして最終的で完全な成就を見るはずです。この預言の適用は,西暦前八世紀における成就で完了したのではありません。クリスチャン使徒パウロは,イザヤ書の同じ10章の22節(新)を引用し,西暦一世紀の彼自身の時代に当てはめています。イザヤの預言にたがわず,ユダヤ人の残りの者だけがキリスト教を受け入れました。そういう理由から使徒パウロは次のように言いました。「さらに,イザヤはイスラエルに関してこう叫んでいます。『イスラエルの子らの数は海の砂のようであるとしても,救われるのは残りの者である。エホバが地上で決済をして結末をつけ,しかもそれを短くされるからである」― ローマ 9:27,28。ローマ 15:4もご覧ください。
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「斧」と切る者ものみの塔 1976 | 5月1日
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ですから聖書を信じている人は皆,定めの時に,万軍のエホバがご自分の怒りのための象徴的な「むち」を,そうです,象徴的な「斧」を,この現代の「わたしの憤りの民」の上に用いられることを確信を抱いて予期しているでしょう。わたしたちは確かに自分がそのような人々の中にいないことを願います。それで,「むち」と「斧」が今日何を象徴しているかを学ぶのはよいことです。
12 (イ)エホバは,古代イスラエルに関連して「アッシリア人」を「斧」としてどのように使われましたか。(ロ)当時,アッシリアはエホバの組織とどんな関係にありましたか。
12 預言者イザヤの時代に,エホバは世界強国アッシリアをちょうど「むち」のように振るって,背教した十部族のイスラエル王国に最後の一撃を加えられました。その破滅の年は西暦前740年でした。次いでエホバは,偶像崇拝を行なう民イスラエルを切り倒すために,世界強国アッシリアをご自分の「斧」としてお用いになりました。エホバは,アッシリアの軍隊に首都サマリアを占拠させ,踏みにじられるぬかるみのようなところにさせて,三年の長きにわたる包囲を最高潮に至らせることにより,それを行なわれました。(列王下 17:7-23; 18:9-12)ここでわたしたちは慎重に一つの特別な事柄に注目しましょう。それは何でしょうか。つまりエホバは世界強国アッシリアを,エホバの崇拝から離れた背教者を滅ぼすための器として用いられましたが,アッシリアはエホバの組織の一部ではなかった,ということです。アッシリアは,悪魔サタンの,目に見える組織の一部でした。アッシリアの地は「ニムロデの地」と呼ばれました。これはアッシリアの首都となったニネベという都市を建設したニムロデのことでした。その建設者は「エホバに逆らう強大な狩人」として悪名高い存在となりました。(ミカ 5:6。創世 10:8-12)ここで注目すべきもう一つの事実はこれです。エホバはアッシリアをご自分の「むち」また「斧」としてお用いになりましたが,このことによってその世界強国がエホバの見える組織の一部となったのではない,ということです。その世界強国はエホバを崇拝することはしませんでした。
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