「斧」と切る者
「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか」― イザヤ 10:15,新。
1,2 (イ)個人や国民をどのように用いることは,歴史の上でも珍しいことではありませんでしたか。(ロ)人間をそのように道具として用いたどんな例がありますか。
ある事柄を成し遂げるために,ひとりの人が別の人を道具として用いるのは,別に珍しいことではありません。ある権力者が一国全体を道具として使う,つまり道具として使われる国の支配者よりも上位の人と仰がれる権力者がその国を道具として使うということは,人間の歴史の中で知られていないことではありません。
2 例えば,エルサレムのダビデ王の場合があります。彼は,忠実なヘテ人で軍の士官であったウリヤを戦闘で見捨てて確実に死なせるため,その道具として,自分の配下の軍の将帥ヨアブ将軍を用いました。こうしてウリヤは,ダビデがその妻バテシバを犯していた事実を知らずに死にました。(サムエル後 11:1から12:9。列王上 15:5)それから英国生まれの法王ハドリアヌス四世の場合があります。西暦1155年,彼は王ヘンリー二世の治下にあったイングランドを道具にして,アイルランド全土を従わせることに着手しました。それはアイルランドの宗教指導者たちを,ローマ教皇の支配下に入れるためでした。a
3,4 (イ)古代において,単なる手道具のように用いられたのはどの国ですか。(ロ)イザヤのどの預言の中に,アッシリアの国を道具として用いた方の名前が含められていますか。
3 アイルランド教会の帰順より幾世紀も昔の時代に,ある強大な,高度の軍事力を有する国が,さらに大きな力を有する者に道具として用いられたことがありました。その古代の国というのはアッシリアで,アッシリアが時の世界強国,すなわち聖書の歴史の二番目の世界強国であった時のことです。それにしても,世界強国アッシリアを単なる道具か手道具のようにして用いることができた,より強力な力というのはいったい何だったのでしょうか。その力の正体は,セナケリブ王支配下のアッシリア人が西暦前732年ユダ王国の国土に侵入する少し前に,人々に知らされました。アッシリア帝国をしのぐその力の正体は,次のことばの中に含められています。
4 「斧は,それをもって切る者に向かって自らを高めることができようか。また,のこぎりは,それを前後に動かす者に向かって威張ることができようか。それは杖が,それを高く上げる者を前後に動かし,むちが,木でない者を高く上げるようなものではないか。それゆえ,真の主,万軍のエホバは,その肥えた者たちに消耗性の病気を送り続けられる。その栄光の下で,火が燃えるように燃えることが続く。そして,イスラエルの光は必ず火となり,その聖なる者は炎となる。それは必ず燃え上がり,その雑草とその叢林とを一日のうちになめ尽くしてしまう。その森林とその果樹園の栄えを,彼は魂から肉に至るまでも終わらせるので,それは必ず病める者が溶け去るようになる。そしてその森林の残りの木々 ― それはほんの子供でもそれを書き留められるほどの数になる」― イザヤ 10:15-19,新。
5,6 単なる道具としてアッシリアを用いるエホバの能力につき,イザヤは後ほど,どのように述べていますか。
5 この言葉は,アモツの子で霊感を受けた預言者イザヤが記録したものです。彼はそのすばらしい預言の書を,アッシリア人がユダの地に侵入した西暦前732年ごろに書き終えました。こうしてイザヤは,その道具を用いている大いなる力が,「真の主,万軍のエホバ」,「イスラエルの光……その聖なる者」であることを断言しています。この聖なる者には一国全体を単なる道具のように用いる能力があるのでしょうか。この質問の,霊感による答えを得るために,預言者イザヤが後のほうで「真の主,万軍のエホバ」について述べていることを聞きましょう。彼は次のように言っています。
6 「だれが手のほんのくぼみで水を量り,ほんの指尺で天の広さを測り,地の塵をますに入れ,あるいは山々を計器で量り,丘をてんびんで量ったか。……見よ! 諸国民は桶からのひとしずくのようであり,はかりの上の薄いほこりの層のようにみなされる。見よ! 彼は島々をほんのこまかい塵のように持ち上げられる」― イザヤ 40:12-15,新。
象徴的な斧
7 したがって,エホバと比べると,諸国民は何のようですか。イザヤ書 10章15節でエホバはご自分を何に例えておられますか。
7 「真の主,万軍のエホバ」に比べれば,アッシリアを含めすべての国民は,桶から落ちる一滴の小さなしずくか,はかりの上に薄く積もったほこりのようです。したがってエホバは,ご自分の聖なる目的を遂行する際に,どんな国でもご自分が選ぶ国を道具として,いとも容易に用いることがおできになります。ですからエホバは,イザヤ書 10章15節の中でご自分を,切る者,のこぎりを動かす者,杖を振るう者,むちを振りまわす者に例えておられます。エホバはご自分が「木でない」ことを宣言しておられます。そうです,エホバは斧の柄でも,杖でも,むちでもありません。エホバは生きた神,それら象徴的な道具の全能の使用者であられます。では,神が切る仕事にお用いになるその象徴的な斧とは何でしょうか。
8 イザヤ書 10章5,6節(新)で言われている「アッシリア人」は,正確に言ってだれのことですか。
8 イザヤの預言書の同じ10章の初めのほうで,その象徴的な斧が何であるかを,エホバご自身が明らかにしておられます。イザヤ書 10章5,6節(新)にはそのエホバの言葉が次のように記されています。「ああ,アッシリア人,わたしの怒りのためのむちよ。彼らの手にある,わたしの告発のための棒よ。背教した国民にわたしはこれを差し向け,わたしの憤りの民を攻めよと,わたしはこれに命じ,多くの分捕り物を取らせ,多くの略奪物を取らせ,それをちまたの粘土のように踏みにじられる所とさせる」。そうです,エホバが明言された目的を遂行されるに当たってお用いになる象徴的な道具は「アッシリア人」です。この名称は一人のアッシリア人でも,アッシリアの帝王を指しているのでもありません。聖書預言の第二の世界強国アッシリアの国民全体のことを言っているのです。どのアッシリア人も,王自身でさえも,エホバが「アッシリア人」に割り当てた業を単独で成し遂げることはできません。そのことは,エホバがアッシリア人を「わたしの怒りのむち」と呼んだあとで,「彼らの手にある,わたしの告発のための棒」と言われている事実が暗示しています。(イザヤ 10:5,新。24節にも注目してください)このことから,複合のアッシリア人,つまりアッシリアの国民全体,とりわけ軍隊を意味していることは明らかです。
9 イザヤ書 10章5,6節の預言の成就は今日のわたしたちにどのように影響しますか。使徒パウロはこのことをどのように示唆していますか。
9 しかし,「アッシリア人」に関するその古代の預言と今日のわたしたちとどんな関係があるのでしょうか。それは非常に大きな関係があります。その預言は,遠い過去の事柄だけにかかわるものではないのです。それは生きた預言で,今日におけるその成就は,わたしたちすべてに影響します。わたしたちの時代においては,大規模な,そして最終的で完全な成就を見るはずです。この預言の適用は,西暦前八世紀における成就で完了したのではありません。クリスチャン使徒パウロは,イザヤ書の同じ10章の22節(新)を引用し,西暦一世紀の彼自身の時代に当てはめています。イザヤの預言にたがわず,ユダヤ人の残りの者だけがキリスト教を受け入れました。そういう理由から使徒パウロは次のように言いました。「さらに,イザヤはイスラエルに関してこう叫んでいます。『イスラエルの子らの数は海の砂のようであるとしても,救われるのは残りの者である。エホバが地上で決済をして結末をつけ,しかもそれを短くされるからである」― ローマ 9:27,28。ローマ 15:4もご覧ください。
10 イザヤ書 10章6節(新)でエホバが言われている「背教した国民」また「わたしの憤りの民」の正体はどのように確認されますか。
10 万軍のエホバが,アッシリア人を「むち」また「斧」として用いて攻撃させた古代の相手国はどの国だったでしょうか。このような問いが,今日のわたしたちすべてになぜ関係があるかというと,その古代の国は現代のキリスト教世界を予表していたからです。エホバはその古代の国を,「背教した国民」また「わたしの憤りの民」と呼ばれました。(イザヤ 10:6,新)エホバはこれらの言葉を,サマリアに首都を持つ十部族のイスラエル王国を形成する国民と国を指して言われました。同王国は,エルサレムに首都を持っていたダビデの王国から離反していました。その離反が生じたのは,ダビデの子ソロモン王の死後のことでした。十部族のイスラエル王国が背教していた証拠に,「アッシリア人」自身が,首都サマリアと「その無価値な神々」のことを軽べつした口調で語っています。(イザヤ 10:11,新)イスラエル王国は西暦前997年にエホバを神として崇拝することをやめたのですから,その国の王たちが持ち込んだ神々がどうして「無価値な神々」以外のものであり得るでしょうか。イスラエルは,神としてのエホバを250年以上拒み続けたのですから,エホバが彼らのことを,「わたしの憤りの民」と言い,彼らの上に「怒りのための杖」を用いることは,十分正当化されました。―列王上 12:25から13:6; 16:8-33。イザヤ 10:5,6。
11 今日のどの宗教組織が,背教した十部族のイスラエル王国と共通していますか。わたしたちはなぜ今その組織の中にいることを望みませんか。
11 今日のキリスト教世界は,背教した十部族のイスラエル国民と,なんとよく共通しているのでしょう。キリスト教世界が真のキリスト教を捨てて背教することは,神としてのエホバに対する古代イスラエルの反逆によって予表されていたばかりではありません。イエス・キリストおよびその使徒たちによってもそのことは直接に預言されていました。(マタイ 13:24-43。使徒 20:29-31。テサロニケ第二 2:1-12。テモテ第二 4:3,4)ですから聖書を信じている人は皆,定めの時に,万軍のエホバがご自分の怒りのための象徴的な「むち」を,そうです,象徴的な「斧」を,この現代の「わたしの憤りの民」の上に用いられることを確信を抱いて予期しているでしょう。わたしたちは確かに自分がそのような人々の中にいないことを願います。それで,「むち」と「斧」が今日何を象徴しているかを学ぶのはよいことです。
12 (イ)エホバは,古代イスラエルに関連して「アッシリア人」を「斧」としてどのように使われましたか。(ロ)当時,アッシリアはエホバの組織とどんな関係にありましたか。
12 預言者イザヤの時代に,エホバは世界強国アッシリアをちょうど「むち」のように振るって,背教した十部族のイスラエル王国に最後の一撃を加えられました。その破滅の年は西暦前740年でした。次いでエホバは,偶像崇拝を行なう民イスラエルを切り倒すために,世界強国アッシリアをご自分の「斧」としてお用いになりました。エホバは,アッシリアの軍隊に首都サマリアを占拠させ,踏みにじられるぬかるみのようなところにさせて,三年の長きにわたる包囲を最高潮に至らせることにより,それを行なわれました。(列王下 17:7-23; 18:9-12)ここでわたしたちは慎重に一つの特別な事柄に注目しましょう。それは何でしょうか。つまりエホバは世界強国アッシリアを,エホバの崇拝から離れた背教者を滅ぼすための器として用いられましたが,アッシリアはエホバの組織の一部ではなかった,ということです。アッシリアは,悪魔サタンの,目に見える組織の一部でした。アッシリアの地は「ニムロデの地」と呼ばれました。これはアッシリアの首都となったニネベという都市を建設したニムロデのことでした。その建設者は「エホバに逆らう強大な狩人」として悪名高い存在となりました。(ミカ 5:6。創世 10:8-12)ここで注目すべきもう一つの事実はこれです。エホバはアッシリアをご自分の「むち」また「斧」としてお用いになりましたが,このことによってその世界強国がエホバの見える組織の一部となったのではない,ということです。その世界強国はエホバを崇拝することはしませんでした。
「斧」が切る者に向かって自らを高めようとする
13 エホバの器として用いられることに対する「アッシリア人」の態度はどんなものでしたか。
13 古代アッシリアには,エホバに仕えようという考えも,正しさを立証するというエホバの目的と栄光のために仕え続けたいという願いもありませんでした。エホバがアッシリアに関してさらに次のように言われたのはそういう理由からでした。「彼はそのようではないかもしれぬが,その気持ちになる。彼の心はそのようでないかもしれぬが,彼は企てる。彼の心にあるものは滅ぼし尽くすこと,少なからぬ国々を絶つことがあるからである」― イザヤ 10:7,新。
14 (イ)「アッシリア人」はほんの道具として用いられたにすぎませんでしたが,彼自身はどんな「気持ちに」なりましたか。(ロ)その気持ちと調和して,彼は何をすることを考えていましたか。なぜですか。
14 「アッシリア人」は,自分のために予定されていた方向とは異なる方向へ行く気持ちを持っていました。当時エホバは「アッシリア人」を,わがままな一つの民に懲らしめを与えるというご自分の目的に仕える,ご自分の手の中の単なる道具として用いるつもりでおられました。しかしそれに反して,「アッシリア人」は別のもの,つまり彼自身の野望と合ったものになる気持ちを持っていました。彼は計画を立てます。しかしそれは,かつてニムロデが反抗した神の手の中の道具として仕えるよう,彼の心が忠実に彼を動かすからですか。そうではありません。彼の心はそのようではありません。彼の心はそのような状態にはありません。エホバの正しい目的に沿って目的や計画を立てるよう彼を動かすことはしません。彼は,いわれなく動物を殺すことに興ずる猟師の喜びをもって,国々を滅ぼし絶つことを,ただ好きで企てるのです。そのようにしてエホバではなく,自分自身の偽りの神々を喜ばすことを考えます。ただただ世界を征服することに夢中なのです。エホバが彼を選んで任命するもの,つまり懲らしめを与える代理人になりたいという気持ちはありません。「アッシリア人」のその後の行状は,このことが事実であることを示しました。
15 「アッシリア人」は,征服した誉れをだれに帰しますか。イザヤ書 10章8節から11節に記録されている彼の言葉は,このことをどのように示していますか。
15 「アッシリア人」は,彼を単なる道具として使う全能の神を認めないので,エホバに誉れを帰することを全くせず,すべてを自分の手柄にします。十部族のイスラエル王国を覆してその首都サマリアを攻略しようとするときの「アッシリア人」にこの態度が容易にうかがえます。イスラエル人のその王国は,「アッシリア人」が滅ぼし絶つことを決意していた国の一つでした。「彼はこう言うからである。『我が君たちは同時に王ではないか。カルノはちょうどカルケミシのようではないか。ハマテはちょうどアルパデのようではないか。サマリアはちょうどダマスコのようではないか。いつでもわたしの手が,エルサレムやサマリアのものよりも刻んだ像の多いその無価値な神のもろもろの王国を取った時わたしはサマリアとその無価値な神々とにしたように,エルサレムとその偶像にまさしくそのようにしないだろうか」― イザヤ 10:8-11,新。
16 「アッシリア人」のそうした不敬な言葉はだれに対して吐かれたものですか。どんな宗教的諸勢力があったにもかかわらず,彼は「王の王」となりましたか。
16 これはなんと不敬な言葉でしょう。なぜなら,唯一の生ける真の神エホバに向かって侮べつ的な態度で投げつけられたからです。「アッシリア人」には,征服することを目的として自分が手を伸ばす諸都市は,すでに征服した諸都市と同じようになること必定と思えました。彼が征服した諸地域は,土地の王たちによって支配されていました。彼は今やその王たちを自分に従属する領主としました。したがって彼の君候たちは現実に「王」でした。そういう理由で彼は「王の王」として自分のことを誇ることができました。「アッシリア人」は,自分が征服した王たちを有していた諸都市に,多くの「神々」や,人間の作った多くの偶像のあることに気づきました。事実,サマリアとエルサレムの偶像よりもずっとたくさんありました。ところが,そうした神々や人工の偶像がそんなにも多くそれら非イスラエル人の諸都市にあったにもかかわらず,「アッシリア人」はそれら異教徒の都市を征服していたのです。そのことは彼がそれらの神すべてに勝って強力であった証拠ではありませんか。そうだ! と「アッシリア人」は自分に対して答えました。
17 なぜ「アッシリア人」は,サマリアとエルサレムも容易に征服される,と考えましたか。
17 その「神々」は存在しないも同然の無価値な神々でした。だから首都サマリアとエルサレムもわけなく征服されるはずだというわけでした。なぜなら,それらの都市には,「アッシリア人」に屈従した非イスラエル人の諸都市よりも神々や彫像が少なかったからです。王の王の「アッシリア人」はこのように推論しました。
18 サマリアを征服するアッシリア人の能力は,どんな重要な事柄に負うところがありましたか。
18 当時,十部族のイスラエル王国は,背教の国,宗教上の変節者となっていました。金の子牛の崇拝に転じ,異教のバアル崇拝をさえ行なっていました。サマリアはエホバをその神とせず,代わりに無価値な神々や人間が作った偶像を有していました。ですから「アッシリア人」が,三年にわたるサマリアの包囲に成功して,西暦前740年に同都市を攻略したのは,少しも不思議ではありません。この手柄により,「アッシリア人」の横柄さと,エルサレムにおけるエホバの崇拝に対する傲慢無礼はいよいよつのりました。サマリアに対して軍事的勝利を収め,略奪し,そして「ちまたの粘土のように踏みにじられる所」としたことを,そのアッシリア人征服者は自分自身の手柄にしました。無敵であるかに見える自分の戦力を誇りました。イスラエルが捨てた神の手の中にある刑執行用の道具として自分が使われていたことに,全く気づいていませんでした。
19 そこでどんな質問が生じますか。
19 さてここで,非常に興味深い一つの質問が生じます。それは次のような質問です。サマリアと十部族のイスラエル王国がキリスト教世界を予表していたからには,今日のキリスト教世界に関連して,背教したイスラエルの経験した事柄が,わたしたちの生きている時代にもう一度繰り返されるのでしょうか。
帝国主義者との決済は約束されている
20,21 イザヤ書 10章12節から14節によると,エホバはなぜ「アッシリア人」の言うことに関心を向けられますか。
20 わたしたちはどう考えますか。エホバのみ名の置かれている都市を脅かすようなことが言われているなら,エホバご自身が関心をお向けになるべきではないでしょうか。それは当然のことです。そこでエホバは預言者イザヤにより,アッシリア帝国建設者の自己賛美の独白を突如妨げ,こう言われます。
21 「そして,エホバがシオンの山とエルサレムでその業をことごとく成し終えるとき,わたしはアッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれに対して決済を行なうことにする。それは彼がこう言ったからだ。『自分の手の力で確かにわたしは行動し,自分の知恵でそうする。わたしには確かに理解力があるからである。わたしはもろもろの民の境を除き,蓄えられた彼らの物をわたしは必ず略奪し,わたしは強力な者のように住民を卑しめた。そして,巣でもあるかのように,わたしの手はもろもろの民の資源をつかみ,残されている卵を人が集めるときのように,実にわたしはまさに全地をかき集める。翼をはばたかる者も,口を開く者も,声高に話す者も確かにいなくなる』」― イザヤ 10:12-14,新。
22 征服を世界的なものにするためには,「アッシリア人」はどんな戦利品を取らねばなりませんでしたか。
22 「アッシリア人」の口から出たその言葉からすると,世界強国アッシリアが,サマリアを攻略するだけで満足しないことは明らかです。アッシリアは「まさに全地をかき集める」ことを望むでしょう。エルサレムとユダの地は集めるには良い卵でした。アッシリアの帝国主義者は,全世界を征服する力と知恵と理解力が自分にはある,と考えていました。
23,24 (イ)「アッシリア人」が全地をかき集めるのは,どんな点で,捨てられた巣から人が卵を集めるのに似ている,と彼は考えましたか。(ロ)エホバが,このことに関しては言うべきことがある,と感じられたのはなぜですか。
23 「アッシリア人」にしてみれば,そうすることは,驚いた親鳥が捨てていった巣から卵を取り出すのと同じように容易なことに思えたでしょう。卵を取ろうとして伸ばす侵略の手を打ち返す翼のはばたきはないでしょう。抗議の口を開くこともされないでしょう。アッシリアの軍隊が行なう略奪や強奪や追放に対して声高に不平を鳴らすこともないでしょう。それで「アッシリア人」は征服した領土を思うままにし,境界線を変えたり消し去ったり,あるいは人々を生まれた土地から追放したりするでしょう。ちょうど,生き残ったイスラエル人を,神から与えられたイスラエルの地からアッシリアに追放し,人のいなくなったその地を他の国民集団で再植民したときと同じように。
24 エホバは,「アッシリア人」の切に望んでいた獲物が,エルサレムとユダの地であることをご存じでした。そこは,地上に残る,エホバの崇拝の最後の拠点でした。それについては,エホバにも当然言うべきことがありました。事態がそこに立ち至っては,エホバは行動を余儀なくされました。
25 当時,シオンの山とエルサレムに,エホバが行なわれる業がありましたが,それはなぜですか。
25 西暦前八世紀のその危険な時に,エホバは,「イスラエルの光……その聖なる者」として,シオンの山とエルサレムとにおいて,一つのなすべき業がありました。(イザヤ 10:17,新)背教の王アハズの治世中に,ユダの地は,エルサレムを含め,異教の偶像崇拝で汚されてしまいました。しかし,その子ヒゼキヤの治世の初めに,エホバの霊がエルサレムのその新しい王を動かし,国から偽りの崇拝と無価値な神々を一掃させ,エホバの神殿の立っていたシオンの山とエルサレムに,エホバの清い崇拝を復興させました。ヒゼキヤは,「アッシリア人」がサマリアを覆す五年前に統治を開始しました。そして29年間,西暦前716年まで,義をもって支配しました。
26 エホバは今や何をする機が熟したとお考えになりましたか。これにはどのアッシリア王が関係していましたか。
26 ヒゼキヤ王は,父アハズ王がアッシリアと結んでいた軍事同盟を解消し,その結果,「アッシリア人」とヒゼキヤの神エホバとが対決するに至りました。エホバが,神に反抗するアッシリアの王を罰し,そうすることによって,「アッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれとに対して決済を行なう」機がちょうど熟したとお考えになったのは,そのような状況の下にあった時でした。(イザヤ 10:12,新)このこととかかわりのあった王は,サルゴン二世の子,セナケリブでした。彼の長い名前には,「シンは兄弟らを増したもう」,または「シンが(失せた)兄弟らを戻したまわんことを」という意味がありました。「シン」という語は,アッシリアの月神の名前でした。
27 エホバは,アッシリアの内部組織に干渉することなく,なおそれをご自分の象徴的「斧」としてどのように使うことができましたか。
27 わたしたちの時代にも,セナケリブに符合するものがあります。したがって,エホバがその現代の対型的「斧」をどのように扱って切ることを行なわれるかは,研究に価する興味深い問題です。この研究を始めるに当たって,次のことを忘れないようにしましょう。つまりエホバはアッシリア帝国にそれ自身の組織を所有させたということです。エホバは同帝国内部の諸制度には干渉されなかったのです。それでもエホバは世界強国アッシリアを,ご自分の「斧」として使うことができました。ではどのように用いられたのでしょうか。アッシリアの襲撃を方向づけることにより,その象徴的な「斧」をその攻撃すべきところに誘導することにより,それをお用いになったのです。そのようにしてエホバは,ご自分が切ろうと思うものを切り倒させたのです。b
[脚注]
a この事柄に関し,マクリントックおよびストロングの百科事典第四巻,641ページ,第二段,「アイルランド」の項には次のように述べられています。「[古代スカンジナビア人による]こうした侵略に次いで無政府状態の期間が訪れ,その間にアイルランドの聖職者の道徳的状態は著しく低下した。このころのローマの苦情はおもに,聖職者の結婚とか,聖香油を用いずに洗礼を施すとか,自分自身の儀式文を用いるといった,アイルランド人聖職者の奇行に関連したものであった。幾代かの教皇の特使は,12世紀の半ばに,アイルランド教会をローマ教会に全面的に従わせることについに成功した。それまでアイルランド教会には秘密告解,ミサの犠牲,贖宥などはなく,両種の主の晩餐を祝っていた,と信じられている。1155年。教皇ハドリアヌス四世の大勅書はイングランドの王ヘンリー二世にアイルランドを服従させることを許した。それに対し王は教皇の特権を保護することを教皇に約束した」。
b このことを示す一つの例として,王の婚宴に関するイエスのたとえ話の中で,イエスがマタイ 22章7節で言っておられる言葉に注意してください。イエスがそこで予告されたことは,西暦70年に,ティツス将軍指揮下のローマ軍により,キリスト教を捨てさせた都市エルサレムの上に成就しました。
[270ページの図版]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
[アートワーク ― アッシリア文字]
シン アチ イルイバ
(月) (兄弟ら) (彼は増したもう)
「シンは兄弟らを増したもう」
くさび形文字で書かれたセナケリブという名前とその意味