神の会衆に対する愛ある監督
「善く治むる長老,殊に言と教とをもて労する長老を一層尊ぶべき者とせよ」― テモテ前 5:17。
1 「ものみの塔」誌を読むとき,エホバのクリスチャン証人の組織について,ある人たちの頭にはどんな質問が浮かぶことが考えられますか。
この雑誌の読者であるあなたは,エホバのクリスチャン証人の現代の組織について,ある程度ご存じのことでしょう。それどころか組織とその種々の機能に精通しておられるかもしれません。あるいは,組織のことはあまりご存じなくても,この雑誌を愛読しておられるかもしれません。この雑誌が伝える音信は,信頼の置けるもの,すなわち神の王国に関するものであることを認めて,希望を持って定期的にお読みになっているかもしれません。しかし,この出版物をお読みになるさいに,次のような質問が頭に浮かぶかもしれません。エホバの証人はどのようにして世界的な伝道や出版の仕事をしているのだろう。どんな人たちが仕事を指導するのに用いられているのだろう。エホバの証人の仕事に関連して監督という責任ある立場を与えられる人々は,どんな訓練を受けるのだろう。
2 監督の例をあげ,監督がどれほど広範囲におよぶかを述べなさい。
2 監督 ― たいていの人になじみの深いことばではありますが,これにはどんな意味があるでしょうか。母親は遊んでいる子どもを見守り,教師は自分の質問に対して受け持ちの生徒が述べる答えに注意深く耳を傾け,オーケストラの指揮者は,有名な交響曲の演奏において,気はくと熱意とをもって大きな楽団を指揮します。このいずれの場合にも,ひとつの共通の要素があります。それはすなわち監督もしくは監理で,親,教師,指揮者による監督です。わたしたちは幼児の時から生涯のあらゆる段階において監督のもとにあります。監督は生活の一部です。実際のところ,人が人間の監督の大部分からのがれうるのは,全くの世捨て人になるときだけですが,しかしそれは望ましい選択とは言えません。
3,4 (イ)監督の益をいくつか示しなさい。(ロ)どんな種類の監督が最も効果的で,感謝されますか。
3 監督は,もし正しく行なわれれば,わたしたちに多くの益を与えるものとなります。たとえば,わたしたちは,愛のこもった,そして聖書に基づいた親の監督によって,肉体的に,知的に,道徳的に,そして霊的に強い,円熟した人々になります。指導者や教師の賢明な監督を通して,知識のある,思慮深い人間になります。オーケストラの場合は,芸術家のグループ全体の才能が賢明な監督によって正しい調和を保ちつつ働き,その結果楽しさが生み出されます。それは,他の人々の聞く楽しさに貢献する個々の人の楽しさです。
4 愛のこもった,正しく制御された監督,そして忠実に行なわれる監督は,監督下にある人々の感情を考慮に入れます。これは,服従や協力を,また監督を受けることを,真に喜ばしいものにします。もし愛のこもった忠実な監督が行なわれるならば,多くのことが成し遂げられます。
5 親の監督が足りないと,どんなことが起きるか説明しなさい。
5 親が,家族の中に,互いを尊敬する幸福なふんいきを作り出すことにおいて大きな役割を果たすことはよく認められています。そのような監督が行なわれないときに,結果として問題が生じます。1970年5月16日のデトロイト・サタデー・フリー・プレス紙は,「抗議世代の出現は愛のない親の責任」という題の記事の中で次のように述べました。「『自分の子どもに金よりも愛を与えることに困難を感じる親,遠隔操作で子どもを育て,子どもを罰することさえその方法で行なう親たちが,大学構内で抗議デモを行なう世代をつくり上げることに寄与した』,とハーバード大学のある精神病学者は金曜日に語った。A・M・ニコライ博士は言う。『非常に成功している父親 ― あるいはそれほど成功していなくても二つの仕事を持っている多くの父親 ― は仕事に多くの時間を取られるので,その家庭は父親のいないのも同然の状態になる。それに加えて,母親が家庭で過ごす時間,そして母親と子どもの関係の質も低下の一途をたどっている』」。
6 愛のこもった監督にかんし,実際的で役だつ点をどこで学ぶことができますか。なぜですか。
6 種々の人間関係の分野においても,克服すべき問題があると思いますか。確かにあります。では,わたしたちは,自分たちの地域社会にとっても,また神にとっても名誉となる,有用で幸福な人々となれるよう,愛ある監督と,進んで従うこととについて実際的な事柄を学ぶには,どこへ行けばよいでしょうか。今日のクリスチャン会衆の構造と運営を調べるなら,この面で大いに益を得ることができます。なぜなら,今日のクリスチャン会衆は,聖書中に記述されている1世紀の会衆の型をそのまま保っているからです。―使行 15:2,22,23; 16:4,5。
「会衆」― それは何か
7 (イ)「クリスチャン会衆」という場合それは何を意味しますか。(ロ)イエス・キリストとこの「会衆」はやがてどんな益をおよぼしますか。どのように?
7 ところで,わたしたちが「クリスチャン会衆」と言う場合,それは何を意味するでしょうか。聖書的,教理的な見地から言うなら,クリスチャン会衆がキリストの「からだ」と呼ばれる14万4,000人の弟子たちでつくられていることは明確であって,キリスト・イエスはそのかしらです。これらの弟子たちは神によって選ばれた者たちで,メシアであるイエスとともに,神のメシアの王国を構成する天の組織を形成します。(コロサイ 1:18,24。テサロニケ後 2:13)天において栄化されたイエス・キリストとこの「会衆」は,まもなく全人類にすばらしい益をおよぼすでしょう。それらの益は,憎しみや暴力や憂うつの代わりに,愛と幸福と平和が満ち渡る新しい事物の体制を通して流れ出るでしょう。そのときはまさに喜びのときとなるでしょう。そのときには死者さえよみがえり,全地は神の天の王国政府の支配下で楽園に変えられ,王国政府は愛をもって全人類を監督します。―ダニエル 7:14,18。ヨハネ 5:28,29。黙示 21:1-5。
8 (イ)この討議では「会衆」ということばはどのように使われているか説明しなさい。(ロ)聖書にはこの使用法の先例がありますか。説明しなさい。
8 しかしこの討議においては,「会衆」ということばは,どんな場所であろうと,人々が神の意志を学ぶために定期的に集まる,世界中に散在する,クリスチャンたちの地方的集会を指して用いられます。そのような地方的集会を「会衆」と呼んだ聖書的先例は,使徒行伝 8章1節,コリント前書 11章16節,そしてロマ書 16章3,4節にはっきり示されています。「1972年度エホバの証人の年鑑」(英文)によると,そのような会衆は全世界の207の国々に,27,154あります。
9 (イ)クリスチャン会衆とその発展についてどんな預言がされていましたか。(ロ)現在その証拠が見られますか。説明しなさい。
9 今日のクリスチャン会衆は何の表われでしょうか。それは明らかに,神の愛と知恵の表われです。人間の最善の益を神以上によく知り,その世話を見ることのできる者はいません。(詩 145:14-16)神は,真の崇拝が心の正直な人々を多数引きつけること,また彼らを教え,教育し,彼らが自分と同じような弟子をさらに多くつくれるようになるまで彼らを援助する必要が生ずることを知っておられ,そのことを予告しておられました。(イザヤ 54:13; 60:22。マタイ 28:19,20)実際のところ,過去わずか3年間に,新たにバプテスマを受けたエホバのクリスチャン証人の奉仕者434,906名が,これら増加の一途をたどる献身したクリスチャンの隊伍に加わりました。
会衆における神権的任命
10 (イ)クリスチャン会衆の指導者はだれですか。(ロ)会衆の構造を神権的にするものは何ですか。
10 しかし,この急速に拡大する会衆のかしらはだれか,と言う人があるかもしれません。それはだれか頭のいい,先見の明のある人,非常にすぐれた組織力を持つ人間でしょうか。そうではありません。クリスチャン会衆は神権的に運営されているのです。つまりクリスチャン会衆は,み子であり即位している王であるイエス・キリストを通して行使されるエホバ神の指導権だけを認めているのです。(イザヤ 33:22。ヘブル 12:2。黙示 19:16)これこそ,会衆の構造を,神の支配に忠実に従う神権的なものにするのです。ひとつの組織が十分に神権的であるためには,その組織は全面的に神によって,また神が用いる力によって指導され,支配されなければなりません。したがってひとりびとりが,イエス・キリストをクリスチャン会衆のかしらと認め,また,地上にあって監督の立場に神権的な方法で任命された人々に正しい敬意を払うことは非常にたいせつになってきます。―ピリピ 2:9-11。コリント前 11:3。使行 14:23。
11 (イ)統治体と「忠実で思慮深い奴隷」との関係を説明しなさい。(ロ)監督に任命された人はそれぞれ聖霊によって任命されたと言えます。なぜですか。
11 エホバのクリスチャン会衆内のある人々は,監督という重い責任をもっています。(ルカ 12:48)たとえば,統治体の中のいく人かの成員は,ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会の理事を兼任しています。そればかりでなく,その統治体は,マタイ伝 24章45節から47節(新)に述べられている「忠実で思慮深い奴隷」の成員で構成されており,その級を代表します。統治体として彼らは,クリスチャン会衆内で責任ある立場を占める長老および奉仕のしもべを任命します。そして長老や奉仕のしもべたちは,任命された各の持ち場において,すべてエホバの栄光のために,貴重な奉仕を行ないます。統治体によって任命される人たちはそれぞれ,なんらかの責任ある監督の立場について奉仕するのですから,みな,神がご自分のことば聖書の中で述べておられる特定の資格を備えていなければなりません。したがって任命された者は各,神の聖霊によって任命されたのであって,人間によって任命されたのではない,と言えます。このことは会衆が神権的なものであることをさらに明らかにするものです。―マタイ 23:8-12。使行 13:2-5。ペテロ後 1:20,21。
12 地方の会衆におけるわざの推進に責任のある人々について述べなさい。
12 一定の地域でわざを押し進める主要な責任を持つのは,会衆内のこれら特別に任命されている人たちです。彼らは聖霊により,神の群れを牧し,正しい模範を示すべく任命されたのです。(使行 20:28。テモテ前 4:12。ペテロ前 5:2)長老または監督に任命されているその人々の外見は,たいていどこから見ても,普通の人とほとんど変わりません。彼らは,テモテ前書 5章17節(新)に示されているように「年長者たち」です。そして「長老たちの一団」としてともに奉仕します。(テモテ前 4:14,新,脚注)特別に変わった服装をしているとか,聖職者の特別の肩書を持っているとかで,彼らがそれとわかる,というのではありません。あなたはご自分の職場である銀行で,食品店で,あるいは建築現場で,彼らのひとりと肩を並べて働いているかもしれません。家族を扶養する責任上,世俗の普通の仕事をするかもしれませんが,彼らは第一に神の奉仕者であり,会衆内の任命を受けた監督なのです。
13 (イ)人はどのようにして監督の資格を得ますか。(ロ)監督たちの第一の務めにはどんなものがありますか。(ハ)彼らはその務めを行なうために特別の訓練を受けますか。
13 監督としての資格があることを決定するのは,年を取っているということでしょうか。そうではありません。その規準は霊的なものです。監督の聖書的資格は,テモテ前書 3章1節から7節,そしてテトス書 1章5節から9節に述べられています。「忠実で思慮深い奴隷」の統治体によって任命される各監督は,これらの資格にかなっていなければなりません。では彼らの第一の務めは何でしょうか。それは『神の群れを牧する』ことであり,会衆内のすべての人がエホバ神に受け入れられるような方法で自分の献身の責務を果たすために援助を得られるよう取り計らうことであり,また会衆に割り当てられた区域内に住むすべての人が,王国にかんする証言を定期的に,そして十分に聞く機会を得られるようにすることです。これをするための良い備えを彼らに得させるために,そして彼らが,おもな責務のひとつである教えるわざをより効果的に行ないうるように,通常,協会の支部でそのために開かれる,ものみの塔協会の王国宣教学校で特別の訓練が施されます。
五つの主要な監督の立場
14 実際には何が主宰監督の仕事を成功させますか。
14 各会衆にはひとりの主宰監督がいます。この主宰監督の仕事を成功させるものは何でしょうか。それは,イエスに習って「羊」に愛を示し,会衆に交わる新しい人たちを親切にもてなすことです。(マタイ 11:28-30)各主宰監督は,王であるキリストの注視のもとで,霊的な意味において風のさけ所,あらしをのがれる場所,かわいた土地にある水の流れ,疲れた地にある大きな岩の影のようなものであることを証明しなければなりません。―イザヤ 32:1,2。
15 (イ)ある主宰監督についてどんなことが言われましたか。(ロ)この種の人たちは『わたしたちにとって大事な』人たちです。なぜですか。
15 巡回旅行をするひとりのエホバの証人の監督が,自分の巡回区内のある忠実な主宰監督について話したことに注意してください。「A兄弟は父親のようです。しかし子どもたちを甘やかさない父親で,毅然とした態度で子どもたちを教え,正しいことを行なうように子どもたちを助けます。…決して感傷的な人ではありませんが,子どもたちに励ましや忠告を惜しみなく与えるとともに,大きな愛情を示します」。言うまでもなく,このような人たちは,『わたしたちにとって大事な』人たちです。(ピリピ 2:29)これらの人たちは,会衆内のすべての人が,霊的に円熟し,真理に対して深い認識を培うように助けます。彼らが持つ種々の才能や能力,奉仕に対する熱意,また彼らがキリストというかしらのもとで会衆のために奉仕しているということは,彼らがほんとうに「人々の賜物」であることを明らかにするものです。―ロマ 12:4-8。エペソ 4:8,新。
16 野外の監督は,会衆内の「年長者たち」のひとりとしてどのようにその役目を果たしますか。
16 愛のこもった,必要な監督を行なうために,主宰監督とともに幾人かの他の長老がいます。これらの長老のひとり,たとえば野外の監督の務めはたくさんありますが,主として,区域内で徹底的な証言が行なわれるように,会衆内のすべての奉仕者たちの群れが行なう王国の伝道のわざを調整します。また野外の監督は,会衆の野外奉仕を正確に記録します。そして月に一度,会衆の伝道報告は全部まとめられ,表にされて,協会の支部事務所に送られます。そして支部のすべての報告は最後に,ニューヨークのブルックリンにある協会本部に行き,そこでまとめられ,そして「エホバの証人の年鑑」に発表されます。この年次報告にはまた,世界中の王国伝道者たちの会衆から寄せられる興味深い経験談が載せられます。
17 聖書研究の監督の仕事はどれほどたいせつなものですか。
17 会衆内の別の「年長者」もしくは長老,は,聖書研究の監督です。この監督はおもに関心のある人々に対する再訪問により,またそれを通して,さらに無償の家庭聖書研究を取り決めることによって,区域内で清い崇拝を奨励し促進することに関心を持っています。エホバの証人は関心のある人々を喜んで幾度でも訪問し,そのような家庭聖書研究を行ないます。(ガラテヤ 6:6)聖書研究の監督は,会衆内のいろいろな人が新しい研究をはじめ,そしてそれを効果的な方法で司会するよう援助することにより,聖書教育のこの分野で必要な監督を行ないます。そして,関心のある新しい人々が会衆の集会に出席するようになると,その人たちの霊的成長を助けるよう特別に注意を払います。この愛のこもった監督と,すぐれた教える能力を通して,会衆に割り当てられた区域内のいっそう多くの人々が,エホバのことばと目的にかんする正確な知識を得ます。これは人々の救いにとって欠くことのできないものです。―使行 4:12。
18 「ものみの塔」の研究は,毎週行なわれるエホバの証人の集会の中で主要なものです。なぜですか。
18 会衆は,エホバの証人の発行する主要な聖書研究の手引「ものみの塔」誌を,毎週いっしょに勉強します。これは質疑応答の形式で行なわれます。この集会のときにはたいてい会衆全体が1か所に集まります。神のことばにかんする増し加わった解明の光は,エホバがそれを知らせるときに,「ものみの塔」誌を通して来ます。これらの討議は性質上重要なものですから,「ものみの塔」の研究は,エホバのクリスチャン証人全員,および関心をもつ人々にとって最も大切な集会です。したがって,この集会を主宰する「ものみの塔」研究の司会者には重要な責任があります。この研究は,すべての人が同じ考えをもって一致することを可能にします。―コリント前 1:10。
19 神権宣教学校の監督は会衆の益のために何をしますか。この学校の与える益を説明しなさい。
19 会衆内の他の人々を直接に教えることによって愛ある監督を行なう,もうひとりの任命された奉仕者は,神権宣教学校の監督です。この監督は神権宣教学校を司会します。その集会は毎週何曜日かの夜,王国会館で開かれます。これは男子,女子,子どもたちを訓練する卒業のない学校です。生徒は,割り当てられた主題にかんする短い聖書の話を,グループに向かってします。数種の教科書と特別に考案された,話の助言用紙が用いられます。そして資格ある助言者である学校の監督は,話されたりっぱな資料から会衆が十分の益を得られるように助けると同時に,役立つ改善方法を提案します。この訓練の過程で聖書は通読され,聖書の教理や原則が広範囲にわたって扱われます。エホバに奉仕することをほんとうに望む人々はみな,この学校にはいるよう招待されています。あなたはもうはいっておられますか。
監督の他の分野
20 (イ)会衆の書籍研究の司会者は,会衆内でどんなりっぱな特権を持っているか説明しなさい。(ロ)その司会者がすぐれた教師であることはなぜ肝要ですか。(ハ)会衆の書籍研究の取り決めを通して王国伝道者はもとより関心をもつ新しい人々にどんな益がおよびますか。
20 会衆の書籍研究の司会者は,会衆内で教えることと関連してすばらしい特権を持っています。仲間の奉仕者の小さなグループといっしょに働いて彼らの信仰を強め,やがては彼らが他の人たちを助けられるように「教える技術」に熟達するよう彼らを助けるのですから,司会者自身りっぱな教師でなければなりません。(テモテ前 4:15,16。テトス 2:6,7)そのために,普通は週のはじめごろに,エホバの証人,および証人といっしょに聖書を勉強している人たちは,王国会館か,または会衆が指定したいちばん近くの家に行き,会衆の書籍研究の司会者の指導のもとで,聖書とものみの塔協会が準備した教科書を用いて1時間のグループによる研究を行ないます。ここでは,やはりエホバに奉仕することと,エホバの正義の新秩序の中に住むことに関心をもつ,いちばん近い隣人と知り合うことができます。(ペテロ後 3:13)グループが小さいので,遠慮なく発言することができ,他の人々の前で信仰を表明することに慣れます。それと同時に,出席している他の人々の注解によって自分の知識がみがかれます。―箴 27:17。
21 文書や伝道区域はどのようにしてエホバの証人のために備えられますか。
21 おそらくあなたは,エホバの証人が教えるときに,印刷された聖書の話を使うことに気づかれたでしょう。また証人たちが,公の戸別伝道において,本誌「ものみの塔」と,姉妹誌「目ざめよ!」を強調するのにもお気づきでしょう。これらの出版物は会衆を通して証人たちの手に届くようになっています。むろん,クリスチャン奉仕者たちが,一般の人々に雑誌をすすめていようと書籍をすすめていようと,人々の家をゆきあたりばったりに訪問すれば混乱が生じます。これを防ぐために,各会衆はものみの塔協会によって特定の区域を割り当てられています。(ガラテヤ 2:9)野外の監督はその区域の小部分を個々の奉仕者に割り当てるように取り計らうことによって,会衆の境界線内のすべての家が,確実に,秩序正しく訪問を受けるようにします。―コリント前 14:33。
22 エホバの証人は会衆内の必要経費をどのようにまかないますか。
22 会衆内の特別の務めに任命されている監督や奉仕のしもべに給料は支払われませんが,王国会館の維持その他に経費がいります。それらはすべて,自発的な寄付によってまかなわれます。エホバの証人の会衆には,寄付盆も,献金封筒も,10分の1献金も,寄付者のリストもありません。(マタイ 6:1-4)各が,望む時に,自由に寄付することができます。―コリント後 9:7。
23 世界中の全会衆を通して,どのように愛ある監督が行なわれているかを説明しなさい。
23 愛ある監督という原則は,地方の会衆のみならず,エホバのクリスチャン証人の世界的組織の管理にもはっきり表われています。この管理は,ニューヨーク市ブルックリンにある国際本部により,世界各地に現在のところ93存在するものみの塔協会支部を通して行なわれています。これらの支部は毎年,ものみの塔聖書冊子協会会長,もしくは地帯の監督として知られている,特別に任命された代表の訪問を受けます。同様に諸会衆も年に約2回,巡回の監督として知られている,旅行する奉仕者である長老の訪問を受けます。巡回の監督たちはそれぞれ22ほどの会衆に,愛ある援助を与える責任を持っています。各巡回区内の全部の会衆は年に2回大会に集まり,その時,地域の監督として知られている経験の深い別の奉仕者の訪問を受け励ましを与えられます。地域の監督は通常20ないし22の巡回区に奉仕します。巡回および地域の監督はそれぞれの活動を直接支部事務所に報告します。確かにこの愛ある援助と監督の原則は,近年のエホバの証人の増加に大いに貢献しました。
24 (イ)この愛ある監督すべてはどんな結果を招きますか。だれの指導のもとで?(ロ)神によって任命された人々に協力すべきどんなやみがたい理由がありますか。
24 このすべては何を強調するでしょうか。それは次の事実をきわ立たせるものです。すなわちエホバは,今日住むすべての人々に秩序ある方法で真理を伝えるというすばらしい目的を持っておられて,このすべてが,主なる牧者であり監督であるイエス・キリストの指導のもとで行なわれており,地上にいる任命を受けた人々はイエス・キリストの支配のもとで奉仕し神の意志を遂行している,ということです。(エペソ 1:9,10。ペテロ前 5:4)その上,現在の古い事物の体制の終わりは迫っていますから,やがて,王イエス・キリストによって特別に任命された者たち以外には,地の事柄を管理する者はいなくなるでしょう。(詩 37:37,38; 45:16)であれば,今日,そのような人たちに協力することを学ばねばならない理由は確かにあります。そしてこれが次の記事の主題となっていますので,みなさんがこれを注意深く検討されることをおすすめします。
[651ページの図版]
監督たちは,クリスチャンの兄弟たちに愛のこもった関心を示し,会衆内で……
……また良いたよりを宣べ伝えるさいに,彼らを援助する