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自分の良心を訓練してより良い働きをさせるものみの塔 1976 | 12月1日
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を知るようになればなるほど,わたしたちの思いや心の傾向が全体的に漸次良くなっていくのに気付くはずです。そのために良心の働きはしだいに良くなります。内部で鋭い良心が働いているので,わたしたちは,暗くされた思いと無感覚な心の世の人々が持つやましい良心を持たずにすみます。パウロはこの点を強調し,エフェソス 4章17-24節で次のように述べています。「わたしは主にあってこのことを言い,また証しします。すなわち,あなたがたはもはや,思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。彼らは精神的な暗やみにあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,またその心の無感覚さのためです。彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身を不品行にゆだねたのです」。しかしパウロが次に述べることに注意してください。「あなたがたは,キリストがそのようであるとは学びませんでした。ほんとうにあなたがたが,イエスのうちにある真理のとおりに彼のことばを聞き,彼によって教えられたのであればです。その教えとは,あなたがたの以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去るべきこと,そして,あなたがたの思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきことでした」。わたしたちの全生活は,思いを活動させる力によって変えられなければなりません。そしてそれは,「キリストの思い」を身につけるときに生じます。
21 クリスチャンは自分の創造者の像を反映するために何を行ない続けなければなりませんか。
21 聖書を深く勉強していくにつれ,キリストの生活の中で例示されているエホバの性質に対するわたしたちの認識は増します。したがって,ますます創造者の像として行動することができるようになります。パウロはこの点を力説し,こう述べています。「愛される子どもとして,神を見倣う者となりなさい。……愛のうちに歩んでゆきなさい」― エフェソス 5:1,2。
22 使徒ペテロはわたしたちすべてに,どんな良い忠告を,また時宜にかなった忠告を与えていますか。
22 「神を見倣う者」となるとき,エホバの特別の民としてのわたしたちの一致は一層固いものになります。わたしたちがこの暗い世の中で光を掲げる者であることは,明らかになります。ですからペテロは次のように勧めました。「正しい良心を保ちなさい。それは,あなたがたが悪く言われている事について,キリストにあるあなたがたの良い行状を軽べつして語っている者たち[世の不道徳な人々]が恥じ入るためです」。(ペテロ第一 3:16)エホバの民は,エホバの大いなる復讐の日が始まるときの,主イエス・キリストの現われを忍耐強く待つ間,清く正しい良心をもって,王国についての証言を熱心に行なっていくでしょう。
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『どんなガレー船隊も勝ち得ない』ものみの塔 1976 | 12月1日
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『どんなガレー船隊も勝ち得ない』
● エルサレムの住民がエホバの保護の下で受ける安全に関して,預言者イザヤは次のように書きました。「厳かなる方,エホバは,わたしたちにとっての川また広い運河の場所となられる。その上をガレー船隊が行くことなく,厳かな船が過ぎ越すこともない。エホバはわたしたちの裁き主,エホバはわたしたちの法令授与者,エホバはわたしたちの王だからである。彼自らわたしたちを救ってくださる」― イザヤ 33:21,22,新。
エルサレムの町には,攻撃に対する防御の役割を果たす大きな川や運河網はありませんでした。しかし,エホバがその都市に与えられた保護は,「川」や「広い運河」のもつ防御の働きに匹敵しました。ガレー船隊として表わされている強力な敵の軍勢は,エホバの保護であるひゆ的な水域で難破することでしょう。イザヤの時代におけるこうした保護の顕著な例は,アッシリアの王セナケリブがエルサレム占領に失敗したときのものです。エホバのみ使いは,一夜のうちにアッシリアの18万5,000人の大群を滅ぼしました。セナケリブは,自分の軍隊の最も主要な部分を失ったため,エルサレム占領の計画を断念せざるを得ませんでした。―列王下 19:35,36。
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