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神にかんする,子どもの質問に答える目ざめよ! 1971 | 3月8日
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霊で,わたしたちは肉だからです。でも,正直で正しい行ないをすれば,神に対する認識や愛をえ,また,神の是認の「ほほえみ」ともいえる,神からの祝福を受けるという意味で,神を「見る」ことができるようになるのです。―歴代下 16:9。
忠実な人モーセは,昔,神のお顔を見せていただきたいと願いました。あなたは,神がなんとお答えになったかを覚えていますか。神はこう言われました。「なんぢはわが面を見ることあたはず我を見て生る人あらざればなり」。(出エジプト 33:20)それは,神があまりにも栄光に輝いておられるかただからです。エホバの栄光の現われた光景は,イスラエル人にとって,「山の頂に燃ゆる光のごとくに」見えました。(出エジプト 24:17)人間の弱い肉のからだは,核爆弾の閃光にたえられません。では,原子力その他,あらゆるエネルギーの源であられるエホバを一目見て,生き続けることがどうしてできるでしょうか。人類の中で,神のお顔を見ることを望めるのは,真紀子さん,あなたが指摘しているとおり,14万4,000人の「天の者たち」だけなのです。しかし,それらの人々は神を見る前に忠実なクリスチャンとして地上の生活を終え,杯ちない,天の命に復活させられねばなりません。―コリント前 15:42-44。
しかし,ここで真紀子さんは次の点を知りたいと願っていますね。
「キリスト後からなぜあなたをあいする人をみつかいにしたのですか。キリスト前に『エホバの友』といわれたアブラハムもいるのに」。
それに,キリスト前の人として,バプテスマのヨハネもいます。このヨハネについて,イエスはこう言われました。「まことに汝らに告ぐ,女の産みたる者のうち,バプテスマのヨハネより大なる者は起らざりき。されど天の〔王国〕にて小き者も,彼よりは大なり」。(マタイ 11:11〔新〕)ですから,おわかりのように,クリスチャン証人以前の最も忠実な人々,つまりバプテスマのヨハネやアブラハムでさえ,天の者たちにはなりません。そうした人々は,「神の小羊」であるイエスが,ご自分の完全な人間としての命を犠牲としてささげられる前に死んだからです。そののちになってはじめて,イエスの犠牲に対する信仰を表わす人々が,「人のうちより(その犠牲によって)あがなわれて神と小羊とのために初穂とな」る14万4,000人の天の者たちの成員となれるようになったのです。(黙示 14:3,4。使行 16:31)ある人が天で生きるか,それとも地上で生きるかを決めるのは神です。(コリント前 12:18)しかし,天と地のいずれで生きるかにはかかわりなく,エホバの,忠誠を守る,しもべすべては,キリストを通して設けられる,神の申し分のないご準備を大いに喜び,永遠の命を受けるでしょう。―詩 104:28。ロマ 6:23。
ですから,真紀子さん,命を与える知識を聖書から取り入れ続けましょう。(ヨハネ 17:3)あなたが言うとおり,きびしい試練に会うのは,ちょうど,落ちる危険のある,高いがけに立っているようなものです。それで,両足でしっかりと立ち,真理と正義の側に立つことを決意しなければなりません。ペテロの次のような,すぐれた助言をいつも思い起こしてください。「あなたがたは気をたしかにして,十分注意していなさい。あなたがたの敵対者,悪魔は,ほえるライオンのように歩きまわって,だれかを飲み込もうとしている」。「なんぢら信仰を堅うして彼を防げ,なんぢらは世にある兄弟たちの同じ苦難に会ふを知ればなり」。―ペテロ前 5:8(新),9。
真紀子さん,地上のあらゆる国々に住む,幾万人もの若い人々は,あなたと同じように,復興される楽園で永遠の命を得るという希望をいだいて神を賛美しています。わたしたちの,愛のある天のお父さんは,あなたがた忠実な若い人々すべてのために,次の約束を果たされるでしょう。「勝を得る者はこれらのものをつがん,われはその神となり,彼は我が子[また,わたしの娘]とならん」― 黙示 21:1-7。詩 148:12,13。
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愛のある羊飼い目ざめよ! 1971 | 3月8日
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愛のある羊飼い
● 中東のヘルモン山の山腹で羊を世話している羊飼いたちの様子を見た,ある観察者は,それらの羊飼いが自分たちにゆだねられている羊をどのようにやさしく世話しているかをこう述べている。「羊飼いたちは各自分の群れの羊の状況を知るため,注意深く見守った。生まれたばかりの小羊を見つけると,アバと呼ばれる大きながいとうのひだに小羊を入れてかかえた。小羊は弱々しくて,母親のあとについてゆけなかったからである。ふところがいっぱいになると,羊飼いは小羊を肩に乗せ,足を押えて運んだり,ロバの背の袋やカゴに入れたりして,小羊が母親のあとについてゆけるようになるまで世話をした」。イザヤ書 40章10,11節にしるされているように,エホバは,牧羊生活に見られるそうした感動的な情景を用いて,ご自分の民に対するご自身の愛ある世話をわれわれが認識できるよう助けておられるのである。
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