あなたはいずれの神の証者ですか
「なんぢらはわが証人なり,われは神なり,これエホバ宣給るなり」― イザヤ 43:12,文語。
1 (イ)実在する神は何をできるはずですか。(ロ)AP電の伝えているところからもわかるように,無神論者は神に対してどんな態度をとりますか。
いやしくも実在する神ならば,神であることの証拠を示さなければなりません。たとえ唯一の神であるにしても,神であることをあかしする証人が少なくとも二,三人は必要です。無神論者は神の存在をまっこうから否定して,「私はどんな神の証者でもない」と豪語することでしょう。昨年5月6日,シアトル発のAP電は次のように伝えていました。「ソ連の宇宙飛行士チトフ少佐は神を信じていないことを公言した。地球を17周した間にも神や天使を見たわけではなし,ガガーリンが初の宇宙飛行をしたときにも,神の力でロケットができたわけではない。ロケットはソ連国民の力によって作られた。私は神を信じない。私は人間とその力,能力,理性に信頼している」。チトフ少佐夫妻は2時間近くをついやしてシアトル世界博覧会のアメリカ科学展を見たのち,その唯物的な信念を更に表明しています。―1962年5月7日,ニューヨーク・タイムズ。
2,3 (イ)昔行なわれた神信心については何が言えますか。(ロ)ヒンヅー哲学の神々については何が言われていますか。
2 共産主義者でも,ほかの政治的信念を持つ人でも,今日の無神論者はこの核時代,宇宙時代に神を信ずるのは古いと考えています。かつては一神教にしても多神教にしても神を信ずるのは普通のことであり,人々の生活の一部になっていました。神々を交換することさえ行なわれたのかも知れません。紀元前7世紀に書かれた有名な本は次のように述べています。「その神を神ではない者に取り替えた国があろうか」「あなたが自分のため造った神々はどこにいるのか。あなたが災にあう時,もし彼らがあなたを救えるなら,立ってもらうがよい。ユダよ,あなたの神々は,あなたの町の数ほど多いからである」。(エレミヤ 2:11,28)下って西暦1世紀にローマ皇帝ネロのお気にいりで,ぜいたくな暮らし方のうち美味にかけては第一の権威と言われたペトロニウス・アービターが「風刺集」17章の中で,ローマの国教について次のことを書いています。「我々の国にはおびただしい神々があり,人間よりも神のほうが多いくらいである」。ローマの皇帝も神と呼ばれていました。
3 同じく1世紀に別の人が書いた次の言葉は全く真実でした。この人の書いたものは今日でも広く読まれています。「神と称ふるもの,或は天に或は地にありて,多くの神,おほくの主あるが如くなれど」。(コリント前 8:5,文語)そのとき以来,神々は増加しました。アメリカ百科事典第14巻(1929年版)は,インドにおけるヒンヅー哲学の発達について次のことを述べています。
おびただしい数の神々が創造される結果となった。想像もほしいままにされた。天空は神々と女神とで満たされた。もっとも崇拝の対象とされたという意味で神格化されたものはわずかである。新しい世界が創造され,インドラは3億3000万の神々の支配者とされた。創造神ブラフマン,存続神ビシュヌ,破壊神シバより成る三神一体が成立した。
1963年度アメリカ年鑑321頁によれば,今日のインドの人口は4億3923万5082人で,ヒンヅー教徒はその84.99パーセントを占めています。従ってヒンヅー教徒一人半に一つの神があることになります。
4 日本,ソ連およびキリスト教国における神について,どんな事実がありますか。
4 1946年までの日本においても太陽神,天照大神の曾孫神武天皇が紀元前660年に国を建てて以来つづいてきたのが日本の皇室であるという教えに基づいて天皇を神格化していました。1945年12月31日,天皇が自ら神格を否定したのは自然のことでした。共産主義国においては独裁者スターリンの死後すなわち1953年以後になってはじめてスターリン崇拝が影をひそめはじめました。しかしキリスト教国をごらんなさい。キリスト教国は,父と子と聖霊とから成る三位一体の神を崇拝しています。まだ他にも崇拝しているものがありますか。
5,6 (イ)教会事典に示されているように,ローマカトリック教会の法王はどのように見られていますか。(ロ)この教会の指導者について,他に何が述べられていますか。
5 ローマカトリック教会の認める権威「教会事典」a から引用してみましょう。これは18世紀の人でフランシスコ修道院の教会法学者ルシアス・フェラリスの作ったもので,パパの項に次の言葉が出ています。
「法王はきわめて高い権力と威光を持つゆえに単なる人ではなく,あたかも神であり,神の代理者である……ゆえに法王は天と地と地獄の王として三重の冠をつける……法王はあたかも地上における神であり,キリストにつく忠実なる者の唯一の君である。また大いなる権力を持つ王の王であって,地上の国と天国の支配がその手に委ねられている……法王はきわめて大きな権威と権力を持つゆえに,神の律法を修正し,宣言し解釈することができる……法王は神の律法を制限し,また説明することによってそれを動かすことができる」。
6 「世俗の事柄においてもローマ法王の権力を絶対のものとするのに与って力があったとの理由で」b 大法王と呼ばれるニコラス1世(858-867)は,次のことを述べました。「コンスタンチン皇帝は法王に神の称号を授けた。従って神である法王を,人が裁くことはできない」。後の法王イノセント3世(1198-1216)も,「法王は真の神の地位を占める」と述べています。ローマカトリックの教会法の中で,法王は「主なる我らの神」と呼ばれています。それで,テ・デウム(神よ,我ら汝を賛美すの意)と呼ばれる歌が法王の戴冠式の一部になっているのも,意味のないことではありません。c
「神々」への挑戦
7 そこで私たちはどんな挑戦に直面しますか。この問題についてどんな質問の答が必要ですか。
7 今日,神の崇拝者であることを自任する人は,自分の神の証者となるように挑まれています。すべての神すなわち「神々」と称えられるもの,神として崇拝されているすべてのものは,その神なること,あるいは生ける真の神であることを証明する証人を出すように挑まれています。従って今日すべての崇拝者にむかって,あなたはいずれの神の証者ですか,という質問が投げかけられているのです。証人としてあなたは,自分の崇拝する神が実在する,生ける真の神であり,いわれのある神,力ある神であって崇拝するにふさわしい神であることを示す証拠を提出できますか。あなたは自分の神について何を知っていますか。自分自身に対してであっても,自分の崇拝するものがたしかに神であることを納得のゆくように証明できますか。それとも自分の神の証者になることを恥じますか。
8 (イ)偽りの神を崇拝し,またこれに仕えるのは,なぜ空しいことですか。(ロ)どの神が真の神かということは,どんな二つの手段によって証明されますか。
8 偽りの神に仕え,崇拝をささげても無益なことは,分別のある人だれでもが知っています。実在しない神を拝んでも,永続する益は決して得られません。その人は自分を欺いているのか,それとも他の宗教家に欺かれるのにまかせているのであって,結局は失望に終ります。感情や宗教的な感傷に動かされて行動すべきではなく,宗教のことにおいても他のことにおけると同様,分別を働かさなければなりません。生ける,強力な実在である真実の神に関する証拠に目をつむっても,自分の益にはなりません。自分の神にしても他の人の神にしても,その神が偽りのものであれば,事実を知ろうとすべきです。今日,神として崇拝されるものが無数にあるなかで,唯一の生ける真の神が存在するとすれば,その証拠を求め,それを真剣に考慮しなければなりません。神ご自身の証拠により,また地上にいる神の証人の提出する証拠によって,真の神は全宇宙の前にご自身が神であり,万人の崇拝を受けるべきことを示し得るはずです。
9 なぜ現代は,真の神がご自身の神なることを表わすのに適当な時ですか。
9 いまは真の神がご自身の神なることを表わす絶好の時です。科学の進歩にもかかわらず,人類の世界は困難な状態に陥っています。肉体と精神の病気に加えて,世界人口の増加と共に飢餓が増加しています。政治的にも宗教的にも世界は動揺しており,人種問題も不安をかもしています。核兵器による第三次世界大戦もあり得ないことではなく,それはこの時代最大の不安の原因です。単なる人間の力と思考によって世界の状態を改めるのは不可能であり,それには超人間の理知が必要です。従って過去のどの時代にもまさって今こそ,神々の崇拝者はおのおのの神を頼りとする時です。25世紀前の預言者エレミヤが現代に生きているとすれば,困惑した人々に対して次の挑戦をくり返すことでしょう。「あなたが自分のために造った神々はどこにいるのか。あなたが災にあう時,もし彼らがあなたを救えるなら,立ってもらうがよい。あなたの神々は,あなたの町の数ほど多いからである」― エレミヤ 2:28。
10 神ととなえるすべてのものに関して,何を尋ねることができますか。
10 よく知られた宗教を合わせただけでも,神々の数に不足はありません。しかしこのすべての神々には独力で,あるいは力を合わせて,悪化する世界情勢に対処するすべがありますか。世界情勢の悪くなる理由を説明できますか。その成りゆきについて,何を預言しますか。人類の将来についてどんな預言がありますか。将来に関する預言の成就について言えば,それを確信させるどんな過去の事実が存在していますか。世界に多く存在する神々は真実であって,その約束を成就させるというどんな証拠がありますか。これから起こることを告げ,その預言を成就させてごらんなさい。そうでなければ,これらの神々は偽りであって,その崇拝は無益なことを自ら認めなければなりません。
11 (イ)他のすべての神々に挑戦する権利を持つ神がありますか。なぜ?(ロ)その神の崇拝者は大ぜいいますか。
11 今日,神と呼ばれ,神として崇拝されるすべての神々にむかって,このように挑戦するひとりの神があります。この神が他のすべての神々にむかって挑戦するのは,なぜ正しいことですか。それは正しいことです。というのは西暦1世紀あるいはそれ以前にも,この神は今日の世界情勢を預言しその意味と原因を説明し,この時代の成行きと人類の前途にあるすばらしい将来を預言しているからです。今日,崇拝されているあらゆる神々の中で,この驚くべきことを成し遂げたのはこの神だけです。当然にこの挑戦は他のいわゆる神々を崇拝している人々の間に敵愾心をひき起こします。そこで過去におけると同じく,この神を崇拝する少数者は迫害を受け,宗教を持つ全部の人の数から見れば,この神の崇拝者は少数です。この少数者は今日全世界に1279万2800人を数えるユダヤ人ではありません。それはユダヤ人よりもはるかに少ない人々であり,自分たちの神の名を負っています。彼らは19世紀前すなわち西暦1世紀の神の真の選民の信仰を受け継いできました。この理由で彼らは当時用いられたと同じ名前で呼ばれています。
12,13 この神はご自身の崇拝者をどのように慰めますか。この神のみ名は何ですか。
12 他のあらゆる宗教の神々に挑戦する前に,彼らの神は預言者イザヤによって預言的に語り,迫害されたこの少数者を慰め,同時にご自身のみ名を明らかにされています。イザヤ書 43章1節から4節にあるその言葉を読みましょう。
13 「ヤコブよなんぢを創造せるエホバかくいひたまふ,イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ,おそるゝなかれ我なんぢを贖へり我なんぢの名をよべり汝はわが有なり,なんぢ水中をすぐるときは我ともにあらん,河の中を過ぐるときは水なんぢの上に溢れじ,なんぢ火中をゆくとき焚るゝことなく火焔も亦燃えつかじ 我はエホバなんぢの神イスラエルの聖者なんぢの救主なり,われエジプトをあたへてなんぢの贖代となし,エテオピアとセバとをなんぢに代ふ われみてなんぢを宝とし尊きものとし亦なんぢを愛す,この故にわれ人をもて汝にかへ民をなんぢの命にかへん」(文語)
14 イザヤ書 43章1-4節は最初だれにあてはまりましたか。どのように?
14 1948年,いわゆる聖地に建国を見たイスラエラル共和国は37世紀前のヘブル人の族長ヤコブの子孫ですが,それでもこの言葉をイスラエル共和国にあてはめることができません。預言者イザヤの時代にエホバ神のこの言葉はヤコブの子孫に文字通り適用され,つづく紀元前6世紀にヤコブの子孫の上に成就しました。というのはヤコブの子孫すなわちイスラエル人の生き残った人々が,長いバビロンの捕われから解放されたからです。エホバはイスラエルの残れる者をあがないました。そのことはクロス大王の建てた新興のペルシャ帝国の手によって,エジプト,エチオピア,セバが政治的に影響を受ける結果となりました。ついで救い主エホバはご自身の民の忠実な残れる者をパレスチナの故国に連れ戻すことをされました。彼らはあたかも水と火の中を通ったかの如く,河を渡り,炎暑の砂漠を横切って導かれたのです。
15 (イ)イエスは当時どんな変化の起きたことを示しましたか。その事はどのように明白に表わされましたか。(ロ)その後イザヤの預言的な言葉はだれにあてはまりましたか。なぜ?
15 しかし西暦1世紀にエホバの偉大な預言者イエス・キリストが指摘したように,ヤコブの子孫イスラエル人は不従順となり,エホバの預言者たちを受け入れなかったゆえに,その時まで自分たちの神であったエホバから退けられました。70年に聖都エルサレムが滅び,生き残った人々が地のはてに散らされたことは,生来のイスラエル人が捨てられたことを物語っています。同時にイエス・キリストが明らかにされたように,イザヤの預言的な言葉はイエスの忠実な追随者にこんど適用されるようになり,更に大きく高い,霊的な成就を見ることになりました。信仰のない,不忠実なイスラエル人すなわちユダヤ人にむかってイエス・キリストが言われた言葉は,この事を述べたものです。「汝らは神の国をとられ,其の果を結ぶ国人は,之を与へらるべし」。(マタイ 21:43,文語)神の国を与えられる新しい国民となるのは,イエス・キリストの忠実な追随者です。彼らは信仰の生活により,また全地の人々を祝福する神の国の福音を全世界に伝道することによって御国の実を結びます。
16 神と神の民との関係についていえば,だれがだれを創造しましたか。その事は何を証明しますか。
16 エホバ神に退けられる前,ヤコブすなわちイスラエルの国民について言えたと同じ事が,この新しい国民つまり天においてイエス・キリストと共に治め,地上の人類を祝福するために御国を与えられる国民についても言えます。彼らが心の中でエホバを神として造り出したのではありません。エホバが霊的な国民すなわち霊的なイスラエルすなわちヤコブとして彼らを造り出されたのです。彼らは神を造らず,神の姿を想像して像を作ることもしませんでした。エホバ神が彼らを霊的な国民に造り,イエス・キリストをその国民の王とされたのです。従ってエホバ神は偽りの神ではなく,人間の造った神ではありません。神または創造主であるエホバは彼らをお造りになりました。
再び集めることの必要
17 真の神を信ずる人々を再び集めることはなぜ必要でしたか。しかしどんな出来事のために,それは一時妨げられましたか。
17 イエス・キリストと12使徒の死後,イエスの忠実な追随者は迫害にあい,宗教家の圧迫を受けて散らされました。献身してバプテスマを受け,キリストの追随者となった人々の忠実な残れる者は,19世紀の後半,世界的な規模で結集するための努力をしました。しかし1914年第一次世界大戦の勃発と共に戦時中の愛国的な空気と非常態勢に乗じたキリスト教国の宗教指導者は,唯一の真の神としてエホバを崇拝したこれらのクリスチャンを圧迫し,抹殺できないまでも散らすことに成功しました。しかし神はご自身の崇拝者を再び集め,彼らを特別に用いてご自身の栄光を表わすことを何千年も前から約束されていたのです。イザヤ書の同じ章の中で神は言われました。
18 散らされたご自身の人々を再び集めることについて,この真の神は何か述べられていましたか。
18 「恐れるな,わたしはあなたと共におる。わたしは,あなたの子孫を東からこさせ,西からあなたを集める。わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い,南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ,わが娘らを地の果からこさせよ。すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し,これを造り,これを仕立てた」― イザヤ 43:5-7。
19 イエスは,この再び集められることについてご存知であったことを,どのように示しましたか。
19 イエス・キリストも,この世の組織制度の終りの預言の中で,再び集めることについて語りました。イエスはシオン主義者のユダヤ人をパレスチナに再び集めてイスラエル共和国を建てることを言われたのではなく,イエスの献身した追随者の忠実な残れる者についてこの事を言われたのです。イエスは次のように言われました,「天体は揺り動かされるであろう。そのとき,人の子のしるしが天に現われるであろう。またそのとき,地のすべての民族は嘆き,そして力と大いなる栄光とをもって,人の子が天の雲に乗って来るのを,人々は見るであろう。また,彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして,天のはてからはてに至るまで,四方からその選民を呼び集めるであろう」― マタイ 24:3,29-31。
20 ご自身の民を再び集めることに関して,エホバは約束を成就する神であることをどのようにお示しになりましたか。
20 このようにエホバ神はご自身のクリスチャンの崇拝者を再び集めることを紀元前8世紀の預言者イザヤによって預言し,更に1900年前,み子イエス・キリストの預言によってこれを強調されました。エホバ神はこの預言を成就されましたか。エホバは真の預言の神であることが立証されましたか。エホバはその約束をたがえず,その言葉を成就する忠実な全能者であることが証明されましたか。たしかにそうです! キリスト教国の宗教家の期待に反して,エホバは忠実な崇拝者の残れる者をバビロン的な捕われから解放し,彼らを再び集めて以前よりも強い絆で世界的に一致させました。キリスト教国の宗教家は大いにくやしがりましたが,第一次世界大戦のあいだ投獄されていた,残れる者のおもだった人々さえも釈放され,彼らを刑務所に送った偽りの告訴は取り下げられました。
21 再び集められた人々は,エホバに関して何を認識するようになりましたか。彼らはいま何を悟りましたか。
21 成就された預言の光は神のことば聖書を照らしました。エホバはこのことばによって残れる者を導き,残れる者はエホバのみ名の重要さと尊さをいっそう認識するようになりました。そして自分たちはイエスの名のための民ではなく,エホバのみ名を負う民であることを悟ったのです。むかしクリスチャンの弟子ヤコブもアモス書 9章11,12節にしるされたエホバの預言を適用したとき,このことを指摘しました。(使行 15:13-19)d 聖書の意味が明らかになるにつれて,残れる者はエホバのクリスチャン証者として奉仕しなければならないという事実をますます銘記しました。エホバはご自身の栄光のために聖霊によって彼らを創造し,霊的な子にならせました。残れる者は伝道するため,また天国においてイエス・キリストの共同相続者となるために聖霊によって油そゝがれています。エホバは仲保者イエス・キリストを通して彼らを新しい契約に入れ,霊的な国民を創造されました。エホバは彼らを地上に組織して神権的な組織としました。1919年に残れる者を解放して,その後の奉仕のために残れる者を再組織したエホバは,彼らにとって生ける神であることを証明されたのです。
22,23 (イ)エホバは彼らが何をしなかったことにその注意を喚起しましたか。(ロ)彼らが非とされたのはどんな事柄ですか。彼らは何に直面しますか。
22 それ以前において残れる者はエホバが自分たちの神であることをそれほど十分に,また明白に認識していませんでした。この点で彼らは霊的に盲目であり,つんぼであって,三位一体の神すなわち同等にして等しく永遠の三つの神から成るひとつの神を崇拝するキリスト教国と似ていました。見ることと聞くことにうとかったのは,彼らが長い間交わり,その中で圧迫され,捕われていたキリスト教国の影響のためでした。残れる者は「エホバの僕」として行動しなかったのです。イザヤ書の前の章(42:18-25)において,エホバはこの事に注意をひき,それが悲しむべき結果になることを彼らに告げられていました。
23 「みゝしひよ きけ めしひよ眼をそゝぎてみよ めしひはたれぞ,わが僕にあらずや,誰かわがつかはせる使者のごとき みゝしひ あらんや,誰かエホバの僕のごとき めしひ あらんや 汝おほくのことを見れども顧みず,耳をひらけども聞かざるなり エホバおのれ義なるがゆえに大にしてたふとき律法をたまふをよろこび給へり 然るにこの民は掠められ奪はれて,みな穴中にとらはれ獄のなかに閉こめらる,斯てその掠めらるゝを助くる者なく,その奪はれたるを償へといふ者なし なんぢのうち誰かこのことに耳をかたぶけん,たれか心をもちいて後のために之をきかん,ヤコブを奪はせし者は誰ぞ,かすむる者にイスラエルをわたしゝ者はたれぞ,是エホバにあらずや,われらエホバに罪をおかし,その道をあゆまず,その律法にしたがふことを好まざりき この故にエホバ烈しき怒を〔ヤコブに〕かたぶけ,猛きいくさをきたらせ,その烈しきこと火のごとく〔ヤコブの〕まはりにもゆれども彼しらず,その身に焚けせまれども心におかざりき」(文語)
証人を求める
24 (イ)エホバの民が奪われたことを,ある人はどのように見ますか。(ロ)従って何が必要ですか。
24 見ることと聞くことをせず,自分たちの神に従わなかった民がかすめられ,奪われるのを許したエホバは,彼らの神が神でないかあるいは弱い神であって,彼らを迫害し,かすめ,奪う者の神々のほうがエホバよりも強いかの印象を与えました。神の許しによって生じたこの間違った印象を正すときがきたのです。真の神はどの神かという論争を解決して,偽りの神々を沈黙させる時が来ました。法廷を開き,証人を喚問し,全宇宙わけても世界中の国々に傍聴させなさい。あらゆる神々の統一とすべての宗教を包括した崇拝の樹立を求めるかわりに,エホバは神として諸国家の崇拝を受けているすべての神が神であることを自ら証明せよと挑みます。
25,26 そこでエホバはご自身の民のために何をなさいましたか。この事はどのように預言的に述べられましたか。
25 献身した神の民がこの宇宙的な法廷において神の代表者となるため,エホバは1919年,バビロン的な宗教組織の捕われから彼らを解放し,霊的な意味で彼らの目と耳を開きました。その年は第一次世界大戦後はじめて,国際的なクリスチャン聖書研究生の大会が開かれた画期的な年です。地上においてエホバを代表する人々が解放されたいま,エホバ神は全地の諸国家を法廷に召喚します。かつて盲目であり,つんぼであったエホバの民は神々の論争において全世界の諸国家と直面しなければなりません。
26 20世紀のいま,この法廷を開くエホバのご命令は,2700年前の預言者イザヤによって預言的に述べられていました。「目があっても目しいのような民,耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。国々はみな相つどい,もろもろの民は集まれ。彼らのうち,だれがこの事を告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出して,おのれの正しい事を証明させ,それを聞いて『これは真実だ』と言わせよ」― イザヤ 43:8,9。
[脚注]
a ルシアス・フェラリスは宗教知識の百科事典を作りました。このすぐれた事典は次の名で呼ばれています。“Prompta Eibliotheca canonica,juridica,moralis,theologica,necnon ascetica,polemica,rubricistica,historica”
b マクリントック,ストロング百科事典第7巻,63頁,b。
c C・T・ラッセル著「時は近づけり」,310,311,316頁参照
d 1928年1月15日号The Watchtower19-25頁。
[333ページの図版]
神と呼ばれるものの一つ,インデラ