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「福音」の挑むものものみの塔 1963 | 5月1日
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を示し,またご自身の約束と目的に従ってこの国民の残れる者をバビロンから約束の地に連れ返しました。捕われの民イスラエルに,再び解放を告げる良いたよりがもたらされたのです。生来のイスラエルの残れる者は,独立した国民としてひとつの国を回復することはなくても,エホバの崇拝を復興するため,パレスチナに復帰しました。
18 イスラエル民族は,伝えられた「福音にふさわし」いことを証明しましたか。
18 昔のイスラエル国民は,エジプトでモーセにより伝えられた「福音にふさわし」いことを結局のところ証明しましたか。エホバの命ずることをすべて行なって真に神の民になると言明した先祖の約束を守りましたか。霊感によって書かれた記録を見ると,そうではありません。この国民がふさわしくないことは,約束されたメシヤ,イエスに対する態度を見ても明らかです。人々はイエスを受け入れず,イエスの杭上の死をはかりました。イエスは死の直前,この国民に裁きを宣告し,こう述べました,「ああ,エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど,めんどりが翼の下にそのひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに,おまえたちは応じようとしなかった。見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」― マタイ 23:37,38,新口。ルカ 23:18-25。使行 2:23。
19 (イ)忠実だった時のイスラエル人は,どんなに大きな特権を享受しましたか。(ロ)神が遂にこの民族をしりぞけたとき,神と人との交わりは終りましたか。
19 イスラエル人は,エホバの証者の国民となる特権に恵まれていました。(イザヤ 43:10-12)地上の他の国々にエホバのことを宣べ伝えるように命ぜられていたのではありません。しかしエホバに専心の奉仕と崇拝をささげるために選ばれた民でした。忠実だったとき,イスラエルのした真の崇拝と,イスラエルのためにエホバの行なわれた大いなるみわざによって,エホバのみ名は大いにあがめられました。しかしエホバの証者であるからには,真の崇拝を実践し,神との契約を守り,神の戒めを守らなければなりません。イスラエルの人々はこの事をしませんでした。そのために生来のイスラエルはエホバの恵みを失いました。律法は刑柱に釘づけにされ,律法契約はイエスに成就して終りとなりました。(コロサイ 2:14)しかしそれ以後,人間に対して神がなんのかかわりも持たないというわけではありません。キリスト・イエスを仲保者とする新しい契約が,生来のイスラエルとではなく,ふさわしい実を結び,キリストを王とする天の神の国にふさわしい行いをする国民との間に成立したからです。―ヘブル 8:6。マタイ 21:43。
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「福音」はエホバの御名を負う民を分けるものみの塔 1963 | 5月1日
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「福音」はエホバの御名を負う民を分ける
1,2 (イ)マタイ伝 21章43節において,イエスが言われたのはどの国ですか。(ロ)この国の王はどなたですか。何時全権力をもって支配し始めましたか。(ハ)この国は特定の民族に与えられますか。
「その果を結ぶ国人は,これ〔神の国〕を与えらるべし」。マタイ伝 21章43節にあるイエスの言葉に国人とあるのは,どの国民のことですか。また神の国とは何ですか。祝福されたこの国民は,特定の民族あるいは人種,また人間の建てた国の下に結合した人々ではありません。エホバ神はすべての国民の中から人々を選んで世とわかたれたひとつの民,「御名
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