神々のさばき
いまどんな大問題がさばかれていますか。だれがこの論争に関心を持ち,また関係していますか。
いまが神々のさばきの時である事をご存知でしたか。宇宙の大法廷には証人が喚問され,弁論が展開されています。たとえすべての論点を理解できないにしても,ほとんどすべての人がこの裁きに関心を持っています。また自分ではわからなくても,すべての人がこの問題に関係しています。すべての人がいずれかの側の証人です。争われているのは,救い難いように見える現在の窮状から人類を救い,正しい支配を実現する力を持ち,またそうする真の神があるかという問題です。
それぞれの証人を出す,どんな神々がありますか。
人々はそれぞれの神の証人となっており,世界を救うのは自分たちの神であると唱えています。大いなるバビロンすなわち世界の宗教の帝国,そしてバビロンの中でもとくにキリスト教国と呼ばれ,三位一体の神を代表する部分は,この論争に大きな関心を払っています。共産主義,科学,国家も,救い主と目されているものの一つです。またエホバの証者に注目しなければなりません。エホバの証者は最も活発に証言しているクリスチャンであり,真の神がエホバという名を持つこと,エホバが人類を救い,地に平和をもたらすことを述べています。また聖書がこの神とその目的を説明していること,この神は三位一体の神ではなく,ただひとり至上の地位を保つ宇宙の主権者であることを指摘しています。
このさばきにはどんな先例がありますか。この先例をしらべることから,どんな益が得られますか。
訴訟事件において,判事と弁護士はそれぞれ決定を下すために,判例とくに上級裁判所の判例を研究します。天からも注視されているこのさばきにおいて,私たちも判例を求めます。するときわめて決定的な判例が見出されます。そこには証人たちの証言,弁論,判決がしるされています。しかもそれは宇宙の最高法廷が下した判決なのです。そこでこの問題に直面して正しい立場をとることを望むならば,私たちはしらべることができます。推測したり,疑ったりする必要はありません。私たちは訴訟関係者,関連したすべての出来事,あらゆる証拠,弁論を徹底的に検討できるのです。そして今日の論争において提出されている論議,要因に対応するものを,すべてその中に見出すことができるでしょう。それによって私たちは問題点を知り,正しい立場をとることができます。この先例は,むかしイスラエルとバビロンとの間に起きた事の中に見られます。
(イ)この論争を記録するために,だれが用いられましたか。それは何時,記録されましたか。(ロ)イスラエル人は何の証人でしたか。しかし彼らは更に何を経験しますか。
このさばきの模様を知らせるために用いられたのは,およそ紀元前775年から732年までの間に預言し,イザヤ書を書いた預言者イザヤです。それより何世紀も前のイスラエル人は,エジプトにおいてエホバの施した大いなる救いを目撃しましたが,いま彼らはもっと大きな事柄の証人になろうとしていました。彼ら自身,神を見ることのできない,あるいは認めることのできない盲となり,神の戒めを聞いて守り行なうことのないつんぼであったために,不利なさばきを受け,散らされるでしょう。しかし神は御自身の栄光のために,彼らを再び集めます。(イザヤ 43:1-7)エホバの開く法廷において,彼らはエホバの証人となります。それに対して一方には,自分たちの造った神々をうしろだてにした諸国家がひかえています。このさばきにおいて万人の前に証明されねばならぬ論争点は,どの神が真の神かという事です。
この大論争の双方の側を述べなさい。
この裁判を傍聴することにしましょう。一方にはエホバの民イスラエル,他方には世界の諸国民がいます。法廷に提出される証拠,論議に耳を傾けましょう。
諸国民の神々にいどむ
エホバは何を挑みますか。それはだれに向けられていますか。
最初に語るのはエホバです。エホバは満員の法廷の吏員に命じます,「目があっても目しいのような民,耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。国々はみな相つどい,もろもろの民は集まれ。彼らのうち,だれがこの事を告げ,さきの事どもを,われわれに聞かせることができるか。その証人を出して,おのれの正しい事を証明させ,それを聞いて『これは真実だ』と言わせよ」。エホバはここで諸国民にではなく,諸国民の神々に挑戦のことばを向けています。―イザヤ 43:8,9。
(イ)世の諸国民に挑むエホバの言葉は,どんな答えを求めていますか。(ロ)諸国民には,彼らの神々の真実を証明するどんな機会がありますか。
世の諸国民は証人台に立ちます。彼らはさかんに論じ合います。問題は彼らに何ができるかという事ではありません。彼らの神々に何ができるかという事です。彼らは記録をしらべます。さきの事ども,すなわち将来の事を告げる力のある神がいますか。このような事の例をあげ得るならば,彼らはその神々がどこで,どのように将来を正確に預言したのか,その事実を述べる一人あるいはそれ以上の証人を見出したことになります。そして「これは真実だ」,我々の神々は真実を語り,真の神々であることを証明したと言えるでしょう。
(イ)諸国民は求められた証拠を提出しますか。(ロ)何が明らかとなりますか。
しかしながらエホバの挑戦を受けた世の神々の崇拝者たちの喧噪にもかかわらず,世の諸国民は論争点に関する限り,法廷で沈黙せざるを得ません。自分たちの神が生ける真の神であり,将来に関して正確な事を述べ,預言し得る神である証拠を提出できる者は,一人もありません。他方彼らの神々が無力であることを示す証拠はいくらでもあります。むかし神の預言者エリヤが,バアルの祭司を相手に行なった神々の争いはその例です。―列王上 18:21-40。
エホバの民イスラエルは,どんな責任を課せられていますか。
エホバは再び言葉を述べられ,ご自身の造られた民ヤコブすなわちイスラエルにむかって次のことを告げられます。それは神をめぐる宇宙的な論争において,彼らのはたすべき責任を明らかにしています。「エホバのたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,然ばなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神〔エール〕なく我よりのちにもあることなからんただ我のみ我はエホバなり,われの外にすくふ者あることなし われ前につげ,また救をほどこし,また此事をきかせたり,汝等の中には他神なかりき,なんぢらはわが証人なり,われは神〔エール〕なり,これエホバのたまへるなり」― イザヤ 43:10-12,文語
エホバは唯一の永遠の神
神々のよわいとエホバのよわいに関して,何が明らかとなりますか。
しかしエホバの民が答える前に,諸国民は彼らの神々の古さについて証言しなければなりません。諸国民はエホバを拒絶し,自ら神々を造りました。しかしエホバより前に造られた神は一つもありません。諸国民自体の存在さえ,ノアの時代の洪水以前にさかのぼるものではありません。エホバの証人はそれ以前にもいました。それはアダムの次男アベルにまでさかのぼるのです。そしてエホバは常に存在していました。エホバに初めはありません。―ヘブル 11:1-7; 12:1。詩 90:1,2。
(イ)エホバにまさる神が存在するかどうかにつき,イスラエルは何を証言できましたか。(ロ)イスラエル人は,救いに関して何を証言できましたか。
エホバの民イスラエルは,エホバがイザヤによって先に告げた言葉すなわち「われはエホバなり是わが名なり,我はわが栄光をほかの者に与えず,わがほまれを偶像にあたへざるなり」と,証言できます。(イザヤ 42:8,文語)それでエホバは,ご自身にまさるか,あるいは等しい神〔エール〕を造りませんでした。イスラエル人はまた,過去における救いがエホバの施された救いであることを証言できました。イスラエル人が他の神々を除いて,その中にあだし神のなかった時にのみ,エホバは彼らを救われたからです。それでバビロンは,神の言われた次の言葉の真実を経験するでしょう。イスラエル人はその事を知っていました。「今よりわれは主なり,わが手より救ひいだし得るものなし,われ行はば誰かとどむることを得んや」― イザヤ 43:13,文語。
エホバのみ,将来を知る
バビロンに捕われようとしていたイスラエル人が,バビロンに関して何を見るとエホバは言われましたか。
さてエホバは将来のことを告げ,預言を記録にとどめさせます。それでエホバの民は,後になってその事を証言できるでしょう。「なんぢらを贖ふものイスラエルの聖者エホバかく言ひ給ふ,なんぢらの為にわれ人をバビロンにつかはし彼処にあるカルデヤ人をことごとく下らせ,その宴楽の船にのりてのがれしむ われはエホバなんぢらの聖者イスラエルを創造せしもの又なんぢらの王なり」― イザヤ 43:14,15,文語。
カルデヤ人の舟に関して,イザヤ書 43章14,15節を説明しなさい。
バビロニア人は産業と商業に従事し,海と陸において広く交易を営みました。エットの商業史第11章によれば,バビロンは3000そうのガレー船を擁していたと言われます。またバビロンの水路には,バビロニアの神々の用に供する舟が浮かべられていました。神がご自身の民を解放するとき,これらの舟はくつがえされてしまいます。神はその民をパレスチナの故郷に連れ戻すでしょう。そして彼らは新しい事柄を証しすることができ,また自分たちのとがと罪を神から許された証拠を得ます。―イザヤ 43:16-28。
バビロンからの救いは,贖われ,救われた人々の心に何を起こさせますか。
この救いと復帰が実現するとき,彼らはエホバの民と公にとなえられる事を喜ぶでしょう。エホバの言葉はそれを示しています。「わが僕ヤコブよ……今きけなんぢを創造しなんぢを胎内につくり又なんぢを助くるエホバかくいひたまふ,わがしもベヤコブよ……おそるるなかれ われ……わが霊をなんぢの子らにそそぎ,わが恩恵をなんぢのすえにあたふべければなり かくてかれらは草のなかにて……生えそだつべし ある人はいふ我はエホバのものなりと,ある人はヤコブの名をとなへん,ある人はエホバのものなりと手にしるしてイスラエルの名をなのらん」― イザヤ 44:1-5,文語。
エホバは諸国民に対し,更にどのように強く挑みますか。
この法廷において,おもに語っているのはエホバです。それはなぜですか。諸国民は発言を求められても,答えることができないからです。エホバは彼らの答えをうながすため,いっそう強く挑みます。「エホバ イスラエルの王イスラエルをあがなふもの万軍のエホバかくいひたまふ,われは始なりわれは終なり,われの外に神〔エローヒーム〕あることなし 我いにしへの民をまうけしより以来たれか我の如く後事を示し又つげ又わが前にいひつらねんや,試みに成らんとすることを告げよ」。
諸国民はエホバの挑戦にどう答えますか。
しかし諸国民はこれに答えられません。
エホバはいまその民をどのように強めますか。
この事から,エホバの民はエホバとその主権をますます大胆に証しする勇気を得なければなりません。エホバのことばは次のように励ましています。「なんぢらおそるるなかれをののくなかれ 我いにしへより聞せたるにあらずや告しにあらずや,なんぢらはわが証人なり,我のほか神〔エローア〕あらんや,我のほかには磐あらず,われその一つだに知ることなし」― イザヤ 44:6-8,文語。
世の神々の崇拝者は恥をこうむる
諸国民はなぜその神々を立証できませんか。
諸国民の神々の証者は,エホバとそのことばを捨てました。そこで自分たちの神々を正当化する言葉を述べなければなりません。ところが困ったことに,その神々は彼ら自身の造った神なのです。崇拝者は自ら造ったその神に等しく無力であり,自分たちの神々の神たる証拠を見出すことができません。それで彼らは恥をこうむります。彼らはなぜ窮状に陥っていますか。エホバのことばはその理由を説明しています。「偶像をつくる者はみな空しく……その証をする者は見ることなく知ることなし,かかるが故に恥をうくべし たれか神をつくり又えきなき偶像を鋳たりしや視よその伴侶はみなはぢん……かれら皆あっまりて立ときはおそれてもろともに恥るなるべし」― イザヤ 44:9-11,文語。
世の神々の証人は遂にどんな事態に立ち至りますか。エホバはご自身の民に何を告げますか。
諸国民の証人は,法廷にあって呆然と無言で立ちつくすのみです。これ以上彼らに証言を求めても無駄です。そこでエホバはご自身の証人に発言をうながし,罪を許された神の民が間もなくバビロンから解放されることを告げる神の言葉に歓喜せよと,天地に命じます。「ヤコブよイスラエルよ此等のことを心にとめよ,汝はわが僕なり我なんぢを造れりなんぢわが僕なり,イスラエルよ我はなんぢを忘れじ 我なんぢのとがを雲のごとくに消し,なんぢの罪を霧の如くにちらせり,なんぢ我にかへれ我なんぢを贖ひたればなり」。
エホバはどの程度までその民の罪を許すことを約束していますか。その事は天と地に何を起こしますか。
雲が視界をさえぎったごとく,神はご自身の民のとがをかくし,その罪を許しました。そこで神の言葉は次のように述べています,「天ようたうたヘエホバこのことを成たまへり,下なる地よよばはれ,……エホバはヤコブを贖へり,イスラエルのうちに栄光をあらはし給はん」― イザヤ 44:21-23,文語。
エホバはどんな予見によって,さばきの最高潮をもたらしますか。その目的は何ですか。
さてエホバは力強い預言によってこの裁きの最高潮とし,ご自身が唯一の真の神であることを示します。エホバは次のことを預言されました,「なんぢを贖ひなんぢを胎内につくれるエホバかく言ひ給ふ,われはエホバなり,われよろずのものを創造し,ただ我のみ天をのべみづから地をひらき,いつはる者の予兆をむなしくし卜者をくるはせ,智者をうしろに退けてその知識をおろかならしむ我わが僕のことばを遂げしめ,わが使者のはかりごとを成らしめ,エルサレムについては民また住はんといひ,ユダのもろもろの邑については重ねて建らるべし我そのあれすたるところをもとに復さんといふ また淵に命ず,かわけ我なんぢのもろもろの川をほさんと」― イザヤ 44:24-27,文語。
エホバとその証人は立証される
(イ)それぞれの側の証人の立場はどんなものですか。(ロ)エルサレムとバビロンに関してイザヤ 44章26,27節にしるされた神のことばは,どのように成就しますか。
エホバの民に対して不吉な事柄を預言した占い師,星占い,政治予見者(とくにバビロンの予見者)は,偽りを語る愚か者である事がエホバによって暴露されました。しかしエホバはイザヤ,エレミヤなど,ご自身のしもべ,預言者また証人の真実を立証しました。エホバはこれらの預言者が霊感によって語った言葉を成就させたからです。70年のあいだ住む人のない荒地となったユダとエルサレムでさえも,エホバの命によって再建されるでしょう。城壁の町バビロンの主要な守りであった「淵」すなわちユフラテ河はどうなりますか。それは干上ったかの如くなります。ユフラテ河に水をそそぐ支流も,役には立ちません。バビロンは倒れます。
今日の事実は何を示していますか。それは裁きに関して何を証明していますか。
事実は預言を立証しています。第三世界強国となったバビロンは,もはやありません。では昔からの論争に対して,最高法廷はどんな判決を下しましたか。エホバのみが,ご自身の預言を成就させる,唯一の真の神であるという事です。この事については更にくわしく記録をしらべ,歴史がエホバ神の真実を立証しているのを知ることができます。a
各人はどんな質問に直面しなければなりませんか。どんな結果が待たれますか。
記録を検討してのち,問題は私たち一人一人がどんな立場をとるかという事です。私たちはいずれかの側の証人になることができ,またならねばなりません。いずれの側を選ぶかによって,私たち自身の将来が決まります。バビロンとご自分の民に関連して,神はご自身を立証されましたが,論争は今日いっそう大きな規模でつづいており,解決を迫られています。この争いにおいて,大いないバビロンは,神の敵対者として地上最大のものです。私たちは大いなるバビロンの神々の証人となり,偽りの証人,おろか者となりますか。むかし神の民イスラエルに与えられた神の律法は,神について偽りを語り,神を汚す証人を死に定めていました。私たちは事実を検討してのち,正しい選択をしてエホバの真の証人となりますか。そうするならば,神は私たちをあがないます。神は私たちを救って生命を与える力を持ち,また喜んでそうして下さるでしょう。最高の法廷が開かれています。さばき主エホバは,すべての人の証言を求めます。どっちつかずの立場をとることはできません。私たちはエホバの側にはっきり立つか,それとも明白にか暗黙のうちにかこの世の神々の側に立つか,そのいずれかです。あなたは自由に選ぶことができます。そしてその決定が生死のわかれ目になる事を知らなければなりません。
[脚注]
a 詳しくは,ニューヨーク市ブルックリンのものみの塔聖書冊子協会発行の本,「大いなるバビロンは倒れた。神の国は支配する」をごらん下さい。