不信仰な者にのぞむ神のさばき
「見よ〔エホバ〕は無数の聖徒たちを率いてこられた。それはすべての者にさばきを行うためであり,また,不信心な者が,信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと,さらに,不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」― ユダ 14,15〔新世〕
1,2 多くの人はどんなことを考えるのを好みませんか。この点にかんしてある国会議員は,人間の裁判所についてなんと言いましたか。
多くの人は宇宙の最高法廷つまり人間の最高裁判所より高い法廷のあることを知らされるのを好みません。そういう人たちは,次の事実,すなわち人間は身分のいかんを問わずみな,全人類をさばく最高の審判者である全能の神,「全地をさばく者」であられるエホバ神を尊敬しなければならない,ということを正視したくないのです。(創世 18:25)また,「あなたは国のうちに貧しい者をしえたげ,公道と正義を曲げることのあるのを見ても,その事を怪しんではならない。それは位の高い人よりも,さらに高い者があって,その人をうかがうからである。そしてそれらよりもなお高い者がある」と聖書に書かれているように,もし不信仰な行ないをすれば,この宇宙のさばき主が見ておられる,というふうに考えるのを好まない人も少なくないでしょう。―伝道 5:8。
2 たしかに一般の人々は,この事物の制度の中で,どんなに高い司法上,政治上の地位にいる高官よりも高い審判者がいて,私たちすべてを見ておられるということを知らされるのを喜びません。1963年11月13日のニューヨーク・タイムス紙が伝えた,アメリカの国会議員の言葉は,この点に関連して興味深いものがあります。アメリカでは教会と国家は分離しています。合衆国最高裁判所の首席判事は,その世俗の裁判所の判事席の上方に,「われわれは神を信ずる」という文を刻んではどうかとの提案を拒否しました。エホバの証人はその法廷で何十回も勝利を得ました。その宗教的な銘文をかかげることをすすめる議案の提出者であった国会議員R・T・アシュモアは,その裁判所の決定について次のように述べました。「首席判事の手紙の論調をみると,最高裁判所は,アメリカ合衆国の最高裁判所より高い権威があるという事実をあからさまにされることを懸念しているようである」。しかし,神が最高の審判者であることを思い出すために,そのことを書いて頭上にかかげる必要はありません。
3 不信仰な人々はどんな態度をとりますか。そしてどんな結果を招きますか。
3 もし一般の人間が「全地をさばく者」を敬うように言われて喜ばないなら,不信仰な者が,最高の審判者を敬わねばならない,ということを聞くのをとりわけ好まないのは理解できます。そのような人々は,利己的な理由から,審判者の正しいさばきを無視し,嘲笑します。しかし彼らはわざわいです。すべての不信仰な者にのぞむ神のさばきが近づいているからです。
4 ユダの手紙には警告となるどんな忠告が強調されていますか。
4 このことは,イエス・キリストの弟子ユダが,真の信仰のためにきびしい戦いをすること,とくに不信仰な人々の頽廃的な影響を退けることをクリスチャンに勧めた手紙の中で強調されています。ユダは,不信仰な者が肉を汚そうとして神の会衆にしのびこむことを警告しました。しかし手紙の最初の7節では,不忠実で反逆的なイスラエル,天にあった最初の居所を捨てた天使たち,激しい滅びを受け,はなはだしく堕落していたソドムとゴモラの住民などにのぞんだ,エホバ神のさばきによって,そのような不信仰な者たちの運命がずっと昔に予告されていたことを,霊感によって警告しています。彼らが,宇宙の最高法廷を侮辱したために受けた罰は,現在,最高の審判者に敬意を示さない人々すべてに対する警告にほかなりません。
権威ある者を軽んじ,尊い者をののしる
5 (イ)8節でユダはなんと述べていますか。(ロ)ユダが述べている人々は,どんな意味で「夢に迷わされて」いますか。それからどんな結果が生じますか。
5 しかしこの神の警告にもかかわらず,ある者たちは,神の組織の中でも罰を受けずに肉を汚すことができると考え,官能の夢の世界に住んで,その警告を無視するであろう,とユダは述べています。彼はこう書いています。「これらの人人は,夢に迷わされて肉を汚し,権威ある者たちを軽んじ,栄光ある者たちをそしっている」。(ユダ 8)そういう不信仰な,夢見る者たちは,悪人に対する神のご処置について聖書の教えを無視できると考えます。彼らはコリント前書 6章18節にしるされている,「不品行を避けなさい」という最高の審判者の命令を意に介しません。むしろ不品行の機会をうかがいます。罰せられないでうまくやり遂げられると考えるのです。しかしそのような考えは夢にすぎません。それは非現実的であり,致命的です。その肉体的な快楽の夢は,最高の審判者から不利の宣告を受けるとき,激しく打ち破られるでしょう。彼らが敬わなかった審判者は,彼らが情欲をほしいままにできる夢の世界に住んでいないことを彼らに知らせます。そのとき彼らはゆめからさめて,予告されていた審判者のさばきが自分に執行されていることを悟るでしょう。
6 彼らの不信仰な行ないを明らかにし,そのような人々が予告されていたさばきに値する者であることを示すものはなんですか。
6 この不道徳な夢見る者たちが,そのようなさばきに値することは,彼らが権威のある者を軽んじ,栄光ある者をののしることからもわかります。彼らは,宇宙の主権者であられるエホバ神と,「王の王,主の主」であるエホバの愛するみ子を無視します。(黙示 19:16)宇宙最高の権威をさえ無視するのですから,彼らが栄光ある者たちをののしることは予期されます。
7 (イ)「栄光ある者たち」とはだれですか。(ロ)ユダが警告した人々は,エホバからの栄光を尊敬しないことをどのように示しますか。
7 この「栄光ある者たち」とはだれのことですか。それは,エホバ神および主の主イエス・キリストから栄光を受ける人たちに違いありません。イザヤ書 60章1,2節によると,エホバの「栄光」は,霊的イスラエルの残れる者,すなわち油そそがれたクリスチャンに与えられます。「エホバの栄光」が彼らのうえに照りいでたため,彼らは起き,全世界で御国の福音の光を放っています。(マタイ 24:14)神がみ子をとおして彼らに与えられた栄光のゆえに,彼らは敬われねばなりません。イエス・キリストはこのことを指摘し,油そそがれたご自分の弟子たちについて「わたしは,あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました」と言われました。(ヨハネ 17:22)たしかに,監督として奉仕する油そそがれた残れる者は,特別の栄光と名誉を与えられており,「二倍の尊敬」を受けるにふさわしい人々です。(テモテ前 5:17)現在,「他の羊」の「大ぜいの群衆」の中にも,残れる者すなわち「忠実にしてさといどれい」を代表し,監督として奉仕している人がたくさんいますが,そのような監督も,油そそがれた残れる者の代表として占めるその地位のゆえに,神から栄光を受けます。彼らも,正当な敬意をもって扱われねばなりません。(マタイ 24:45-47)神の民は,油そそがれた残れる者,および「忠実にしてさといどれい」がエホバの証人の会衆のうえに立てたすべての監督に協力し,彼らを尊敬します。それは正しいことです。しかし,エホバの主権を軽んじ,肉を汚す夢見る者たちは,エホバからの栄光を敬いません。彼らは,その栄光を身にまとう者,とくに,偉大な審判者エホバから責任のある地位を与えられた名誉ある人々をそしります。彼らは,使徒ヨハネの手紙に出てくるデオテレペスのように,「栄光ある者たち」を口ぎたなくののしります。―ヨハネ第三書 9,10。
8,9 (イ)なぜユダは,彼が警告した者たちと,ミカエルの心の態度とを比較していますか。(ロ)悪魔がモーセの死体をめぐって争った目的はどこにありましたか。ミカエルは柔和さと同時に力をどのようにあらわしましたか。
8 次にユダは,これらの不敬な夢見る者たちの態度と,人間になるまえにミカエルとして存在していたときのイエス・キリストの態度とを対照させます。「御使のかしらミカエルは,モーセの死体について悪魔と論じ争った時,相手をののしりさばくことはあえてせず,ただ『〔エホバ〕がおまえを戒めて下さるように』と言っただけであった。しかし,この人々は自分が知りもしないことをそしり,また,分別のない動物のように,ただ本能的な知識にあやまられて,自らの滅亡を招いている」― ユダ 9,10,〔新世〕
9 そういう夢見る者は,神のしもべをののしり,神のみ子でさえ,モーセの死体について悪魔と論じ争った時,口にされなかったような無礼なことを言います。モーセはネボ山のピスガで死にました。悪魔はモーセの死体を得ようとしました。サタンが,遺物を崇拝する傾向が人間にあるのを知っていて,モーセの死体を中心に新しい宗派を起こし,神の民を堕落させようとしていたことは疑いありません。ミカエルは,悪魔に抵抗したとき,悪魔が明らかに神からの栄光をもつものでなかったにもかかわらず,彼をののしりませんでした。神のご予定の時でないのに,それに先走るような行ないをしなかったのです。むしろ彼は,偉大な審判者に敬意を払い,サタンを戒める権利がその審判者にあることを示しました。彼はけんそんな態度で,「〔エホバ〕がおまえを戒めて下さるように」と言いました。言葉はおだやかでしたが,ミカエルはモーセの死体を相手に得させず,聖書に示されるとおりそれを埋めて悪魔に勝ち,力を示されました。―申命 34:5,6。
10 警告されている者たちと,ミカエルや聖なる天使たちとは,どのように違いますか。
10 しかし,神の組織の中で肉を汚す不信仰な者たちは,ミカエルよりはるかに劣る者でありながら,「栄光ある者たち」をあえてそしります。ミカエルと聖なる天使たちはそしりません。それで使徒ペテロは,その相違を次のように示しています。「こういう人々は,大胆不敵なわがまま者であって,栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。しかし,御使たちは,勢いにおいても力においても,彼らにまさっているにかかわらず,彼らを〔エホバ〕のみまえに訴えそしることはしない」。(ペテロ後 2:10,11。〔新世〕)そういう人たちは,非礼な行ないにより,思慮のないこと,また肉欲に負けていることをあらわします。彼らは,捕えられ,ほふられるために生まれてきた,理性のない動物のようになります。動物は死から復活しません。不信仰な人々はみなその種の滅びを受けます。―ペテロ後 2:12,13。
カイン,バラム,コラのように
11 次にユダは,不信仰な夢見る者たちをどのように昔の名ある者たちにたとえていますか。
11 それからユダは,肉を汚す夢見る者を,最高の審判者を尊敬しなかった,人間家族の中の名ある者たちにたとえています。「彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き,利のためにバラムの惑わしに迷い入り,コラのような反逆をして滅んでしまうのである」。―ユダ 11。
12 (イ)カインはどんな道を歩みましたか。そのためどんな結果になりましたか。(ロ)予告されていた不信仰な者たちは,なぜカインのようだと言えますか。
12 人間家族の長兄カインは,神がアベルの正しい崇拝を是認されたのを見ました。カインは純粋な動機をもってアベルの正しい崇拝にならうどころか,アベルを憎み,殺してしまいました。神はカインが苦しみに向かって進んでいることを警告されましたが,カインはそれを無視しました。(創世 4:6,7)この反抗的な行為は,カインが宇宙の最高の審判者を尊敬していなかったことを示します。カインの動機が悪かったのと同じく,神のいつくしみを放縦な行ないの口実とする人々の動機も間違っています。永遠の滅亡のみに通ずる道に他の人を引っぱる彼らは,殺人の罪をもつ点でカインに似ています。(ヨハネ第一書 3:12)エホバはカインをのろわれました。そしてカインの子孫は洪水の時ぬぐい去られました。カインの道を行く人たちはわざわいです。彼らに負けてはなりません。彼らを退けなさい!
13 (イ)悪魔は,モーセの時代のイスラエル人を堕落させるためにだれを用いましたか。どのように?(ロ)バラムにどんなことが起こりましたか。それで彼と同じ行ないをする人はどうなりますか。
13 昔住んでいた別の悪名高い男はバラムです。悪魔は,イスラエルが荒野にいたとき,彼らを堕落させるためにバラムを使いました。バラムの家は,ペオルにありました。碑文はこの町が,ユフラテ川の上流地方にあったことを示しています。a バラムはその土地の預言者で,イスラエルの神エホバを認めていました。しかし彼はモーセとは似ても似つかぬ預言者でした。モーセは神の民を愛しましたが,バラムは彼らに対しても,神が彼らに与えられた栄光に対しても,敬う心をもちませんでした。モアブの王バラクが,バラムを雇うためにメソポタミアに使いを送り,来て,バビロニアの魔術によりエホバの民をのろって下さい,と言ったとき,バラムはきっぱり断わりませんでした。そしてより多くの報酬をすすめられたときついに譲歩し,イスラエルをのろうために出かけました。そのようにして彼は,軽率にも間違った道に陥りました。彼は3回イスラエルをのろおうとしましたが,エホバはそのたびにのろいを祝福に変え,「ヤコブには魔術がなく,イスラエルには占いがない」ことを明らかにされました。バラムは心をこめてその祝福の言葉を述べたのではありません。イスラエルをのろうことに失敗した彼は,バラクに次のことを提案して,神の民を堕落させようとしました。それは,もしイスラエルを偽りの宗教に誘惑し,モアブの女たちと淫行をさせ,肉欲におぼれさせるなら,神は自分の民でものろうであろう,ということでした。この悪い助言はいれられました。モアブの平野のシッテムで,2万4000人のイスラエルが,その放縦な行ないのゆえに,疫病によって殺されました。(民数 25:1-9。黙示 2:14)私欲のためにはイスラエルをのろうこと,堕落させることをいとわなかったバラムは,彼がのろおうとした人々の手にかかって非業の死をとげました。(民数 31:8)バラムのような人々はわざわいです。淫行や肉欲をほしいままにして,神の民をひとりでも堕落させる人はわざわいです。―民数 22:1–24:25。申命 23:3-5。
14 コラはどんな人でしたか。なぜ見せしめになりますか。
14 コラも代表的な悪人でした。彼の悲惨な最後は見せしめになっています。彼はレビ人で,立派な奉仕の特権をもっていましたが,それに満足せず,もっと大きな栄誉を望みました。コラは,モーセと大祭司アロンに反逆し,ルベンの支族のおも立った者もその反逆に加わらせ,エホバの任命に挑戦しました。コラとそれらのルベン人はエジプトから救い出されたにもかかわらず,約束の地にはいることができませんでした。彼らも非業の死をとげました。地が口を開いてある者たちを生き埋めにし,他の者たちは火で滅ぼされました。それはエホバ神のさばきのわざでした。(民数 16:1-35; 26:10)神の神権的な取り決めに反逆する人々はわざわいです。
15 そこでユダはクリスチャンにどんな警告を与え,何をすることをすすめていますか。
15 そこでユダは,クリスチャンの間に,カインやバラム,コラのような人間がいるかもしれないことを警告します。彼らによって予表された人々は,予告された滅びをのがれることはできません。「彼らはわざわいである」。それでこれは,今日でも,同様の精神の者たちが神の組織に潜入しようとするであろう,という警告です。私たちは,信仰のために力をつくして戦い彼らを退けねばなりません。
肉を汚す者の欺まん的な外見
16 肉を汚すおそれのある人々が欺まん的であることにつき,ユダはどのように述べていますか。
16 ユダは,クリスチャンにいっそうの注意を促すため,それら獣のような人々について次のように述べます。「彼らは汝らと共に宴席にあづかり,その愛餐の暗礁たり,憚らずして自己をやしなふ牧者,風におはるる水なき雲,枯れてまたかれ,根より抜かれたる果なき秋の木,おのが恥を湧き出し海のあらき波,さまよふ星なり。彼らのために暗き闇,とこしへに蓄へ置かれたり」。―ユダ 12,13,文語。
17 どんなふりをし,どんな動機をもつゆえに,悪魔の手先は荒い岩のようですか。それで警戒を怠るとどんな結果になりますか。
17 神の清い組織にしのびこむこれら悪魔の手先は,いかにも兄弟を愛しているかのようにふるまいます。ですから彼らは,船を難破させる,水中にかくれた荒い岩のようです。「信仰のために戦」って明らかな良心を保たないかぎり,そういう人々は,心の定まらない者を「信仰の破船に会」わせるでしょう。(テモテ前 1:19)ユダの時代に肉を汚そうとした者たちは,不純な動機をもって愛餐に加わりました。しかし使徒の記録に見られないこの愛餐は廃止され,昔の形では存在しません。今日の神の民は,巡回大会,地域大会,全国大会,国際大会などの霊的な宴に集まります。ところがその大会においてさえ悪魔は,肉を汚す手先を潜入させようとします。それは油断している,心の定まらない者を捕え,不品行によって破船させるためです。ゆえに警戒が必要です。
18 このような人々が,(イ)牧者,(ロ)雲,(ハ)木,(ニ)波(ホ)星に関連して述べられているのはなぜですか。
18 ユダはなんと適切な言葉を使って,これらの欺まん的によそおう不信仰の人々を描写しているのでしょう。彼らは,自分の肉欲を満たすことにのみ興味をもち,群れの世話をしない牧者のようです。彼らは思わせぶりな雲のようです。農夫はその雲が,待ちうけていた雨を降らせるものと思います。しかしその雲には水がなく,必要な水分を落とすこともせず,風に追い払われてしまいます。作物の実りをふやすのには役立ちません。そのような人々は,神の御霊の実がないので,実のならない木のようです。彼らは神の栄光となる実を結びません。ですから望みのないものとして,根から抜かれて永久に捨てられた,パレスチナの木と同じに扱われねばなりません。そのような人は,神の御霊をもたないために泥やごみをかきたてる海の荒い波のように放らつです。そのような人は,聖書をら針盤として着実な道を歩むことをしないので,定まった道のない,まよう星のようです。神の御国の中に,彼らのための輝かしい場所はもうけられていません。彼らの最後は,永久の「まっくらなやみ」であるとユダは述べています。
19,20 (イ)エノクは不信仰な者の最後をどのように預言しましたか。(ロ)私たちはエノクの預言から必ずどんな結論に達しますか。神は不信仰な者の不信仰な行ないをどのように責められますか。
19 エノクがずっと昔に預言したのは,そのような不忠実な人々,最高の審判者を尊敬しない者のことでした。「アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った,『見よ,〔エホバ〕は無数の聖徒たちを率いてこられた。それは,すべての者にさばきを行うためであり,また,不信心な者が,信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと,さらに,不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである』」― ユダ 14,15,〔新世〕
20 最高の審判者のことを悪く言う者に神のさばきがあることを最初に預言したのは,アダムから数えて7代目のエノクでした。エノクは,不信仰な者すべてにのぞむ,神のさばきについて預言する特権を得ました。エノクの預言がヘブル語聖書以外のものによって,何世紀も伝えられてきたいきさつについて,聖書は何も語っていません。しかし,その預言は,エホバ神がユダを霊感して聖書を書かせた時,はじめて聖書にはあらわれました。エノクの預言によると,そのような不信仰な人のさばきは,大いなるバビロンの滅びと,ハルマゲドンの戦いの時にしかないようです。それは,神の無数の聖徒によって断ち滅ぼされる永遠の滅亡です。その刑執行のわざを指揮する聖なるかたは,主イエス・キリストです。(黙示 18:1-24; 19:11-16)さばきが行なわれる日は近づいています。エホバは不信仰な人々の出現を許されます。そのようにしてエホバは,エホバの御名と御国に反する彼らの不信仰な行ないを有罪とされるのです。
不平をならべ,不満を鳴らす者
21 ユダが警告したこれらの人はどのように語りますか。ですから彼らの動機はどんなものですか。
21 これらの不信仰な人々は「暴言」をはきます。ユダがつづけて次のように書いているのも不思議ではありません。「彼らは不平をならべ,不満を鳴らす者であり,自分の欲のままに生活し,その口は大言をはき,利のために人にへつらう者である」(ユダ 16)心から神に献身していないために,神の組織全体に対して不平をならべます。彼らは自分の境遇に満足していません。もし自分の思いどおりにならなければ,汚い,失礼な言葉を使って不満を鳴らします。コラと同じく目だつ地位を求めるのです。彼らはえらそうにふるまい,尊大な口調で自分の意見を語るのを好みます。そして特定の人に目をつけ,その人たちを利用する目的で親しくし,おせじを言います。彼らの目的は,自己を発展させることです。彼らは心から審判者を尊敬しているのではありません。そのために滅びの宣告を受けます。
22 (イ)ユダは使徒のどんな警告をクリスチャンに思い出させますか。(ロ)それで予告されていた人々は,神の民の中でどんなことをしようとしますか。
22 ゆえに,不信仰な罪人がエホバの組織内の人を堕落させよう,あるいは神とその組織に対する愛を失わせようとしても,驚くにはあたりません。ユダはこう言っています。「愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。彼らはあなたがたにこう言った。『終りの時に,あざける者たちがあらわれて,自分の不信心な欲のままに生活するであろう』彼らは分派をつくる者,肉に属する者,御霊を持たない者たちである」。(ユダ 17-19)ユダは,欲にかられた者,私たちを神の愛から連れ去ろうとする者の出現が使徒たちによって預言されていたことを指摘します。ペテロは「終りの時」のためにそのような警鐘を鳴らした使徒のひとりでした。(ペテロ後 3:1-4)神が全世界で一致させるわざを推進される一方,それらのあざける者たちは神の民を分裂させるわざを行なっています。御霊を持たないために,神の御国に奉仕する熱意がなく,争いを引き起こすおしゃべりに力を費やします。
神の愛の中に自らを保つ
23 (イ)ユダはクリスチャンにどんな忠告を与えていますか。(ロ)どうすれば,神の愛の中に自らを保つことができますか。
23 では,神の忠実な証人はどんな道を歩むべきですか。ユダは次のように答えます。「しかし,愛する者たちよ。あなたがたは,最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ,聖霊によって祈り,神の愛の中に自らを保ち,永遠のいのちを目あてとして,わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい」。(ユダ 20,21)ユダは冒頭で,神のあわれみと平安があるように,と祈っています。この祈りがエホバの民のうえに成就するためには,彼らは全能の神の愛の中に自らを保たねばなりません。どのようにしてそれをしますか。神の聖なる言葉を熱心に勉強し,会衆の神権宣教学校と一致して規則正しく聖書を読みます。すべての集会に出席します。他の人が,神の立てられる清く正しい新秩序について学ぶのを助けることにより,神のみことばをいっそう深く心に刻みます。神の御霊の実をますます多く結ぶための努力をやめてはなりません。私たちのうえにより多くの聖霊がそそがれることをも含めて,神のみこころにそった事柄を,「聖霊によって」祈り求めます。このようにして神の愛の中に自らを保つなら,あわれみと平安と愛が,イエス・キリストをとおして増し加えられることは間違いありません。私たちが,御国の福音を伝道するわざを成し遂げ,大いなるバビロンからより多くの人を解放するためには,それが必要です。私たちにはまた神のあわれみが必要です。それで,命の危うい他の人々に対しても,あわれみ深くなければなりません。
24,25 (イ)どんな人にあわれみを示すべきですか。それで私たちはだれとだれの区別を知らねばなりませんか。(ロ)彼らにどのようにあわれみを示しままか。またユダはぐずぐずしている時間のないことをどのように示していますか。
24 そこでユダはこう書いています。「疑いをいだく人々があれば,彼らをあわれみ,火の中から引き出して救ってやりなさい。また,そのほかの人たちを,おそれの心をもってあわれみなさい。しかし,肉に汚れた者に対しては,その下着さえも忌みきらいなさい」。(ユダ 22,23)そのためには,神のあわれみに値する人々と,ソドムの火による滅亡によって予表された,罪に定められた獣のような夢見る者との区別を知らねばなりません。そのような人々は,不平をならべて,心の定まらない人に,これはほんとうにエホバの組織だろうか,という疑問をもたせます。疑う人々は,それら不平を言う人々の大言にひどく心を動かされ,エホバの民の集会に出席しなくなるかもしれません。したがってユダは,そのような迷い,疑う人々をあわれむように,と忠告しています。彼らを無視してはなりません。彼らの信仰を築くように,忍耐をもって努力します。しかし私たちは機敏に行動しなければなりません。ちょうど消防夫が,危険にさらされている人を燃えている建物からすばやく救い出すのと同じく,私たちもそのような人を『火の中からすばやく救い』出さねばなりません。
25 なかには,不品行な夢見る者の誘惑に負け,真のクリスチャンとしての身分を汚した人がいるかも知れません。(ペテロ後 2:18)しかし私たちは,汚れた下着をいといながらも,そういう衣服をまとう人をあわれみ,その人が霊的に健康な状態を取り戻すように助けなければなりません。
26 (イ)人を助ける時も,私たちは何をしなければなりませんか。(ロ)祈りに近いユダの言葉は,つまずきを避ける道をどのように示していますか。(ハ)不信仰な人々の予告されていた運命と,神の愛の中にとどまる人の特権とを比較しなさい。
26 ほかの人が信仰を築き上げるのを助ける間も,私たちは,不平をこぼす不信仰な人,分裂を起こすおそれのある人,神のいつくしみを変えて,会衆内で放縦な行いをするための口実とする人などをすべて退け,「信仰のための戦い」をつづけなければなりません。この戦いをどこまでもつづけるとき,私たちはエホバが私たちをつまずかないように守って下さることを確信します。エホバに栄光がありますように。「あなたがたを守ってつまずかない者とし,また,その栄光のまえに傷なき者として,喜びのうちに立たせて下さるかた,すなわち,わたしたちの主イエス・キリストによって,世々の初めにも,今も,また,世々限りなく,あるように,アァメン」。(ユダ 24,25)ユダの言葉は,私たちが神の愛の中にとどまれるよう「信仰のために戦う」なら,私たちをささえ,つまずきから守って下さるようにという,エホバに対する彼の民のための祈りに近いものです。不信仰な罪人はすべて,最高の審判主がずっと昔に予告されたとおり滅びるでしょう。しかし私たちは,終わりのない生命をもって,誉れを神に帰す特権を得るでしょう。
[脚注]
a G・アーネスト・ライト著「聖書にかんする考古学」73頁。