-
終りの時の会衆ものみの塔 1961 | 6月15日
-
-
はいり,孤立したところで働くようになりました。一方,他の者たちは新しい地でわざを開くため特別の訓練をうけて新しい会衆を形成し,いわば娘の「まち」を建ておこしました。それは神の家からくる教えをすべての者に与えるためです。このすべては,油注がれた残れる者の監督の下に行なわれました。―イザヤ 60:10; 61:4-6。
18 それで,残れる者がひとりもいない会衆はたくさんあります。また,残れる者がいない国さえもあります。しかし,179の国々にいる人々が2万1000以上ある会衆内の神の「家」に来ることは可能です。なぜならすべての監督は「忠実にしてさとい奴隷」の会衆の取りきめを通して教えられ,訓練されたからです。すべての会衆は,各地の監督や他の者によって管理されます。それらの者たちは,会衆,巡回区,および協会の支部事務所を訪問して調査します。かくして,制度のすべての部分は,神の御こころと一致調和のうちに保たれます。このようにして,油そそがれた級は,神の羊の群れを牧します。
19 残れる者と大いなる群衆の両方の成員は,急速に拡大しているこの制度をどのように見なしますか。彼らはたがいの関係をどのように見ますか。
19 「大いなる群衆」の数は,ますます増加する一方,キリストの油そそがれた者の「小さな群れ」の残れる者の者は減少して行きます。それでも,完全な一致があります。そして増加する群衆の者たちは,その大きな数を利用して制度内の目立つ地位を得ようとつとめません。「大いなる群衆」の者たちは,会衆を通してなされるエホバの神権的な取りきめに忠節と従順を示すことにより減少して行く油そそがれた者の群れに最大の尊敬を示します。彼らは,今日多数であり,伝道の仕事を多くしているから,その功は自分たちに与えられねばならぬと感じません。彼らは,それはエホバの栄光に帰するものであり,地上にいるエホバの忠実な油そそがれた者をエホバが是認していることを明白に示すものと認めます。また,油そそがれた者たちは,数が増加しているこの群衆とその若々しい,力にあふれた熱心をうらやみません。むしろ,彼らは長年にわたるつらい仕事のむすんだ実を見て,これらの者が彼らの熱心,エホバへの従順と忠節という模範に従っているのを見てよろこんでいます。「されどなんぢらはヱホバの祭司ととなへられ,われらの神の役者とよばれ…」。(イザヤ 61:6-11)神の真の会衆だけが,そのようなふたつの群れの人々の愛と一致を示すことができます。
20 (イ)終りの時における神の僕たちの正しい状態について,聖書と事実は何を示しますか。(ロ)すべての者にはどんな行動がつよくすすめられていますか。
20 それで,第1世紀のクリスチャン会衆の例から見ても,また私たちの時代に関するたくさんの預言をしらべて見ても,次のことははっきり証明されます。すなわち,「終りの時」におけるいまの神の真の僕たちの正しい状態は,各人がたがいに独立して自由勝手にふるまう,しまりのゆるい交わりではありません。むしろ,それはきっちりつまった制度化された会衆であって,全世界的に一致し,結合しているものです。そして,キリストの霊的なからだの霊的に円熟し経験を積んだ油そそがれた残れる者の監督をうけています。この雑誌の読者は,ひとりのこらずこの会衆であるエホバの証者のところに来て,彼らと交わり,彼らの教え,崇拝,わざ,そして会衆の制度を聖書と比較するよう,つよくすすめられています。「いざわれらヱホバの山に登りヤコブの神の家にゆかん,神われらにその道ををしへ給はん,われらその路をあゆむべし」。神が今日ともにおられる民を探し出してください。そして彼らとともに交わりなさい。―イザヤ 2:2-4。ゼカリヤ 8:20-23。
-
-
無能力になった調停者ものみの塔 1961 | 6月15日
-
-
無能力になった調停者
「アメリカおよびソビエト・ブロックの指導のもとに行なわれる西欧諸国間の紛争によって,調停者としての国際連合は最初から無力なものにされてしまった。
「独立諸国の一つの国際政府によって平和を確保しようとする幾多の試みはすべて,それらの試み自体に内在する矛盾の犠牲となってしまった。独立諸国の効果的な政府を樹立するということは,国家の主権そのものを直接攻撃することによってのみ除去される名辞の矛盾のように思われる」。―「大英百科辞典」第17巻,414頁(1959年)。
-