神がある人々を「再び生まれ」させる目的
1,2 (イ)神がある人々を「再び生まれ」させる目的について満足のゆく説明を得るには,その前に,どんなことを理解し,また認識しなければなりませんか。(ロ)神の言葉聖書には,神の公正に関するどんな証拠がありますか。しかしその公正ゆえに,エホバにどんなことをする義務が生ずるわけではありませんか。
神がある人々を「再び生まれ」させる目的について満足のゆく説明を行なうには,その前に,エホバ神の基本的な属性や地球と人間に関する神の目的について,あることを理解し,認識しておくことが必要です。
2 神の言葉である聖書が提出する証拠からすると,神の際立った特質の一つが公正であることに疑問の余地はありません。同時に,義は,神の王座の基そのものとなっています。(申命 32:4。詩 89:14)しかし,神が公正であられ義であられるからといって,理知を持つ創造物のすべてに同一の恵みを与えなければならない義務があるわけではありません。例えば,神はある者を人間よりもはるかに優れた霊的な被造物,つまりみ使いとしてお造りになりました。また神は,ご自分の地上の忠実な創造物すべてに,同じ報いをお与えになることもありません。そういうわけで,イエスはバプテスマを施す人ヨハネについて,「天の王国で最も小さい者は,彼よりも偉大である」と語られました。(マタイ 11:11,新英訳聖書)この『再び生まれる』という問題を考慮するにあたって,これらの要点を思いに留めておくのはよいことです。
地球と人間に対する神の目的
3 アダムとエバが造られた時,二人の前にはどんな輝かしい見込みが置かれていましたか。
3 ある人々を「再び生まれ」させる神の目的を認識する上で重要なのは,なぜ神は一部の人を「再び生まれ」させるという方法を取られたのか,その要因を理解することです。人間の一番最初の親にまでさかのぼってみると,神が二人に次のような命令をお与えになったことが分かります。「子を生み,多くなり,地に満ち,それを従わせよ。……地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。(創世 1:28,新)アダムとエバは完全だったので,神の子でした。神は二人を,様々な形の美しい動物がたくさんいる,そして花やおいしい果物がふんだんにある美しい庭園の中に置かれたので,二人が占めていた立場は非常に幸福なものでした。二人が地を従わせ,それを自分と同じ種類の人間で満たすようにするなら,最終的には地球全体がパラダイスとなり,アダムとエバが完全だったように完全な人間がそこに住むことになります。二人の前にはなんと輝かしい見込みが置かれていたのでしょう。
4,5 (イ)人間の最初の親はなぜ,神が二人を造られた目的を果たせませんでしたか。(ロ)それでエホバは,地球と人間に関するご自分の目的を,だれによって実現させるよう取り計らわれましたか。
4 ところが,人間の最初の親は自分たちに対する神のすべての備えに対する感謝を欠き,神のおきてを犯してしまいました。それで神は二人をご自分の子らの家族から追放し,二人に死を宣告されました。その結果,二人の子孫は皆,死なねばならない,生まれながらの罪人となりました。(創世 3:19。ローマ 5:12)人間の最初の親も,その子孫もみな,人類に与えられた神の当初のご命令を果たすことはできませんでした。では,地球と人間に対する神の目的は決して実現しないということですか。そうではありません。神の言葉聖書は,神の目的が失敗に終わることはないと保証しているからです。―イザヤ 46:10,11; 55:10,11。
5 では,地球と人間に関する神の当初の目的はどのようにして遂行されるのでしょうか。神がエデンの園で予告されたように,そしてアブラハムに対しても約束されたように,ある胤によってです。この胤の主要な方はイエス・キリストであることをパウロは明らかにしています。―創世 3:15; 22:17,18。ガラテア 3:16,29。
神の当初の目的はどのようにして実現するか
6 神はどんな方法で,アダムの子孫が元通り神の家族になる道を開かれましたか。
6 イエス・キリストはどのようにして,神の当初の目的を実現させるための手だてとなることができましたか。まず最初に,アダムの反逆ゆえに人類に下された有罪宣告を除き去ることによってです。イエスにそれが行なえたのは,マリアの夫ヨセフではなくエホバ神を父とし,完全な人間として生まれたからです。イエスは犠牲として刑柱上で死ぬことにより,有罪宣告を除き去るこの役目を実際に果たされました。事実,イエスが地上に来られた主要な理由の一つは,贖いとして自分の命を与えることでした。そのことによりイエスは,アダムの子孫が元通りエホバの是認を受けた家族となるための道を開かれたのです。―マタイ 28:20。
7 どんな根拠に基づいてイエスは死人のうちからよみがえらされ,霊者となられましたか。
7 しかし,命のない贖い主は人類を益することができません。ですから,エホバ神は三日目にイエス・キリストをよみがえらせ,「霊において生かされ」ました。(ペテロ第一 3:18)イエスがバプテスマを受けた時にヨルダン川で生じた事柄を根拠として,エホバはこのことをされました。そこで神は聖霊により,イエスを霊によって生み出された子とされたのです。バプテスマを施す人ヨハネは神の聖霊がはとの形を取ってイエスの上に下るのを見ただけではなく,「これはわたしの子,わたしの愛する者であり,この者をわたしは是認した」と神の声が言うのを聞きました。―マタイ 3:16,17。ヘブライ 10:5-10。
8 ヨルダン川で「再び生まれ」たことに加えて,イエスは油そそがれて何になられましたか。またどんな任命をお受けになりましたか。
8 イエスはこのように神の霊的な子となられただけではなく,メシア,キリスト,神の王国の王として油そそがれた者ともなられました。それと同時に,死にゆく人類の大祭司としても任命されました。それは罪というハンディキャップを除くためです。(ヘブライ 7:26)さらにイザヤ書 61章1,2節(新)の次の言葉がイエスに適用されるようになりました。「主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それは,エホバがわたしに油をそそぎ,柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされたからである。神はわたしを遣わして,心の打ち砕かれた者を包帯で包み,とりこにされた者たちに自由を,捕らわれた人たちには目が大きく開かれることをふれ告げ……るようにされた」。イエスは霊によって生み出され,「再び生まれ」ておられました。霊によって油そそがれた神の子として,イエスは悪魔サタンが忠誠を破らせようとしてあらゆる手段を弄したにもかかわらず,死に至るまで忠実を保たれました。それゆえにこそ神はイエスを死人のうちから復活させられたのです。
9 イエスが死に至るまで忠実を示されたので,神はどのように,またどんな目的でイエスに十分に備えをさせられましたか。
9 ここにおいて「神は彼をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名にまさる名をすすんでお与えになったのです」。(フィリピ 2:9-11)イエスが死人のうちから復活させられた事実は幾百人という証人によって証しされています。天のみ父のもとへ戻られる直前に,イエスは「わたしは天と地におけるすべての権威[つまり権力]を与えられています」と言われました。(マタイ 28:18)イエスは今や犠牲の死によって,人類を回復させる権利を十分に備えた者となられ,復活して天の神の右に昇天されたことによって,それを行なうための権力を備えた者となられました。(ルカ 22:69)こうしてイエス・キリストは今,地球と人間に関する神の当初の目的を実現させ得る地位におられます。したがって,メシアに関する預言はすべてイエスにあてはまります。―詩 72篇,イザヤ 9:6,7; 11:1-10をご覧ください。
他の人々が『再び生まれる』理由
10,11 (イ)イエスがその王国において仲間を持たれることは,聖書に見られるどんな証拠から分かりますか。(ロ)この特権にあずかるのは何人ですか。示されている数字を文字通りに取るべきであるとなぜ分かりますか。
10 イエス・キリストはこれらの事柄を一切ひとりで行なわれるのでしょうか。そうではありません。ではイエスはご自身の政府にみ使いたちを加え,彼らと共に支配されるのでしょうか。そうでもありません。メシアに関するこれらの預言の成就にイエスと共にあずかるのは,イエスご自身がそうであったように,以前地上で人間として生活していた一部の人々です。ただしキリストの王国政府の一員となる前に,イエスと同じく,地上でまず「再び生まれ」なければなりません。彼らの上に働くエホバの霊が彼らを霊的な子として生み出し,彼らはそのことによって天における永遠の命の見込みを得るのです。そのような者として彼らは神との特別に親しい関係を得,「養子縁組の霊」を受け,「[彼ら]はその霊によって,『アバ,父よ!』と叫ぶのです」。(ローマ 8:15)イエスはご自分の弟子たちに再三この希望を差し伸べられました。(ルカ 22:28-30。ヨハネ 14:2,3)同様に使徒たちもこの希望に言及しています。―ローマ 8:17。コリント第一 15:52,53。ヨハネ第一 3:2。
11 どれほどの人がこの天的な身分を得るのでしょうか。この問題に関係のある聖句を総合してみると,これら『再び生まれる』人々は比較的に少数です。これが非常に特別な賞であり,特権の最も大きな公の地位である以上,それは当然のことです。ですからイエスは彼らについて,「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」と言われました。(ルカ 12:32)ではこれらの人々は何人から成るのでしょうか。使徒ヨハネは,14万4,000人の霊的イスラエル人が額に証印を押されたところや,14万4,000人が子羊イエス・キリストと共にシオンの山に立っている様子を見たと述べています。この数字を文字通りのものとして理解すべきことは,「だれも数えつくすことのできない大群衆」についても述べている文脈から明らかになります。―啓示 7:3,4,9; 14:1,3; 20:4,6。
み名のための民
12,13 これら将来の王国における仲間に対する,現在のエホバの目的は何ですか。
12 それでもエホバ神は,王また祭司となる見込みのある人々がまだ人間として肉体でいる間に,彼らに一つの仕事をさせることを意図されました。それは何でしょうか。イエスは「柔和な者たちに良いたよりを告げる」べく油そそがれましたが,同じようにこれらの人も,神の王国の良いたよりを宣べ伝えるように油そそがれました。(イザヤ 61:1,2。ルカ 4:16-21。使徒 8:4,12)ですからイエスは,別れ際にご自分の初期の弟子たちに対し,「すべての国の人びとを弟子とし,……バプテスマを施し(なさい)」という訓戒をお与えになりました。(マタイ 28:19,20)また,天に昇られる直前には,ご自分の11人の忠実な使徒たちに,あなたがたは「地の最も遠い所にまで,わたしの証人となる」と告げられました。―使徒 1:8。
13 神があらゆる国々に「良いたより」を宣べ伝えさせた主要な目的の一つは,「その中からご自分のみ名のための民を取り出(す)」ことです。(使徒 15:14)神のみ名はエホバですから,これらの人々はエホバのための証人として知られています。(イザヤ 43:10-12)柔和な人々に「良いたより」を伝え,弟子とエホバ神のための証人を作るのは,これらイエス・キリストの油そそがれた追随者たちだけではありません。むしろ,古代イスラエルでエホバの律法がイスラエルのただ中にいた外人居留者にも適用されたように,霊的イスラエルに与えられている命令は,その仲間である「ほかの羊」の「大群衆」にもあてはまります。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9。
14 イエス・キリストに従うこれら油そそがれた追随者たちに課されている,別の責務とは何ですか。
14 イエス・キリストの足跡に従う油そそがれた追随者たちに課されている別の責務は,神の霊の実を結ぶことです。その実とは「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制」です。(ガラテア 5:22,23)イエスの真の追随者は互いに示し合う愛によって見分けられると,イエスは言われました。(ヨハネ 13:34,35)そのわけで使徒パウロは彼らにこのように助言しています。『あなたがたの以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去りなさい。そして,あなたがたの思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきです』。クリスチャンにとってこの責務がどれほど重要かを示しているのは,使徒パウロがさらに述べている次の言葉です。「自分の体を打ちたたき,奴隷として連れて行くのです。それは,他の人たちに宣べ伝えておきながら,自分自身が非とされるようなことにならないためです」。(エフェソス 4:22-24。コリント第一 9:27)油そそがれた人々は,死に至るまで忠実を示すことによってのみ,「命の冠」をいただく希望を抱くことができるのです。―啓示 2:10。
神の当初の目的は変更されていない
15 (イ)クリスチャンであると公言する人の多くは,神の目的に関してどんな誤りを犯していますか。(ロ)こうした誤りが見られるのは,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で顕著に打ち出されているどんな希望のためですか。
15 クリスチャンであると公言する人々の多くは,地球と人間に関するエホバの当初の目的を無視するという誤りを犯しています。エホバのみ言葉聖書は,それが何であったか,また何であるかを明らかにしており,エホバはご自分が変わらないことを保証しておられます。(創世 1:28。イザヤ 45:18。マラキ 3:6)しかしクリスチャン・ギリシャ語聖書では,人類が罪に陥った後に宣言されたエホバの目的のさらに深い部分が顕著に打ち出されています。それは,イエスの犠牲に基づいて限られた数の人々を選び,天の王国でみ子の共同支配者にならせるということです。(創世 3:15。テモテ第二 4:7,8,18)確かにこれらの人々は皆,イエス・キリストの場合と同じように,まず『再び生まれる』必要があります。(ヨハネ 3:3)しかしながら,キリストの犠牲に基づいた神の救いの備えは,天的な希望を持つ人たちだけのものではありません。これは,クリスチャン・ギリシャ語聖書からも明らかになります。
一つの救い ― 二つの希望
16,17 キリストの犠牲の益が,天的な希望を持つ人々だけに限られていないことをどんな聖句が示していますか。
16 イエスはご自分の追随者たちに,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と祈ることを教えられました。(マタイ 6:9,10)神のご意志が天におけると同じように地においてもなされるためには,当然義にかなった人々が地上に住んでいなければなりません。その人々についてはこのように予告されています。「神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。これが天のことであるはずはありません。天には叫びも悲しみも痛みも死も全くなかったからです。―啓示 21:3,4。
17 神の恵み深い備えから益を受ける二つのグループがあることを示しているのは,ローマ 8章19-21節にある使徒パウロの次の言葉です。「創造物[一つのグループ]はせつなる期待をいだいて神の子たち[もう一つのグループ]の表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させたかたによるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物みずからも腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子どもの栄光ある自由を持つようになることです」。したがって最終的には,キリストの犠牲に信仰を働かせるゆえに益を受ける人々全員が神の子としての命を享受するのです。それは,「地から買い取られ」て天に行く14万4,000人の人々と,地上のパラダイスで永遠の命を享受する幾十億もの人々です。―啓示 7:4,9; 14:3。マタイ 25:31-34。
18,19 (イ)地球と人間に対する神の目的の成就が近いことを何が示していますか。(ロ)どんな人々が,神の王国と「アブラハムの胤」を構成しますか。(ハ)考慮すべきどんな質問が残っていますか。
18 前述の事柄から,地球と人類に対する神の当初の目的はこれから実現するものであることが明らかになります。そして,マタイ 24章,マルコ 13章,ルカ 21章,テモテ第二 3章1-5節,啓示 6章1-8節などに見られる聖書の預言が成就していることは,その時が近いことを示唆しています。サタンの反逆ならびにアダムとエバの不従順ゆえに,エホバはある特権的なグループのために天的な報いを備えられました。エホバはそのグループを用いてご自分の当初の目的を実現されるのです。『再び生まれる』のはこれらの人々だけです。彼らは自分たちの主また主人であるイエス・キリストと共に,王国を構成します。その王国のために祈るようイエスは追随者たちに教えられたのです。これらの人々は「地のすべての国の民」を祝福するための「アブラハムの胤」を構成します。―創世 22:18,新。ガラテア 3:29。
19 以上わたしたちは,神のみ子およびその王国を共にする人々が『再び生まれる』べき理由,その人数,および現在の彼らの責務について考えてきました。しかし次のような疑問が残ります。『再び生まれる』ことに関し,神は何を行なわれ,人間は何をなすべきでしょうか。自分が『再び生まれる』ようエホバ神から選ばれたことをどのように知ることができますか。