神の目的とエホバの証者(その5)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第5章 良いたよりの伝道 ― 全部の人の使命
ロイス: ジョンさん,先週のあなたのお話によると,「ものみの塔」の読者は冊子を配布したということですね。それは組織されたわざでしたか,それとも個人的になされたのですか。
ジョン: 最初は主として個人的な仕事でした。もつとも,発展途上にあつた協会は,多くの励ましと援助を与えました。ラッセルは,いちばん始めの時から,クリスチャンたちが学んだことを活発に伝道する必要を認めたのです。出版されてから2年目の「ものみの塔」(英文)は,「1000人の伝道者を求む」という見出しの下に,心わき立たせる召を掲載しました。この召は,自分の時間の半分かそれ以上を主のわざにささげ得る「ものみの塔」読者全部を励ましたのです。その目的は,次の通りでした。
あなたの能力に応じ,宗教的な本の行商人あるいは福音伝道者として,大少の都市に出かけて行き,あらゆる場所で誠実なクリスチャンを見つけ出すことである。彼らの多くは,神に対して熱心ではあるが,知識によるのではない。これらの者たちには,われらの父のめぐみの富と御言葉の美を知らせ,彼らに冊子を与える。そして,彼らに対する親切と愛のわざとして,「日のあけぼの」を売るか,「ものみの塔」の予約を取るようにつとめよ。〔もし興味がありながら,貧乏のため買うことができないなら,それらのものを神からの贈り物として与える」。
なんらかの収入がないなら,旅行,宿泊,衣服の費用をまかない得る人の数はすくない。ゆえに,我々は冊子と「日のあけぼの」を無料で渡し,かつ「ものみの塔」の予約金を取ることを許可する。この両方から得る金銭を使用して……必要な費用をまかなわせるためである。a
翌月1881年の5月,このことについての多数の良い応答が結果として生じたと述べられていました。しかし,それは次のことをも示しました,すなわちこのわざは人々に神の目的を知らせるだけが目的でないとパストー・ラッセルは認めていたのです。そのわざによつて,各クリスチャンは,神の目的を行うことに参加する責任をになうことになりました。次の言葉に気をつけて下さい。
ある人々は,我々を誤解したように見える,そして我々が誰でも彼でもすべての人 ― 正規の勧誘員と本売,行商人を欲すると考え,なんらかの仕事の口にありつける良い機会である,と友人たちに知らせた。これは,我々の提案を誤解したものである。我々は働き人を欲する(主も働き人を欲しておられる)。その働き人は,紙と本の代価を欲するよりも,天的な価のために働く人々でなければならぬ。我々の欲する人々とは,紙と本と計画を説明することのできる人々,そして出かけて行くときに伝道し,「悔い改めよ,天国は近づいた」と言える人々である。(マタイ 3:2)b
ロイス: ほんとうに,パストー・ラッセルは1000名の全時間伝道者を求めたというのですから,たいへんな楽観主義者でしたね。大ぜいの人々は,その召に答え応じましたか。
ジョン: 報告は何回も出されませんでしたが,1885年中には,カルポターと呼ばれる約300人の聖書文書販売人がいました。このことは,1886年1月号の「ものみの塔」(英文)内で,協会の秘書 ― 会計士の報告から分かります。c 1886年には,「世々にわたる神の経綸」(英文)と題する書籍が出版されて,配布されるようになりました。いま開拓者と呼ばれるこれらの聖書文書販売人たちは,週に1度ピッツバーグの事務所に報告しました。d 幾年か後になつて,書籍が6冊一組みになつたとき,聖書文書販売人たちは,今日のエホバの証者のしている仕方とはことなり,書籍全部を持つて家から家に行くようなことをしませんでした。その代りに,「内容見本」と呼ばれものを持つて行きました。これは,書籍の表紙をアコーディオン式にならべたもので,それを開くと本の表紙が全部見えるようになります。証者はこれを腕の上にのせて,この各本の題についてお話しします。それから,この一組み全部に対する注文を取ります。このようにして,1ヵ月のうち1度か2度,本の配達がなされました。証者たちはたいてい二人一組みになつて働き,注文された本の全部を配達しました。ひとりの聖書文書販売人,すなわち「開拓者」が1ヵ月に400冊から500冊の本を配布することも珍らしいことではありませんでした。
伝道するために油を注がれた
しかし,1000名の伝道者を求めた初期の召しは,全時間を捧げ得る者たちに限られていたのではありません。この点は,さらにこう示されました。
教会は神のぶどう畠である……わざの種類は,たいへん多いので,すべての人は働くことができる ― たとえ話のなかでは全部の者がやとわれた。もしあなたが半時間,あるいは1時間,2時間,または3時間あるなら,あなたはそれを使用することができる,そしてそれは収穫の主のうけ入れ給うものである。神の導きの下に1時間の奉仕をすることから得る祝福を,誰が言い得ようか。e
同年,「伝道するために油を注がれた」という記事は,イザヤ書 61章1節の主題聖句の下に,「ものみの塔」内に出版されました。ロイスさん,その聖句を読んでいただけますか。
ロイス: お読みしましよう。あなたがおいて行かれたヘブル語聖書の新世訳からお読みします。〔読む〕「主エホバの御霊は,私の上にのぞんでいる。それは,柔和な人々に良いたよりを告げるためにエホバが私に油を注がれたからである。エホバは,心の悲しい者たちを慰め,捕われ人に自由を告げ,しばられている者の目を大きく開き,エホバの良き御心の年を宣べ伝え,われらの神の復讐の日を宣べ伝えるために,私をつかわした」。
ジョン: パストー・ラッセルは,その記事を説明し始めるにあたつて,ルカ伝 4章18節によると,イエスはこの預言を引用して,それを彼自身および彼のわざに適用したと述べました。このように油を注がれたひとつの理由は,神から伝道する権威を与えることである,とラッセルは示しています。それから,イエスの弟子たちに対する責任について次のように人々の注意をひいています。
最初,かしら〔イエス〕にのぞんだ油を注ぐ御霊の力は,当然に来るべきものであつた。そして,時たつ中に(ペンテコスト)イエスの体なる教会の上にたしかに来たのである。そして教会が受けた油は,教会にとどまつたのである。(ヨハネ第一書 2:27)なぜ教会は油を注がれたか。御言葉は答を与えている。それは,現在において教会が主とともに不名誉と犠牲を共にし,来たるべき栄光の時代には主と共に栄光と力にあずかるためである。さらに ― 彼が「良いたよりを伝道するために油を注がれた」のであるから,彼の体である私たちは,同じ福音を伝道するために油を注がれねばならぬ。……誰が伝道すべきか。我々は答える,油を注ぐ御霊を受けて,(油注がれた)キリストの体の成員と認められるものは,みな伝道すべきである。各成員は,かしらの場合と同じである。―「彼は福音を伝道するために私に油を注いだ」。我々は,それぞれ他のものと異る贈り物と才能を持つており,我々のうちひとりとして,かしらのごとく完全なものではない。しかし,各人はそれぞれに対して責任を持ち……できるだけ多くの伝道をするべきである。ある者は大ぜいの者に伝道することができる。他の者は二人か三人の者に向かつて伝道することができる。他の者は家から家に伝道することができる。他の者は折にかなつた言葉を書くことができる。他の者は冊子を配布することができる。他の者たちは,自分の管理にゆだねられた浄財を寄付して,他の者が伝道する助けにしている。ある人々は,これらのことのいくつかをすることができ,ある者はその全部をするこができる。そして全部の者はその生活と習慣により,変化を生ぜしめる良いたよりの力を伝道することができ,伝道しなければならない。なぜなら,我々はみな生ける手紙であり,すべての人に知られて,読まれているからだ。
あなたは伝道しているか。伝道者以外の者は,ひとりとして小さな群れのものでないと我々は信ずる。……たしかに,我々は彼とともに苦しみ,いまその良いたよりを伝道するために召された。それは時が来て我々が栄光をうけ,いま伝道している事柄を成し行なうためである。我々は名誉を受けたり,富を蓄積するために召されたり,油を注がれたのではない。むしろ,我々の資力を使つて良いたよりを伝道するために召されて,油を注がれたのだ。我々の召をたしかなものにし,我々が油を注がれた仕事を成し行なうために,熱心に励むようにしよう。f
マリア: これは「ものみの塔」の初号が出版されてから,わずか2年後のことでした。それで,パストー・ラッセルがわざを真剣に考慮したことははつきり分かります。
ジョン: 彼は,他の人々に自分たちの責任を認めるように呼びかけました。そして,そのためによろこんで援助を与えたのです。彼らは,「ものみの塔」誌を読んでいましたから,何を言うべきかは知つていました。それで,彼はどのようにそれを言うべきかについて助言を与え始めました。このことは,1000名の伝道者を求めた記事を載せた同じ号の「ものみの塔」の中にあります。その記事は,「教え方」という題の下に,こう述べています。
出かけて行つて多くの時間を用いる者にも,すこしの時間を用いる者にも,我々は次のように言いたい,正しい事を教えるだけでなく,真理を正しい仕方と順序のうちに提供することは,きわめて重大なことである。このことは,我々の行なうあらゆることに関する生活の規則と見なされるであろう。もし良い実を刈り取りたいなら,良い種子を植えるだけでなく,十分用意の整つた土地に,適当な時に植えられねばならぬ。そして,力を得る時まで手入れをすることは必要である。それで,種子が注意深く,祈りの中に賢明に播かれねばならない。そして,我らの主の言葉は,「なんじら,蛇のごとくかしこく,はとのごとく害なき者であれ」というものだ。
最初に,回復と神の開き給う計画の美を提供せよ。それから,このすべては王と御国の来ることを待ちのぞみそれに依存していると示せ。次に,あなたの言葉を聞く者,あるいは読者が王を愛して王の御国を待ちのぞむようになるとき,すぐに主の来る様子について述べよ ― すなわち人間であるイエスが来るのでなく,霊者なるイエスが見えないさまで来るのである。……そして,最後には「時」について述べよ。すなわち,我々はいま「人の子の日に」いるのである。
それで,伝道についてのそのような指示により,幾百人というクリスチャン証者たちは,しだいしだいに養なわれて訓練をうけ,野外奉仕に効果的な参加ができるようになりました。
「千年統治黎明」連続本
トム: 4年間に「考えるクリスチャンのための食物」(英文)という冊子を100万冊以上も無料で配布することは,音信の拡大を大きく援助したと思う。しかし,冊子やパンフレットや「ものみの塔」の他に,ラッセルは何を書きましたか。あなたはたくさんの書籍のことを言われましたが,それもみなラッセルの書いたものですか。
ジョン: そうです。それらの本の抜萃を私たちは読みました。もちろん,ラッセルの最初の本「三つの世界」はバーバーとの合作で書かれました。また,「日の夜明け」(英文)と呼ばれる別の本も配布されましたが,それは初期の仲間ジエー・エッチ・ペイトンの書いたものです。しかし,真理の光が増し加わるにつれて,これらの書物はひとつとして満足すべきものではありません。それで,ラッセルは「千年統治黎明」連続本として知られる数多くの本を書くことに決定しました。g たくさんの難事の後に,最初の本は約束されていた連続本の第1巻として出版されました。前にお話ししたのは,この本のことです。それは最初「各時代の計画」と呼ばれ,後になつて「世々にわたる神の経綸」と呼ばれました。この本は,良いたよりをひろめる協会が用いたすばらし道具のひとつでした。42年間に,その本の600万部は配布され,この本のおかげで,幾百人という誠実な人々は,背教した宗教から出て来て,エホバの証者の初期の協会と交わることができました。
この本には,「三つの世界」という本に始めて掲載された表に極めて良く似た各時代の表が出版されていました。この本の内容は,1886年までに理解されていたすべての真理をまとめたもので,「考えるクリスチャンのための食物」(英文)と「幕屋の教え」(英文)に出版された真理も,この本の中に書き含められました。それは352頁の本です。文体は,いま読んでも,分かり易くて,楽に読むことができました。当時には,もつとややこしい難しい文章構成が一般に使用されていたのです。その16章のうちのいくつかの章は,読者に希望をさしのべていることを表わします。「地上の罪の夜は,よろこびの朝に終結する」「最高理知の創造者の存在は確証さる」「我らの主の再帰 ― その目的,あらゆる事の回復」「悪を許すこと,そして神の計画に対する悪の関係」
そして,この本の終り近くには「エホバの日」と呼ばれる章が掲載されています。それは我々の時代でもきわめて意義深いものです。次の短い抜萃に気をつけてごらんなさい。
「エホバの日」は,キリストの支配する神の御国が,次第に「立て」られる時の期間の名前である。……この世の国々は過ぎ去つて,人間に対するサタンの力と勢力は抑制されている。それは人類におよぶ非常な艱難,災そして混乱の暗い日であると,いたる所で述べられている。……
すくなくとも,この焦眉の急の期間中のすこしのあいだ,幾人かの聖徒たちが肉体として存在することは可能のように見える。(そのとおりでした)しかし,そのなかにおける彼らの立場は,他の者の立場とはことなる。彼らが奇跡的に救われる(彼らのパンと水は保証されると明白に約束されている)ということでなく,彼らが神の御言葉から指示をうけるので,この世界を覆う不安と絶望的な恐れを感じないということにおいてちがう。(ここでも,第一次世界大戦から現在までのエホバの証者の状態を的確に表わしている)……この「エホバの日」の艱難は,来るべき善いことの福音を伝道する機会を与える。そのような機会は,滅多に得られるものではない。主の足跡に従う者たち,そして傷に包帯して慰めとはげましの油とぶどう酒を注ぐ良きサマリヤ人たちは祝福された者たちである。h
これは第一次世界大戦よりも幾十年もむかしのことでしたが最終的に生じた出来事が正確に予告されていたのにはびつくりさせられます。
ロイス: この連続本の他の本もついには書かれましたか。
ジョン: 年月が経つにつれて他の5冊が書かれました。第2巻の「時は近づけり」(英文)は1889年に発表され,第3巻の「汝の御国が来るように」(英文)は1891年,第4巻「ハルマゲドンの戦い」(英文)はもと「報復の日」と呼ばれ,1897年に発表されました。第5巻の「神と人間との和合」(英文)は1899年,そしてついに第6巻「新しい創造」(英文)は1904年に発表されました。
マリア: これらの本は,1904年まで「千年統治黎明」連続本と呼ばれていました。しかし,1904年になつて「聖書の研究」という名前の方が,これらの出版物の意図した使用法をはつきり示し,読者に対する援助の方法を示すものと決定されたのです。同時に,書籍を一般に提供する為の提供の言葉が4通り提案されました。i パストー・ラッセルは,1906年の「ものみの塔」(英文)の7月15日号の中で次のように語つていました。
全集を出版するという我々の約束は,まだ果たされていない。すでに6冊は出版されているが,黙示録とエゼキエル書について述べる第7番目の本は,まだ将来である。一般的な仕事が増加したために遅れているのであるが,おそらく主の「予定の時」に従うからでもあろう。j
[脚注]
a (イ)1881年の「ものみの塔」4月号,7頁。
b (ロ)ものみの塔(英文)1881年5月,8頁。
c (ハ)1886年1月号の「ものみの塔」(英文)2頁。
d (ニ)1892年の「ものみの塔」(英文)301頁。
e (ホ)1881年4月の「ものみの塔」(英文)7頁。
f (へ)1881年7-8月の「ものみの塔」(英文)1と2頁。
g (ト)1904年,この連続本は「聖書の研究」と言われるようになりました(1904年の「ものみの塔」(英文)246,274頁)この名前は1904年10月から始まつた限定版に使用され,「第1巻」は「その1」として示されました。(同本322頁)この仕方は,1906年初期以来,一般に行なわれた仕方です。(1906年のものみの塔,34頁)
h (チ)「聖書の研究」(英文)第1巻(1886年)307,338,342頁。(1910年版)1911年のものみの塔(英文)320,329頁。
i (リ)1904年の「ものみの塔」(英文)246-248頁。
j (ヌ)1906年の「ものみの塔」(英文)236頁。
[418ページの図版]
「千年統治黎明」