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今日,神への奉仕に喜びを見いだすものみの塔 1966 | 9月1日
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分別を働かせることが必要です。正しい考え方をする人は,自分の能力をじゅうぶんに活用することに努め,認識のたりない人は奉仕の特権を避けるための口実をさがします。後者のような人に与えられる特権はますます少なくなります。クリスチャンのしもべは,責任をはたすために必要な体力と神経が自分にどれだけあるかを知っています。いつまでも喜びを失わずに会衆内で奉仕するには,この能力の限界を越えないことが必要です。会衆内の他の人と責任をわかつならば,喜びを失ったり,健康を害さない程度に仕事の量をとどめることができるでしょう。
心の楽しみ
21 (イ)神のしもべはどのように楽しんでいますか。(ロ)神に奉仕する喜びはどのように失われることがありますか。
21 「わがしもべたちは心の楽しみによって歌う」。(イザヤ 65:14)エホバは預言者イザヤによってこのことを預言されました。今日は,世界的にみて,この心の楽しみを経験しているのは,エホバに奉仕している比較的に少数の人々です。この人々は人種の相違や政治上の対立によって心を苦くせず,また世の道徳の腐敗によって心を害されていません。無神論的な哲学あるいはまちがった宗教の教えに心を毒されてもいません。徳を高める神のことばの真理,神の正義の戒め,将来に関する神の約束から得る慰め,神から与えられて行なう愛のわざによって,彼らの心には楽しみがあります。しかし心をこの状態に保つかどうかは各人に依存しています。神への奉仕のなんらかの面において,まちがった考え方をするようになると,奉仕の喜びは失われ,心の楽しみはしだいに不健全な状態に変化します。ゆえに「油断することなく,あなたの心を守れ」と,神のことばが戒めているのも,いわれのないことではありません。(箴言 4:23)エホバの真理と目的に対して深い認識と熱意を持ち,正しい考え方を常に持つことは,心の楽しみを守るために大切です。
22 愛はなんの実ですか。それはどのように明らかになりますか。
22 心に楽しんでいる人々の喜びは,神の霊がその人々に働いている証拠です。喜びは,ガラテヤ人への手紙 第5章に述べられているみたまの実のひとつにかぞえられています。専心の献身をして神に仕える人々には,神の霊がそそがれています。現代においても神の証人はみたまの力により,全世界に真理を宣べ伝える大きなわざを行なっています。それは使徒が宣明した,自由を得させる真理です。直接に,あるいは神のことばと組織をとおして働く聖霊に助けられ,力づけられて,彼らは心に楽しみ,エホバのお目的を公に宣明するわざに励みます。このようにして人がつちかう喜びはみたまの実です。
23 神がみたまによって行なわれるどんなことを,受け入れるべきですか。
23 もしあなたが,今日,専心の献身をして創造者に仕えることを望み,そのみこころにかなうわざに励み,その恵みと,生命の賜物を望む,数少ない人のひとりであるなら,エホバはみたまによって,その民のしるしである心の喜びをあなたに与えてくださるでしょう。心を開いて神の教えを受け入れ,神への奉仕に対して正しい考えをつちかってください。神のことばの福音と,生活を改革する真理に動かされ,宇宙の偉大な神に仕える時に得る格別の喜びをつちかってください。
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怒ることは危険ものみの塔 1966 | 9月1日
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怒ることは危険
◆ J・A・シンドラー博士は,自著『1年の365日をいかに暮らすか』の中で次のように説明している。「怒っている間,あきらかに心臓の鼓動は早くなる。180回あるいは220回というのは普通で,それ以上になることもある。怒りが止むまで鼓動は上昇したままなのだ。血圧は正常の130ぐらいから急に,230またはそれ以上に高まる。これは重大な結果がもたらされる兆候であることが多い」。御霊の実をつちかい,「怒りをやめ,憤りを捨て」ることを教えた聖書の助言に心をとめる者は,たしかに賢い。
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