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信仰の報いを受けた老人ものみの塔 1977 | 4月1日
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置かれているのです。(そうです,長い剣がまさにあなたの魂を貫くでしょう。)それは,多くの心の推論があばかれるためなのです」。(ルカ 2:34,35)そうです,メシアの出現はその民に全く異なった影響を及ぼします。
預言の中でそれよりも以前から指摘されていたとおり,彼につまずき,悔い改めないで不信仰の状態にとどまる人々は少なくありません。預言者イザヤは,次のような言葉を記録しました。「主はイスラエルの二つの家には聖所となり,またさまたげの石,つまずきの岩となり,エルサレムの住民には網となり,わなとなる。多くの者はこれにつまずき,かつ倒れ,破られ,わなにかけられ,捕えられる」。(イザヤ 8:14,15,口)不信者にとってイエスは,軽べつの「しるし」,つまり対象となり,またののしられ,責めを負う者となります。しかし,彼に信仰を働かす他の人々は,とがと罪のうちに死んでいた状態から『引き上げられ』,神との正しい立場を享受できるようになるはずでした。
メシアに対して人々の取る態度は,彼らの心の中にあるものを明らかにします。シメオンが述べた通りです。「それは,多くの心の推論があばかれるためなのです」― ルカ 2:35。
大多数の人々がイエスを退けるという事実は,マリアに対して特に痛ましい影響を及ぼします。シメオンはこの点に注意を向け,こう述べています。「長い剣がまさにあなたの魂を貫くでしょう」。(ルカ 2:35)イエスが凶悪な犯罪者のように杭に付けられるのを見ることは,マリアにとって何と痛ましいことだったでしょう。それは,剣が彼女を貫くことに相当します。
確かにシメオンは大いに恵まれ,幼子イエスを見ることができました。また,マリアが自分の初子に対してもたらされるそれらの侮辱を見る時,彼女を特に強めるような預言を霊感によって語ることができました。
今日のわたしたちにとって,シメオンに対する神の処遇は,信仰を強めるものとなります。人はエホバの確かな約束に基づいて心に抱いた希望のすべてが自分の生涯中に完全に成就するのを見ることはできないかもしれません。とはいえ,至高者は忠実に仕えようとするその人の努力をお忘れになるようなことはないとの確信を持つことができます。忠実な奉仕の生涯を通して与えられる祝福や導きがどんなものであれ,それらはその人が,死からよみがえらされて,永遠の命を受けるという確かな見込みのあることを十分に示しています。
不変の神は,シメオンに対してなされたと同様に,今日の忠実なしもべたちをも顧みてくださいます。ですから聖書はこう勧めています。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなたがたを顧みてくださるからです」。(ペテロ第一 5:7)年老いたシメオンのように,わたしたちも自分の信仰に対する豊かな報いを望み見ることができます。このことは,わたしたちすべてが神から与えられた希望に従って生き,シメオンと同様に「義かつ敬虔」であることを証明し続けるための何とすばらしい励ましなのでしょう。
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覚えていますかものみの塔 1977 | 4月1日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● 「わたしたちを誘惑に陥らせないで……ください」という請願は何を意味していますか。―マタイ 6:13。
試練の時に神がわたしたちのことを覚えて聖書の強い警告を思い起こさせてくださる結果,誘惑に屈しないですむよう求めること。実際には,辛抱し,試みとなる状況に屈しないよう至高者によって強められることを求める請願。―708ページ。a
● 祈る際,わたしたちはどのような仕方で神に近づくべきですか。
祈る際,イエス・キリストの名により,深い敬意を込め,不必要な繰り返しを避け,エホバを全能の創造者,
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