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『だれがエホバの思いを知るようになったであろうか』ものみの塔 1984 | 9月1日
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精神的能力をつくして,聖書の神を愛する気持ちがなければなりません。―マルコ 12:29-31。
17 (イ)わたしたちが心と思いをつくしてエホバを愛するなら,どんな保証を得ることができますか。(ロ)フィリピ 4章7節によると,わたしたちの心と思いは神の平和によりどのような影響を受けますか。
17 もしわたしたちが心と思いをつくしてエホバ神への愛を表わすなら,エホバが喜んでわたしたちの祈りに答えてくださることは言うまでもありません。そしてこの保証は,わたしたちを思い煩いからいつも解放してくれます。わたしたちは,この動乱に満ちる世が享受していない,また理解することのできない平和を享受します。なぜそう言えますか。なぜなら使徒パウロがギリシャの古代フィリピの愛されたクリスチャンたちに次のように保証しているからです。「一切の考え[ギリシャ語でヌーン]に勝る神の平和が,あなた方の心[カルディアス]と知力[ノエーマタ; 「思い」,欽定訳; 改訂標準訳]を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。(フィリピ 4:7)このように,わたしたちの比喩的な心臓は,軽率でよこしまなどんな動機や感情的動揺によっても興奮させられることがなく,知力,つまり思いは,混乱させられたり曲げられたりしません。クリスチャンは,神の霊感による聖書に従い,また指導者であられるキリスト・イエスの助けを得て,自分の道を追い求め続けます。
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いま啓示されている「エホバの思い」に自分を合わせるものみの塔 1984 | 9月1日
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いま啓示されている「エホバの思い」に自分を合わせる
1 どの国民が生来のイスラエルに取って代わりましたか。どの契約においてそうしましたか。
神のみ子は,神と生来のイスラエルとの間の律法契約の仲介者であった預言者モーセに代わる者となられました。イエス・キリストは,予告されたエホバの新しい契約の任命された仲介者となられました。この契約は,古代の生来のイスラエルに取って代わった国民,つまり「神のイスラエル」である霊的イスラエルと結ばれたものです。(ガラテア 6:16)不完全な人間モーセの仲介で結ばれた契約に含まれる十戒や他の関連するすべての律法は,写本に記録されましたが,現実には,割礼を受けた肉のユダヤ人,つまりイスラエル人の心と思いに刻まれたわけではありませんでした。モーセの律法契約に関して効果が上がっていないことに注目されたエホバ神は,エレミヤ 31章31節から34節に記録されているとおり,新しい契約を設けることを預言者エレミヤを通して予告されました。
2 (イ)イエスはどのように契約の仲介者となられましたか。(ロ)この契約はどのように,そしていつから有効となりましたか。
2 イエス・キリストは,エルサレム城外の苦しみの杭の上で心臓破裂により死なれた時にご自身の命の血で約束の「新しい契約」を締結されました。その前夜,モーセの律法契約に従ってご自身の忠実な使徒たちと最後の過ぎ越しの夕食を祝った際,イエスは彼らにぶどう酒の杯を回し,「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています」と述べて,そのぶどう酒に新たな意味を付与されました。(ルカ 22:20。コリント第一 11:23-26)このようにしてイエスは,モーセの律法契約よりも「勝った契約」となった新しい契約の仲介者となられました。(ヘブライ 8:6; 9:11-28)したがって,イエスは,西暦33年にご自分の完全な命の血の価値を天において差し出されて以来,エホバ神が新しい契約の中に入れておられるこれらの弟子たちに対する仲介者として奉仕してこられました。―テモテ第一 2:5,6。
3 ヘブライ 10章15,16節によれば,エホバはこの契約の律法をどこに書かれますか。
3 同使徒はヘブライ 10章15,16節で新しい契約のことを論じた際,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳によるエレミヤの預言を引用してこう書いています。「さらに,聖霊もわたしたちにこう証ししています。『「これが,それらの日の後にわたしが彼らに対して締結する契約である」と,エホバは言われる。「わたしは,わたしの律法を彼らの心[カルディアス]の中に置き,それを彼らの思い[ディアノイアン]の中に書き記す」』と述べた後」。
4 (イ)比喩的な心臓と思いはどのように異なりますか。(ロ)詩編 119編に調和して,新しい契約に入っているクリスチャンはどのように心と思いを用いますか。(ハ)いつまたどのように,神の律法を心と思いに書くことが始まりましたか。
4 比喩的な心臓と思いの働きに従って,仲介者キリストを通して新しい契約に入れられたクリスチャンたちは,これらの律法に従う動機づけを与えられているので自分たちの心をもってエホバの律法を愛します。そしてこれらの神聖な律法をしっかりと記憶にとどめることもします。詩編作者はその点を次のように表現しました。「わたしはどんなにあなたの律法を愛していることでしょう。それは一日じゅうわたしの思い[「わたしの黙想」,改訂標準訳; 欽定訳]となっています」。(詩編 119:97)エホバの律法をキリストの弟子たちの比喩的な心臓の中に置くこと,およびその律法を彼らの思いの上に書くことが始まったのは,西暦33年のペンテコステの日でした。イエス・キリストの待機していた弟子たちに聖霊が注がれ,「さながら火のような[目に見える]舌」が120人の弟子たちの頭上にとどまり,彼らが自分たちの研究したことも学んだこともない外国語を話し始めたのはその時のことです。目を見張るばかりの奇跡です! そこに集まり,見ていた人たちに証しが行なわれた結果,イエスをキリスト,つまりメシアであると信じてバプテスマを受け,キリストを仲介者とする新しい契約に入れられた人々が3,000人に及びました。―使徒 2章。ヨエル 2:28-32。
5 今日において新しい契約に入れられてきたのはだれですか。その人々が「枝」であることをどんな証拠が示していますか。
5 それから1,900年たった現在,「神のイスラエル」の残りの者がいます。その成員は,聖霊によるバプテスマを受けて新しい契約に入れられていることをはっきり示します。彼らは,エホバ神の律法を自分たちの比喩的な心臓に置いていただいたこと,思いに書いていただいたことをはっきり示しています。彼らはマタイ 24章14節とマルコ 13章10節に記されている,彼らの仲介者の予測しておられた事柄を行なっています。彼らは使徒パウロがローマ 11章で描写している霊的なオリーブの木の「枝」であり,多くの実を生み出します。
6 (イ)エホバの「思い」の別のどんな特色が1935年以来明らかにされてきましたか。(ロ)「ほかの羊」は,この時代のための神の「律法」に対する自分たちの愛に関しどのように説得力のある証拠を示していますか。
6 「エホバの思い」の別の特色が,1935年のワシントン特別区のエホバの証人の大会以来明らかにされています。啓示 7章9節から17節に予告されている「大群衆」に関するエホバの「思い」とは何でしたか。神の比喩的な神殿で神に仕える,エホバ神と子羊イエス・キリストの予告された賛美者のこの群れは,1935年以来姿を現わしています。ワシントンでその後6月1日の土曜日にバプテスマを受けた840人には,現在に至るまで人々が加えられています。今日ではりっぱな羊飼いイエス・キリストの「ほかの羊」が全世界で250万人以上存在しています。それらの人々は,新しい契約にあずかっている,霊によって生み出された人々と定期的に交わり,マタイ 24章14節に予告されている王国の証しの業に参加しています。(ヨハネ 10:16)彼らは詩編作者と同じく,この「事物の体制の終結」の時のためのエホバの「律法」を愛していることと,その神の「律法」を彼らの思いに置いて黙想し,彼らの心の思いにするということを示す説得力のある証拠を提出します。
信念と告白を通しての救い
7,8 (イ)救いは,頭の知識だけに依存していますか。(ロ)ローマ 10章5節から10節は,比喩的な心臓と思いの相互作用について何と述べていますか。
7 天のエホバの王国への救いであろうと,イエス・キリストの千年統治のもとにある地上の楽園への救いであろうと,救いを得るということは頭の知識を得るというだけの問題,つまり思いの問題ではありません。使徒パウロは,ローマ 10章5節から10節でその点を明らかにしています。その箇所でパウロは,移植された心臓や機械的な心臓ではなく,自然の,身体の心臓を持つクリスチャンに関する問題を論じています。パウロは自分の論議を次のように進めます。
8 「モーセは,律法の義を行なった人はそれによって生きる,と書いています。しかし,信仰の結果である義はこのように語ります。『あなたの心の中で,「だれが天に上るだろうか」と言っては,つまりキリストを引き下ろそうとしてはならない。また,「だれが底知れぬ深みへ下るだろうか」と言っては,つまりキリストを死人の中から引き上げようとしてはならない』。では,それは何と言うのですか。『その言葉はあなたに近く,あなたの口の中,あなたの心の中にある』。つまり,信仰の『言葉』のことであり,わたしたちが宣べ伝えているものです。その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」。
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