解放されて,キリスト教世界の滅びを生き残る
1,2 (イ)いつ,そしてだれの預言活動期間中に,ユダヤ人にとって最後のヨベルが祝われましたか。(ロ)モーセを通して与えられたエホバの律法は,ヨベルについてユダヤ人たちに何を命じていましたか。
エレミヤの時代の安息年は,ユダヤ人の奴隷たちにとって解放の時となるはずでした。このような安息年で一番最後のものは,西暦前609年のチスリ9日,ユダヤ人の贖いの日の前日に終わりました。エレミヤの民には,カナンの地に入った西暦前1473年以来,安息年を祝うことが求められていました。その時から50年ごとにヨベルの年が祝われることになりましたが,どのヨベルの年も贖いの日に始まります。第17回目のヨベルは最後のヨベルとなり,エレミヤが預言的な活動を行なっていた西暦前623年に終わりました。神殿で奉仕する祭司としてエレミヤは,特別な解放の年であるこのヨベルの始まりをふれ告げるラッパの音を聞いたに違いありません。預言者モーセを通して与えられたエホバの律法にはこのような命令がありました。
2 「あなたがたは五十年目を神聖なものとし,その地で,そのすべての住民に自由をふれ告げなければならない。それはあなたがたのためにヨベルとなる。あなたがたは各々自分の所有地に帰り,各々自分の家族のもとに帰るように。その五十年目は,あなたがたのためにヨベルとなる」― レビ 25:10,11,新。
3 神の律法によれば,ヨベルとヨベルの間には七年ごとに何がありましたか。ヘブライ人の買手はいつまでヘブライ人の奴隷をとどめておくことができましたか。
3 週に一度安息日があったと同じように,ヨベルとヨベルの間には,七年ごとに安息年がありました。(レビ 25:1-9)エホバの律法は次のような類似の取り決めも設けていました。「あなたがヘブライ人の奴隷を買う場合,彼は六年間,奴隷となっているが,七年目には自由にされた者として無償で出て行く」。(出エジプト 21:2,新)「もし,あなたの兄弟であるヘブライ人の男あるいはヘブライ人の女があなたのところに売られてきて,あなたに六年間仕えたなら,第七年にはあなたは彼を自由にされた者としてあなたのもとから送り出すべきです」― 申命 15:12,新。
4 それで西暦前610年から609年にわたる安息年には,奴隷を所有していたヘブライ人が何をするのはふさわしいことでしたか。しかし彼らは,神から処罰される別の理由をどのように提供しましたか。
4 したがって,奴隷を所有していたユダヤ人が,エレミヤの時代の,西暦前610年から609年にわたって続いた陰暦の安息年に,ヘブライ人の奴隷たちを自由にする契約をエルサレムの神殿の神の前で交わすのは,エホバの目に正しいことでした。国際情勢はエルサレムにとって風雲急を告げるものでしたが,そうするのは,エレミヤの民が取るべき従順な道でした。ところが,この解放の年が終わらないうちに,これらの元奴隷所有者たちは自分たちの厳粛な契約を破り,以前の下男や下女を強制的に奴隷に戻してしまったのです。このことは契約を履行するエホバを怒らせ,エホバが彼らを処罰するもう一つの理由となりました。―エレミヤ 34:8-16,新。
5 (イ)当時エルサレムにいた外国人で,そうしたことには無関係でしたがやはり危険にさらされていたのはだれですか。(ロ)昔のエルサレムに相当する現代のエルサレムもどのように危険にさらされていますか。その危険はどの方面から臨みますか。
5 しかし喜ばしいことに,当時のエルサレムに住み,レカブの子ヨナダブの子孫でレカブ人として知られた人々は,神のみ前で厳粛に結ばれた契約を無視するようなことをしませんでした。(エレミヤ 35:6-11)それでも彼らは危険な状態に置かれていました。エルサレムに居住するユダヤ人たちの上に,当然の処罰が下されようとしていたからです。ただし彼らは,ユダヤ人の自分本位な不忠実さゆえにエホバ神がさらに預言された事柄から守られる立場にありました。エホバが次に語られた言葉は,エレミヤの時代のエルサレムの場合と同様,現代のキリスト教世界にも密接な関係があるはずです。当時のエルサレムに似て,キリスト教世界も長きにわたったその存在期間の終わりの日にあります。聖書預言の中で予告されていた最後の世界強国,つまり第八世界強国はすでに姿を現わしています。それは国際連合という形で存在し,エルサレムの現代的な対型であるキリスト教世界を死に至らせる役割を担います。国際連合とその前身である国際連盟を合わせると,その歴史は今や60年を数えます。(啓示 17:7-11)それは滅び失せる前に,活動します。
6 キリスト教世界は,自由を支持すると言いながら,同世界の教会員をどのように奴隷とならせていますか。
6 キリスト教世界はクリスチャンであると唱えているのですから,罪につながれたこの世の束縛から解放されていることを示さなければなりません。ところが実際には,自らの益を図るために教会員をこの世の奴隷にしてしまっているのです。それは同世界が自分自身を世の友とし,神の敵としているからにほかなりません。―ヤコブ 4:4。
7 (イ)キリスト教世界の教会員は何に奴隷として仕えさせられてきましたか。だれに敵対する立場に置かれてきましたか。(ロ)エレミヤの次の預言では,キリスト教世界は何を聞くように求められていますか。
7 キリスト教世界が霊的な奴隷として仕えているのはキリストによる神の王国ではなく,滅びに定められた世とその支配者また神であるサタン悪魔です。(ヨハネ第一 2:15-17。エフェソス 2:2)同世界は教会員たちを手引きし,エレミヤが予表していたエホバのクリスチャン証人たちに敵対するよう促してきました。ですから同世界には,エホバの次の言葉を聞かせなければなりません。
「『それゆえに,エホバは言われた。「あなたがたは,各々その兄弟に,各々その自分の友に自由をふれ告げ続ける点で,わたしに従わなかった。見よ,わたしはあなたがたに自由をふれ告げる」― エホバのお告げ ―「剣と,疫病と,飢きんとに。わたしはあなた方を地のすべての王国にとって身震いさせるものにする。また,わたしはわたしの契約を回避する者たちを渡す。彼らは自分たちが二つに切り裂いて,その間を通れるようにした子牛をもってわたしの前で結んだ契約の言葉を実行しなかったのである。それはすなわち,その子牛の間を通ったユダヤの君たちやエルサレムの君たち,廷臣や祭司やこの地のすべての民 ― 実に,わたしは彼らをその敵の手とその魂を求める者たちの手とに渡す。彼らの死体は必ず天の飛ぶ生き物や地の獣の食物となる。また,ユダの王ゼデキヤとその君たちを,わたしはその敵の手と,その魂を求める者たちの手と,あなたがたから退いているバビロンの王の軍勢の手とに渡すであろう」。
「『「見よ,わたしは命じる」― エホバのお告げ ―「わたしは必ず彼らをこの都市に連れ戻し,彼らは必ずこれと戦い,これを攻略し,これを火で焼く。ユダの諸都市をわたしは住民のいない荒廃した所とするであろう」』」― エレミヤ 34:17-22,新。創世 15:10-18と比較してください。
8 エレミヤのこの預言に照らしてみると,現代のキリスト教世界について何が予示されていますか。
8 この預言は,エホバに許されてキリスト教世界を攻囲するこの世的な勢力の前に,同世界が倒壊することを述べているのでしょうか。エルサレムに生じた事柄に照らしてみると,それがほかのことを予表していたとは考えられません。エレミヤは,ゼデキヤ王が捕らえられ,バビロンに追放され,そこで死ぬということをそのまま忠実に王に告げていました。(エレミヤ 34:1-7)ですから,聖書時代のこの預言的な事件が大規模に成就する時,キリスト教世界の支配者たちには何も良いものがもたらされないことは明らかです。
9 安息年の終わった後,いつエルサレムの包囲が始まり,いつまで続きましたか。この町が,自分たちも同じような終末を迎えるのではないかという恐れで人々を震え上がらせるものとなったことについて述べてください。
9 西暦前609年の安息年は,陰暦7月(チスリ)の第9日,つまり贖いの日の前日に終わりました。その後,同じ年の陰暦10月(テベテ)の第10日には,ネブカデネザル王とバビロニアの軍隊がエルサレムの包囲攻撃に着手しました。(列王下 25:1,2)エルサレムは18か月なんとか持ちこたえましたが,西暦前607年の陰暦4月(タンムズ)の第9日に陥落しました。ゼデキヤ王はエホバの預言の成就を阻もうと逃亡を図り,エリコの町まで落ち延びましたが,そこでバビロニア人の追っ手に捕らえられ,連れ戻されてネブカデネザルと顔を合わせます。そして希望のない捕らわれ人として,偶像崇拝の国バビロンに連れて行かれます。(エレミヤ 34:2,3)同年の翌月,陰暦アブの7日に,エルサレムは略奪され,焼き払われます。同市にあった神聖を汚されたエホバの神殿もそれを防げませんでした。(列王下 25:3-17)確かにエルサレムの恐ろしい崩壊は,自分たちもバビロンの手にかかって同じような扱いを受けるのではないかという恐れで,他の国々の民を震え上がらせるものでした。
10 キリスト教世界は古代のこの光景を見て震え上がりますか。何が同世界自身の滅びと共に始まりますか。
10 しかしながら,エルサレム壊滅のこの悲惨な光景も,幾世紀も過ぎると,キリスト教世界を恐怖させる力を失いました。キリスト教世界は震え上がりません。昔の悲惨な光景を目にしても,それを,自らの上に急速に近づきつつある世界的規模の滅びについて警告する預言的な例えであるとはみなしません。キリスト教世界の滅びが発端となり,一切の偽りの宗教が大患難において滅ぼされます。その患難はエホバに反逆するこの世に必ず臨みます。マタイ 24章15-22節に予告されているとおりになるでしょう。
11 エルサレムの地が人も家畜もいない荒れ地となったのはいつでしたか。エホバの恵みを受けて生き残ったのはエレミヤとバルクだけでしたか。
11 では,そのような患難を人間はどうすれば生き残れるのでしょうか。それは,エレミヤとその書記官バルクが,剣と,飢きんと,疫病というエルサレムの厳しい苦難を生き残ったのと同じ方法によります。エレミヤは後日,災難の年となったこの年の陰暦7月に,バビロンの支配に反抗し,恐怖にとりつかれていた人々によって,エジプトに連れてゆかれました。こうしてユダ王国の全土は,人も家畜も住むことのない荒れ地となりました。(列王下 25:22-26)そしてこの土地は,途絶えることのない70年間の安息に入りました。(歴代下 36:20,21)しかし,エレミヤとその書記官バルク以外にも,エホバの恵みを受けて,エルサレムの滅びとユダの地の荒廃を生き延びた人々がいたのです。この人たちは,エレミヤを通して,必ずそうなるという保証を得ていました。もし来たるべき患難を生き残りたいのであれば,今日のわたしたちも,これら生き残った人たちの場合に関心を持つべきでしょう。
予表されていた,キリスト教世界の滅びを生き残る人々
12 来たるべき患難の生存者は,どんな外人遊牧民によって予表されていましたか。エレミヤはなぜエルサレムで彼らを見つけましたか。
12 滅びに定められたこの事物の体制が拭い去られる迫り来る患難の際,人間の命の偉大な保護者はだれの上に目をとめられるのでしょうか。エルサレムにいた外人避難民の一群によって予表されていた,献身しバプテスマを受けたクリスチャンたちの上にです。ユダヤ人を支持したこれらの人々は,自らの遊牧生活を捨て,一時的にエルサレムに居を定めなければならないと感じました。バビロンの王ネブカデネザルに率いられ,エルサレム攻略を目ざして前進しつつあった敵軍に加担したいとは思わなかったからです。彼らの先祖はレカブの子であるヨナダブもしくはエホナダブでした。ただ,ダビデ王のおいにヨナダブという名の人がいたため,彼らはヨナダブ人と呼ばれることはありませんでした。彼らはレカブ人と呼ばれ,その名は,非イスラエル人として彼らを区別するものとなりました。エレミヤは彼らのことをよく知っていました。
13 イスラエル人の契約に対する態度は,レカブ人の誓いに対する態度とどのように比較されましたか。エレミヤはレカブ人に何をするよう命じられましたか。
13 彼らは250年あまりの間,有名な先祖ヨナダブが課した誓いを忠実に守っていました。イスラエル人の先祖は西暦前1513年の昔に,モーセを仲介者とし,エホバ神と結ばれた律法契約に入っていましたが,その契約に対する忠実さに関しては,レカブ人の記録に及びませんでした。そのため神は,契約を破ったイスラエル人と誓いを守ったレカブ人との違いを示すことを意図されました。そこで,レカブ人はエホバの聖なる場所,つまりエルサレムの神殿において試みを受けることになりました。エホバはエレミヤに告げられました。「レカブ人の家に行き,あなたは彼らと話し,彼らをエホバの家に,その食堂の一つに連れて行かなければならない。あなたは彼らにぶどう酒を与えて飲ませなければならない」。(エレミヤ 35:1,2,新)レカブ人が“絶対禁酒者”であることはあまねく知られていたにもかかわらず,そのように告げられたのです。
14 レカブ人はエレミヤの携えてきたぶどう酒を拒絶したことについて,また,町の中に住むことについてどのような釈明を行ないましたか。
14 エレミヤは命令通りに行ないました。(エレミヤ 35:3-5)が,レカブ人は預言者エレミヤが持って来たぶどう酒でさえ,飲もうとしませんでした。彼らは次のような釈明を行ないます。
「わたしたちはぶどう酒を飲みません。わたしたちの父祖,レカブの子のヨナダブがわたしたちに命令を下して,こう言ったからです。『あなたがたは酒を飲んではならない。あなたがたも,あなたがたの子らも,定めない時に至るまで。また,あなたがたは家を建ててはならず,種をまいてはならない。ぶどう畑を設けてはならず,それがあなたがたのものとなってもならない。かえって,あなたがたは一生天幕に住むべきである。あなたがたが外国人として寄留している土地の面に長い期間生き続けるためである』。
「それで,わたしたちは,一生ぶどう酒を飲まないようにして,わたしたちの父祖レカブの子ヨナダブがわたしたちに命じたすべてのことにおいて,わたしたちも,わたしたちの妻も,息子や娘たちも,その声に従い続けているのです。また,自分たちの住む家を建てないようにしてそうしていますので,ぶどう畑も畑も種もわたしたちのものとなることはありません。そして,わたしたちは天幕に住み,わたしたちの父祖ヨナダブがわたしたちに命じたことすべてにその通りに従い,行ない続けております。しかし,バビロンの王ネブカデネザルがこの地に攻め上って来たとき,わたしたちは言い始めました,『さあ,カルデア人の軍勢とシリア人の軍勢のゆえに,エルサレムに入って,エルサレムに住もう』」― エレミヤ 35:6-11,新。
15 レカブ人に課せられた誓いはどんな面で身の守りとなりましたか。彼らはモーセの律法契約においてはどのような立場にありましたか。
15 レカブ人に課せられていた誓いは身の守りとなりました。それは,この地の外国人として質素な生活を送り,町の退廃した状態から離れる上で助けになりました。彼らはモーセの律法契約下にあるイスラエル人ではありませんでしたから,イスラエル人の門の中に住む他国者のような存在で,主人であるイスラエル人に迷惑をかけることはありませんでした。イスラエル人がエホバとの契約を履行する妨げになることもなく,むしろ,自分たちに適用されるものについては,律法契約を支持しました。ただし,アルコール飲料を飲むことになると,イスラエル人のナザレ人のようでした。彼らは酒気を帯びることなく,意識を常に正常に保ちました。ネブカデネザル王の軍隊がユダの地に侵入してきたとき,彼らの質素な遊牧生活もその影響を受けて,変化しようとしていました。侵略の手を伸ばすカルデア人が進んで来たとき,レカブ人がエルサレムに逃れたのは当然のことでした。
16 誓いを守るレカブ人は,契約を破ったイスラエル人と好対照をなす実例として,どのようにエホバから用いられましたか。エホバはイスラエル人の上に何をもたらす必要があると考えられましたか。
16 預言者でもあり祭司でもあったエレミヤから勧められても,レカブ人がぶどう酒は飲まないとの誓いを厳として守ったため,エホバはこのことを,契約違反のイスラエルと好対照をなす実例として用いられました。レカブ人は,たとえ一介の人間に過ぎない自分たちの先祖によって課せられた誓いでも,それを守ったのです。イスラエル人は,律法契約が単なる人間ではなく,至上者なる神と取り交わされたものであったにもかかわらず,それを破りました。そこでエホバは,時にかなった言葉をエレミヤにお告げになりました。
「行って,あなたはユダの人々とエルサレムの住民とに言わなければならない,『あなたがたはわたしの言葉に従うようにとの勧めを絶えず受けたのではなかったか』― エホバのお告げ ―『レカブの子ヨナダブがその子らに命じた,ぶどう酒を飲むなとの言葉は実行され,彼らは今日に至るまで一切飲むことをしなかった。彼らはその父祖の戒めに従ったからである。そしてわたしは,早く起きては語って,あなたがたに語ったが,あなたがたはわたしに従わなかった。それで,わたしはあなたがたにわたしの預言者なる僕すべてを遣わし続け,早く起きては彼らを遣わして言った。「どうぞ,各々その悪い道から引き返し,自分の行ないを良くし,ほかの神々に従って歩んでこれに仕えてはならない。そして,わたしがあなたがたとあなたがたの父祖に与えた土地に住み続けなさい」。しかし,あなたがたは耳を傾けず,わたしの言うことに聴き従うこともしなかった。しかし,レカブの子ヨナダブの子らは,彼が自分たちに命じた父祖の戒めを実行した。しかしこの民は,わたしの言うことに聴き従わなかった』」。
「それゆえに,イスラエルの神,万軍の神エホバは言われた。『見よ,わたしはユダと,エルサレムの全住民とに,わたしが彼らに対して語ったすべての災難をもたらす。わたしは彼らに語ったが,彼らは聴かず,わたしは彼らに向かって呼び続けたが,彼らは答えなかったためである』」― エレミヤ 35:13-17,新。
17 イスラエル人の背教を意識的な行為としなければならないのはなぜですか。ゆえに彼らは何を避けることができませんでしたか。
17 レカブ人とイスラエル人のこの比較対照から明らかなことは,十二分の恵みを施されたイスラエル人は,神の預言者たちの助力があったので,自分たちの神エホバとの契約を守ることは可能だったということです。神は神殿と,肉の弱さゆえに犯す不本意な罪を相殺するための犠牲を捧げる祭司職を備えておられました。それにもかかわらず,彼らは別の神々,特にバアルを選び,モーセを通して与えられたエホバの律法で禁じられていたあらゆる類の悪を,その崇拝の中に持ち込みました。ゆえに,彼らが,清い崇拝を要求した神の律法契約を捨てて背教したのは,意識的な行為でした。その行為は,生ける唯一真の神に対しても,神への厳粛な誓いに対しても敬意を示すものではありませんでした。このことは,背教者には災い以外の何ものももたらされないことを物語っていました。同様の理由により,キリスト教世界の全域に差し迫っている災いは,決して回避することのできないものです。
あらゆる偽りの宗教に臨む滅びを免れる
18 エレミヤがレカブ人に語ったどんな言葉から,「大群衆」は,キリスト教世界およびその友である世の滅びを生き残るという確信を得ていますか。
18 今日,キリスト教世界およびその親しい友である,神に恥辱をもたらす今の事物の体制と共に滅びるのではなく,その滅びを免れたいと願っているのはだれでしょうか。「それはわたしたちです」と,啓示 7章9-17節に予告されている「大群衆」を構成する人々は答えます。彼らは,誓いを守ったレカブ人になされたエホバの約束から強い確信を得ました。そのエホバの約束についてエレミヤ記 35章18,19節には次のように記されています。「そして,レカブ人の家の者に,エレミヤは言った,『イスラエルの神,万軍のエホバは言われた。「あなたがたはあなたがたの父祖ヨナダブの戒めに従ってそのすべての戒めを守り続け,彼があなたがたに命じた通りにすべてのことを行ない続けるので,それゆえに,イスラエルの神,万軍のエホバは言われた。『わたしの前に常に立つ人がレカブの子ヨナダブから断たれることはない』」』」。
19 (イ)ヨナダブはバアル崇拝に関してどんな態度をとりましたか。(ロ)ヨナダブ(エホナダブ)とヤザニヤの名前はだれに注意を向けていますか。彼らはぶどう酒に対してどんな立場をとりましたか。
19 それゆえに,レカブの子ヨナダブは,イスラエル人ではありませんでしたが,その子孫は必ずこの地上で,エホバのみ前における是認された立場を永遠に保つことができます。忘れてならないのは,ヨナダブがエヒウ王と共に全身全霊を打ち込み,背教したイスラエル王国からバアル崇拝を一掃したことです。(列王下 10:15-28,新)レカブの子の名,つまりヨナダブもしくはエホナダブという名前は,唯一の生ける真の神に注意を向けるものです。それには「エホバは自由である」という意味があるからです。エレミヤが神の約束を伝えたレカブ人はヤザニヤでしたが,この名前は「ヤハ[つまりエホバ]はお聞きになる」という意味です。(エレミヤ 35:3-5)ヤザニヤとその兄弟たちは誓いにたがわず,エレミヤがエホバの神殿に携えてきたぶどう酒を飲もうとしませんでした。エホバの臨在しておられるその場所で,彼らは自分たちの誓いに対する忠誠を示したのです。
20 聖書からの直接的な証拠はないものの,エルサレムが滅んだとき,およびその後のレカブ人についてほぼどんなことは確実ですか。
20 エホバはこれらのレカブ人たちの忠実さに敬意を表し,これから訪れる西暦前607年のエルサレムの滅びの際にも,彼らは拭い去られることはないという約束をなさいました。その時,レカブ人はエホバのみ前から切り断たれることはなかったに違いありません。神は,レカブ人がぶどう酒の誓いを重視していたのと同じほど,ご自分の約束の言葉を重視されたからです。総督ネヘミヤの時代にエルサレムの城門を修復したレカブの子マルキヤという人物は,レカブ人が生き残ったことを裏づける歴史的な証拠と言えるかもしれません。(ネヘミヤ 3:14)レカブ人のだれかがイエスの時代まで生存し,イエスの弟子となったかどうかは,エホバの言葉には記されていませんが,そう考えるのは非常に妥当な線でしょう。
21 レカブ人はどんな国家的な災いを生き残りましたか。それで現代のレカブ人が何を生き残るのは妥当ですか。
21 今日,生来のレカブ人として認められる人はいませんが,現代のレカブ人は存在しています。彼らは,エレミヤが予表していた霊的イスラエル人と密接に交わる人々です。古代のレカブ人は背教したエルサレムの滅びを生き残りました。レカブ人はキリストの「ほかの羊」の「大群衆」を表わしていたのですから,これら現代のレカブ人たちが,現代のエルサレムであるキリスト教世界の滅びから始まる,世の「大患難」を生き残るのは妥当なことです。
22 (イ)ヨナダブが,「大患難」を生き残る羊のような人々を表わしていると初めて発表されたのはいつですか。(ロ)「ものみの塔」誌の1935年4月15日号は,彼らを特にどこへ来るよう招待しましたか。
22 ニューヨークのブルックリンで,1932年7月18日,月曜日に発行された「立証」第三巻(77-83ページ)に,古代のヨナダブが,神の庇護のもとに,「大患難」を生き残ってキリストの王国が支配する新秩序へと入る,神を恐れる人々のグループを表わすという説明が初めて掲載されました。(「ものみの塔」誌,1932年8月1日号[英文],230-233ページ)「現存する万民は決して死することなし」と題する興味深い研究記事は,大群衆に当てはまると考えられました。ですから1935年4月15日の「ものみの塔」誌(英文)が次のような発表を行なったのも道理でした。
「ものみの塔」誌は,エホバの証人とヨナダブたちの大会が,首都ワシントン市において,1935年5月30日から6月3日まで開催されることを再び読者諸兄にお知らせ致します。多数の残りの者およびヨナダブ級の方々が,万障お繰り合わせのうえこの大会に出席されることを希望致します。これまでは,多数にのぼるヨナダブ級の人々は大会に出席する特権を持たなかったので,ワシントン大会は彼らにとって大きな慰めとなり益を与えるものとなることでしょう。―114ページ。
23 そのワシントン市の大会でこれらヨナダブたちに何が明らかにされましたか。そのため,次の日に水のバプテスマを受けた人々の大半は,どんな人でしたか。
23 その大会は確かにそのような大会になりました。というのは,5月31日の金曜日に,ヨナダブ級は啓示 7章9-17節(欽定訳)に予告されていた「大いなる群衆」と同一であるとの解明がなされたからです。次の日に水のバプテスマを受けた大会出席者840人のうちの大半は,ヨナダブ,つまり対型的なレカブ人だったようです。
24 西暦前607年のエルサレムの崩壊を生き残った点において,ヨナダブの子孫も現代のだれを予表していましたか。
24 当のヨナダブは西暦前10世紀に生きていた人でしたから,西暦前607年のエルサレムの滅びを目撃することはありませんでした。でもその子孫のレカブ人は,誓いを守るかどうかの試みをエレミヤから受け,エルサレムの崩壊を確かに経験し,その後いつまでかは分かりませんが,生き続けました。ヨナダブの子孫であるゆえに,彼らも,キリスト教世界の崩壊を必ず生き残る「大群衆」を予表していました。―「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世へ」(英文)64-67ページをご覧ください。
25 ヨナダブとレカブ人の顕著な特質に基づいて,現代のヨナダブとレカブ人には,どんな訓戒が与えられていますか。
25 それで古代のレカブ人によって予表されていた,献身しバプテスマを受けたクリスチャンの皆さん! レカブ人と同じように,放縦や偽りの崇拝から離れた状態を保ち,この世と交わってこの世を友とすることのないようにしなければなりません。(ヤコブ 4:4。ヨハネ第一 2:15-17)引き続きレカブの子ヨナダブに倣って,エホバに対する熱心さと,現代のバアル崇拝を非とする立場を示しましょう。それは,大いなるエヒウであるイエス・キリストを用いてエホバがキリスト教世界と他のすべての偽りの宗教を滅ぼすのを見るためです。レカブ人に似た忠実さをもって,主権者なる主エホバへの献身を全うし,キリストによるその栄光ある王国の関心事を推し進める面で,自らの分を果たしましょう。そうすれば,すでに得ている,滅びに定められたこの世からの解放を,この世が存在しなくなる時までしっかりと保持することができるでしょう。祝福されたこの自由を神のご意志通りに用いれば,神がこの邪悪な世とそのすべての仲間に対し報復されるときにも「切り断たれる」ことがないばかりか,神の前に是認された立場を得,み子の王国が支配する地上のパラダイスでの命という報いが与えられるのです。エレミヤ級の残りの者がそうした人々について感じる喜びは,大きなものとなるでしょう!
(次回は,「ものみの塔」誌1980年5月1日号でエレミヤの預言を取り上げます。)
[21ページの図版]
キリスト教世界の滅びを生き残る