荒れ野は一変して楽園となる
1 地が楽園となるには,どんな状態が終わらねばなりませんか。
汚染や危険の少しもない楽園は今日,この地上のどこにもありません。空気や水は恐ろしい速度で汚染されています。土地はその広大な部分が見苦しい姿に変えられています。すさまじい競争や対抗そして憎しみが,人間の幸福や福祉を脅かしています。事故や病気そして死は,人類家族の多年の巡り合わせとなってきた苦悩や悲しみを助長しています。
2 楽園を招来することに関して聖書はどんな保証を与えていますか。
2 果たしてそうでなくなる時が来るのでしょうか。そうです,聖書は,この地が病気や悲しみ,苦しみや死などのいっさいない楽園になるという心を喜ばせる保証を与えています。(ルカ 23:43。黙示 21:3-5)楽園を約束したかたであるエホバ神は,それをもたらす力と知恵を兼ね備えておられます。エホバはまた,その愛ある親切のゆえに,ご自分の約束を成就させた過去のご自身の行動に関する記録を用意されました。聖書中のその記録は,何ものもエホバの目的の達成をはばみえないことを実際に保証するものとなっています。
3 楽園をもたらすということは,エホバ神にとって新しい事がらですか。
3 楽園をもたらすことは,エホバ神にとっては何ら新しい事がらではありません。エホバは最初の人間アダムとエバを,「エデン」として知られる地上のある部分にあった楽園に置きました。何世紀も後のこと,エホバは,バビロニア人による征服後荒廃して荒れ野と化したユダの地を「エデンの園」,つまり楽園にするよう取り計らわれました。また,今世紀になってエホバ神は,ご自分の献身的な民に霊的な楽園をお与えになりました。
一変したユダの地
4,5 荒廃したユダの地を約束どおり一変させて楽園にするのはどうして容易なことではありませんでしたか。
4 ユダの地が人畜のいない荒れ果てた所と化したのは今から25世紀余の昔のことです。その地を一変させて楽園にするのは容易なことではありませんでした。周囲の諸国民は,そのようなことが起きるのを見たいとは思いませんでした。それにもかかわらず,エホバ神はご自分の預言者エゼキエルに次のように言われました。
5 『汝イスラエルの山々に預言して言うべし イスラエルの山々よエホバのことばを聴け 〔主権者なる〕主エホバかく言いたもう 敵汝らの事につきて言う あゝこれらの古き高み我らのもちものとなると このゆえに汝預言して言え 〔主権者なる〕主エホバかく言う 彼ら汝らを荒らし四方より汝らをのめり ここをもて汝らは国民のうちの残れる者のもちものとなり また人の口歯にかかりて噂せらる さればイスラエルの山々よ〔主権者なる〕主エホバのことばを聞け 〔主権者なる〕主エホバ山と岡と窪地と谷と滅びたる荒れ跡と人の捨てたる町々すなわちそのまわりに残れる国民にかすめられ嘲らるる者にかく言いたもう すなわち〔主権者なる〕主エホバかく言いたもう 我まことにわがねたみの火炎をもやして国民の残れる者とエドム全国の事を言えり これらは心に喜びをきわめ心に誇りてわが地をおのれのもちものとなしこれを奪いかすめし者なり』― エゼキエル 36:1-5〔新〕。
6,7 周囲の諸国民は独自の目的を持っていたにもかかわらず,荒廃したユダの地には確かにどんなことが起きようとしていましたか。なぜですか。
6 荒廃したユダの地の周囲の敵国は,住民のいないその領土に関して独自の利己的な目的をいだいていました。しかし,エホバは別の目的を持っておられましたし,その目的は達成されることになっていたのです。周囲の貪欲な諸国民はその地を得ることにはなっていませんでした。彼らは自ら災厄をこうむり,その欲深い努力ははばまれるのです。エドムあるいは他のどんな国民であれ,捨てられたユダの諸都市を略奪したり,その地を牧場として用いたりすることは許されませんでした。やがてエホバは,その地つまり「イスラエルの土地」を荒廃状態から一変させて,復帰したイスラエル人とその家畜の住む楽園のように繁栄した所にするよう取り計らわれるのです。エホバはエゼキエルにこう告げられました。
7 『イスラエルの〔土地〕の事を預言し山と岡と窪地と谷とに言うべし 〔主権者なる〕主エホバかく言いたもう汝らもろもろの国民のはずかしめをこうむりしによりて我わがねたみと怒りを発して語れり ここをもて〔主権者なる〕主エホバかく言いたもう我わが手を挙〔げて誓う〕汝のまわりの国民は必ず自らはずかしめをこうむるべし されどイスラエルの山々よ汝らは枝を生じわが民イスラエルのために実を結ばん この事遠からずならん みよ我汝らに臨み汝らをかえりみん 汝らは耕やされて種をまかるべし 我汝らの上に人を殖さん これ皆ことごとくイスラエルの家の者なるべし 町々には人住み 荒跡は建て直さるべし 我なんじらの上に人と家畜を殖さん これらは殖えて多くの子を生まん 我汝らの上に昔のごとくに人を住ましめ汝らの初めの時よりもまされる恵みを汝らに施すべし汝らはわがエホバなるを知るにいたらん 我わが民イスラエルの人を汝らの上に歩ましめん彼ら汝をたもつべし 汝はかれらの産業となり重ねて彼らに子なからしむることあらじ』― エゼキエル 36:6-12〔新〕。
8,9 エゼキエルの時代の当時,ユダの地の回復にかんするエホバの約束の成就はなお後代に求めるべき事がらでした。なぜですか。
8 預言者エゼキエルの時代の当時,バビロンにおける流刑の期間はなお何十年も残されていましたから,エホバが誓われた誓いの成就はなお後代に求めるべき事がらでした。それはエホバがエゼキエルを通して言明されたとおりです。
9 『イスラエルの家わがこれを彼らのためになさんことをまた我に求むべきなり我群れのごとくに彼ら人々を殖さん 荒れたる町々には聖き群れのごとくエルサレムの節日の群れのごとくに人の群れ満ちん 人々すなわち我がエホバなるを知るべし』― エゼキエル 36:37,38。
10 ユダの地の回復に関する約束はいつ成就し始めましたか。それで,他の諸国民は何を認めざるをえませんでしたか。
10 ユダの地の荒廃した諸都市にそのようにして再び人びとが住むには,悔い改めてエホバのあわれみ深い約束の成就を希求した人びとが,そうすることをエホバに求める必要がありました。それら流刑に処されたユダヤ人のうちの多くの人びとは確かに生き残って故国に帰り,エホバの約束が実現されるのを見ました。西暦前537年,バビロンの征服者クロスは,ユダヤ人の流刑者が故国に帰ってエルサレムで神殿を再建することを許した勅令を発布しました。(エズラ 3:1,2,12)自分たちの諸都市に戻ったイスラエル人は,再建し,植える仕事を開始したので,諸国民は,エホバが驚くべき変化をもたらしたことを認めざるをえませんでした。それは確かにエホバがエゼキエルを通して宣言されたとおりでした。『人すなわち言わん この荒れたりし地はエデンの園のごとくになり荒れ滅びくずれたりし町々は堅くなりて人の住むに至れりと』。(エゼキエル 36:33-36)しかしながら,エドム人はついに国外追放者となり,西暦70年におけるエルサレムの二度目の崩壊後,民族としては存在しなくなってしまいました。
生み出された霊的な楽園
11 エホバのクリスチャン証人の油そそがれた残れる者はいつ捕われの状態に陥りましたか。なぜですか。
11 現代になって,霊的なイスラエルの油そそがれた残れる者であるエホバのクリスチャン証人は,西暦前7世紀から同6世紀にかけて生来のイスラエルが得た経験と比較しうる経験をしてきました。第一次世界大戦中,それら証人たちは宗教的迫害や反対を経験し,捕われの状態に陥りました。エホバ神は,霊的なイスラエルの残れる者が犯した誤りのゆえに,そうした事態が生ずるのを許しました。しかし,彼らの霊的な状態を荒廃したままに放置し,大戦後の宗教的領域全体をキリスト教世界に引き継がせるのはエホバの目的ではありませんでした。
12 西暦1919年,キリスト教世界はどのようにはずかしめを経験しましたか。
12 昔のイスラエルを取り巻いていたエドムその他の諸国民のように,西暦1919年,キリスト教世界は重大なはずかしめを経験しました。それは,同世界が霊的なイスラエル人の迫害下の残れる者に対して予言し,期待した,はずかしめをもたらす事がらが実現しなかったからです。同年,残れる者の霊的な状態は,霊的なイスラエルの人びとで活況を呈しはじめました。
13 エホバのクリスチャン証人の間に見られる発展とキリスト教世界で起きている事がらを対照しなさい。
13 近年,教会の会員数や神学校の入学者数は著しい減少を示してきましたが,1919年以来今日に至るまでエホバのクリスチャン証人は驚くべき増加を享受してきました。彼らの霊的な状態ともいうべき「山々」は,エホバ神の数多くの献身的な崇拝者たちで活況を呈してきたのです。1935年までに,りっぱな牧者の『他の羊』の『大いなる群衆』は,霊的なイスラエル人の油そそがれた残れる者と交わり始め,こうして象徴的な「イスラエルの山々」の上で活動するようになりました。第二次世界大戦中の世界的な迫害でさえも,象徴的な「イスラエルの山々」の全住民を失わせる,もしくは減少させるものとさえなりませんでした。1928年当時,神の王国の「良いたより」を公にふれ告げていたのはわずか4万4,080人にすぎませんでしたが,1972年には208の土地の2万8,407の会衆と交わるそのような布告者の数は,165万8,990人の最高数に達しました。
14 古代のイスラエルの諸都市とそれが堅くされたことは,現代のどんな事がらと比べることができますか。
14 西暦1919年以降,霊的なイスラエル人の回復した残れる者の諸会衆は,古代イスラエルの諸都市のようになりました。それら諸会衆は特に,立てられた神の王国の良いたよりを宣べ伝えよとのイエスの預言を遂行する活動のために組織をいっそう改善することによって「堅く」なりました。(マタイ 24:14)そして,会衆別独立自治体制ではなくて,神権的中央集権統治体制が全地のすべての会衆に適用された1938年には,それら諸会衆はいっそう十分に堅くされました。
15 エホバのクリスチャン証人の間には,どのように『人が群れをなして集う』状態が生じていますか。
15 確かにエホバ神は,ご自分のクリスチャン証人の霊的な状態という領域をおびただしい『人の群れ』で満たしておられます。(エゼキエル 36:11,37,38)かつてイスラエルの12部族の人びとは,三回の『節日』(過ぎ越し,ペンテコステ,仮庵の祭り)の時期にエルサレムとその神殿に群れをなして集まったものです。同様に,エホバのクリスチャン証人は,各地の王国会館だけでなく,周期的に開かれる巡回,地域,全国そして国際大会にともどもに群れをなして集う喜びにあずかってきました。
16,17 現代の圧力は,霊的な状態に導き入れられた霊的なイスラエル人に対して何を行なうものとはなりませんでしたか。
16 暴力のはびこる無政府状態ともいうべきこの時代の圧力は,回復した霊的なイスラエル人をその新たに占めた霊的な状態から,まるで侵略者かその地の飢饉によって滅ぼされ,呑み込まれでもするかのように消滅させるものとはなりませんでした。彼らの経験はエゼキエル書 36章13-15節〔新〕に述べられているものと似ています。その中でエホバはイスラエルの土地に向かってさらにこう話しておられます。
17 『〔主権者なる〕主エホバかく言いたまう 彼ら汝らに向かい汝は人を食らい なんじの民をして子なからしめたりと言う このゆえに〔主権者なる〕主エホバ言いたもう 汝ふたたび人を食らうべからず 再び汝の民をつまずかしむべからず 我汝をして重ねて国々の民の嘲りを聞かしめじ 汝は重ねて国々の民のはずかしめをこうむることあらず 汝の民をつまずかしむることあらじ 〔主権者なる〕主エホバこれを言う』。
18,19 (イ)いつ,またどのようにカナンの地はその住民を呑み込みましたか。(ロ)西暦前537年およびそののち古代イスラエルに起きた事がらは,油そそがれた残れる者の西暦1919年以後の事情とどのように比べられますか。
18 カナンの地は,その地の民族があたかも地に呑み込まれるかのように滅ぼされるという点で悪評を得ていました。(民数 13:32)西暦前1473年,エホバはイスラエル人をカナンの地に導き入れ,その後イスラエル人は七つの民族を滅ぼしましたが,それはあたかも地がそれらの住民を食らい,呑み込んだかのようでした。
19 西暦前607年,バビロンの王はユダの地を征服し,生き残った幾百人もの大勢のユダヤ人を流刑に処し,その地は人間も家畜もいない荒廃したところになりました。こうして再びその地はあたかも住民を呑み込み,その子らであるユダ王国の国民を失ったように見えました。それよりも前の西暦前740年,その地はその子らであるイスラエル王国の国民を失いました。しかし,ひとたび荒廃したその地はエホバの特別の祝福と保護のゆえに,西暦前537年およびそれ以後バビロンにおける流刑から復帰した忠実なイスラエル人の残れる者に関連しては再び同様の経験をするという事態は生じないことになっていました。それで,大戦後の西暦1919年に残れる者が復帰した霊的な状態についても同じことがいえます。彼らは依然としてその状態のうちに留まっており,活動し,実を結び,殖ています。神の民の享受している霊的な楽園の基礎は固まってきました。
神のみ名が関係している
20,21 エホバが西暦前537年には模型的な残れる者の回復を,西暦1919年には対型的な残れる者の回復をそれぞれもたらしたのはなぜですか。
20 エホバ神はなぜそのようなすばらしいことをもたらされたのでしょうか。それは西暦前537年およびそれ以後の模型的な残れる者や西暦1919年およびそれ以後の対型的な残れる者がそれに値する者だったから,あるいはその功績のゆえにもたらされたのではありません。神ご自身の聖なるみ名が関係していたのです。こうしるされています。
21 『エホバのことばまた我にのぞみて言う 人の子よ昔イスラエルの家その国に住み己の道と行為とをもてこれを汚せり その道は月穢のごとくに我に見えたり 彼ら国に血を流し またその偶像をもて国を汚したるによりて我わが怒りを彼らにそそぎ 彼らをもろもろの国の民のうちに散らしたれば すなわちもろもろの国に散りぬ 我かれらの道と行為とにしたがいて彼らをさばけり 彼らそのゆくところの国々に至りしがついにわが聖き名を汚せり すなわち人かれらを見てこれはエホバの民にしてかれの国より出で来たれる者なりと言えり ここをもて我イスラエルの家がその至れる国々にて汚せしわが聖き名を惜しめり』― エゼキエル 36:16-21。
22 古代のイスラエルがバビロンへの流刑に処され,油そそがれた残れる者が大いなるバビロンに隷属させられたことは,なぜ神のみ名に非難をもたらしましたか。
22 イスラエル人は流刑者としてエホバの地から出て行ったので,彼らが仕えていると唱えた神エホバは彼らをその敵から守ることができなかったように見えました。それは神の聖なるみ名に非難をもたらしました。そのために異邦諸国民は神のみ名を汚して悪しざまに言いました。同様に,第一次世界大戦中,霊的なイスラエル人の油そそがれた残れる者が大いなるバビロンとその政治および軍事上の情夫への隷属状態に陥った時,万国聖書研究会の会員であったそれら残れる者は正真正銘のクリスチャンではないように見えました。真の神はあたかも彼らの側にはおらず,彼らを保護してはいないように見えました。そのために,彼らが献身して仕えていた神のみ名に非難がもたらされました。したがってエホバは,ご自身のみ名を惜しむことによって自尊心を表わすことを余儀なくされました。それは聖なるみ名であって,俗人によって汚されてしかるべきものではありません。エホバはご自分のみ名と関係のある献身的な残れる者を持っておられたので,エホバがご自分のみ名を惜しんで行なわれたことはすべて,その残れる者に対する同情を求めるものとなりました。
23 エホバは諸国民の間でご自分のみ名をどのようにきよめられましたか。
23 現代になってエホバ神がご自分の民を回復させる点で行なわれた事がらは,エゼキエルの預言のことばを成就するものとなってきました。(エゼキエル 36:22-24)そのみ名を聖なるものと見る献身した民を生み出すことによって,エホバは確かに諸国民の間でご自分のみ名をきよめられました。(エゼキエル 36:38)その民は神のみ名に栄光をもたらすことに意を用いており,自分たちの何らかの不行跡のためにそのみ名に非難を招くようなことがないよう心がけています。そして,神の律法と,神を無視する人間の作った法律とが対立する場合には,人間よりもむしろ,支配者としての神に従う道を選びます。―使行 5:29。
24 エホバが油そそがれた残れる者を清めたこと,また彼らに「肉の心」および『新しい霊』を与えたことは,彼らにとって何を意味しましたか。
24 エホバは,清い水を彼らにふりかけるかのように,その清める力によって,ご自分の回復した残れる者を宗教的な汚れた状態から清めました。けがらわしい「偶像」の汚れから清められた彼らは,政治的,軍事的また宗教的高位者を偶像視したり,像や彫像あるいは象徴物に対する偶像崇拝に類する挙動や姿勢を取ったりすることを拒みます。エホバは彼らの心から石のように堅い部分を取り去り,「肉の心」つまりエホバの意志を行ないたいという愛と愛情によって動かされる心を彼らに与えました。エホバが彼らの内に置いた『新しい〔霊〕』というのは,エホバの聖霊のことです。その結果,彼らは ―『愛・喜び・平和・寛容・情け・善良・忠信・柔和・節制』などの霊の実を生み出してきました。―エゼキエル 36:25-28〔新〕。ガラテヤ 5:22,23。
25,26 エホバがその民を懲らしめたことで諸国民は誤った印象を受けましたが,何がそれを正しましたか。
25 エホバがその民を懲らしめたことで諸国民がエホバに関して誤った印象を受けた事態を正すため,エホバは1919年以来,ご自分の民を豊かに祝福してこられました。それはエホバがエゼキエルを通して次のように約束されたとおりです。
26 『我汝らを救いてそのもろもろの汚穢を離れしめ穀物を召してこれを増し飢饉を汝らに臨ませず 樹の実と畑の作物を多くせん ここをもて汝らは重ねて飢饉の恥を国々の民のうちにこうむることあらじ 汝らはその悪しき道とその良からぬ行為を覚えてその罪とその憎むべき事のために自ら恨まん 〔主権者なる〕主エホバ言いたもう 我がこれをなすは汝らのためにあらず汝らこれを知れよイスラエルの家よ汝らの道をはじて悔むべし』― エゼキエル 36:29-32〔新〕。
27 油そそがれた残れる者の成員は,大いなるバビロンのとりこになった自分たちの過去のことをどう感じていますか。それはどんな健全な影響を彼らに及ぼしていますか。
27 油そそがれた残れる者の成員は,自分たちに示された神のそうしたやさしさゆえに,過去の自分たちのことを振り返って見るとき,自らに対して嫌悪の情を感じます。彼らはそれを考えただけで恥ずかしく,不面目に感じます。こうした態度は,霊的また道徳的汚穢に再び故意に関係しようとする傾向があれば,それをすべて彼らから除き去るものとなります。エホバは,回復された状態のうちにある彼らに対してご自分の過分の親切の及ぼす影響のゆえに,彼らをそのすべての汚穢から救われるのです。象徴的に言って,エホバは作物を召して地から生えさせ,穀物を非常に豊かに生み出させたので,世の諸国民は,霊的食物の備えの点で飢饉に見舞われているとしてそれら残れる者を非難することはできなくなりました。残れる者は,このことが自分たちの過去の何らかの善良さゆえに,また自分たちのために行なわれたのではないことを深く認識しています。エホバはご自分の聖なるみ名のゆえに,このすべてのことを彼らのために行なわれたのです。残れる者はこの事がらを神から知らされたことに対して感謝しています。ゆえに,彼らは謙そんのかぎりをつくして神のみ名をきよめています。
28 わたしたちはこの地が楽園になることをどうして確信できますか。
28 このすべては,その聖なるみ名と関連しているエホバの約束は成就されるものであることを例証しています。この地を一変させて楽園にすることはエホバの目的ですから,そうなることをわたしたちは確信できます。