完全な環境のもとで完全な健康を享受することは可能ですか
1-3 人びとの健康が全般的に悪化していることを示す証拠をあげなさい。
人びとの健康状態は全般的に日々悪化しています。何年か前のことですが,身体上兵役には不適格と判断された若者がかなり高いパーセントを占めたため,アメリカ政府は事態を憂慮しました。当時の大統領だったジョン・F・ケネディが後に作成した報告は,同大統領の身体的適正改善計画に関してこう述べました。「わが国の学校全体の20%は,正規の適性改善計画を持っておらず,わが国の児童の20%は最低限度の適性テストに合格することができない。より広範囲の検査のすべての事項に合格できない児童は80%を占めている。……しかも,われわれは成人の適性改善という大問題にかろうじて取り組めるようになったばかりである」。
2 一般に世界の最『先進』国の一つと呼ばれる国に存在するこうした事態は,科学に順応した社会が人びとを完全な健康にいっそう近づけるものとはならなかったことを示しています。実際のところ,優れた健康にとって肝要な環境は汚染されてゆく一方です。
3 それにもかかわらず,完全な環境のもとで完全な健康を享受できるという,確実な根拠に基づく,確かな希望があります。どうしてそのようなことがありうるのでしょうか。
真の健康の源
4 真の健康を享受するためには,なぜ医療や良い環境以上のものが必要ですか。
4 真の健康を得るには,医療や良い環境以上のものが必要です。医者にかかったことがある人ならだれでも知っているように,治療は時には役だちますが,完全な健康をもたらすものではありません。また,都市に見られるひどい汚染などのない遠い田舎で暮らしていようと,人間は老衰を免れられるわけではありません。人類は今日,受け継いだ罪の重荷のもとでよろめいています。その罪こそ,病を生み,ついには死をもたらすものとなるのです。不完全な人間はだれも,自らを,あるいは他のだれかをこうした状態から解放することはできません。(ロマ 5:12。詩 49:7-9)しかし,神はそうした解放を可能にする手だてを設けられました。神はそのことをご自分のみ子イエス・キリストを通して行なってこられました。
5 (イ)真の健康はどのようにして得ることができますか。イエスはそのことをどのように示されましたか。(ロ)人類のための良い環境に関してイエスはどんな約束をなさいましたか。
5 イエスは地上におられた時,イエスに対して信仰を働かせる人は罪を許してもらうことができ,またそのようにして健康を回復させてもらえることを実証されました。たとえば,イエスが,からだの麻痺したある人に向かって,「あなたの罪はゆるされています」と告げたところ,その人は癒されました。(マルコ 2:1-12,新)イエスはまた,人類を治める王国がご自分の領域として与えられるとき,人間がエデンで享受していた楽園が回復されることをも示されました。イエスに向かって,「イエスよ,あなたがご自分の王国にはいられる時,わたしのことを思い出してください」と言ったのは,イエスのかたわらで死に臨んだ,ある男の人でした。イエスはそのことばに動かされて,こう答えました。「きょうあなたに真実に言いますが,あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」― ルカ 23:42,43,新。
6 回復されるパラダイスにはだれが住みますか。
6 「パラダイス」とは,「公園のような庭園」という意味です。神が最初の人間夫婦にお与えになったパラダイスのような住みかは,不従順のゆえに失われました。(創世 3:1-7,17-24)回復されたパラダイスの完全な環境のもとで命を得る人たちは,自分がアダムのような者ではなく,神の意志を行ない,心から神に従う者であることを示さなければなりません。
奇跡的な癒し
7 神は遠い昔,自ら人間の窮状を認め,また事態を正すため何ごとかを行なおうとしておられることをどのように示しましたか。
7 神は遠い昔,自ら人間の窮状を認め,心配し,また事態を正すつもりでおられることを示しました。神はご自分の預言者エゼキエルに幻を与えました。その幻の中でエゼキエルは,エホバの聖所,つまりエホバが代表的な仕方で臨在された神殿の至聖所から,「命の水の川」が流れ出ているのを見ました。その水は小川のように流れ出ましたが,アラバと呼ばれる渓谷に向かって流れるにつれ,水量を増して壮大な急流となり,そして塩の海,つまり死海にまっすぐ流れてゆきました。その結果生じた事がらは,人類のだれひとりとして関心をいだかずにはおられないような驚くべき,喜ばしい成就を予告しています。エゼキエルはその幻について次のように伝えています。
8,9 エゼキエルはどんな奇跡を見ましたか。
8 『彼[神のみ使い]われに言いけるは人の子よ汝これを見とめたるやと すなわち河の岸に沿いて我をひきかえれり 我帰るに河の岸のこなたかなたにはなはだ多くの木々生い立てるあり 彼われに言う この水東の境に流れゆきアラバにおち下りて海に入る これ海にいればその水すなわち医ゆ およそこの河のゆくところにはもろもろの動くところの生き物みな生きん またはなはだ多くの魚あるべし この水至るところにて癒すことをなせばなり この河のいたるところにては物みな生くべきなり』― エゼキエル 47:6-9。
9 地球上で水面の最も低いこの水域の,塩分の濃厚な,生物の住まない,その水の中で奇跡が起きるのをエゼキエルは見ました。その海は,なんと生きた魚で満ちはじめたのです。その川の水が,この水域の水を浄化して,生命をささえうるものにしていたのです!
10-13 死海西岸一帯が漁る者で活況を呈したことは,何を預言的に示していますか。
10 エゼキエルは,かつての死海が今や生物で満たされていること,つまりエホバの神殿から流れ出た水は確かに「命の水」であることを示す現実の証拠を与えられました。み使いはさらにこう説明し続けます。
11 『漁る者そのかたわらに立たん エンゲデ[「子やぎの泉」]よりエネグライム[「二頭の子牛の泉」,死海西岸のエンゲデの北方約29㌔の地点にある]までは網を張るところとなるべし その魚はその類にしたがいて大海[地中海]の魚のごとくはなはだ多からん』― エゼキエル 47:10。
12 この幻がキリストの千年統治に関するものであることはきわめて明らかです。したがって,この預言に出てくる漁る者とは,キリストがご自分の弟子たちに関し,彼らがそうなることを述べた「人をすなどる者」のことではありません。(マタイ 4:19,新)なぜなら,約束された「新しい地」では,人を魚のように捕えてイエスの弟子にすることは行なわれないからです。―ペテロ後 3:13,新。
13 それで,エゼキエルの幻の中で漁る者が出てくるのは,「命の水」,つまりキリストの贖いの犠牲とその祭司としての奉仕を通して命をもたらす神の備えが,人類に真の,生気にあふれた健康と命を与えることを預言的に描写する手法にすぎません。
14-16 どんな要素が除去されて初めて,人間は完全な健康を得ることができますか。
14 今日,人類に影響を及ぼしている種々の状態や境遇は,死海の環境のように死をもたらすものとなっています。このことは,人間が漸進的に悪化させている現代の汚染された物理的環境にのみ当てはまるのではありません。(黙示 11:18)さらに重大なこととして,それは不完全性,つまりわたしたちの父祖アダムの罪の結果として,わたしたちの受け継いだ,死をもたらす状態にも当てはまるのです。
15 しかし,楽園の地での完全な健康を現在の境遇のもとで享受することを不可能にしている要素がなおほかにもあります。ヨハネの述べた次のことばは,このことを明らかにしています。『全世界は邪悪な者の配下にある』。(ヨハネ第一 5:19,新。コリント後 4:4)目には見えませんが,悪魔サタンは人類の大多数を支配しており,人間の災いの主要な源となっています。今はこの世界の終わりの時ですから,特にそういえます。―黙示 12:3,4,7-13。
16 したがって,神の強力な,主要なみ使いであるイエス・キリストがサタンとその悪霊たちを「底知れぬ深み」に投げ込んで,地を悩ますことができなくなるよう彼らを除去して初めて,予告された,『命を与える水』は流れ出て,人類に完全な健康を回復させることになるでしょう。次いで,この世界の滅びを生き残る人たちが,まず最初に命の水を自由に飲むことになります。しかし,彼らだけがそうするわけではありません。その川の水量は,復活させられる人類すべてに十分の水を供給するに足るものとなるでしょう。―黙示 20:1-3,新。
なかには癒されない者たちもいる
17,18 信仰と従順を示さず,命の水を飲もうとしない人たちはどうなりますか。
17 奇跡的に浄化された死海の水の中で捕えられた魚として描かれているのは,モーセの律法のもとで食用に供せる「清い」魚であって,汚れた海生生物ではありませんでした。同様に,命を与える水によって癒されるのは,純正な崇拝を行なって信仰と従順を実践する人たちです。しかし,もしある人が,メシヤの治める「新しい地」の支配のもとにあるその事物の体制の法律や取決めに反抗したり,不従順を示したりするならどうなりますか。―黙示 21:1,新。
18 それに答えるものとして,エゼキエルの幻に関する記録は,癒しを行なう水が到達しない,ある水域についてこう述べています。『その沢地と湿地とは癒ゆることあらずして塩地となりおるべし』。(エゼキエル 47:11)このことは,癒しを行なうエホバの水を故意に拒絶する者はひとりも永遠の命を得られないことを比喩的に示しています。エホバのメシアの治める王国のもとで復活させられる人たちに関しては,こう書かれています。「火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。そのような不信仰で,不従順な者たちは,命の「水」を受ける人たちで成る正義の人類社会から除去されます。―黙示 20:14,15,新。
楽園の環境
19 エホバは,完全な人間に楽園のような環境のもとで生活させるのがご自分の目的であることをどのように示されましたか。
19 エホバは,完全なアダムとエバをエデンの園に置いたとき,完全な人間を完全な楽園の環境のもとで生活させるというご自分の目的を示されました。そのふたりが反抗したとき,両人は追放されました。なぜなら,その園にとどまるのは,義にかなった完全な人びとのみの特権だからです。―創世 3:24。
20,21 エゼキエルは,楽園のような環境を描いたどんな光景を見せられましたか。
20 このことに対応して,エゼキエルの幻の中では,完全な幸福にとって重要な,そうした環境上の特徴が考慮されています。み使いは次にこう述べます。
21 『河のかたわら その岸のこなたかなたに食らわるる実を結ぶもろもろの木生いそだたん その葉は枯れずその実は絶えず月々新しき実をむすぶべし これその水かの聖所より流れいずればなり その実は食となり その葉は薬とならん』― エゼキエル 47:12。
22,23 楽園のような環境が必ず到来することを確証する二重の保証のことばを,エホバはどのようにして『ふたりの証人の口によって』与えられましたか。
22 エホバはふたりの証人に口頭で証言を行なわせることによって,楽園のような住みかが必ず到来することを保証しておられます。(コリント後 13:1)どのようにしてですか。エゼキエルが預言を行なった後,六百年余を経て,キリストはその使いを使徒ヨハネに遣わし,以前の預言を確証する幻をヨハネに見させて,エホバは変わることがなく,その目的は必ず成し遂げられる神であることを証明しました。天の「新しいエルサレム」についてヨハネはこう伝えています。
23 「そして,その都市の大通りは純金であり,透明なガラスのようであった。また彼は,水晶のように澄みきった,命の水の川をわたしに見せてくれた。それは神と子羊とのみ座から出て,その大通りのまん中を流れていた。そして,川のこちら側と向こう側には,月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木があった。そして,その木の葉は,諸国民をいやすためのものであった」― 黙示 21:21; 22:1,2,新。
24,25 「月ごとに」生ずる実,および葉は何を表わしていますか。
24 ヨハネの幻は,エホバがご自分のメシヤである「子羊」の治める王国を通して統治する時にそれが成就するものであることを示しました。ヨハネの幻も,エゼキエルのそれも,最初のエデンの園がそうであったように,命を与える水の川には両岸に食物を供する美しい植物が生えるという,励みを与える良いたよりが真実であることを立証しています。あたかも,新鮮な実を「月ごとに」生み出す果物の木によって供給されるかのように,命をささえる供給物は,干ばつや病害あるいは疫病でそこなわれることなく,いつまでも豊かに備えられ,人類はそれを享受します。
25 それらの木の「葉」は,「諸国民をいやす」ものとなります。このことは,従順な人類が完全な健康をいつまでも享受できることを保証しています。
26 すべての状態が完全な幸福に資するものとなります。どのようにしてそうなりますか。
26 その時,すべての状態は,人間が完全な健康を保って幸福な生活をするのに益するものとなります。そして人は,命の尊さを十分に味わい知ることができ,健全な清い環境は人びとの幸福を完全なものにするでしょう。その水が干上がる心配はありません。というのは,その源は尽きることを知らないからです。アダムとエバは楽園の世話を委ねられながら,その使命を果たしませんでしたが,命の水を飲む人たちは,同様の楽園の世話をする仕事を行なうための活力をどれほど豊かに得られるかしれません。
27 人間と動物との関係に関してはどんな状態が存在するようになりますか。
27 ご自分の民を祝福するにさいしてエホバはまた,エデンの園で行なわれたとおりに,生態学的均衡の取れた状態をもたらされます。そうです,エホバは古代イスラエルのご自分の献身した民の益と安全を図るため『野の獣と契約』を結びましたが,それと全く同様,否それ以上に,王国の支配下で命と健康を脅かすものすべてから人びとを保護するエホバの処置は,さらに永続するものとなるでしょう。―ホセヤ 2:18,口語。
28,29 (イ)エゼキエルの幻から受けた啓発は,わたしたちをどのように動かすものとなりますか。(ロ)神の「新しい地」において,忠実な人びとはどんな喜ばしい宣言を聞きますか。
28 エホバの過分の親切を認める人はすべて,エホバのそうした親切に関する知識に動かされてエホバを賛美します。そして,そのみことば聖書に示されている要求に自分の生活を合わせ,このすばらしい希望を他の人びとにふれ告げることによって,エホバを最も効果的に賛美できます。(黙示 22:17。ロマ 10:10)完全な健康に恵まれた状態で,しかも犯罪や汚染のない,美しい,平和な環境の中で次のようなことばを聞く以上に楽しいことがあるでしょうか。
29 「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 黙示 21:3,4,新。