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「人間におののくことはわなを仕掛けることになる」ものみの塔 1980 | 1月1日
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のできるかたを恐れなさい」― マタイ 10:28。
であればなおのこと,死すべき人間の非難やちょう笑を恐れる理由はありません。イザヤを通して語られたエホバの次の言葉はこの点に関して力強い励ましを与えてくれます。「義を知る者たち,その心にわたしの律法がある民よ,わたしに聴け,死すべき人間のそしりを恐れてはならず,単にそのののしりの言葉のゆえに恐怖に打たれてはならない。蛾が彼らをまるで衣のように食い尽くし,衣蛾が彼らをまるで羊毛のように食い尽くすであろう」― イザヤ 51:7,8,新。
創造者の偉大さを考え,人間の弱小さをそれと対比させてみるなら,人間に対する恐れを断ち切るよう助けられます。エホバ神の目から見れば,諸国民すべては,桶の中の水の小さなしずく一つ,もしくは天びんの上の一片の塵にすぎません。(イザヤ 40:11-15,新)畏怖の念を抱かせる宇宙の創造者よりも,一滴の水や一片の塵を恐れるとは,実に理に欠けたことではありませんか。
他の人々が人間に対する恐れに屈せず,首尾よくそれに抵抗しているという事実からも励みが得られます。クリスチャンの使徒ペテロは,「苦しみを忍ぶ点での同じことが,世にいるあなたがたの仲間の兄弟全体の中で成し遂げられている」ことを仲間の信者に思い起こさせました。(ペテロ第一 5:9)そうです,人間からの圧迫に直面しながら,エホバ神の側に堅く立場を定めている人はほかにもいるのです。
全能の創造者の不興を買いながら,人間におののき,人間を喜ばせようとするのは,実に愚かなことです。ジョンとヘレンは,エホバに信頼を置かなかったため,自分たちの幸福を失いました。「大患難」が到来する前のいつの日か,ジョンとヘレンの二人が,また同様の傾向を持つ他の人々が,至高者に対する強固な確信を得て,次のように語った詩篇作者と同様の決意を表明することを願ってやみません。「エホバはわたしの光また救いです。だれをわたしは恐れるでしょう。エホバはわたしの命のとりでです。だれにわたしはおびえるでしょう」― 詩 27:1,新。
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読者からの質問ものみの塔 1980 | 1月1日
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読者からの質問
● ネブカデネザル王の夢に出てくる木の切り株に二本のたがが掛けられていたのはなぜですか。
ネブカデネザルは一本の巨木に関する預言的な夢を見ました。その木は切り倒され,たがが掛けられました。切り株に関連して,次のように記されています。「その根株は地に残しておき,鉄と銅のたがを掛け……その分を野の獣と共にさせて,七つの時がその上を過ぎるに至らせよ」― ダニエル 4:23,15,新。
預言者ダニエルの説明によると,この夢はまず,ネブカデネザルが支配の座から七つの時(明らかに七年)の間切り断たれることを意味していました。わたしたちは,この夢が,異邦人の支配する「七つの時」にも当てはまることを理解しています。その間,エホバは,ダビデの子孫の支配者を擁する王国によって宇宙主権を行使することはされません。「来たるべきわたしたちの世界政府 ― 神の王国」(1978年発行)の71-89ページをご覧ください。
切り株にたがが掛けられたことは,その「木」の成長が七つの時の間抑えられることを意味しているのでしょう。ヨブ記 14章7-9節に示されているように,普通の状況の下では,木の切り株は芽を出し,再び成長を始めることがあります。しかし,この切り株はそうではありませんでした。ネブカデネザルにこの夢が与えられた当時入手できた金属の中で特に強じんなものに鉄と銅がありました。(詩 107:10,16,ヨブ 40:18と比べてください。)ですから,切り株に鉄のたがと銅のたがが掛けられたことは,神の拘束というたがが取り除かれるまで,その「木」が再び成長しないことを二重に確証するものであったようです。
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