世界的な証言 対 世界の改宗
1 19世紀前に出された命令が今日,綿密な考察に値するのはなぜですか。
初めて出されて以来,1,900年余を経た命令を考慮するのであれば,それがどの程度に,また,どれほど効果的に遂行されたかを判定するのはむずかしいことではありません。それが,人類世界全体に影響を及ぼさずにおかないような命令であれば,それは綿密な考察に値します。そうした命令に関しては,今日までどんなことが行なわれてきましたか。これは現実の事態のことを言っているのです。なぜなら,それほど世界的な重要性を帯びた命令が現に存在しているからです。その命令の遂行は世界に影響を及ぼしてきました。好むと好まないとにかかわりなく,わたしたちは今日でも,その事態に関係しているのです。
2 その命令はどこで,また,何年何月何日の何曜日に出されましたか。
2 その命令は,いつ,だれによって,また,だれに対して出されましたか。その命令が出されたのは,西暦33年の春,陰暦アイアルー(もしくはジフ)の月の25日,週の第5日,つまり,今日の言い方でいえば,木曜日でした。人々は,その命令が出された場所の近くに宮を建てて,そこを史跡にしようとさえしてきました。というのは,その命令は,エルサレムの東に位置する有名な山,すなわちオリブ山で出されたからです。
3 その命令を出した人はなぜ特異な人物といえますか。その人の名前を述べなさい。
3 その命令を出したのは,特異な人物,つまり,その命令を出す40日ばかり前に,死から戻ってきた人でした。その人はローマの兵士によって死に処されました。その告発者たちがローマ総督ポンテオ・ピラトに,「われら比の人が,わが国の民をまどはし,貢をカイザルに納むるを禁じ,かつ自ら王なるキリストと称ふるを認めたり」と唱えて訴えたため,彼は死刑に処されたのです。ローマ人を動かし,なんとかして彼を処刑させようと考えた告発者たちは,さらにこう述べました。「我らに律法あり,その律法によれば,死に当るべき者なり,彼はおのれを神の子となせり」。こうした告発からおわかりのように,その男の人はほかならぬ,イエス・キリストです。―ルカ 23:2。ヨハネ 19:7。
4,5 (イ)イエスが復活されたという事実に関し,敵対者たちは何をしましたか。(ロ)それで,イエスは,ご自分に関する諸事実について,何を行なうよう弟子たちに命じられましたか。
4 彼が復活したことに関する,いろいろな事実をもみ消そうとした,エルサレムの宗教指導者たちは,わいろを使ってまで,そうした事実を偽って伝えさせようとしました。(マタイ 28:11-15)にもかかわらず,イエス・キリストは,西暦33年アイアルーの25日,その木曜日,再び確かに生きておられ,肉身をもってご自分の忠実な弟子たちに,それを最後の機会として現われました。そして,ダビデの王国は地上のイスラエル国家に再興されるのではないことを彼らに認識させました。また,神のメシヤもしくはキリストの治める,神の王国はその時建てられるのでもありませんでした。では,弟子たちは,イエス・キリストに関する事がらをそのままにしようとしていましたか。イエスに関する諸事実を,その死を図った者たちがゆがめて世界に広く伝えるにまかせ,全人類がイエス・キリストの生活,および,その死と復活との益にあずかれないままにしようとしていましたか。みずから見聞きし,かつ,親しく個人的にあずかった事がらについて,口をつぐもうとしていましたか。断じてそうではありません。弟子たちはこの点で何ごとかをなすべく,力を授けられようとしていたのです。しかもそれは,時をたがえず,すなわち,ヨエル書 2章28-32節の預言が成就しはじめる日に始まろうとしていたのです。そこで,イエスは弟子たちにこう言われました。
5 「聖霊があなたがたに到来するとき,あなたがたは力を受けるであろう。そして,あなたがたは,エルサレムと,ユダヤおよびサマリヤの全土の両方において,また,地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるであろう」― 使行 1:8,新。
6 ゆえに,弟子たちはいつから,イエスの証人になろうとしていましたか。
6 『証人となりなさい!』 それこそ弟子たちが命じられた事がらでした。彼らは,十日後,つまり,同じ西暦33年の五旬節の祝いに際し,ヨエル書 2章28,29節の成就として,神の聖霊を注がれたとき,そうした証言をするわざをゆだねられたのです。彼らは,ローマ帝国領内外のさまざまな地方から,エルサレムでのその祝いにあずかろうとして訪れたユダヤ人に対してのみならず,ユダヤおよびサマリヤの全土はもとより,「地の最も遠いところにまで」,つまり異邦諸国民に対しても,イエス・キリストの証人になろうとしていました。
7 イエスに関するこうした証言は,弟子たちの死とともに,とだえようとしていましたか。今日のわたしたちがそれに関係するようになったいきさつを述べなさい。
7 そうした証言は,オリブ山にいたそれら弟子たちが西暦1世紀中になくなっても,とだえるものではありませんでした。世界的な重要性を帯びた,イエス・キリストに関するそのような証言は,それ以後の世代の人々すべてにとって,20世紀の最後の世代の者にとってさえ,きわめて重要な事がらだったのです。その証言は,オリブ山にいたそれらの弟子たちが後に作る,クリスチャンの弟子たち,次いで,その後にずっと続く弟子たちすべてによって引き継がれ,ついには,地の最も遠いところにまで証言がなされるまで,何世紀にもわたって続けられることになっていました。こうして,その証言は今日のわたしたちに及んだので,わたしたちはそれに関係を持ち,かつ,関心をいだいているのです。
8 世界的な証言はだれの指導のもとに行なわれようとしていましたか。弟子たちは,自分たちのもとを去ったイエスに関して,何を確信しましたか。
8 この世界的な証言は,主イエス・キリストによる,目に見えない指導のもとに行なわれようとしていました。どうしてそういえますか。なぜなら,イエス・キリストは,それほどの長年月にわたる,世界的な重要性を帯びたその命令を出したのち,居合わせた弟子たちの見ているところで,天にのぼり,やがて見えなくなったからです。それは神の奇跡的な力によるものでした。使徒行伝 1章10,11節は,その時のことをこう述べています。「その昇りゆき給ふとき,彼ら天に目を注ぎいたりしに,視よ,白き衣を着たる二人の人かたはらに立ちて言ふ,『ガリラヤの人々よ,何ゆえ天を仰ぎて立つか,汝らを離れて天に挙げられ給ひし比のイエスは,汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復きたり給はん』」。メシヤは再び来られるのです!
世界の改宗はどれほど進展したか
9,10 (イ)ここで,世界の改宗という問題が持ち上がるのはなぜですか。(ロ)パン種のたとえ話について,アダム・クラーク博士の著わした「評釈書」はなんと述べていますか。
9 それにしても今日,世界の改宗はどうなっていますか。それは,どの“世界の改宗”のことですか。いったい,イエス・キリストの命令は,そのことば使いからすれば,神の王国が天に建てられ,キリストの千年統治が始まる前に,人類世界全体がキリスト教に改宗されることを意味していると言えるのではありませんか。一部の聖書注釈者は,イエスのそれらのことばを,そうした意味に解釈してきました。たとえば,パン種を入れて発酵させた練り粉に関する,イエスの次のようなたとえ話があります。「天の〔王国〕はパンだねのごとし,女これを取りて,3斗の粉の中に入るれば,ことごとく脹れいだすなり」。(マタイ 13:33,〔新〕)この点に関し,アダム・クラーク法博著,「評釈および批評注解」はこう述べます。
10 「そのたとえ話は二つながら,預言的な意味を持っており,キリストの福音がきわめて小さな始まりから,やがて諸国家すべてに広まり,正義と真の霊的清さを国々に充満させるに至ることを示す主旨のものであった」― 155ページ,第2欄。
11,12 ネブカデネザルの夢に現われた金属製の像を打った石について,クラークの評釈書はなんと述べていますか。
11 ネブカデネザル王の夢に現われた金属製の像を打ち,それを粉砕したのち,全地に満ちる巨大な山と化した石に関して,アダム・クラークの評釈書はこう述べています。
12 「使徒たちがローマ帝国のあらゆるところに出かけて行って,偶像崇拝を打破し,キリスト教の教会を設立するに及んで,その石は像を打ちはじめた。……しかし,異教を奉ずるローマ帝国に強烈な打撃を与えたのは,コンスタンチヌスの改宗であった。……コンスタンチヌスが改宗したのは,西暦312年,彼がゴールにいたときのことであった。……彼は西暦331年,異教の全寺院の破壊を命ずる勅令を出して,それまで君臨していた偶像崇拝に終止符を打った。こうして,キリスト教が同帝国の宗教となった。……それこそ,天の神が立てた王国なのである。これが福音の全摂理であり,また,福音によって人間の魂と世界にもたらされた倫理的結果であることは,動かしがたい事実といえよう。なぜなら,我らの主はこの本の中で,このことや他の預言に触れて,その影響とご自分の福音のことを,神の王国また天の王国と呼んでおられるからである。そうすることにより,彼みずからがその中で生き,支配し,ご自分の法によって治め,ご自分の霊によって影響を及ぼし,かつ,導きを与えるのは…神ご自身の恩ちょうによって興され,かつ維持される霊的な王国であることを示し,戦争や闘争ではなく,いと高き所にては神に栄光を,地上では人々の間に平和と善意をもたらされるのである」― 1836年版,3209,3210ページ。ダニエル 2:44,45。
13,14 1885年当時,キリスト教の進展および,世界の改宗を図るための前途の仕事に関する諸事実について,メソジスト派のフォスター主教はなんと述べましたか。
13 世界人口が今より少なくて,さほど大きな問題を提起しなかった,100年足らずの昔,つまり1885年11月9日のこと,メソジスト派のフォスター主教は,メソジスト監督教会会議で次のように述べました。そのことばを新聞から一部引用します。
14 「キリスト教の進展については情報が乏しく,全国の説教壇では日ごとに諸事実が偽って述べられ,牧師たちは,失望を招きはしまいかと恐れるあまり,最悪の局面を提示しかねており,実現不可能な希望を作り出しているのである。我々は千年期の夜明けにいるのではない。なされねばならない仕事と比べれば,これまでのことは物の数ではない。世界の改宗を成し遂げるには,我々の子どもの子どもたちが,今後10世代にわたって,我々が今している以上に労苦しなければならない。世界人口15億のうち,クリスチャンはその3分の1にすぎない。その半数はローマ・カトリック教会に属しており,新教徒は1億1,300万人を数え,500の宗派に分かれている。それに,この信徒の中には,窃盗犯,前科者,劣悪な酔酒者など,キリスト教世界の種々雑多な人間すべても含まれているのである……。われわれは,異教徒11億人をキリスト教に改宗するという大問題をかかえており,それは強大な岩塊のように我々の行く手に立ちはだかっている。問題を考察し,1,800年間になされたわざと,今後どれほどの仕事を成し遂げねばならないかを考えねばならない。……パン種を入れて発酵させねばならないのは,大きなパンのかたまりであって,しかも,仕事は久しくなされてきたのである」。―1886年1月号,「ものみの塔」誌(英文)の「盲目の教導者たち」と題する記事の3-6ページをごらんください。
15,16 (イ)第二次世界大戦後,日本におけるキリスト教の進展を阻むどんな障害が排除されましたか。(ロ)一報道によれば,キリスト教を国教にしようとするどんな提案がなされましたか。その提案はどのように取り扱われましたか。
15 1945年9月2日,第二次世界大戦が終了するとともに,キリスト教世界は,その成員数を突如急激に増大させうる機会に恵まれたかの観を呈しました。同年12月10日,当時の敗戦国日本における連合軍総司令官,マッカーサー元帥は,国教としての神道を廃止させました。その後,起草された日本国憲法には合衆国憲法にならって,信教の自由が明記されました。次に1946年1月1日,日本の天皇は,自分が天照大神の子孫であるとの説を否認し,その結果,神として崇拝されなくなったので,キリスト教世界が日本で勢力を進展させるのに妨げとなるものは,さらに排除されました。確かな筋からの報道によれば,ダグラス・マッカーサー元帥は,日本を“キリスト教”の国にしたい,との裕仁天皇の進言を退けたとされています。ニューヨーク・タイムズ紙はこう報じています。
16 「その進言は退けられた。……なぜなら,同元帥は,いかなるものであれ,宗教を国民に押し付けるのはまちがっていると考えていたためである。マッカーサー元帥が……語ったところによれば,日本が降伏したのち,天皇は,キリスト教を国教にしたいとの意思を個人的に表明したとのことである。時間をかけて『問題を考慮し』たい,と応じた同元帥は,その提案を熟慮したのち,天皇にこう返答した。『絶対に応じられません。いかなる宗教であれ,一国民をある宗教に服させるのは不当です。それは自発的な意思に基づいてなされるべき事柄です』。……マッカーサー元帥は天皇の提案を退け,代わりに,宣教師1万人を派遣するよう,アメリカ国民に要請した。『それに対して,われわれは一握りの宣教師を送ったにすぎない』と[ビリー・]グラハム氏は述べた」。―1964年4月7日付,ニューヨーク・タイムズ紙の「マッカーサー元帥が,日本のキリスト教化を勧める進言を退けたいきさつ」と題する記事の抜粋。
17 世界人口の増大と比べてみると,それ以後のキリスト教世界の拡張は,世界の改宗に関する,キリスト教世界の考え方の正しさを立証していますか。それともイエス・キリストが正しかったことを立証していますか。
17 当時,日本の人口は7,311万995人であり,世界人口は21億3,995万8,919人にふえていました。第二次世界大戦中,キリスト教世界の教会員幾千万人もが互いに殺し合ったものの,当時のキリスト教世界の成員数は5億9,240万6,542人,もしくは,その時の世界人口のおよそ4分の1を占めていたと報じられています。昨1970年,キリスト教世界の成員数は推定9億2,427万4,000人でしたから,それは世界人口34億8,326万3,000人の3分の1にも達しておらず,したがって,1946年当時より,さらに10億人以上の非キリスト教徒を改宗しなければならない事態を招いています。世界の改宗計画におけるキリスト教世界の拡張が,非キリスト教世界の人口爆発に追いつけないのは,だれの目にも明らかです。では,いずれがまちがっていますか。キリスト教世界ですか。それとも,イエス・キリストと聖書の聖なることばですか。冷厳な事実は,キリスト教世界がはなはだしくまちがっていること,しかし,イエス・キリストと聖書は正しいということを立証しています。
18 (イ)現在の事物の体制が完全な終わりを遂げる前に,どんなわざが行なわれることをイエス・キリストと聖書は予示しましたか。(ロ)イエスはエルサレムおよび現在の体制の滅亡を予示されましたが,その滅亡の理由を述べなさい。
18 イエス・キリストの千年統治が始まる前に,世界がキリスト教に改宗されるとは,イエス・キリストも聖書も予示しませんでした。その両者が予示したのは,キリスト教世界を含め,現在の事物の全体制がまもなく悲惨な終わりを遂げる際に伴う,「大かん難」の生ずる前に,世界的な証言が行なわれるということでした。事物の体制の終局に関する預言の中で,イエスはこう言われました。「王国のこの良いたよりは,すべての国の民に対する証として,人の住む全地で宣べ伝えられるであろう。そして,それから,終わりが来るのである」。(マタイ 24:3-14,新)また,オリブ山にいた,ご自分の弟子たちに対する最後のことばの中で,こう言われました。「あなたがたは……地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるであろう」。(使行 1:8,新)エルサレム,もしくは,ユダヤおよびサマリヤの全土,また,地の最も遠いところまで改宗させられるであろう,とは言われませんでした。彼らは改宗されませんでしたし,改宗されてもいません。イエスはエルサレムの崩壊を予告し,西暦70年,その都は破滅をこうむりました。また,イエスは,現行の事物の体制が,近づく「大かん難」に際して終わることをも予告されました。なぜなら,人々は自分たちに対してなされる証言にもかかわらず,悔い改めて改宗しようとはしないからです。(マタイ 24:15-22,新)その世界的な証言は今なお進行しています。
だれの証人か?
19 イエスに関する証言に関連して,神のお名前が占める位置につき,キリスト教世界の僧職者は,どんな印象を与えてきましたか。
19 ご自分の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と告げたイエス・キリストは,弟子たちの注意を最高至上の神からそらそうとしておられたのでしょうか。その時以来,神のお名前を陰に押しやり,ご自身の名前を前面に押し出し,もっぱらそれを用いさせようと考えられましたか。キリスト教世界の僧職者のやり方は,ともすれば,それこそイエスが意図しておられたことであるかのような印象を世に与えます。しかし,イエス・キリストご自身,あるかたの証人であった以上,ご自分の弟子たちに,ほかならぬそのかたの証人になってはならないなどと,どうして言えたでしょうか。
20 黙示録 3章14,21節で,イエス・キリストは,神がイエスの創造者または命の与え主であることを,どのように証しておられますか。
20 聖書の一番最後の本の中で,つまり黙示録 1章5節(新)で,彼は,「『忠実な証人』『死人の中からの初子』また,『地の王たちの支配者』なるイエス・キリスト」について述べています。しかし,黙示録 3章14節(新)では,栄光を与えられたイエス・キリストご自身が話し,こう述べます。「これらは,アーメンなる者,忠実なまことの証人……が言う事柄である」。だれの「忠実なまことの証人」ですか。もちろん,ほかならぬ神の証人です。だからこそ,そのすぐ次のところで,「神による創造のはじめなる者」と付け加えて,ご自分がどんな者であるかをさらに明らかにしておられるのです。そしてイエス・キリストは,こうした紹介のことばで語りはじめた音信を次のことばで結んでいます。「勝を得る者には我とともに我が座位に坐することを許さん,我の勝を得しとき,我が父とともに其の御座に坐したるが如し」。(黙示 3:21)こうして,イエス・キリストは,ご自分の天の父であられる神が,イエスの創造者また命の与え主であることを証しておられるのです。
21 黙示録 3章12節で,イエス・キリストは,だれのことを4回述べておられますか。それは,そのかたとイエスがどんな関係にあるということを示すためでしたか。
21 イエスは神の創造物の最初の者でした。そして,何節か前のところで,つまり黙示録 3章12節でイエス・キリストはこう述べます。「われ勝を得る者を我が神の聖所の柱とせん,彼は再び外に出でざるべし,またかれの上に,わが神の名および我が神の都,すなわち天より我が神より降る新しきエルサレムの名と,我が新しき名とを書き記さん」。この約束のことばの中で,イエスは「わが神」ということばを4回用いて,そのかたが,イエス自ら崇拝する,ご自分の神であることを証しておられるのです。同時にイエスは,神がイエスご自身の名前とは異なる名を持っておられることに注意を引き,イエスと神とは別個の存在者であることを示しています。
22,23 (イ)山上の垂訓の中で,また西暦33年,エルサレムにいた崇拝者たちのただ中で,イエスは,ご自分の名前を神のお名前より優先させるべきかどうかを,どのように示されましたか。(ロ)「主の夕食」を創設したのちの祈りの中で,イエスは神のお名前をどのように顕著なものにされましたか。
22 イエスがご自身の名前を,彼みずから祈りをささげた神のお名前に優先させるべきことを弟子たちに告げられた,とはとても考えられません。山上の垂訓の中で,イエスは弟子たちにこう告げました。「それで,あなたがたはこのように祈らねばならない。『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が清められますように』」。イエスは,ご自分の名前が清められることではなく,ご自分の父また弟子たちの父であられるかたのお名前が清められることを祈られたのです。(マタイ 6:9,新)西暦33年の春,エルサレムに勝利の入城を行なったのち,イエスは,一群の崇拝者たちの聞こえるところで,大声で祈って言われました。「父よ,あなたのお名前に栄光をもたらしてください」。イエスの祈りに対し,応答がありましたか,記録はこう述べます。「それゆえ,天から声がした。『わたしはそれに栄光をもたらしもしたし,また,再びそれに栄光をもたらしましょう』」。(ヨハネ 12:23-28,新)数日後,いわゆる“主の夕食”を紹介したのち,イエスは11人の忠実な使徒たちの中で,神に祈って言われました。
23 「永遠の生命は,唯一の真の神に在す汝と汝の遣し給ひしイエス・キリストとを知るにあり。世の中より我に賜ひし人々に我,御名をあらはせり。……聖なる父よ,……汝の御名の中に彼らを守りたまへ」― ヨハネ 17:3,6,11。
24,25 (イ)では,ガリラヤの山で弟子たちに与えられたイエスの命令は,オリブ山で彼らに与えられた最後のご命令に関して,何を示すものですか。(ロ)イザヤ書 43章1,10-12節によれば,イエスは律法のもとに生まれたユダヤ人としてエホバに対して何になる義務がありましたか。
24 死から復活したのち,イエスは,ガリラヤのとある山に集まっていた弟子たちに現われて,こう言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名によって彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい」。(マタイ 28:18,19,新)したがって,こうした記録すべては,イエス・キリストがご自分の弟子たちに対して,ご自身の天の父なる神のお名前をわきに押しやり,かつ,ご自分の名前,つまり,み子の名前をみ父の名前に先行させるよう命じられたのではないことを明らかにしています。それで,イエスは,オリブ山にいた弟子たちへの別れのことばの中で,ご自分の天の父なる神の証人であることを廃して,「わたしの証人」,つまりイエスの証人になるようにと弟子たちに命じられたのではありません。イエス・キリストは,そのユダヤ人の弟子たちと同様,ユダヤ人の女から生まれ,「律法の下に生れ(た)」,つまり,預言者モーセを通して与えられた律法のもとにあったことを忘れてはなりません。(ガラテヤ 4:4)したがって,イエス・キリストはご自分のユダヤ人の弟子たちと同様,イスラエル(もしくはヤコブ)国民の成員でした。神はご自分の預言者イザヤに霊感を与え,その口を通して,次のことばをその国民に話されました。
25 「ヤコブよなんぢを創造せるエホバいまかくいひ給ふ イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ おそるゝなかれ我なんぢを贖へり 我なんぢの名をよべり 汝はわが有なり エホバ宣給く なんぢらはわが〔証人〕わがえらみし僕なり さればなんぢら知てわれを信じわが主なるをさとりうべし我よりまへに[偶像崇拝をする諸国民によって]つくられし神なく我よりのちにもあることなからんたゞ我のみ我はエホバなり われのほかにすくふ者あることなし われ前につげ また救をほどこし またこの事をきかせたり汝らのうちに他神なかりき なんぢらはわが〔証人〕なりわれは神なり これエホバ宣給るなり」― イザヤ 43:1,10-12,〔新〕。
26 聖書巻末の本は,復活したイエスが依然エホバのお名前のための証人であられることを,どのように証明していますか。
26 したがって,ヤコブもしくはイスラエル国民の生来の成員であった以上,イエスおよび,オリブ山にいたその弟子たちはどうしても,神の証人,つまりエホバの証人でなければなりませんでした。肉身で地上におられた時のイエスはエホバの証人でした。そして,そのユダヤ人の弟子たちも同様でした。死から復活したのちも,イエスは引き続きエホバの証人でした。イエス・キリストが用いられてユダヤ人の使徒ヨハネに与えた,聖書巻末の本,すなわち黙示録は,栄光を受けたイエス・キリストがなおもエホバ神の証人であられることを示しています。黙示録 19章1-6節には,「あなたがたはヤハを賛美せよ!」を意味する,ヘブル語の表現である,「ハレルヤ!」という喜びの叫びが4回出てきます。「ヤハ」という名前は,エホバの短縮形です。―黙示 1:1,2。
27 (イ)イエスは,使徒行伝 1章8節の命令によって,ご自分の弟子たちがエホバの証人になる義務を取り除きましたか。(ロ)そのことは,彼らが西暦33年の五旬節に霊的なイスラエル人になった後でさえ変わりませんでしたか。
27 天のイエス・キリストは,とこしえの将来にわたって,エホバ神の証人であられます。したがって,ご自分のユダヤ人の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と語ったイエス・キリストは,イザヤ書 43章1-12節(新)の成就として,エホバ神の証人になるという義務をそれら弟子たちから取り除かれたのではありません。このことは,五旬節に際し,弟子たちに聖霊が注がれたのちでも変わりありません。なぜなら,その時はじめて,彼らは,イエス・キリストご自身を神と人間との間の仲介者として結ばれた,新しい契約のもとにある,霊的なイスラエル人となったからです。―使行 2:1-38。ガラテヤ 6:16。テモテ前 2:5,6。ペテロ前 2:9。
[176ページのグラフ]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
世界人口 キリスト教世界の成員数
(3,483,263,000) (924,274,000)
4 10億
1970
3 1946年後の
増加分
2
1
1970
1946年後の
増加分
[173ページの図版]
「あなたがたは,エルサレムと,ユダヤおよびサマリヤの全土の両方において,また,地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるであろう」― 使行 1:8,新。