現代のとらわれ人にとって解放が意味するもの
1 1世紀のユダヤ人の経験は何を示していますか。それで解放とは単に束縛的な制度から離れることですか。
第1世紀のユダヤ国民に臨んだ災いは,エホバの油注がれた者の宣べ伝える解放を受け入れない者に何が起きるかを小規模に示す歴史の先例です。この解放は単に束縛的な制度から離れ,拘束的な宗教上の暗黒のために盲目となっていた目に自由の光を与えることではありません。解放はひとやにも似た,束縛的な宗教制度と共に滅びるのを免れることをも含んでいます。今の時代の人々には世界的な規模のこのような滅びが近づいています。
2 それで曲がった時代から救われよというペテロの警告は,どんなものから解放される以上のことを意味していましたか。
2 19世紀前,ペテロはユダヤ人と割礼のある改宗者に,当時のユダヤ人の曲がった時代から救われることを勧めました。西暦70年に彼らの国に起ころうとしていた事を彼は警告したのです。ペテロが彼らに告げたのは,単に,伝統に固執する束縛的なユダヤ教制度から解放されることではありません。―使行 2:40。
3 (イ)約3年半後,ペテロは何から出ることを異邦人にすすめましたか。ペテロのしたことはイエスの別れぎわの命令とどのように一致していましたか。(ロ)エルサレムが滅びたのちにも解放の伝道をなぜ続けるべきでしたか。
3 約3年半のち,ペテロは割礼のない異邦人のもとにつかわされ,解放のおとずれを伝えました。これら異邦人は伝統的なユダヤ教の束縛下にいたのではありません。(使行 10:1-48; 11:8)その時以来信じた異邦人にとって,それは異教の宗教制度から解放されるかどうかの問題でした。つまり,バビロン的な偽りの宗教の全世界的な帝国から解放されるかどうかの問題でした。それらの異邦人に求められたのは大いなるバビロンから出ること,つまり偽りの宗教の世界帝国から出ることでした。復活したイエス・キリストが弟子たちに次のことばを残されたのはそのためです。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28:19,20)それで,地上のエルサレムは西暦70年に滅びましたが,それによってとらわれ人に解放を告げることが終わったわけではありません。エルサレムがローマ軍によって壊滅したのちにも,大いなるバビロンは存続しました。
4 何年かのち,ヨハネは大いなるバビロンのどんな幻を見ましたか。今大いなるバビロンからの解放が緊急に必要なのはなぜですか。
4 エルサレムがこうして滅びてから26年のち,使徒ヨハネは奇跡的な幻を見,その中で,大いなるバビロンが多くの象徴的な水,つまり全地のあらゆる民族,群衆,国民,国語の上になお抑圧的な態度で座しているのを見ました。(黙示 17:15)大いなるバビロンは今でも人々の上に重くのしかかっています。今緊急に必要なのは,その宗教のあらゆる部分から解放されることです。紀元前607年に地上のエルサレムを滅ぼした古代バビロンは,その後に自らの滅びを免れませんでした。西暦70年にバビロン的なローマ人はエルサレムを滅ぼしましたが,大いなるバビロン自身は滅びを受けませんか。聖書の預言によればそのようなことはありません。
5 (イ)エルサレムの滅びはどんな日のしるしでしたか。(ロ)それがヨエルの預言の最終的な成就であったかどうかは,ヨハネへの啓示にどう示されていますか。人々は今何から呼び出されねばなりませんか。
5 西暦70年のエルサレムとその宮の滅びは,『エホバの大いなる恐るべき日』が来たことのしるしであり,1世紀のクリスチャンはそのことを理解できました。しかし,それはヨエルの預言の完全な成就ではありませんでした。(ヨエル 2:30-32)エルサレムとその宮が荒廃してから26年たった時,使徒ヨハネはさらにのちに来るエホバの日,つまり「全能なる神の大いなる日」について告げられました。それはヘブル語でハルマゲドンもしくはアルマゲドンと呼ばれる場所で戦いが行なわれる日です。ヨハネが聞いた声は地上のエルサレムから出ることを命ずるものではありません。その時この町は存在しておらず,ローマ人が同じ場所に新都市を建設したのは2世紀になってからです。ヨハネが聞いた声,つまり大いなるバビロンから出ることを命ずる声は,今日,人類の全世界が聞かねばなりません。(黙示 16:14-16; 18:1-4)この声を注意して聞かないなら災いを招く結果になるでしょう!
6 今日キリスト教国の人々がクリスチャンの自由をもっていると思うべきでないのはなぜですか。彼らは天からの声に注意すべきですか。
6 やがて使徒ヨハネは死に,イエス・キリストの他の使徒たちおよびテモテやテトスなど使徒と共に忠実に働いた人々もすべて死にました。そののちクリスチャンたちはキリストによって得た自由に関して妥協するようになりました。利己的,物質主義的,また社会的な利得のために,彼らは自ら大いなるバビロンの束縛下にはいったのです。ローマのコンスタンチン大帝の時代にキリスト教国が形成されましたが,それは当時の俗受けのするキリスト教と,コンスタンチンが西暦337年に死ぬまでその最高僧院長をつとめた大いなるバビロンの異教主義との融合であったにすぎません。それゆえ,今日のキリスト教国の人々は,クリスチャンの自由,「神の子たちの栄光の自由」をもっていると思ってはなりません。(ローマ 8:21)彼らは牧師および教会制度のとりことなっているのです。彼らは幾多の混乱した宗派をもつ大いなるバビロンの奴隷であり,大いなるバビロンの中には,キリスト教をとなえる宗派が1000以上もあります。それで,大いなるバビロンから離れよという天からの声は,キリスト教国から離れることをも含んでいます。
大いなるバビロンからの現代の逃避
7 1919年,大いなるバビロンから離れるために行動したのはだれですか。どんな理由で?
7 1919年の春,つまり第一次世界大戦終結の数ヵ月後,少数ながら一群れの献身したクリスチャンは,大いなるバビロンから離れるために勇敢に行動しました。1931年,この人々はエホバの証人の名で国際的に知られるようになりました。第一次世界大戦中,この人々は大いなるバビロンおよびその情夫である政治勢力にとらわれていました。キリスト教国においては特にそうでした。
8 黙示録 11章2-12節はこの人々が大いなるバビロンから出ることをどのように予告していましたか。この人々は今なにを決意していますか。
8 聖書の最後の本黙示録は,11章2-12節で,油を注がれた神の証人,象徴的な2本のオリブの木について述べています。それによると,証人は獣のような世界の政治制度に殺されますが,3日半つまりしばらくのちに,神のいのちの霊がその油を注がれた証人にはいります。それによって証人は生きかえり,地上での神への奉仕において天の高さにたかめられます。油を注がれた神の証人たちのこのような復興が見られたのは1919年の春でした。これら油を注がれた証人たちが,大いなるバビロンから離れ去れとの天の声に応じたのはこの時です。神の王として治めるイエス・キリストから来る神の助けによって,彼らは大いなるバビロンを離れました。そして神の助けによって,彼らは大いなるバビロンが存在しなくなるまでそれから離れ,そのとりことならないことを決意しています。―ゼカリヤ 4:11-14; 2:7。
9 油を注がれた残れる者が1919年から,そして1919年以後に,とらわれ人に解放を告げることはなぜ必要でしたか。彼らはそうしましたか。
9 1919年に自由を得た人々は,献身してバプテスマを受け,油を注がれたクリスチャンであり,内面のユダヤ人つまり霊的なイスラエル人の少数の残れる者です。しかし,小羊イエス・キリストと共に天のシオンの山に立ち,すべての国の人々の祝福のために,キリストと共に「天にあるエルサレム」から治める霊的なイスラエル人の数として聖書が定める14万4000人を満たすためには,さらにいくらかの者が必要でした。(黙示 7:1-8; 14:1-5。ヘブル 12:22)それゆえ,さらに多くの大いなるバビロンのとらわれ人が解放のたよりを聞いてそれを離れ,自由をもつ霊的な「神のイスラエル」,クリスチャンのイスラエルに加わることが必要でした。(ガラテヤ 6:16)それで1919年に解放された油を注がれた残れる者は,自分が「とらわれ人に解放を告げ」るために神の聖霊で油を注がれていることを悟り,公にまた家から家に伝道を始めました。
10 この解放の伝道にはどんな反応がありましたか。これは何を生み出しましたか。
10 幾千もの人々が大いなるバビロンからの解放と自由を告げる福音に応じました。この人々は神に献身し,イエス・キリストの戒めどおりバプテスマを受けました。この人々が父なる,神の霊的な子となり,天にあるイエス・キリストの共同相続者となったことは,その後のクリスチャン生活によく示されました。―ヨハネ 3:3,5。コリント第二 1:12。ヨハネ第一 2:20,27。ローマ 8:16,17。
11 これら解放された者に関する神のみわざは何を意味していましたか。こうしてどんな預言が現代の成就を見ましたか。
11 あなたはこのことの意味を十分に理解されますか。これにはエホバ神が天を受けつぐ霊的な子を生み出されたということ以上の意味があるのです! すなわち,エホバはこれら新たに解放された者たちに油を注ぎ,すべての種類の肉なる者から成る,これら献身してバプテスマを受けた信者たちにご自分の霊を注いでおられたのです。こうして,西暦33年の五旬節,つまりキリストの弟子たちの会衆に初めて聖霊が注がれた日に,使徒ペテロが引用したヨエル書 2章28-32節の預言は現代の成就を見ました。
12 すべての種類の人に霊が注がれることに続くどんな活動が予告されていましたか。それは実際にありましたか。
12 ヨエルの預言によれば,霊が注がれるだけでなく,男,女,老人,若者など油を注がれた者たちはすべて預言をするはずでした。それでは,霊が注がれたのなら,予告された預言のわざも起きましたか。そうです,公に行なわれただけでなく,かつてないほどの規模で家から家に行なわれました。献身した信者たちは,預言し伝道するために聖霊で油を注がれたのです。それであればどうして黙っていることができるでしょう。彼らは,この事物の制度が終わる以前に,すべての国民へのあかしとして,「事物の制度の終結」のたよりつまり「この御国の福音」を人の住む全地に伝道しなければなりません。―マタイ 24:14。
13 (イ)ヨエル書 2章28-32節の成就として,霊を注ぐことと預言をすること以外の何を予期すべきですか。(ロ)1919年以来すでに見られたことに従えば,わたしたちはこれから何を迎えますか。
13 わたしたちは神がすべての種類の人に霊を注ぐことに関するヨエルの預言の現代のこの成就を見ましたか。(ヨエル 2:28,29)これを見ているわたしたちは,さらに次のものをも予期しています。19世紀まえ,つまり西暦33年五旬節から西暦70年夏までの使徒時代の預言的な先例にも示されているとおり,ヨエル書 2章28-32節の成就にはすべての種類の人に神の霊が注がれること以上の意味がありました。すなわち預言の次の部分も成就しました。「また天と地にしるしをあらはさん すなはち血あり火あり煙の柱あるべし エホバの大なるおそるべき日の来らんさきに日は暗く月は血に変らん すべてエホバの名をよぶ者は救はるべしそはエホバののたまひしごとくシオンの山とエルサレムとに救はれし者あるべければなりそののこれる者の中にエホバの召し給へるものあらん」。(文語)現代において,献身しバプテスマを受けたクリスチャンに神の霊が注がれたのを確かに見たわたしたちは,『エホバの大いなるおそるべき日』を迎えようとしているにちがいありません。救いの場所はどこにありますか。
14 生き残る場所はどこにありますか。
14 19世紀前の使徒時代に例示されたところによれば,生き残る場所は不信仰なユダヤ人が居住した地上のシオンの山や地上のエルサレムにはありませんでした。それは天のシオンの山と「天にあるエルサレム」にありました。
15 何を集めることに関連して1919年以来霊が注がれてきましたか。これはどんなことの前ぶれですか。
15 それでは,これまで50年間のできごとの厳粛な意味を見落とさないようにしましょう。1919年以来行なわれたのは選ばれ,召され,油を注がれた者たちを集めて一致した世界的な組織にすることでした。天使の導きのもとに行なわれたこの集めるわざは1931年から1935年の過渡的な時代まで続きました。解放された残れる者に1919年以後に加えられた者たちも神の霊によって油を注がれ,預言をする人々でした。第1世紀の先例によれば,こうして霊の注がれることは,天にそのしるしがあり,地上に血と火と煙の柱がある『エホバの大いなる恐るべき日』がきわめて近いことの前ぶれでした。それはエホバ神が,エホバの名を呼ばず,この世の束縛的な制度を離れて神の国の側に立たなかった者すべてに報復をされる日です。神の国は天のシオンの山にある「天にあるエルサレム」で1914年以来支配を始めているのです。
16 (イ)わたしたちはまだどんな「年」にいますか。わたしたちは今なぜ解放を告げつづけるべきですか。(ロ)今日この仕事に率先しているのはだれですか。
16 イザヤの預言(イザヤ 61:1,2,新世訳)によれば,わたしたちはまだ「エホバの善意の年」にいますが,この象徴的な「年」は必ず終わり,その後に「わたしたちの神の報復の日」が来ます。神の善意の「年」が終わる前の今,なおとらわれている人々に解放を告げるためいよいよ熱心に働かねばなりません。なぜなら,「わたしたちの神の報復の日」は近づき,神の霊が注がれ始めた1919年当時よりずっと近づいているからです。油を注がれた残れる者はまだ幾千人かがわたしたちと共にいます。この人々は油を注がれたことの使命を果たしています。どのように? 神から任ぜられた仕事,つまり大いなるバビロンに「とらわれた者に自由を告げ,つながれた者に目の開かれることを告げ」るわざに率先することによってです。
17,18 (イ)今,大いなるバビロンから離れるべき十分な理由があると言えるのはなぜですか。(ロ)ヨハネは天からの声が何と言うのを聞きましたか。
17 古代のバビロンにとっても「エホバの日」があり,それは「苛くしていきどほりとはげしき怒とをもて」臨みました。(イザヤ 13:1,9,文語)同じように,現代の大いなるバビロンに対しても「報復の日」,「全能なる神の大いなる日」があります。今は大いなるバビロンから離れるべき十分な理由があります。使徒ヨハネは天の声がこう言うのを聞いたからです。
18 「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており,神はその不義の行ないを覚えておられる。……それゆえ,さまざまの災害が,死と悲しみとききんとが,一日のうちに彼女を襲い,そして,彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく神〔エホバ〕は力強いかたなのである」― 黙示 18:4-8,〔新世訳〕。
19 (イ)油を注がれた残れる者がとらわれ人に解放を告げ続けることはなぜ大切ですか。そして今とくにどんなとらわれ人に?(ロ)その種のとらわれ人に注意が向けられたのは1923年のどんなできごとの時ですか。
19 注意してください! 大いなるバビロンには「一日のうちに」滅びが臨みます。それゆえ大切なのは,油を注がれた残れる者が手をゆるめずに「とらわれ人に解放を告げ」つづけることです。ここ何十年かの間,油を注がれた残れる者は,天への希望をいだくこの油そそがれた残れる者のなかにはいらない宗教上の「とらわれ人」に心をとめてきました。そのことは1923年のあるできごとの中に示されています。その年の8月18日から26日まで,献身しバプテスマを受けた聖書研究生幾千人もの大会がアメリカ,カリフォルニア州ロサンゼルスで開かれました。8月25日土曜日の午後,時のものみの塔聖書冊子協会会長は,幾千人もの油を注がれた残れる者に,「羊と山羊」に関するイエスのたとえ話について話しました。話し手は,キリストの霊的な兄弟である油を注がれた残れる者に親切な態度をとる人々が羊であることを説明しました。その報いとして,「羊」級の人々はやがて到来するハルマゲドンの戦いの時に保護され,その後に来る神の新秩序に入れられます。この講演の終わりに話し手は一つの決議文を読み,その採択を提案しました。幾人かの外来者を別にすれば,これは満場一致の起立票によって採択されました。決議文の結び3節は次のように述べていました。
20,21 (イ)この決議はこの種の人々のうちどこにとらわれている者たちを対象にしていましたか。その者たちにどんな声があてはめられましたか。(ロ)何をすることがその人々にすすめられましたか。
20 「……キリスト教国内の二つのクラスの間の境界線ははっきりと引かれました。そして,主の御国を願い義を愛する人が悪を好む人から分けられる時は来ています。それでわたしたちは,諸宗派の教会と交わる人で,平和と秩序を愛し,神を恐れる人々すべてに,愛の精神で警鐘を鳴らし,神のことばを退け,主イエス・キリストとその御国をいなむ見せかけのクリスチャンのクラスと組みしてはならず,またその仲間となるべきでないことを指摘します。そしてわたしたちは神のことばに注意し,汚れたものから離れ(コリント第二 6:17),主が『バビロン』と呼ぶ不義の教会制度から身を引き,『彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないように』(黙示 18:4)することを彼らにすすめます。そして,
21 「わたしたちはそのような人々すべてに,イエス・キリストが王,主の主であること,また,今や近づいたその御国が人々の救いと望みであることを悟るようにと訴えます。そして,その人々ひとりびとり,また全体が主の側に立ち,主の目的に心を合わせ,世の初めから神が備えられた神の国の祝福にあずかるそなえをすることをすすめます」―「ものみの塔」(英文)1923年11月1日号327ページ。
22 大いなるバビロンから出ることをすすめるこの声は1927年にどのようにひびきましたか。
22 大いなるバビロン,特にそのキリスト教国と呼ばれる部分から出ることをすすめるこの声は,1927年7月24日日曜日,カナダ,オンタリオ州トロントに集まった1万5000人を越える聴衆,および53の放送局を合わせ,当時「世界最大」と言われた中継放送網で結ばれた目に見えない無数の聴衆に対してなされた,「人々のための自由」という話の中で,再び強力にひびきました。時のものみの塔聖書冊子協会会長によってなされたこの感動的な訴えは,後に1927年10月15日号「ものみの塔」(英文,313ページ56節)に掲載され,また「人々のための自由」と題する小冊子となって幾百万冊も配布されました。
23 キリスト教国の宗教制度を離れるだけで神の報復の日に救われるかどうかを何が示していますか。
23 単にキリスト教国の宗教制度から身を引き,あるいは宗派的な教会に行くのをやめるだけでは,大いなるバビロンを離れ,安全な場所に来たことにはなりません。キリスト教国にはそこまでした人がすでに幾百万もいます。国立教会のあるところ,もしくは教会と国家が結び,特定の教会組織が国家の教会とされている所においては特にそうです。その人々は財政的な面で国教会から身を引き,その支持をやめましたが,依然として大いなるバビロンの情夫である政治勢力にとらわれの身となっています。その人々は大いなるバビロンが「わたしたちの神の報復の日」に滅びるのを見るかもしれません。しかし自らもそのすぐあとに,大いなるバビロンの政治上の情夫とともに,象徴的な「山羊」のごとく滅びをこうむるでしょう。それら政治上の情夫は宗教的な大いなるバビロンの手先となってきました。そして彼らは,大いなるバビロンと共にメシヤによる神の国に敵対してきました。
24 (イ)「山羊」と対照的な「羊」になるために,人は何をしなければなりませんか。大いなるバビロンの滅びの時までにそのような「羊」はどれくらいの数になりますか。(ロ)大いなるバビロンの正体を考える時,これらの「羊」は宗教的にみてどんな範囲から来ると考えられますか。
24 この事実に照らし,エホバの証人の公式な雑誌「ものみの塔」は,1934年8月15日号249,250ページの中で,「羊」のひとりになる者は,イエスご自身と同じく,エホバ神に無条件で完全な献身をし,水のバプテスマを受けねばならないと述べました。翌年には,これらの「羊」が「あらゆる国民,部族,民族,国語」のうちから来ること,および,大いなるバビロンの壊滅までに「大ぜいの群衆」となることが明らかにされました。(黙示 7:9,10)それゆえ,この「大ぜいの群衆」にはいる人はキリスト教国だけでなく異教国からも来るにちがいありません。それで1963年に,「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配する」という本が発表されたことは何と適切だったことでしょう。この本は大いなるバビロンがキリスト教国の宗教組織より大規模なものであること,すなわちキリスト教国をも含む,バビロン的な偽りの宗教の世界帝国であることを明らかにしています。
霊を注ぐことが終わると ― 次に来るのは大いなる日
25 (イ)解放のたよりはどんなとらわれ人のためですか。この解放の仕事をなぜ最後まで続けねばなりませんか。(ロ)霊はすでに注がれていますから,ヨエル書 2章28-32節の成就として,次に何がありますか。
25 それでは,解放の音信はだれのためですか。それは大いなるバビロンを作りあげるすべての宗教制度にとらわれている人のためです。その人々が大いなるバビロンと共に滅び,あるいはハルマゲドンにおける『全能なる神の大いなる日の戦い』において,その政治上の情夫と共に滅びるのを免れたいなら,大いなるバビロンからの解放を今得なければなりません。(黙示 16:14-16)人類の今の世代は,すべての種類の人に神の霊が注がれ,それによってメシヤによる神の国が大規模に伝道されるのを目撃しています。まぢかいうちにヨエルの預言(2:28-32)の残りの部分も成就しなければなりません。それはイエス・キリストを通してエホバの名を呼ばず,エホバの油を注がれた残れる者と共に「天にあるエルサレム」に避難しない者すべてが滅びる,『エホバの大いなる恐るべき日』です。それゆえ,とらわれ人に解放を告げることを今やめてはなりません。この解放の仕事,また救いの仕事は最後まで続けられねばなりません!
26 大いなるバビロンおよびその政治上の情夫へのとらわれはどのように終わりますか。神のみこころにしたがえばそのような奴隷制度はなぜ葬られねばなりませんか。
26 大いなるバビロンおよびその政治上のつれあい,また保護者は共に宗教上の汚れた行ないを続け,人々を奴隷としてつないでいます。それはまもなく,「わたしたちの神の報復の日」に,滅びをきたらせる結果になります。そのような奴隷制度は葬り去らねばなりません。神は大いなるバビロンおよびその政治上の情夫が地上で奴隷収容所を運営することを望まれません。そのような奴隷収容所を喜んでいるのは悪魔サタンであり,エホバ神ではありません。エホバ神は人類すべてがいつまでも奴隷であり,いつまでもおいめの下にあるのを良いこととはされません。エホバは自由と解放の神であり,ご自分の子となる者たちに自由を与えることをよしとされます。
27 (イ)神が人類のこの奴隷状態の出現を許されたのはどんないきさつによりますか。しかし神は直ちにどんな目的を明確にされましたか。(ロ)そのように明確にされた神の目的は人間の心にどんな望みをいだかせますか。それで地上からだれが一掃されるべきですか。
27 人類が悪魔サタンと罪と死の奴隷になることは創造当初の神のみこころではありませんでした。ご自分の地上の子である人間が精神的に自由に行動し,自らの意志で神を愛して神に従い,もしくはそむくことを許された神は,そのような奴隷の状態が始まるのを許されました。しかし直ちに,人間の最初の先祖アダムとエバが犯した違反の不幸な犠牲者をやがて解放するとの不変の目的を発表されました。発表され,明確に記録された神の目的は,被造物である人間にとって,「滅びのなわめから解放されて,神の子たちの栄光の自由に入る望み」となっています。(ローマ 8:20,21)うめき苦しむ人類にこの貴重な自由をもたらすエホバ神のご計画は,大いなるバビロンとその政治上の情夫に妨げられません。これら神からの自由を妨げる者は地上から一掃されねばなりません。そして今自由を愛する人々を助け,これら妨害者の滅びから救い出さねばなりません。
28 (イ)残れる者と解放された羊のような人々は今何をしますか。(ロ)この解放およびクリスチャンの自由へのこの進歩は人を何に導きますか。
28 それでは,油を注がれた残れる者,およびエホバ神とみ子イエス・キリストによってすでに解放を得た羊のような人々は何をしますか。解放を得,イエス・キリストによる自由を受ける機会がまだある間,彼らはすべての国,すべての宗教の人を尋ね,「とらわれ人に解放を告げ」つづけます。この解放は,大いなるバビロン,および共に罪を犯す政治上の情夫が破滅をこうむる時,人に神の保護を得させるものです。その時よりのち,人がこれらのものの奴隷となることはもはやありません。こうしてクリスチャンの真の自由のために立場を定めることは,罪と死と悪魔を一掃して全地を自由の楽園に変え,神の子となった完全な人間をそこに永遠に住まわせる神の偉大な目的の実現にあずかる一歩です。
29 将来神の子となる者たちを助けるために最近何が発行されましたか。それについて何かすすめられていますか。
29 将来このような神の子となる人々を今日この危険な時代において助けるため,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は,最近,「神の自由の子となって享ける永遠の生命」と題する英文の本を新たに発行しました。わたしたちは皆さんがこれを読み,聖書と引きくらべつつこれを研究し,こうしてキリストによる神の賜物である皆さんの貴重な自由を守られることを心からすすめます。