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ハルマゲドンに生き残るための要求はなにか?ものみの塔 1963 | 5月15日
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れました。(マタイ 6:33,新口)ということは,いつもエホバの義を無視しながら,エホバとその御国だけを求めることはできないということです。私たちは,私たちのすべての活動や行為をそれによって判断するように,エホバが私たちに与えて下さった標準,すなわち聖書を熟知しなければなりません。「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたものであって,人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益である」から,私たちは聖書をよく知らなければなりません。そして,聖書を通し神によって神の義に導かれるようにしなければなりません。―テモテ後 3:16。
けんそんを求める
ゼパニヤは,けんそんを求める必要を,3番目にあげていますが,それはこれが重要でないからではありません。それどころか,ごく必要な性質であるからこそゼパニヤは,このこととエホバを求めることを結びつけて述べているのです。「この地のへりくだる者よ汝等エホバを求め…よ」。同預言者は再びそれを取り上げて「けんそんを求めよ」と述べ,けんそんの必要を強調していますが,この事実は,私たちが絶えずけんそんということに注意を払わねばならないことを示すものです。もしけんそんを求めるなら,私たちは正しい心的態度を持ち,柔和で,進んで神に導かれ,ハルマゲドンに生き残るための要求を進んで他の人々に伝えるでしょう。
それで人は今日,自からけんそんの手本を示された主イエス・キリストの追随者となることによって,けんそんを示します。「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」。(マタイ 11:29,新口)イエスをあなたの模範として下さい。イエスは,エホバを求め,義を求め,けんそんを求めることにおいて,完全な模範を残されましたから,すべての事柄においてイエスに習いましょう。イエスは自から,けんそんな態度で神より与えられたわざを行ない,エホバのさばきを人々に知らされました。それで,イエスの模範に従う地のへりくだった者たちは,神がハルマゲドンで,王なるイエス・キリストをとおし,さばきを行なわれることを他の人々に警告します。
もし私たちがこれらのことを行い,知識と信仰と愛を通して真にエホバを求め,イエス・キリストをとおしてエホバの御名を呼び求めるなら,そしてもし,神の御国と義を心から求め,しかしへりくだった気持ちでそれを求めるなら,「エホバのいかりの日にあるひはかくさるることあらん」とゼパニヤは述べています。―ゼパニヤ 2:3。
ハルマゲドンはこの世代の上に臨むことになってはいますが,ある人々は,年とか病気のために,その時が来る前に死ぬかも知れません。しかしそれでも彼らは,神の恵みのうちに死ぬことによって隠されるでしょう。「エホバの聖徒の死はそのみまへにて貴し」。(詩 116:15)そのような忠実な人々は,必ず復活させられるでしょう。また,エホバの恐るべき日が臨む時に生きているこの世代のすべての人々には,もし彼らが,ゼパニヤによって明確に示された生き残るための要求に心から従っていたなら,神によって隠される可能性が十分にあります。「可能性」は神にではなく私たちにあるのです。エホバは忠実であられますが,私たちはどうでしょうか。人の心を探られる神は,私たちが心から神を求め,義を求め,けんそんであるか知っておられます。神に対して忠実を証明すれば,神もまた,間もなくやってくる世界をゆるがす災の時にあなたをかくして,ご自身の忠実を証明されるでしょう。
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「信仰をなくした」ものみの塔 1963 | 5月15日
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「信仰をなくした」
◇ ザ・チャーチヘラルド誌は言う。「新教主義はその信仰を失ってしまった。―もちろんすべての新教徒がと言うわけではないが,ガソリンタンクに半分水を入れたような人が実に多い。それでは車は走らない。教会もそれでは走れない」。―リーダース・ダイジェスト,1962年9月号(英文),50頁。
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