エルサレム ―「すべての民に対して重い石」
「その日には,わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする」― ゼカリヤ 12:3。
1 古いエルサレムは,近年においてなぜ国際的な注視を集めましたか。
古い町エルサレムは,今日,世界的に注目される地位を占めています。世界の最も大きな宗教の三つ,すなわちキリスト教,回教,ユダヤ教の利害がここで衝突しています。これらの宗教のすべてにとって歴史上,重要な出来事がこの町で起きました。町の内外には多くの神聖な場所があり,そこには宗教的な建造物その他があります。この理由で今日,町はわけられており,古い,小さい部分は回教国のヨルダンに,新しい,大きい部分はユダヤ人のイスラエル共和国に属しています。
2 この古い町をめぐる困難な問題を見て,ある人々はどんな質問をしますか。
2 第二次世界大戦以来,エルサレムをめぐって国家間また宗教間の危険な紛争が起きています。それを知る人は,紀元前6世紀のイスラエル人の預言者ゼカリヤがこの町に関して述べた事柄の成就を,そこに認めようとするかも知れません。それは預言の成就ですか。
3 この質問の中に出てくる預言者ゼカリヤは,何を書きましたか。
3 聖都の全部がユダヤ人の町であったとき,イドの子ベレキヤの子ゼカリヤは次のように述べました。「イスラエルにかかはるエホバの言詞の重負 エホバ即ち天をのべ地の基をすえ 人の内の霊魂を造る者言ひたまふ視よ我エルサレムをしてその周囲の国民をよろぼはする杯とならしむべし エルサレムの攻囲まるる時 是はユダにも及ばん 其日には我エルサレムをして諸の国民にむかひて重石とならしむべし 之を持挙ぐる者は大傷をうけん 地上の諸国みな集まりて之に攻寄べし」― ゼカリヤ 12:1-3,文語。
4 この質問の正しい答えは何ですか。その答えにはどんな根拠がありますか。
4 先の疑問に答えて言えば,それは預言の成就ではありません。聖書の預言と関係のある地上のエルサレムは,西暦70年に消滅しました。その年,チツス将軍のひきいるローマ軍は多くのユダヤ人を殺したうえに,町を破壊しました。その後60年間,町は荒廃したままでした。後になって,かつての聖地に町を再建したのはユダヤ人すなわちイスラエル人ではなく,異教徒のローマ人でした。130年のこと,荒廃のあとをおとずれたローマ皇帝ハドリアンは,町の再建を命じました。そして町はマリア・キャピトリーナと呼ばれ,かつて宮のあったところには,ローマ人の異教の神ジュピターの神殿が建てられました。
5 コンスタンチヌス大帝の時代から今日まで,エルサレムの性格とその所有者はどんな変遷を経ましたか。
5 4世紀のはじめ頃,コンスタンチヌス皇帝が外見上キリスト教に改宗したので,当時ローマの支配下にあったエルサレムはキリスト教の町となりました。しかしこのエルサレムは西暦637年に回教徒の手に落ち,西暦1099年になってキリスト教国の十字軍が町を取り返しました。この間におけるユダヤ人の消息について,1962年の新ユダヤ大百科事典は次のことを述べています。「回教徒の征服後,ユダヤ人はエルサレムに住むことを許された。しかし十字軍の遠征にあって,ユダヤ人居住地は一掃された」。(237頁)1187年,エルサレムは再び回教徒の手におち,以来第一次世界大戦中の1917年に英国軍が占領するまで,回教徒の支配下にありました。1948年5月28日,エルサレムの旧市に駐在したユダヤ人の軍隊が回教徒に降服して以来,ユダヤ人は旧市街から全く追われました。
6,7 (イ)西暦70年にエルサレムが滅びたとき成就した神の預言は,だれの語ったものですか。神は,そのときエルサレムの滅びをなぜ許しましたか。(ロ)使徒パウロは,二つのエルサレムをどのように比較していますか。
6 さてゼカリヤ書 12章1節から3節の預言について言えば,西暦70年,ローマ軍が反逆の町エルサレムを囲み,それを滅ぼした時,この預言が成就したのではありません。むかしのエルサレムはローマ軍に滅ぼされましたが,その事を預言していたのは,エホバ神の別の預言者すなわちイエス・キリストでした。イエスご自身が言われたように,エルサレムの崇拝の家である宮は,エホバ神からすでに捨てられていました。それでキリストに反対したこの町は神の守護を受けることなく,70年に滅びました。神はそれが灰塵に帰するのにまかせました。そのとき神のために別のエルサレムが存在していました。それはローマ軍が滅ぼすことのできないものです。クリスチャンの使徒パウロは,地上のエルサレムが滅びる前にも,この別のエルサレムに注目しています。小アジアのクリスチャンに書き送った手紙の中で,パウロは族長アブラハムの本当の妻サラとエジプト人の妾ハガルのことを述べ,次のようなたとえを語っています。
7 「ハガルといえば,アラビヤではシナイ山〔十戒の与えられた〕のことで,今のエルサレムに当る。なぜなら,それは子たち〔ユダヤ人の市民〕と共に,奴隷となっているからである。だから,兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく,自由の女の子なのである」― ガラテヤ 4:25,26,31。
8 クリスチャンとなったヘブル人に宛てた手紙の中で,このもう一つのエルサレムは,どのように述べられていますか。
8 西暦70年にローマ人が地上のエルサレムを滅ぼす何年も前に書かれた別の手紙の中にも,この別のエルサレムのことが述べられています。この手紙は,クリスチャンになったヘブル人に宛てられたもので,次のように述べています。「あなたがたが近づいているのは,手で触れることができ,〔十戒の与えられたとき〕火が燃え,黒雲や暗やみやあらしにつつまれ,また,ラッパの響……がひびいてきた〔シナイ〕山ではない……しかしあなたがたが近づいているのは,シオンの山,生ける神の都,天にあるエルサレム,無数の天使の祝会……万民の審判者なる神……新しい契約の仲保者イエス……である」― ヘブル 12:18-24。
9 幻の中で使徒ヨハネは,イエス・キリストとその追随者がどこに立つのを見ましたか。そこには西暦70年後にも何が存続しましたか。
9 その後クリスチャンの使徒ヨハネは,犠牲となった神の小羊イエス・キリストが天のシオンの山に立ち,死に至るまでイエスの後に従う14万4000人の忠実な追随者がイエスと共にいるのを,奇跡的な幻の中で見ました。(黙示 14:1-5; 7:4-8)それでクリスチャンは天にあるもの,従ってローマ人が決して滅ぼすことのできないものに近づいていたのです。それで,キリストに反対した反逆の町エルサレムがローマ軍に滅ぼされたとき,天のシオンの山にある神の天的なエルサレムは無事であり,神の忠実な組織として仕えていました。
10 私たちは,なぜ今日の地上のエルサレムを宗教上の首都と見ることができませんか。
10 使徒パウロと使徒ヨハネが,エルサレムと呼ばれた地上の町とその政治上の問題に関心を持たなかったとすれば,今日真のクリスチャンであるために,私たちがそうする必要がありますか。破壊されたエルサレムのあった場所に建てられた異教の町を,キリスト教に由緒の深い土地として神聖なものと考え,宗教上,特別な意味を持つ町にする必要がありますか。コンスタンチヌスの建立した市内の聖墳墓教会を神聖視して,クリスチャンの聖堂と考えるべきですか。その必要はありません。パウロやヨハネと同じく,私たちが心に留めるのは,私たちの近づいている天のエルサレムおよび天のシオンです。従って今日の地上のエルサレムを私たちの宗教的な首都と考えることはできません。また西暦70年以後,宗教の中心はエルサレムから移り,エルサレムを破壊したローマにおかれたと教える宗教上の考えに従うこともできません。
預言の成就するエルサレム
11 どんな面から考えると,今日の地上のエルサレムは,ゼカリヤ書 12章2,3節を成就しないことがわかりますか。それは滅びを免れますか。
11 前述の事柄に照らしてみるとき,理知のあるクリスチャンならば,中東のエルサレムにゼカリヤ書 12章2,3節の預言が成就すると考えることはできません。周囲の民をよろめかす杯にすると,エホバが言われたのは,中東のエルサレムのことではありません。「すべての民に対して重い石」となり,この石を持ち上げようとする者に大傷を与えると,エホバが言われたエルサレムは地上のものではないのです。今日,地上のエルサレムは神と無縁であり,滅びを免れるのにふさわしい町ではありません。神は,イエス時代のエルサレムが滅びるのにまかせました。では,城壁をめぐらした部分も城壁のない部分も今日のエルサレムが,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦い」で滅びるのを免れる理由がありますか。(黙示 16:14-16)それは滅びを免れないでしょう。ゼカリヤ書 12章8節において,「エルサレムの住民を守……る」とエホバが言われたのは,地上のエルサレムのことではありません。今日そこにはだれが住んでいますか。
12,13 (イ)イザヤ書 28章16節は,地上のエルサレムの上に成就しましたか。(ロ)ロマ書 9章31-33節において,パウロは正しい答えをどのように与えていますか。
12 イザヤ書 28章16節の中で,エホバは次のことを約束されました。「見よ,わたしはシオンに一つの石をすえて基とした。これは試みを得た石,堅くすえた尊い隅の石である。信ずる者はあわてることはない」。エホバ神は,地上のエルサレムの上にこの約束を成就させますか。決してそうではありません。
13 イザヤ書 28章16節のこの預言は,ローマのクリスチャンに宛てた使徒パウロの手紙の中に引用されていますが,パウロの論議を見ると,それは滅びに定められた当時のエルサレムに適用されていません。イザヤの預言を引用する直前にパウロは次のように述べています。「しかし,義の律法を追い求めていたイスラエルは,その律法に達しなかった。なぜであるか。信仰によらないで,行いによって得られるかのように,追い求めたからである。彼らは,つまずきの石につまずいたのである」。そしてパウロはイザヤの預言を引用しました。「『見よ,わたしはシオンに,つまずきの石,さまたげの岩を置く。それにより頼む者は,失望に終ることがない』と書いてあるとおりである」― ロマ 9:31-33。
14,15 (イ)では使徒パウロは,イザヤ書 28章16節をだれに適用していますか。なぜですか。(ロ)神は,象徴的な尊いかしら石を,どのようにそこにすえましたか。
14 イスラエルのユダヤ人は,神のみ子また約束のメシヤとしてイエス・キリストに信仰を持たず,石につまずくようにイエスにつまずきました。そこで彼らはイエスをローマ人の手に渡して杭につけさせたのです。イエスを受け入れなかった彼らは,すべての事において失望を味わいました。そこで使徒パウロは,イザヤ書 28章16節の預言を天のエルサレムに適用していたことがわかります。
15 全能の神エホバは,殉教の死を遂げたみ子を3日目に死からよみがえし,天に高めることによって,天のシオンすなわちエルサレムにみ子を置きました。こうしてイエス・キリストは神の天の組織すなわち天のシオンまたエルサレムにおいて主要なものとなりました。復活後のイエス・キリストはそこで神の右に坐しています。―詩 110:1,2。使行 2:22-36。ヘブル 10:12,13。
16 使徒ペテロによれば,この石を拒絶したユダヤ人はどうなりましたか。しかし信じた人々はどうなりましたか。
16 イザヤ書 28章16節の預言した石としてイエス・キリストを信じた当時の人々に対して,使徒ペテロは次のことばを書き送りました。「この石は,より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが,不信仰な人々には『家造りらの捨てた石で,隅のかしら石となったもの』,また『つまずきの石,妨げの岩』である。しかし,彼らがつまずくのは,御言に従わないからであって,彼らは,実は,そうなるように定められていたのである。しかし,あなたがたは,選ばれた種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民である。それによって,暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを,あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは,以前は神の民でなかったが,いまは神の民であ〔る〕」。(ペテロ前 2:7-10)こうしてユダヤ人の不信仰な者は捨てられ,この石に信仰をおいた人々は神の民となりました。ゆえに神は西暦70年,地的なエルサレムが滅びるのを許しました。神がこの石をすえた天のシオンすなわちエルサレムは,残りました。
17 (イ)イエス・キリストは天のエルサレムにおいて何時まで待ちましたか。その時イエス・キリストにどんな命令が与えられましたか。(ロ)地上の国々は何の敵となっていますか。
17 西暦33年,エホバ神が天の都にすえて隅のかしら石としたのは,復活を受けたイエス・キリストでした。詩篇 110篇1,2節に「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とする」とエホバの言われたことの成就するまで,イエス・キリストは神の右に座して待ちました。神の右に坐して待つ期間は,異邦人の時の満ちる西暦1914年に終わります。そのとき,「もろもろの敵のなかで治めよ」と述べた言葉の通り,エホバはキリストの力のつえを天のシオンすなわちエルサレムから出します。もろもろの敵とはだれですか。位についたみ子イエス・キリストの治める天的な神の国に反対する,地上のすべての国です。天のシオンすなわちエルサレムにすえられた王なる石に敵対する諸国民は,この天の都にも敵対しています。王なる石イエス・キリストは天のエルサレムと密接不可分に結びつけられています。これに関連してエルサレムという言葉は,どちらかと言えば神の宇宙組織の首都部分を指し,従ってその中に天使を含みません。
18,19 エホバは何時,天のエルサレムを,よろめかす杯また重い石にしますか。だれに対してですか。
18 今日すべての国が地上のエルサレムに敵対しているわけではありませんが,そのすべては天のエルサレムに敵対しています。では神はどのように,見えない天のエルサレムをして,これらの国々をよろめかす杯にし,大傷の原因となる重い石にするのですか。神は何時そのことをしますか。そしてなぜですか。
19 神は,宇宙的にみて重要な年である西暦1914年以後にその事をします。王である石イエス・キリストが神の右に坐して待つ期間はその年に終わりました。なぜそう言えるのですか。1914年の10月1日頃,ユダヤ人の陰暦で言えば第7の月に,「異邦人の時」が終わったからです。―ルカ 21:24。
20 1914年まで,神はどのように諸国家に無干渉でしたか。しかし1914年以来,神はどのように行われていますか。
20 紀元前607年の遠いむかし,異邦人の世界強国バビロニアは,地上のエルサレムにあった神の国をくつがえし,その後全世界はバビロニアの後に出たいくつかの世界強国につぎつぎに支配されてきました。この2520年のあいだエホバ神はこれらの諸国家に干渉せず,ダビデの子孫を王とする御国を設立しませんでした。しかし1914年,異邦人が全地を支配する時は終わり,神の国の建てられる時がきました。そして神は,西暦33年,天のシオンすなわちエルサレムにおかれた王なる石である,ダビデの子イエス・キリストを位につけました。
21 こうして神の国はどこに再び生まれましたか。その時の大きな問題は何でしたか。
21 こうしてダビデの王統を継ぐ神の国が再び生まれました。それは当時トルコの支配下にあった地上のエルサレムではなく,天のエルサレムにおける出来事です。キリスト教国の内外を問わず諸国家は,「ダビデの子」イエス・キリストが天のシオンすなわちエルサレムにおいて治める,いま生まれた神の国に従いますか。これがその時の大問題でした。
22 地上のエルサレムは第一次世界大戦にどのようにまき込まれましたか。1948年までに,旧市の支配はどのように変わりましたか。
22 1914年,中東のエルサレムはトルコの領土であったため,世界支配をめぐって戦われた世界大戦にまき込まれました。1914年10月30日,連合国側の国々は,ドイツおよびオーストリア・ハンガリーに組したトルコに宣戦を布告し始めました。1914年11月5日には,英国がトルコに宣戦を布告しています。こうして1917年12月9日,アレンビイ将軍のひきいる英国軍がエルサレムを占領し,町はキリスト教国の支配下にはいりました。後に国際連盟の手によってパレスチナは英国の委任統治領となり,1948年5月15日午前12時1分に委任統治の期限がきれるまで英国の統治下にありました。その後アラブ人とユダヤ人が旧市の所有を争って戦い,アラブ人が勝ってユダヤ人を追い払いました。この間において,これらの国々は天のエルサレムとその王のことを全く考えていませんでした。
23 第一次世界大戦に参加した国々は,実際にはどうして天のエルサレムに敵対しましたか。
23 それでは第一次世界大戦に参加した国々は,実際には天のエルサレムと,そこで治める神のみ子イエス・キリストの国に敵対したと言えますか。そうです。それは異邦人の世界支配において,諸国家のどのブロックが指導的地位を得るかの問題をめぐる戦いでした。国々は,全地を治める天のエルサレムの王の権利を無視し,また踏みつけました。このような事柄を私たちが伝道したことは,国々の怒りを招きました。(黙示 11:15-18)それによって国々は神の国と王イエス・キリストに対する反対を表明しました。天で始まったイエス・キリストの国を認め,全地を治めるその主権に従った真のクリスチャンに怒りを抱いたことは,国々が神に対して怒りを抱いた証拠です。これら真のクリスチャンはだれでしたか。
24 諸国民の怒りをこうむった真のクリスチャンはだれでしたか。
24 それは天の御国の使者となった人々です。彼らは次の言葉を述べた使徒パウロにならっていました。「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ,その罪過の責任をこれに負わせることをしないで,わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから,わたしたちはキリストの使者なのである。そこで,キリストに代って願う,神の和解を受けなさい」― コリント後 5:19,20。
25 第一次世界大戦中これら御国の使者は何を宣明していましたか。また何をすることを人々にすすめましたか。
25 御国の使者は,1914年に異邦人の時が終わったこと,第一次世界大戦の勃発と,それ以来臨んだ苦難が預言の成就であって,「諸国民に定められた時」の終わった証拠となっていることを,宣べ伝えました。そして神の建てた御国に従わない国々は,いま近づいているハルマゲドンの戦いで滅ぼされることを宣明しました。またキリストを通して平和に神の国に帰ることを人々に求めました。そうするならば,天のエルサレムでいま即位した神の国の王に滅ぼされることはありません。
26 これらのクリスチャンの使者の中で,当時最も重立った人はだれでしたか。彼らはなぜ諸国民の憎しみの的になりましたか。
26 歴史にしるされているように,1914年から1916年までのあいだ,設立された神の国の使者として働いた,これら献身してバプテスマを受けたクリスチャンの中で重立った人は,チャールス・テイズ・ラッセルでした。ラッセルは,ニューヨーク,ブルックリンに本部を持つものみの塔聖書冊子協会の当時の会長でした。このラッセルと共に異邦人の時の終わりを伝え,天に設立された神の国を宣明した人々は,反対者から軽べつされてラッセル派と呼ばれました。1916年10月31日,ラッセルが没し,ジョゼフ・F・ラザフォードがものみの塔聖書冊子協会の会長となり,これら国際聖書研究生の重立った代弁者となってからも,これらの人々は相変らずラッセル派と呼ばれていました。おびただしい血を流した第一次世界大戦のさなかにあって,当時キリスト教国の宗教指導者は,いずれの側においても戦争を支持していました。しかし御国の使者となった人々は,世界の政治的な支配を目ざす国際的な戦争に参加することを拒絶したのです。このためにその人々は,マタイ伝 24章9節の預言にたがわず,すべての国において憎しみの的になりました。
27 1917年,注目すべきどんな本が出ましたか。1918年,有名などんな講演がはじめて行なわれましたか。聖書協会の8人のおもだった人々に関連して,1918年に法律上のどんな事態が起きましたか。
27 世界大戦中の1917年,ラザフォードを会長とする。ものみの塔聖書冊子協会は,エゼキエル書と黙示録の預言を説明した書物,「完成した奥義」を出版しました。翌年の2月24日,カルフォルニア州ロサンゼルスにおいて,ラザフォード会長は,耳目を驚かす有名な講演,「世界は終わった ― いま生存する万民は死ぬことなし」をはじめて行なっています。その後何ヵ月も経ない1918年の6月21日,ラザフォードをはじめ,その聖書協会の同労者であった7人のクリスチャンは,連邦裁判所において四つの訴因につき,国防法により有罪,各訴因に対して20年の禁固,ただし各訴因に対するそれぞれの刑期は同時に経過するとの宣告を受けました。1918年7月4日,独立記念日に,この聖書協会の代表者8人はロングアイランドのニューヨーク市刑務所からジョージア州アトランタの連邦刑務所に移送されました。
28-30 (イ)これらのクリスチャンに対する仕打ちは,実際には何に対する攻撃でしたか。(ロ)「伝道者はささげ銃をする」と題する本によれば,この攻撃の背後にいたのはだれですか。
28 これはクリスチャンに対する迫害でしたが,実際にはそれ以上のことが含まれていました。それはこれらの人々が使者をつとめた天の神の国に対して攻撃を加えることでした。この攻撃の背後にいたのはだれですか。1933年にペンシルベニア大学社会学部の一文学博士a が書いた本はその答えを明らかにしています。「伝道者はささげ銃をする」と題したこの本の第10章「妥協しない人々」の183頁から185頁に次のことが出ています。
29 「諸般の事情を分析してみると,ラッセル派を抹殺しようとした運動の背後にいたのは,教会および教職者であったとの結論に達する。1918年2月,カナダにおいて教職者は,ラッセル派とその出版物とくに『完成した奥義』に対して,組織的な反対運動を始めた。ウイニペッグ・トリビューン紙によれば,教職者は法務大臣に建議し,この本が発禁になる直接の原因を作ったと言われる。
30 「マサチューセッツ,ウスターにおいて,B・F・ウェイランドは,国際聖書研究生の逮捕と集会の禁止を当局に求めた。伝統的な諸教会からも同様な要請があってのち,ラッセル派の人々は各処で逮捕され始めた。
31 これらのクリスチャンが投獄されたことに対して,宗教指導者はどんな反応を示しましたか。政府は宗教指導者に代わって,明らかに何を為し遂げましたか。
31 「禁固20年の判決の報が宗教出版物の編集者の耳に達すると,そのほとんどは歓喜した。私のしらべたところでは,伝統的な宗教の出版物の中で同情の意を表したものは見当らなかった。アプトン・シンクレアの述べている通り,迫害の一因は,彼らが伝統的な宗教団体の憎しみを買ったことにある。いろいろな教会が力を合わせても成し遂げられなかったことを,政府が彼らに代わって成し遂げたかに見えた ― すなわちバアルの預言者をぼく滅することである……
32 これらのクリスチャンが後日釈放されたとき,宗教指導者はどんな反応を示しましたか。
32 「1年後になって,上告裁判所が判決をくつがえし,アトランタの連邦裁判所に12カ月を過ごしたこれらの人々が釈放されたとき,教会は沈黙していた……
33 戦時の熱狂的な空気の中で,法廷はどんな問題をとりあげることにしましたか。
33 「……平時には裁判問題とならなかった,宗教上の根強い争いと憎しみは,戦時の熱狂的な空気の中で,遂に法廷にとりあげられた」。
「よろめかす杯」
34 宗教的迫害の最高潮は,何に影響を及ぼしましたか。神の証人に関する黙示録の預言は,どのように成就しましたか。
34 献身したこれらのクリスチャンに対する第一次世界大戦中の迫害は,御国の使者の最も重立った人々が投獄されたとき,最高潮に達しました。設立された神の国をあかしする,これらクリスチャン聖書研究生のわざは,迫害によって大きな影響をこうむりました。そのとき黙示録 11章7節から19節の預言が成就し,象徴的に述べられた神の「二人の証人」は,底なき所から上った政治的な「獣」に殺されました。地に住む人々は,「二人の証人」の死を喜んで祝い,「二人の証人」の残った者がはずかしめにあうのにまかせました。
35 第一次世界大戦中,御国の使者を迫害した人々は実際にはだれを迫害していましたか。イエス・キリストの言われたどんな原則があてはまりますか。
35 王イエス・キリストは,羊と山羊についての預言的なたとえ話の中で,「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである」という原則を述べました。(マタイ 25:40)ユダヤのパリサイ人であったタルソのサウロがユダヤ人のクリスチャンを迫害していたとき,復活後のイエスは奇跡的にサウロに現われ,この審判の原則を適用して,「サウロ,サウロ,なぜわたしを迫害するのか」と言われました。(使行 9:4。ピリピ 3:4-6)同様に考えれば,第一次世界大戦中,御国の使者であるクリスチャンに圧迫と迫害を加えた人々は,天のシオンすなわちエルサレムにすえられた王なる石イエス・キリストに圧迫と迫害を加えたことになります。この激しい反対と迫害を加えた人々は,そのままにはすまされませんでした。
36 ゼカリヤ書 12章2,3節において,エホバ神は諸国民に対し,どんな行いをしないように警告されましたか。
36 むかしエホバ神はゼカリヤ書 12章1節から3節において,国々の人に対し,天のエルサレムとその王すなわちユダ族から出,ダビデ王の家系から出た王に手出しをしないように警告されました。このような手出しをする人は,自分に傷を受けます。創造主エホバは言われました,「見よ,わたしはエルサレムを,その周囲にあるすべての民をよろめかす杯にしようとしている。これはエルサレムの攻め囲まれる時,ユダにも及ぶ。その日には,わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。これを持ちあげる者はみな大傷を受ける。地の国々の民は皆集まって,これを攻める」。
37,38 (イ)ゼカリヤの預言によれば,だれが囲まれますか。(ロ)ゼカリヤの預言にあるユダの人々とは,今日だれですか。
37 この預言は,何が攻め囲まれることを述べていますか。首都エルサレムに留まらず,ユダも囲まれます。預言者ゼカリヤの時代に,ユダの地は再建されたエルサレムの支配下にありました。ユダの人々はエルサレムの民であり,ダビデの王家の民でした。
38 ゼカリヤ書 12章2節が預言しているように,攻め囲まれるユダの地に今日住むのは,霊的なユダヤ人であり,天のエルサレムの使者です。これら霊的ユダヤ人の残れる者が何千人もなお地上に残されています。ロマ書 2章28,29節に使徒パウロが,肉に割礼のあるうわべのユダヤ人はユダヤ人ではないと述べていることを思い起こして下さい。真のユダヤ人は心に割礼のある内なるユダヤ人であって残れる者の各人はこのような人です。
39 この残れる者は,最後にどなたと共になりますか。従ってこれは実際にはだれに対する包囲ですか。
39 ヘブル書 12章22節にあるように,残れる者が近づいたシオンの山は,地上のシオンの山よりも高く,その上に「生ける神の都,天のエルサレム」があります。キリストに代わる使者として地上の務めを終えるとき,残れる者に属する人は,いまシオンの山にあって天の栄光の中に治める神の小羊イエス・キリストと共になります。(黙示 14:1-3)そこで残れる者を攻め囲む敵は,天のエルサレムすなわちシオンの山を攻めることになります。彼らは,全地とその上に住む人々を治めるキリストの支配を妨げようとしているのです。
40,41 (イ)黙示録 12章の中で,御国の使者に対する悪魔の活動は,何の誕生およびどんな戦いに関連して述べられていますか。(ロ)天のエルサレムには,ほかにどんな子たちがありますか。追放されたサタン悪魔は,彼らに対して何をしますか。
40 神の国の平和な使者に敵対するこの悪魔的な行動は,使徒ヨハネに与えられた黙示録の12章に預言的に描かれています。12章の中で,神の組織である天のエルサレムは,天の光を受けて輝く女として描かれており,神の妻であるこの女は男の子を生みます。この子は火のような龍すなわちサタン悪魔の口をのがれて,女の夫である神のもとにとりあげられ,神の位につけられます。こうして龍のたくらみは失敗します。この誕生によって示されているように,キリストが王の位について神の国の支配を始めると,それにつづいて天に戦いが起き,龍と悪鬼は戦いにやぶれて天から地に追い落とされます。天には勝利の叫びがおこります。「今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された」。(黙示 12:1-10)このように天のエルサレムの男の子は,イエス・キリストを王とする神の国であることが示されています。
41 天のエルサレムには,ほかにも子たち,あるいはすえがあります。その人々は今なお地上にいます。そこで地に落とされた龍,サタン悪魔は何をしますか。天において龍の呑みつくそうとした天的エルサレムの男の子は,神の位にとりあげられてしまいました。そこで龍は地において,彼女のすえの残れる者を呑みつくそうとします。彼らを迫害し,そのクリスチャンのわざに敵対することによって,龍は天のエルサレムすなわち神の女である彼らの母を迫害します。黙示録 12章17節はそのことを述べています。「龍は,女に対して怒りを発し,女の残りの子ら,すなわち,神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たちに対して,戦いをいどむために,出て行った」。天のエルサレムの残りの子らは,神から位につけられていま治めるイエスをあかししなければなりません。
42 目に見えない龍は,どんな手段を用いて,地上にいる御国の使者に戦いをいどみますか。
42 しかし見えない霊者である龍,サタン悪魔は,いま生まれた御国の使者となる人々に対してどのように戦いをいどむのですか。サタンは自分が神となっているこの世の国々を使うのです。(コリント後 4:4)龍はこの世の国々を用い,御国の使者を沈黙させるための法律を施行させます。
43,44 (イ)1919年,御国の使者が再び姿を現わしたことは,その敵にどんな影響を与えましたか。(ロ)この事は,ヨハネに与えられた黙示録の中でどのように描かれていましたか。
43 第一次世界大戦中,これら御国の使者は一時的に後退しましたが,1919年の春,ものみの塔聖書冊子協会の会長をはじめ,獄につながれた7人が無罪となってジョージア州アトランタの連邦刑務所から釈放されると,再び活動の舞台に現われました。いやしめられた龍はその時以来,彼らに戦いをいどみつづけ,諸国家の背後にあって目に見えないさまで迫害を扇動してきました。これら御国の証者は,マタイ伝 24章14節のことば通り,神の国のこの福音を,すべての国へのあかしとして全世界に宣べ伝えることを神から命ぜられています。彼らがこのわざのために再び立ち上ったことは,龍をはじめ,この悪しき者の支配下にあるすべての国々をいらだたせました。彼らは死から復活した如く,あるいは全世界の注視の的となった恥辱から天の栄光にあげられた如くなったのです。それはヨハネに与えられた黙示録の中に描かれていた通りの出来事でした。ヨハネは「二人の証人」について次のように書いています。
44 「三日半の後,いのちの息が,神から出て彼らの中にはいり,そして,彼らが立ち上がったので,それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。その時,天から大きな声がして,『ここに上ってきなさい』と言うのを,彼らは聞いた。そして,彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た」― 黙示 11:11,12。黙示録 9章1-6節とくらべて下さい。
自分が害を受けるだけ
45 ゼカリヤ書 12章7節は,霊的なユダの人々が,天のエルサレムとの関連においてどんな状態にあることを述べていますか。
45 霊的によみがえった御国の使者は,霊的なユダヤ人です。彼らはまだ天のエルサレムにはいらず,天の御国にはいっていません。悪魔がその支配する政府を用いて,なお地上に残る霊的ユダヤ人に戦いをいどむあいだ,彼らは天のエルサレムの外にあり,いわばその城壁の外に天幕を張っています。この見地からゼカリヤ書 12章7節は預言的に次のことを述べています。「エホバまづユダの幕屋を救ひたまはん是ダビデの家の栄およびエルサレムの居民の栄のユダにまさることなからんためなり」(文語)― サムエル後書 11章11節とくらべて下さい。
46 これらの霊的な「ユダの墓屋」がまず救われるのはなぜですか。そのことによって敵は何を思い知らされますか。
46 ユダの地の野原に幕屋をはるこれらの人々は,当然,敵の攻撃をまっ先に受けます。ゆえにその人々はまず救われなければなりません。エホバの救いの栄えは,これらの幕屋に住む人々の上に,そして先ずその人々の上に表わされることが必要です。問題になるのは霊的国民全体であって,首都とそこに住む王の家だけではありません。エホバが霊的ユダヤ人の幕屋をまず救うことによって,敵は,彼らの軽べつしていた御国の使者すなわちユダヤ人の残れる者が神の目に尊いことを思い知らされます。霊的イスラエルの他の人々は,いま天の御国において支配する王イエス・キリストと共に栄光を受けています。しかし残れる者もこの人々と同じく,エホバ神にとって貴重であり,救いに値いするのです。敵はその事を思い知らされるでしょう。
47 なお地上に残る霊的なユダの人々の「栄え」とは何ですか。彼らを忘れてはならないのはなぜですか。
47 なお地上にいる残れる者は,天のエルサレム,「ダビデの家」から出た王および王の共同相続者と共に,救いの栄えに与ります。なお地上に残る忠実な残れる者が御国から忘れられてしまう事はありません。エホバ神のお目的に従って御国の王の家族の数をみたすため,残れる者も御国の共同相続者となるのです。このように,イエス・キリストは神から任命されて天的王の家族のかしらとなっていても,天の栄光を共同相続者にわかちます。(ヨハネ 17:22-24)王の家族全体の栄光は,最終的にはその成員全部にほどよく行きわたります。こうして大いなるダビデの家の栄えと,天のエルサレムの居民(キリストの共同相続者)の栄えが,いま地上にあって囲まれている霊的ユダヤ人の残れる者の栄えとくらべて不釣合いに大きくなることはありません。
48 神の御国に関する事柄を攻め囲むことによって,敵は自分の身に何を招きますか。なぜですか。
48 地上の国々は,御国の使者の残れる者を攻め囲むことによって,天のエルサレムと,その王の家である「ダビデの家」を囲みます。この事をする人々は,自分が害を受けるだけです。その経験は彼らをよろめかせます。彼らは満身に傷を負って退きます。悪意を抱いて神の国の事と神の国の使者の事に手を出す彼らは,神と直面します。ハルマゲドンの戦いがまだ始まらない現在においてさえ,彼らは次第にその事を知らされています。
49 敵は,飲み回しの杯のまわりに集まるように,どのように集まりますか。彼らは飲んだものからどんな影響を受けますか。
49 国々は御国の使者を迫害し,略奪することに喜びを感じます。しかしその満足感も長つづきせず,最後の勝利は彼らのものではありません。王なる石イエス・キリストは天のシオンすなわちエルサレムに固くすえられました。そこで濃いぶどう酒を期待して,飲みまわしの大杯のまわりに集まるように,御国の使者をとり囲むとき,彼らはたしかに何かを飲みます。しかし何という飲みものでしょう。それを飲んでも,永続する喜びや満足は得られません。彼らはよろめき,その為すべきこと,行くべきところを知りません。こうなると倒れることは確実です。
50 ユダヤ人モルデカイの時に事態の逆転したどんな例が,警告となっていますか。
50 形勢の逆転した数多くの実例は,警告を与えています。預言者ゼカリヤは,紀元前519年にその預言書を完成しました。その約45年後,ペルシャ帝国の総理大臣であったアマレク人のハマンは,再建されたエルサレムをも含む帝国の127の諸州に,不変の法律を施行し,エホバの民を滅ぼそうとしました。この法律は,紀元前474年,アダルの月の13日にエホバの民を殺害することを定めていたのです。エホバの民を滅ぼそうとする悪意にみちた策略にハマンがほくそえんだのもしばらくの間で,形勢は逆転し始めました。ハマンの妻は成りゆきを見通してハマンに告げました。「あのモルデカイ,すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が,もしユダヤ人の子孫であるならば,あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。(エステル 6:13)ハマンは,エルサレムを含めてエホバの民に対する勝利を誇っていましたが,その喜びは歯ぎしりに変わりました。ユダヤ人モルデカイを殺そうとして設けた木に,自分自身がかけられる破目になったからです。やがてユダヤ人殺害の日が来たとき,エホバの民は王から与えられた権威をもって自らを守るために立ちあがり,ハマンの法律をあえて行なおうとした敵を殺しました。最後にハマンの10人の息子は,エホバの民を憎んでその一人を殺そうと父親の立てた木に,かけられてしまいました。
51 バビロンのネブカデネザル王が黄金の像を立てたとき,警告となるどんな出来事が起きましたか。
51 これより何年も前,バビロニアの兵士は,ネブカデネザル王の建てた金の偶像を拝むことを拒絶した忠実なシャデラク,メシャク,アベデネゴを火の炉に投げ込みました。しかし炉の焔に焼き殺されたのはバビロニアの兵士で,エホバ神の忠実な崇拝者は炉の中から出ることができました。―ダニエル 3:21-27。
52 預言者ダニエルが神に祈ることをやめなかったときの出来事を述べなさい。
52 何年も後,この3人の親しい友であった預言者ダニエルは,エホバ神に日毎に祈ることをやめなかったので,獅子の穴に投げ込まれました。エホバの崇拝をつづけたダニエルを罪に陥れるための法律が,政治的な策略によって施行されたからです。翌日,ダニエルは獅子の穴から無事に出てきましたが,ダニエルを陥れようとした人々は穴に投げ込まれて獅子に食いつくされました。―ダニエル 6:1-24。
53 西暦33年,イエスの初臨の最後の時に,何がありましたか。
53 西暦33年,エルサレムの宗教指導者は,「わたしたちには,カイザル以外に王はありません」と叫んで,イエス・キリストを死にわたしました。ローマの手を借りてイエスを殺した敵は,これでイエスの献身的な追随者も伝道を全くやめるだろうと考えました。ところがイエスの死後3日目に,神はイエスをよみがえらせました。こうしてイエスは,伝道のわざを再び始めることを弟子たちに命じ,エルサレムとユダヤのみならず,全地に伝道して,あらゆる国の人々をイエスの弟子にすることを命じました。―マタイ 28:19,20; 24:14
54 西暦70年にエルサレムが滅びるまでの12使徒時代に,何がありましたか。
54 復活したイエスの命令通り,使徒たちは宮において公に宣べ伝えたので,エルサレムの宗教指導者はそれに反対し,使徒を投獄しました。しかし神の天使が夜の間に使徒たちを連れ出し,宮に戻って伝道することを命じました。捕えられて宗教家の最高法廷に引き出された使徒たちは,伝道をやめないことを次のように説明しました。「人間に従うよりは,神に従うべきである……わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた,その証人である」。この弁明に打ち勝てず,たじたじとなった裁判官たちは協議の末,ガマリエルの次の忠告に従いました。「あの人たちから手を引いて,そのなすままにしておきなさい。その企てや,しわざが,人間から出たものなら,自滅するだろう。しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。(使行 5:17-39)迫害にもかかわらず,クリスチャン会衆はエルサレムに存続しました。ローマ人の手によって70年に起きたエルサレムの破壊が近づいた時,それに先立ち,クリスチャンははじめてエルサレムから逃れました。神に敵対した者たちはここでも敗れ,大傷を受けました。
55 キリスト教国の宗教組織は,エホバのクリスチャン証者を何と呼んでいますか。彼らの神に敵対したヒトラーは,どのように敗れましたか。
55 ここで現代に目をうつしてみましょう。龍すなわちサタン悪魔は国々の人を動かして,設立された神の国の油そそがれた使者に戦いをいどませてきました。1931年,これら御国の使者は「エホバの証者」という名前を採用しました。キリスト教国の宗教家はこの名を軽べつし,私たちを「エホバの偽りの証者」と呼んでいます。第一次世界大戦後,サタン悪魔は,政治的な独裁者を用いて,いろいろな国のエホバの証者を抹殺しようとしました。1934年,エホバの証者に悪魔的な迫害を加えたヒトラーに対し,世界的な抗議が行なわれました。ドイツ,ベルリンにおいてこの抗議に接した内相ウイルヘルム・フリック博士は,ヒトラーに対し,「聖書研究生が協力しなければ,最も厳重な手段を用いて弾圧しましょう」と言い,ヒトラーは「この連中をドイツから抹殺する」と述べています。しかしヒトラーは自分から困難に陥っただけです。彼は神と戦って敗れました。今日エホバの証者は,西ドイツにおいて公に集まり,また伝道しています。共産主義の東ドイツにおいてさえ,エホバの証者は地下に潜って忠実な活動をつづけています。
56 共産主義のソ連に何が知らされましたか。証者の神に敵対する彼らは,どのように敗北していますか。
56 共産主義のソ連では独裁支配がつづきました。ソ連およびその衛星国において禁令下におかれたエホバの証者は,地下に潜っています。生命の危険と自由を失う危険をおかしても,エホバの証者は,人間よりも神に従います。1956年から1957年にかけて,世界の自由諸国で開かれた大規模な地域大会において決議が採決されました。共産主義ソ連における迫害の事実を告げると共に,信教の自由の見地からエホバの証者の立場に考慮を願うこの決議は,ソ連の首相に送られました。独裁者フルシチョフはこれにどう答えましたか。迫害は激しさを加えました。b しかしソ連からもたらされる報告は,エホバの証者が地下において活動していることを伝えており,これは神に敵対する共産主義者にとって懸念の的になっています。この戦いにおいて傷を受けるのは彼らであって,上にあるエルサレムや神ではありません。
57,58 (イ)民主主義の国々において,エホバの証者はどのように囲まれてきましたか。(ロ)アメリカの最高裁判所は,エホバの証者の学童に関する判決において,苦慮したことをどのように示しましたか。
57 民主主義の国においても,政府と民衆はエホバの証者を包囲し,クリスチャンとしての忠実を失わせようとしてきました。共産主義者はエホバの証者を非合法化し,エホバの証者が家から家に神の国を伝道するのをやめさせようとして,彼らを法廷にひき出したり,投獄したりしてきました。
58 法によるこのようなたくらみは失敗しました。この世の戦争に対し,クリスチャンとしての中立を固守したために,エホバの証者の集会や大会は暴徒に襲われました。公立学校の規則は,国家の表象に保護と救いを帰し,それに対して宗教的な尊崇をささげることを学童に要求していました。1940年のこと,エホバの証者の子供も,この規則に従わねばならないという,アメリカ合衆国最高裁判所の判決が8対1で下されると,全国的に暴動が発生し,深刻な事態を生みました。最高裁判所は苦慮しなければなりません。1943年6月14日,最高裁は以前の判決を覆えし,各人が良心に従って崇拝を行なう自由を認める判決を6対3で下しました。勇気あるこの判決が下されたのは,第二次世界大戦の最中でした。
59,60 (イ)敵はどのようにして法廷で戦う破目になりましたか。どんな結果になりましたか。(ロ)第二次世界大戦以来,どんな情勢がエホバの証者の立場を困難なものにしていますか。
59 王妃エステルの時代におけると同じく,エホバの証者は法律に訴えて戦い,アメリカの最高裁判所にまで上訴しました。最高裁判所で争われた50件に及ぶ事件のうち,36の事件がエホバの証者の勝訴になりました。カナダにおいてもエホバの証者は同じく法廷で戦い,勝利を得ています。
60 他にもエホバの証者の宗教上の権利に干渉した政府は,苦い結果をなめました。(箴言 6:27,28)しかし第二次世界大戦以後,世界中でナショナリズムの空気が強くなり,エホバの証者にとって困難な事態がふえています。
61 龍が残れる者にいどんだ戦いは,それを見る人々にどんな影響を与えましたか。その人々は何をしましたか。
61 いやしめられた龍,サタン悪魔はすでに46年のあいだ地上の諸国をあやつって,天のエルサレムの残りの子ら,「ダビデの家」の神の国の油そそがれた使者に戦いをいどんできました。しかしこの戦いはどんな結果になっていますか。この戦いを見た何十万の人々は,この世の宗教また政治組織が神に敵対し,天のエルサレムと「ダビデの家」の王の家族に敵対していることを語りました。これらの人々は,御国の使者の証言を感謝して受け入れ,御国の使者の側,つまり天のエルサレムと,いま生まれた「ダビデの家」の御国の側につきました。彼らは天のエルサレムとダビデの国を攻め囲んでいる人々から離れました。そして油そそがれた御国の使者に加わって,御国の音信を全世界に宣べ伝えています。彼らは戦場にある「ユダの幕屋」を献身的に支持しています。エホバは,ユダの幕屋をまず救うことを約束されました。
攻め囲む者の減び
62 御国の代表者に干渉する諸国家が経験している事柄は,重い石に関するゼカリヤの預言のどんな成就の前ぶれですか。
62 いますでに人々と国々は,天のエルサレムと,ダビデの家から出たその王を地上で代表する人々に手を出したためによろめき,また大傷を受けています。しかしそれはゼカリヤの預言の本格的な成就の序の口に過ぎません。国々は干渉をやめ,包囲をとくだけの分別をまだ得ていません。目に見えない悪鬼に影響された諸国家は,全能の神との決定的な最後の戦いの場所に集められています。それはハルマゲドンの戦いです。(黙示 16:14-16)邪魔になる大きな石をどけるように,天のエルサレムの神の国を取り除こうと最後の努力をするとき,そして私たち御国伝道者を排除しようとするとき,彼らはひどい傷を受けます。シオン(すなわちエルサレム)にすえられた王なる石は,バビロン王の夢に出てくる金属の像を砕いた石のように,彼らを打ち砕くでしょう。王なる石イエス・キリストは反対者にむかって言われました。「またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ,それがだれかの上に落ちかかるなら,その人はこなみじんにされるであろう」― マタイ 21:44。ダニエル 2:34,36,44,45。
63 敵が包囲を強めるとき,なぜ恐怖に陥る必要はありませんか。
63 ゆえに地上の敵が勢力を増強し,全地を治める唯一の正当な政府として神の国を支持し,また伝道する私たちに対して包囲を強めても,恐怖に陥る必要はありません。最終的な事態に直面する勇気は,全能の神から与えられるでしょう。「エホバ言たまふその日には我すべての馬をうちておどろかせその騎手をうちて狂はせん而して我ユダの家の上に我目を開き もろもろの国民の馬をうちて盲になすべし ユダの牧伯等その心の中にいはんエルサレムの居民はその神万軍のエホバによりて我力となるべしと その日には我ユダの牧伯等をして薪の下にある火盤のごとく麦束の下にある炬火のごとくならしむべし彼等は右左にむかひその周囲の国民をことごとくやかんエルサレム人はなほエルサレムにてその本の処に居ることを得べし」。(ゼカリヤ 12:4-6,文語)それで私たちは勇気を出すことができます。
64 エホバは,敵の戦いの道具に対して何をされますか。霊的な「ユダの牧伯」は何を認めますか。
64 私たちの神エホバは,攻め寄せる馬と乗り手すなわちサタン悪魔の戦いの手先を引き受けることを約束されています。エホバは彼らを盲目にさせ,混乱に陥れます。しかし地上にいる霊的なユダの人々および忠実な仲間の者たちの上に目を開き,ご自分の民であるそれらの人々を守り,万事がその益となるようにされます。王の支族ユダの霊的な牧伯は,天のエルサレムとその王の家をたゆまずに擁護することが自分たちの力にはよらず,天のエルサレムの王なる居民おもにイエス・キリストの見えないうしろだてによることを認めるでしょう。
65 これら「牧伯」およびその下で奉仕する人々は,どのように敵と戦いますか。その結果は何にたとえられていますか。
65 ユダの霊的な牧伯またその下に奉仕する人々は,実際の武器をとって敵と戦うことをしません。彼らの唯一の武器は霊的なものすなわち文字に書かれた神のことばとその音信です。彼らが神のことばを宣べ伝えるとき,攻め囲んだ者たちは燃えるようなエホバの怒りの熱を感じます。それで比喩的に言って,ユダの霊的な牧伯は周囲の民を焼くことになります。いまでさえ,天使の導きの下に彼らは,神の怒りの最後の七つの災を,神から離れ去ったすべての人の上にそそぐために用いられています。(黙示 15:1から16:21)私たちを攻め囲む者たちは,それから苦痛を受けています。
66,67 (イ)敵の諸国家に関して,エホバにはそのとき何がありますか。(ロ)霊的なユダの人々と忠実な助け手に関して,エホバには何をするいわれがありますか。
66 霊的イスラエルと献身したその仲間を攻撃する者は,「全能の神の大いなる日の戦い」のとき,神によってことごとく滅ぼされます。神にはそのことをする正当な理由があります。また御国の使者とその忠実な助力者を神が守るのも,十分ないわれのあることです。そこで神は預言者の口を通して次のように言われます。
67 「エホバまずユダの幕屋を救ひたまはん是ダビデの家の栄およびエルサレムの居民の栄のユダにまさることなからんためなり その日エホバ エルサレムの居民を護りたまはん彼らの中の弱き者もその日にはダビデのごとくなるべしまたダビデの家は神のごとく彼らに先だつエホバの使のごとくなるべし その日には我エルサレムに攻きたる国民をことごとく滅すことをつとむべし」― ゼガリヤ 12:7-9,文語。
68 「その日」,攻め囲む者たちは,実際には何に手を出していますか。
68 「その日」に,天のエルサレムは本当の意味において,よろめかす杯となり,神の国をあえてどけようとする者たちにとって,大傷を与える重い石となります。悪意を抱いて,天のエルサレムの御国の事柄に手出しをする者は,そのした事が自分の身にはね返って傷を受けます。それはゲヘナにおいてからだと魂を滅ぼすことのできるエホバ神のみ手から永遠の滅びを受ける結果となります。(マタイ 10:28)彼らに気をつけさせなさい!
69 私たちの前を行く神の使いに対して,私たちにはどんな責務がありますか。そのことをする人々には,何が授けられますか。
69 私たちについて言えば,地上で直面する敵を考えるとき,自分たちは弱く,倒れる者,真直ぐに歩むことのできない者のように感ずるかも知れません。しかし天のエルサレムは真直ぐに歩むことのできない者のように感ずるかも知れません。しかし,天のエルサレムは強く,すべての敵を打ち砕く力を持っています。支配しているその王,「ダビデの家」のイエス・キリストは,神から与えられた「大能の神」の名にふさわしいことを示し,また私たちの前を行くエホバの使いとなります。私たちは大いなるダビデ,イエス・キリストの後に従いつづけなければなりません。そこで私たちはエホバ神に信頼することができ,攻め囲む敵がことごとく滅ぼされるまで耐え忍ぶ力を神から得ることができます。それは全く理にかなったことです。霊的な「ユダの幕屋」と,忠実な仲間の「大ぜいの群衆」には,王の王,勝利のイエス・キリストによって与えられる,私たちの神エホバからの最後の救いがあるからです。―イザヤ 9:6。黙示 7:9-17。
[脚注]
a レイ・H・アブラムス。出版者はニューヨーク市ラウンド・テーブル・プレス。
b 1964年2月2日付サンデー・ニュース,2月1日モスクワ発AP,「ソ連における反宗教運動のきざし」の第8節「少数者グループに向けられる」の見出しの下に,次のように出ています。「近年,反宗教宣伝は,国家に対する不服従を唱えるエホバの証者のような少数派に多く向けられてきた」。