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結婚生活で神を考慮に入れなさいものみの塔 1981 | 10月1日
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が決してあってはなりません。―ペテロ第一 3:7。
20,21 (イ)他のどんな聖書的原則を適用すれば,結婚生活において神を考慮に入れていることになりますか。(ロ)次に検討する記事の主題は何ですか。なぜそのことを取り上げるのですか。
20 結婚生活には,幸福への何と多くの機会が開かれているのでしょう。イエスは,「受けるより与えるほうが幸福である」とおっしゃいましたが,この原則は結婚している人々にも当てはまります。(使徒 20:35)夫と妻には与えるための実に多くの機会があるのです。自分自身や時間を与えたり,気遣いを示したり,考えや感情を分けあったり,物質的なものを与えたりできます。二人の関係についても次の原則が適用されます。「惜しみつつまく者は少なく刈り取り,惜しみなくまく者は豊かに刈り取るのです」。こうした助言すべてを心に留めることが,結婚生活で神を考慮に入れることなのです。―コリント第二 9:6。
21 それでも,献身したクリスチャンであると公言する既婚者でさえ,これらの点で失敗することがしばしばあります。それゆえ,「愛の神は離婚を憎まれる」と題する次の記事を率直な態度で検討することが必要になります。
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愛の神は離婚を憎まれるものみの塔 1981 | 10月1日
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愛の神は離婚を憎まれる
「あなた方(は)あなた方の霊に関して自ら守り,自分の若い時の妻に対してだれも不信実な振る舞いをしてはならない。[エホバ]は離婚を憎まれたからである」― マラキ 2:15,16,新。
1,2 (イ)長老だったある人は,最近どんなふとどきな道を選びましたか。(ロ)どんな傾向を抑えるために,次にどんなことが示されていますか。
クリスチャンの会衆で長年長老として奉仕していたある人は,結婚生活で幾つかの問題を抱えるようになりました。その人はこの世の女性と姦淫を犯し,こうすれば妻は自分を離婚してくれ,自分は仲間の信者と結婚する自由が得られると考えました。ところが驚いたことに,妻は夫を許し,和解する意向のあることを示しました。しかし自由になりたいという気持ちの強かったその人は法律上正式に離婚し,離婚が決まってから別の女性と結婚しました。しかしその人はそうした行動を取ったので,クリスチャン会衆から排斥されました。
2 こうした言語道断な行き方は,エホバに献身していると言う人の中では例外的なものだと言えることをわたしたちは強く望んでいます。しかし悲しいことにそうではないのです。むしろ,聖書の原則に堅く付き従い,祈りのうちにエホバに頼り,そのみ言葉を調べ,会衆内の長老たちの援助を求める代わりに,利己的な快楽を求めたり,みじめな結婚生活から逃れようと安易な道を選んだりする傾向が強まっているように思われます。それでこの記事を通して,献身したクリスチャンすべてがこの問題に関して思いを強化し,こうした利己的な行き方を考えている人々が問題を考え直すよう希望しています。
3 離婚に関する世間一般の態度はどんなものですか。
3 こうした風潮があるのは大変残念なことですが,今日の世界に見られるすべてのことを考えてみれば,これは実際のところ驚くべきことではありません。離婚する夫婦が増えているという事実はだれも否定できません。米国やソ連などの国々では,3件に1件の結婚が離婚に終わり,その割合が約2件に1件という国もあります。“当事者双方が結婚解消の責任を問われない”離婚のあるところも幾つかありますが,それは離婚の増加する一因となっているに違いありません。正式に結婚せずに同棲する男女が増えていますが,もしそのような事実がなければ,離婚の件数ははるかに多いことでしょう。例えばブラジル1国だけでも,400万組以上がそのような生活を送っていると報告されています。
エホバは離婚をどうご覧になるか
4,5 (イ)エホバ神は不信実な離婚をどうみなしておられますか。(ロ)イエスは離婚の問題に関してどのようにご自分の意見を表明されましたか。
4 エホバ神は離婚をどうご覧になるでしょうか。キリスト教世界の多くの僧職者がしているように,それを見逃されるでしょうか。決してそうではありません。マラキ書 2章15,16節には次のように記されています。「『あなた方(は)あなた方の霊に関して自ら守り,自分の若い時の妻に対してだれも不信実な振る舞いをしてはならない。神は離婚を憎まれたからである』とイスラエルの神エホバは言われた。……『そしてあなた方も自分の霊に関して自らを守り,不信実な振る舞いをしてはならない』」。イエス・キリストも同様の見解を表明されました。イエスの時代の宗教指導者たちが離婚の合法性についてイエスに尋ねた時,イエスは次のようにお答えになりました。「あなたがたは読まなかったのですか。人を創造されたかたは,これをはじめから男性と女性に作り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅くつき,ふたりは一つの肉体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一つの肉体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」― マタイ 19:4-6。
5 この答えを聞いて,それらのパリサイ人たちは尋ねました。「では,なぜモーセは,離縁証書を与えて妻を離婚することを規定したのですか」。イエスは答えられました。「モーセは,あなたがたの心のかたくなさを考え,妻を離婚することであなたがたに譲歩したのであり,はじめからそうなっていたわけではありません。あなたがたに言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。(マタイ 19:7-9)これらの聖句は何を教えていますか。エホバ神もそのみ子イエス・キリストも,結婚と離婚に関する神の律法に対する違反を軽く見てはおられないということです。離婚は,エホバ神が結び合わされたものを引き離すことです。神は結婚を生涯のきずなと見ておられます。
6 モーセの律法は,姦淫についてどんなことを述べていますか。
6 十戒の7番目に,「あなたは姦淫を犯してはならない」とあるのはそうした理由によります。(出エジプト 20:14,新)それだけでなく,モーセの律法の要求によれば,イスラエル人は他の人の妻と姦淫を犯した男子はだれであっても,相手の姦婦と共に石で打って殺さなければなりませんでした。(レビ 20:10)ヘブライ 13章4節で使徒パウロは,エホバ神は姦淫を行なう者と淫行を行なう者を裁かれると警告していますが,これは実にふさわしい警告なのです。
7 姦淫が淫行よりふとどきなものであるのはなぜですか。
7 厳密に言えば,姦淫は淫行よりはるかにゆゆしいものです。英国の辞書編集者たちは淫行を,未婚の者同士の性的な関係と定義しています。しかし姦淫には,結婚のきずなを侵害する,ないしは断つ,あるいは不純にするという別の要素が加味されています。例えば,姦淫に相当するドイツ語はエーエブルフですが,字義通りに翻訳すると,それには結婚のきずなを断つという意味があります。
エホバが離婚を憎まれるのはなぜか
8,9 (イ)神が不信実な離婚を憎まれる一つの理由はなんですか。(ロ)エホバがそう感じられるもう一つの理由はなんですか。
8 エホバ神が非聖書的な理由による離婚を憎まれるのは,まず第一に,それがご自分に対する罪だからです。エホバ神は結婚という取決めの既得権を持っておられるので,この点に関して神のご意志に逆らう者はだれであろうと,実際には神に対して罪を犯しているのです。姦淫が神に対する罪であることは,ポテパルの妻が姦淫の相手となるようヨセフを誘った時,ヨセフがポテパルの妻に述べた言葉に表われています。ヨセフは,「どうしてわたしはこの大きな悪行を犯して,まさに神に対して罪をおかすことなどできるでしょうか」と述べました。(創世 39:9,新)それに,ウリヤの妻と姦淫を行なうという罪を犯し,その罪に対する悔い改めを表明したとき,ダビデ王はエホバに何と言いましたか。「あなたに対して,ただあなたに対してのみ,わたしは罪を犯しました。あなたの目に悪となることをわたしは行ないました」― 詩 51:4,新。a
9 エホバ神が離婚を憎まれる別の理由としては,エホバ神は公正,つまり正々堂々としたプレーに関心を持たれるという点が挙げられます。例えば,ヤコブの手紙 5章1-6節の中で,神の言葉聖書は,働き人たちを虐げる富んだ人々を強く非難しています。神が預言者マラキによって語られた通り,離婚(聖書的な根拠に基づかないもの)は,まず大体が自分の配偶者に対する裏切りを意味します。それは罪のない配偶者を傷付けます。エホバ神はモーセの律法の中で,虐げられている父なし子とやもめの申し立てを支持し,彼らの弱みに付け込む者たちを罰すると繰り返し告げておられますが,同じようにエホバ神は,他の人と結婚できるように法の抜け穴を利用して配偶者を追い出す人々に不利な裁きを下されます。―申命 10:17,18; 27:19。
10 姦淫を犯す者が快楽主義者であると言えるのはなぜですか。
10 実のところ,姦淫を行なう者は快楽主義者になると言えるかもしれません。快楽主義者ですか。そうです,快楽主義者は,快楽と利己的な満足を主要な目標として生きる人です。どれほどたばこが有害かを知りつくしていながらたばこを吸う人は,快楽主義者であると言えます。(ルカ 8:14。テトス 3:3,王国行間逐語訳)そういうわけで,離婚後再婚することによって得られる快楽を,エホバ神を喜ばせるという義務に優先させる人々も,快楽主義者と言えるのです。彼らは間違いなく,神を愛する者ではなく,むしろ快楽を愛する者です。―テモテ第二 3:1,2,4。
11 姦淫を犯して離婚する人は,神と自分の配偶者に罪を犯すだけではなく,だれに対しても罪を犯しますか。
11 姦淫を犯して離婚する人々は,エホバ神と自分の配偶者に対して罪を犯すだけではなく,自分が交わっている会衆に対しても罪を犯しています。その行状は会衆の良い評判を落とすからです。さらに,その悪い例を示すことによって,会衆内の人々に対しても罪を犯します。例えば,ニューヨーク市のある会衆で,かなり目立つ存在だった一人の婦人がこの間違った道に走りました。そのすぐ後二人の若い婦人が触発され,その手本に倣ってしまいました。使徒パウロが,他の人をつまずかせてはならないという警告を与えていることには,もっともな理由があるのです。―フィリピ 1:9,10。
12 結婚しているクリスチャン各自は,魂を探るどんなことを自問してみるべきですか。
12 聖書は,エホバ神とイエス・キリストが結婚についてどう考えておられるかを明らかにしています。お二方は離婚を憎んでおられます。しかしあなたは離婚についてどうお感じですか。結婚という神聖な制度についてどんな見方を持っておられますか。あなたは神の見方を持っていますか,それとも世間一般の人々のように,悪意に満ちた結婚破壊者サタン悪魔の影響にさらされるままになっていますか。結婚や姦淫や離婚に関する神の法を破る人々の行動を大目に見る傾向がありますか。異性と悪ふざけをし,性の不道徳をもてあそぶような人の一人ですか。(マタイ 5:28; 15:19)これらの事柄に関して自分の心を守っていますか,それとも不義の快楽の空想にふける傾向がありますか。―箴 4:23。
13 ほとんどの場合,欺きと姦淫は切り離して考えることのできないものであることを何が示していますか。
13 ほとんどの場合,離婚と姦淫は切り離して考えることのできないものです。とりわけ,夫婦の双方が姦淫を犯していない場合でも法的に離婚が成立する所では,姦淫の罪のない者を「姦淫にさらす」誘惑は強くなります。(マタイ 5:32)そして夫婦のどちらにせよ,もし姦淫を犯すなら,当然エホバ神の前で清い良心を保つことはできません。姦淫は欺きのうちに犯されるものですから,どうして清い良心を保てるでしょうか。聖書にはその点につき,次のように書かれています。「姦淫をする者の目は,夕やみを待ち構えて,『だれの目もわたしを眺めることはない!』と言った。そして,その顔に覆うものを当てる」。(ヨブ 24:15,新)姦淫がいかに人を欺まん的にするかは,この記事の冒頭に掲げられた経験から分かります。
14 詩篇 36篇1-4節の言葉は,どんな点で姦淫を行なって離婚する人々にぴったり当てはまりますか。
14 姦淫を犯して離婚することに対して正しい見方をする助けになるのは,詩篇 36篇1-4節にあるダビデの次の言葉です。「邪悪な者に対する違犯のことばはその心の中にある。その目の前に神の恐れはない。彼は自分の目に自分を非常に滑らかに取り扱ったので,自分のとがを見いだしてそれを憎むことをしない。その口の言葉は害悪と欺まんである。彼は善を行なうことに対して洞察力を持たなくなった。彼は害悪を寝床の上でたくらみつづける。彼は良くない道に身を置く。悪いことはこれを退けない」。姦淫を犯して離婚する人々に何とぴったり当てはまる描写なのでしょう。
15 姦淫を犯して離婚し,再婚する人は,聖書のどんな原則を真剣に考慮すべきですか。
15 姦淫を犯した人はしばしば,自分の配偶者と離婚し,再婚し,排斥されますが,1年程度で復帰するようになっています。こうした問題を扱う長老たちは,あわれみを示すべきことについて述べる神の言葉に基づいて決定を下すに違いありません。確かに,エホバ神はあわれみ深い方ですから,長老たちもそうでなければなりません。しかし,結婚するために悪知恵を働かせ,こうした行動を計画した男女すべてにとっては,長老たちが彼らを復帰させたとしても,それで決して問題のけりがついたわけではありません。長老たちは,明らかな悔い改めにのみ基づいて決定を下しますが,心を完全に読み取ることはできません。動機を裁くことはできないので,長老たちは新しく結婚したその夫婦を復帰させることがあります。しかしその夫婦は,「神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれる」というパウロの言葉を決して忘れてはなりません。(ヘブライ 13:4)こうした問題に関する最終的な裁きは,エホバ神のみ手にかかっており,エホバ神はあらゆる状況をご存じです。エホバ神は,エレミヤ記 17章9,10節に示されている通り,確かに心をお読みになります。神は動機をご存じであり,結婚に関する神の律法を破る人々の悪賢い計画や欺きを一切見抜いておられます。そうです,「神のみ前に明らかでない創造物は一つもなく,すべてのものはその目に裸で,あらわにされており,このかたに対してわたしたちは言い開きをしなければなりません」。確かに,わたしたちはこの聖句を読んで,考えさせられるはずです。―ヘブライ 4:13。
16 潔白な側が,罪を犯した配偶者と離婚しない場合があるのはなぜですか。
16 しかし,この点に関して注目しなければならないのは,神の律法は潔白な方の配偶者に離婚を要求していないことです。状況によっては,特に当事者が謙遜に,誠実に悔い改めている場合には,罪を犯した人を潔白な側が許すのはよいことかもしれません。なるほど,自分の配偶者が不忠実になったということは極めて屈辱的な経験かもしれません。その配偶者は喜びと満足を別のところに探し求めていたのです。しかし大勢の愛情深い妻また母親は,子供たちのために,利己的な,それどころか不忠実でさえある夫に耐えてきました。
理由と対応策
17 離婚して再婚するために姦淫を行なうことを考える人がいる一つの理由として,どんなことが考えられますか。
17 結婚の契約を忠実に守って誠実さを保つかどうかの試験に失敗する人がいるのはなぜですか。むろんそれには幾つかの理由があります。エホバのクリスチャン証人は,火の燃える地獄のような場所が存在しないことを知っているため,永遠の責め苦に関する恐怖心を抱いていないということが一つの理由になるでしょうか。ルター派の一僧職者は,年若いエホバの証人に,火の燃える地獄を信じなければあらゆる種類の悪事を行なうようになると述べたことがあります。キリスト教世界の少なからぬ人々が同じように感じていることでしょう。純粋なクリスチャンとして,わたしたちは永遠の責め苦という恐れからの自由を得ていますが,「この自由を肉のための誘いとして用い」るべきではありません。そうではありませんか。―ガラテア 5:13。
18 どんな状況があるため,性に関する考えや行動について絶えず警戒していることが必要ですか。
18 今日,世界は性に夢中になっています。乱交が時代の風潮となっています。確かに不法が増加しています。(マタイ 24:12)クリスチャンは男女を問わず,自分の職場で誘惑を受けやすい状況に置かれます。聖書の原則を指針としてはいない,しかし身体的には魅力を備えた人々に囲まれているからです。ですから絶えず警戒し,自制心を働かせ,自分の配偶者以外の異性に接する際には,それを事務的なレベルにとどめなければなりません。それに,新聞・雑誌・テレビ・映画などのマスメディアについても警戒が必要です。淫行や姦淫を行なうような人々をブラウン管を通して事実上家の中に招じ入れるようなことをしてはなりません。またクリスチャン,特に兄弟は,こってりした食物や強い酒によって刺激を受けやすくなるという事実を見過ごしてはなりません。生活のあらゆる面において自制を働かせてください。「悪を憎(み)」,「邪悪なことは憎悪し」てください。―詩 97:10,新。ローマ 12:9。
19 結婚生活が望み通りにならない人々は,問題をどのように見るべきですか。
19 さらに,既婚者の中には,相手を選ぶ際に判断を誤った人がいるかもしれません。望んでいたほど気が合わないことが分かったり,結婚生活のより親密な面で失望を味わったりするかもしれません。その場合は,そうした状況下でできるだけうまくやりくりするという問題になり,そうすることによってエホバの取決めに誉れを帰し,その正しさを擁護することになります。聖書は,「自分にとって悪いことを誓ったが,それでも変えない」人のことを好意的に述べています。(詩 15:4,新)要するに,それは人生の苦も楽も甘受するということなのです。このことで思い出されるのは,広く知られ,多くの兄弟姉妹から愛されていたある長老のことです。この人はエホバの証人になる前に結婚しており,その人の未信者の妻はあらゆる手を使って夫の生活をみじめなものにしました。そのことについて尋ねられたこの人は,「妻は私を男にしてくれました」と答えました。妻のことを耐えるために,この長老は辛抱することや,多大の自制心を働かせることを学ばなければなりませんでした。そして自分が使徒パウロの助言に留意していることを自覚しているという満足感を得ていました。―コリント第一 7:12-16。
20 姦淫を犯して配偶者と離婚する原因となりかねないどんな状況がありますか。
20 とはいえ,もし“潔白な”側の配偶者が同情心や知恵,愛情,理解などをもっと示していたなら,姦淫を根拠とする離婚は避けられた,と思える場合が時々あります。妻が身体的,精神的,感情的,美的,霊的な面で夫を喜ばせることに段々気を使わなくなり,そのために夫がこれらのうちの一つ,あるいはそれ以上の面でほかの所に満足を求めるようになることがあるかもしれません。例えば,全時間の奉仕をしていたある人は,妻が結婚の分を与えることを嫌ったため,妻の実の姉妹に満足を求めるようになりました。もちろん,この点でどんなに妻に落ち度があろうと,夫が姦淫を正当化できる理由は少しもありません。
21 (イ)不信実になって配偶者と離婚することが間違っているのはなぜですか。(ロ)しかし,不信実な離婚に関して,エホバの証人全般について何と言えますか。
21 確かに,愛の神が離婚を憎まれることにはそれ相当の理由があります。不信実な離婚は神に対し,配偶者に対し,自分が交わるクリスチャン会衆に対し,罪を犯すことです。また会衆内の個人個人に対して罪を犯すことです。そうした行動は人をつまずかせ得るからです。しかし,全体的にエホバの証人が容易に離婚に走るような人々でないことはほめるべきことです。証人たちは,結婚に関する神の助言を適用する面で熱心に努力する人々として知られています。そのために彼らは幸福な人々です。証人たちのしっかりした幸福な結婚生活は,他の人々の注目するところとなる場合が多く,人々を真理に引き付けています。
[脚注]
a ダビデはウリヤに対しても罪を犯しましたが,神に対する罪があまりにも大きかったため,ウリヤに対する罪は比較的ささいなものに思われました。
[20ページの図版]
非聖書的な離婚は他者に対する罪である
エホバ
配偶者
人々
会衆
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