-
試みをして後の祝福された結果ものみの塔 1956 | 2月15日
-
-
の状態の中に住んでいます。それは見棄てられた地ではなく,また住民のいない地でもありません。その中より決して外に出ない残れる者たちは,その地と契をかたく結んで離れることはありません。それで,ヱホバの予言は成就しています,『又万国の人なんぢらを幸福なる者ととなえん。そは汝ら楽しき地となるべければなり。万軍のヱホバこれを言う。』― マラキ 3:12。
12 (イ)全国民は,どのように霊的イスラエルを幸福な者,『楽しき地』ととなえますか?(ロ)彼らは,どのようにこの霊的な繁栄と幸福に参加しましたか?
12 このことは,全人類の歴史上でもつとも不幸なときに起りました。それは,すべての人類が,1914年以来の『苦難の苦しみの初まり』や,そのいろいろな影響で悩んでいた時でした。これら不幸な国々の人々は,次のことを悟りました。すなわち,霊的イスラエル人の残れる者たちは,ヱホバのよろこばれている制度,つまり『わが悦ぶところ』という意味のヘフジバに属している,ということ,そして,残れる者たちは,自分たちの神がヱホバであり,かつ新郎の新婦をよろこぶごとくに,神が彼らをよろこばれる故に,自分たちが『楽しき地』であることを知つて,幸福を感じているということです。(詩 33:12。イザヤ 62:4,5)そのような国民は,霊的な残れる者たちを幸福な者ととなえます。彼らは,自分自身も霊的な繁栄と幸福を願い求めて,その『楽しき地』に来て,霊的に繁栄している残れる者たちに参加します。彼らは,イザヤ書 2章2-4節に予言されている通り,ヱホバの家の高き山を登つて,その宮にいたり,霊と真をもつてなすヱホバ崇拝に参加します。従順な行をするときに,霊的な繁栄が続けて得られると,彼らは知つています。その故に,彼らもヱホバの宮の倉に,霊的な什一を納め,その聖なる家にいる宮の僕たちを支えます。『日の出るところより,没る処までの国々の中に我名は大ならん。又何処にても香と潔き献物を我名に捧げん。そはわが名国々の中に大なるべければなりと万軍のヱホバいいたもう。……そは我は大なる王また我名は列国に畏れらるべきなればなり,万軍のヱホバこれを言う。』― マラキ 1:11,14。
救い
13 この世の高慢な者たちは,どのように語り,また行いましたか? しかし,彼らの偽りの考え方は,間ちがいであると,どのように示されましたか?
13 ヱホバを忠実に試みたヱホバの証者は,地上で一番幸福な民であり,かつヱホバ神に奉仕することは有益である,と知つています。棄てられた『悪い奴隷』級も属しているこの世的なキリスト教国の高慢な人々は,幸福でありません。彼らは,ヱホバ神に信仰を持たず,また祝福をいただくための試みも,しません。彼らについて,ヱホバ神はこう言われています,『あなた方は言葉を激しくして,私に逆らつた。しかもあなた方は「われわれは,あなたに逆つて,どんな事を言つたか」と言う,あなた方は言つた,「神に仕えることはつまらない。われわれがその命令を守り,かつ万軍の主の前に,悲しんで歩いたからといつて,なんの益があるか。今我々は高ぶる者を,祝福された者と思う。悪を行う者は,栄えるばかりでなく,神を試みても罰せられない。』(マラキ 3:13-15,新口)彼らはヱホバの設立した御国をよろこばず,御国を宣べ伝える者たちに反対しています。彼らは万軍のヱホバの前に悲しみつつ歩みましたが,それは彼らは大論争を悟らず,また宇宙的至上権に関する大論争に関して,彼らは神の側に立つことによつて生ずる苦難の特権を認識していないからです。彼らは,悪をなす者が,一時のあいだ物質的にも政治的にも繁栄しているのを見て,心をなやましています。(詩 37:1,7)彼らは,ヨブとは全く異り,何事も物質的な見地から判断し,神を愚かな者と非難しています。(ヨブ 1:22)彼らは,敬虔の装いをこそすれ,その実は偽りです。そして,たとえ神に奉仕しても悩みは絶えないと考えています。しかし,実際には,彼らは無私の心で神に奉仕しているのではなく,利己的な利益を図つていて,正しい尊敬,恐れ,そして愛の気持から神に奉仕していないからです。什一を納めるヱホバの証者の上に注がれている豊かな祝福は,キリスト教国の不満足,不信仰,不従順な宗教家たちの考え方が,ことごとく偽りのものであると証明しています。
14 それで,予言されている様に,ハルマゲドン前にどんな区別がすでに示されていますか?
14 たしかに,神のものを盗む不忠実な者たちと,什一を納める残れる者たちとの区別は,『全能の神の大いなる日の戦争』であるハルマゲドンの戦争が始まる前に,すでに示されています。(黙示 16:14-16)残れる者たちは,尊崇の念をもつて語り,ヱホバを呪つたことはありません。『その時,ヱホバをおそるる者たがいに相語り,ヱホバ耳をかたむけてこれを聴きたまえり。またヱホバを畏るる者およびその名を記憶る者のためにヱホバの前に記念の書をかきしるせり。万軍のヱホバいいたもう。我わが設くる日にかれらをもて我宝となすべし。また人の己につかうる子をあわれむがごとく我彼らをあわれまん。その時,汝らは,さらにまた義者と悪しき者と,神に仕うる者と仕えざる者との区別をしらん。』― マラキ 3:16-18。
15 1931年以来,誰が残れる者たちに参加して,互に語り合いましたか? 残れる者は,どのように教われ,悪しき者はどのように示されますか?
15 ヱホバを恐れる残れる者たちは,たがいに語つて,かつヱホバの御名についての自分の考えを述べるため,定期的に集まりました。1931年以来の国々の中で,ヱホバの御名の偉大さを認め,そしてヱホバの御名に畏敬の念を持つた人々は,残れる者たちの集会に参加して,共にヱホバの御名に栄光を捧げています。万軍のヱホバは,全国民の中より取り選ばれた残れる者たちは,御自分に属する者と,云われています。(ペテロ前 2:9)善意者も又,什一を納める残れる者たちがヱホバに属していることを認め,そして,ヱホバの選んだ民として残れる者たちにかたくつき従います。それは,残れる者たちと共に将来の救を頂くためであります。彼らは又,次のことを知つています。すなわち,ヱホバは,ハルマゲドンの戦争を戦つて勝利を得られ,かくして御自分の宇宙的な至上権を立証される日に残れる者たちを救われると約束しておられることです。その戦争の時に,ヱホバは彼らを亡びから救われることを記憶しておられます。彼らはヱホバを恐れ,かつヱホバの倉に什一のすべてを納める故に,ヱホバの記憶の書に記録されているからです。父は,愛の気持から自分に仕える従順で恭謙な子を憐みます。丁度それと同じ憐みの気持ちをもつてヱホバは彼らを憐れみ,かつ彼らを救つてその戦争を生き残らせます。ヱホバを恐れる者が救われて,ヱホバを侮る者が亡びるとき,ふたたび,私たちは,真実に義しい者と悪しき者との区別,すなわち神のいましめに従つて神に真実の奉仕を捧げている者と,神に奉仕していない者との区別を見るでしよう。
16 善意者も,どのようにヱホバを試みますか? それで,どんな祝福された結果が得られますか?
16 二つの級のあいだに生ずるそのような区別を直視するとき全国民の中のすべての善意者は,いまや霊的な什一を携えて残れる者とともにヱホバの家に行く,べきでありましよう。そのとき,臆することなくヱホバの召に応じて,ヱホバを試みなさい。この試みをする時,あなた方は,現在において豊かな祝福と霊的な繁栄を頂きます。そして,残れる者とともに救われて,ハルマゲドンの戦争を生き残り,かくして霊的な繁栄だけでなく物質的な繁栄も地上に存在するヱホバの新しい世で,永遠の生命を楽しむことができます。
-
-
その16 新しい名を持ちて神権的に伝道ものみの塔 1956 | 2月15日
-
-
ヱホバの證者の近代歴史
その16 新しい名を持ちて神権的に伝道
1938年10月2日,イギリスから帰国した判事ルサフォードは再びニューヨークの土をふみ,7000名の聴衆のまえで,『ファシストそれとも自由』という題の講演を行いました。これは,機に適つた痛切なものでした。これは,まもなく冊子となつて,幾百万冊も配布され,切迫せる戦争によりファシストの狙つていた大流血につき人々を警告しています。翌年の夏,すなわち1939年の6月23-25日まで,もう一つの多都市大会が成功裡に開催されていますが,今回はニューヨーク市のマヂソン広場が中心会場と選ばれました。全部で28の都市 ― オーストラリヤの数都市,ロンドンを含むイギリスの10都市,ホノルルの1ヵ所,アメリカ合衆国内の数都市において,7万5000名に及ぶ国際的な聴衆は参集しました。大会は,ものみの塔協会の会長によつて話された最後の講演会,『政府と平和』のとき,その最高潮に達しました。この力強い講演が半ば進行していたとき,ニューヨークの中心会場で暴動が発生しました。この暴動は,バチカンからの指令におどるコウリン神父の『クリスチャン戦線』ダブリュー・エム・シー・エイ(放送局)の暴民たちによるものです。このため広場の案内者(全部,ヱホバの証者)は約15分間暴民と言いあらそつて,力ずくで500名のファシストの暴民を追い出さねばなりませんでした。やがて暴民は,『ヒトラー万歳』『フランコ万歳』などと,叫びながら,騒音をたて,やじり始めました。このとき,有線又は
-