『神が話された,すべての物事の回復』
「神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復の時」― 使行 3:21,新。
1 回復はだれが話された物事に関するものであり,それゆえになぜ喜ぶことができますか。
約束されたこの回復が,政治家や哲学者の語った物事に関してではなく,『神が話された物事』に関してであったことは,わたしたちにこのうえもない喜びを与えてくれるものではありませんか。したがって,その物事は全人類の益になるはずです。それは必ずや回復されます。わたしたちはその物事が回復されるのを願うべきです。なぜなら,わたしたちのために何が回復されるべきかを,わたしたちの創造者は他のだれよりもよくご存じだからです。とはいえ,わたしたちはその物事を願っていますか。
2 わたしたちはその質問にどのように答えることを願いますか。したがって,どんな質問がやつぎばやに生じてきますか。
2 この質問に対して,わたしたちは盲目的に,あるいは,無知な答え方をしたいとは思いません。わたしたちには,倫理的な行為を自由に取れる権利が付与されています。熟察のうえ,賢明な選択ができるよう,わたしたちはまず,ここで問題となっているその物事が何かを知りたいと思います。すべての物事とは何か。神がそれら全部について話されたと,どうすればわかるのか。神が話されるのをだれが聞いたのか。神はいつ,そして,どのようにそれについて話されたのか。と,こうした疑問がやつぎばやに生じてきます。それは,確かな権威を裏付けとして答えられるべき疑問であり,そうした答えを得ることは可能です。
3 すべての物事の回復について問題を提起したのはだれですか。その時,場所および理由は。
3 この問題を提起したのは,西暦1世紀に顕著な存在となった人物であり,問題の提起された場所は,今日世界のニュースをにぎわせている一都市です。その人物の名前は,多くの場所の地名となっています。その人の名はペテロです。論争の絶えない中東の一都市の出身で,ヨハネのむすこでした。彼が話をした場所は,エルサレム市にあった神殿でした。有名なヘロデ大王によって建設されたその神殿は,今は,当時の場所に立っていません。1世紀,つまり70年に破壊されたのです。それはローマの軍隊がエルサレム全市を破壊したときでした。今日では,同じところに,別の信条を奉ずる宗教の礼拝所が設けられています。しかし,ヨハネの子,ペテロが話をしたのは,西暦70年の大事件が起こる37年前のことでした。崇拝者の大群衆がペテロの回りを取り巻いていました。ペテロの仲介を通して起きたできごとに接して,彼らは疑問をいだきました。ペテロはこの時,「神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復の時」という,意味深い発言をしたのです。―使行 3:21,新。
4,5 (イ)それらの人たちはなぜ偽りの預言者ではありませんでしたか。彼らの語ったことはどのように保存されてきましたか。(ロ)今日,それらの人たちの語った事柄を知らない,という言い訳の成り立つ余地はありません。なぜですか。
4 このことばの中に,わたしたちの疑問に対する答えがありそうです。神が話されたのは,「昔」つまり,ペテロの時代よりも前のことです。神がその肝要な事柄について話されたのは,「ご自分の聖なる預言者たち」を通してでした。彼らは偽りの預言者ではなく,神の「聖なる預言者たち」でした。神は彼らに話され,次いで彼らは自分の口を用いて,神から話された事柄を他の人々に告げました。それら預言者たちの声は,23世紀以上も前に途絶えました。彼らの声は蓄音機のレコードや,録音機のテープに保存されませんでしたが,それら神聖な預言者たちの口を通して神が送られた音信は,書きとめられました。完成に千年以上を要したその記録は,欽定訳聖書の最初の39冊の本の中に,きわめて大事に保存されてきました。ヨハネの子,ペテロはそれらの本を読みました。それゆえ,彼は自分が何について語っているかを悟っていました。
5 わたしたちも,それと全く同じ本を読むことによって,神がご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された事柄を知ることができます。知らない,という言い訳の成り立つ余地はありません。というのは,聖書はいちばん多くの言語で,世界じゅうに最も広く配布されている本だからです。この不朽の本こそ,わたしたちの言う事柄を支持する確かな権威なのです。
6 (イ)ペテロがそれらの書を,そのような方法で受け入れたのはなぜですか。(ロ)ペテロの書いた事柄と,彼が神殿で言ったこととはどこに記録されていますか。
6 ペテロは数年後に,聖書に関して一通の手紙をしるしました。聖書の読者にあてたその手紙の中で,彼はこう述べています。「あなたがたはまずこのことを知っています。すなわち,聖書の預言はどれ一つとして個人的な解釈から発してはいません。預言はどんな時にも人の意志によってもたらされたものではなく,人々が聖霊に動かされながら,神から話したものだからです」。(ペテロ後 1:20,21,新)このことを知っていたペテロは,霊に動かされたそれらの人々が預言した事柄を,人間のことばとしてではなく,神のことばとして受け入れました。わたしたちも,20世紀の現代に生存してはいても,ペテロと同じ方法で,霊感を受けたそれらの書を受け入れるべきです。その書は今日も変わっていないからです。ペテロがその手紙で書いたこと,および,エルサレムの神殿で彼が話したことは,聖書の最後の27冊の本の中にとどめられています。
7 ペテロとヨハネの回りに集まった群衆は,何についての説明を聞きたがったのですか。
7 それにしても,かの崇拝者の群衆が,ペテロと彼の仲間である,ゼベダイの子ヨハネの回りに集まったのはなぜですか。強い好奇心にかられたからでした。神殿にいたひとりの不具のこじきが,お金を恵んでくれるようにとペテロに懇願しました。ペテロはそれよりもすぐれたものを彼に与えたのです。ペテロはこう言いました。「銀や金は,わたしは所有していませんが,わたしがあなたに与えるものは,わたしが確かに持っているものです。ナザレ人イエス・キリストの名によって,歩きなさい!」 生まれつきのびっこだったそのこじきは,ペテロに助けられて立ち上がり,歩きました。これほどのことが起これば,人が集まるのは当然ではありませんか。そこで,集まった群衆はペテロの説明を求めました。
8 ペテロがその名前を用いたことは,不具者の益となりました。ペテロが名前をあげたその者はどうなりましたか。
8 さて,ここで,西暦33年の早春,エルサレムの城壁のすぐ外で,白昼,公に殺人が行なわれたことを思い出してみましょう。それは,ペテロが名前をあげた者,すなわち「ナザレ人イエス・キリスト」の殺害でした。その表現は,ナザレ市出身のメシヤなるイエスという意味でした。ローマの兵士がかり出されて,彼を罪人同様くいにくぎづけにして殺しました。しかし彼の友人たちは,その死体を近くに埋葬する許可を得ました。ところが,埋葬後三日目に,封印されていた墓はひとりの天使によってあけられ,中はからになっていました。イエス・キリストが有罪の判決を受けるべき罪人でなかったことの証明として,全能の神は彼を死人の中から命へよみがえらせました。彼は,再び肉体をつけた者としてではなく,霊においてよみがえらされたのです。ペテロとヨハネは,イエス・キリストが復活後40日の間,数回,自分を肉体化して,信頼できる多くの目撃証人の前に現われるのを見ました。40日目に,ペテロとヨハネ,およびその仲間たちは,このイエス・キリストが天の方にのぼって行き,見えなくなるのを目撃しました。そして今,ペテロが,ナザレ人イエス・キリストの名を用いたことは,その不具者に益をもたらしたのです。
9 ペテロはどのようなことばを述べて,その奇跡に対する自分の功績を否定し,かつ,預言の成就について語りましたか。
9 ペテロはこの驚くべき奇跡に対して,いっさい自分の功績を認めようとはしませんでした。不審に思っている群衆に向かって,彼は次のように述べました。「アブラハムおよびイサクおよびヤコブの神,わたしたちの祖先の神は,ご自分のしもべ,イエスに栄光を授けられましたが,それに対しあなたがたは,そのイエスを[総督]ピラトの面前で,ピラトが彼を釈放しようと決めていたのに,引き渡し,否認しました。そうです,あなたがたはその神聖かつ正義のかたを否認して,ひとりの男,つまり殺人者があなたがたのもとに放免されることを要求し,こうしてあなたがたは,命の主要な代理者を殺したのです。しかし神は,彼を死人の中からよみがえらせたのであり,わたしたちはその事実の証人です。ゆえに,彼の名前が,彼の名前に対するわたしたちの信仰によって,あなたがたがながめ,かつ知っているこの男を強くしたのであり,彼を通しての信仰が,あなたがたすべての目前で,その男にこの完全な健全さを与えたのです。さて,兄弟たち,わたしはあなたがたが,あなたがたの支配者たちと全く同様に,無知で行動したことを知っています。しかし,神はこのようにして,ご自分がすべての預言者たちの口を通して発表された事柄,すなわち,ご自分のキリストが苦しむであろうということを成就されました」― 使行 3:1-18,新。
10 イエスの殺害は無知のゆえに行なわれたとは言え,それはユダヤ人の群衆にとって言い訳にならず,またその結果からのがれしむるものでもありませんでした。なぜですか。
10 その群衆に関するかぎり,無知のためにしたとは言え,犯罪が行なわれたのです。しかもさらに悪いことに,それは神ご自身のメシヤ,つまりキリストに対する犯罪行為でした。神が預言者たちを通して,ご自分のメシヤ,つまりキリストが苦しむであろうと預言されていたからといって,それは群衆にとって言い訳にはなりません。預言者モーセを通してユダヤ人に与えられた神の律法によれば,知らずに,あるいは無意識にした殺人でさえ,土地が無実の罪で汚されることがないよう,償われなければなりませんでした。(民数 35:9-34)ペテロの話を聞いていた人々はそのことを知っていました。神の忠実なしもべ,イエス・キリストを残忍な仕方で殺したために,共同責任を負っていることを彼らは知っていました。この犯罪の結果からのがれるために,彼らは何をすべきですか。この件に関する自分たちの罪はどうすれば消し去られるのでしょうか。この奇跡を行なったペテロは,それについて知っているはずですし,事実,知っていました。そこで,彼は群衆に向かってこう語りました。
11 それらのユダヤ人はどうすれば,自分たちの罪を消し去ってもらえましたか。それに続いて何が定めの時に起こることになっていましたか。
11 「ゆえに,あなたがたの罪が消し去られるため,悔い改めて,身を転じなさい。そうすればエホバのみもとから,さわやかにする時期が到来し,彼は,あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエスを遣わされるでしょう。そのかたを,確かに天は,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復の時まで,そのうちに留めておかねばなりません」― 使行 3:19-21,新。
どのように罪を消し去ってもらうか
12 これは罪を消し去ってもらうためのどんな型を,今日のわたしたちに据えるものですか。その理由は。
12 ペテロのこのことばは,今日のわたしたちに型を据えるものとなります。わたしたちすべての者には,神の愛ある取り決めによって消し去ってもらう必要のある罪があります。わたしたちは皆,最初の人間の親となったアダムとエバから罪を受け継ぐ,生まれながらの罪人なのです。(創世 3:1-24。ロマ 5:12,18,19)「罪の払ふ値は死」であることを忘れてはなりません。(ロマ 6:23)もしわたしたちが神の恵みのうちに,永遠の命を得たいと願うのであれば,悔い改める,すなわち,自分の罪深さ,不完全さ,および神の律法に反する罪を悲しみ,悔いることが必要です。わたしたちがほんとうに悔やみ,神にそむく罪人である自分を憎むなら,その罪深い状態から抜け出て,罪を犯すことをやめようと努めるはずです。といっても,どのようにしてですか。
13 悔い改めのほかに,これらのユダヤ人には何が必要でしたか。これはそれらユダヤ人に,どんな行動を要求しましたか。
13 ペテロは,悔い改めにふさわしい行動を取るべきであると述べ,こう付け加えました。『あなたがたの罪が消し去られるため,身を転じなさい』。わたしたちの罪は,単に悔い改めただけで消し去られるものではありません。わたしたちは「身を転じ」て,罪を犯す道から反対の方向に進み,それを絶つ努力をしなければなりません。当時のユダヤ人にとって,それはイエス・キリストに抵抗するのをやめ,その代わりに,「あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエス」の足跡にしたがって歩みはじめることを意味しました。(使行 3:19,20,新)それらユダヤ人は,エホバがモーセを通して彼らの先祖と結んだ契約に生まれながらはいっていたゆえ,神であるエホバにすでに献身していました。したがって今度は,エホバが彼らのメシヤ,つまりキリストとして定めておかれたかたを受け入れ,エホバのメシヤを信ずる者またその追随者としてエホバに自らをささげねばなりませんでした。ペテロはその数日前,悔い改めた約3,000人のユダヤ人に,彼らがその時になって受け入れたメシヤ,神のみ子としてのイエスの名による水のバプテスマを受けることによって,自分たちの悔い改めと改宗を表わす必要性を告げました。―使行 2:37-42。
14,15 (イ)罪が消し去られることから,許された者にはどんなすぐれた結果が臨みますか。(ロ)罪の抹殺が水のバプテスマに基づくかどうかに関して,ヨハネは何と述べていますか。
14 こうして,神の目的や定めに反する道から身を転じ,神の是認と意志にかなう道を進むなら,どんなすぐれた結果がもたらされると,ペテロは言いましたか。「エホバのみもとから,さわやかにする時期が到来(する)」,これがその結果です。
15 自分たちの罪を消し去ってもらい,以後,罪のとがめもなければ,エホバのみ前に罪悪感を持たなくてもよいのであれば,これは確かに,きわめてさわやかなことであると言わねばなりません。まして,エホバのメシヤ,つまりキリストに反対してきた後であれば,それはなおさらのことです。彼らの罪の抹殺は,彼らが浸されたその水によるのではなく,全人類の罪に対する完全な人間の犠牲としてのイエス・キリストが流された血によりました。ペテロの仲間であった,ゼベダイの子ヨハネが,神とともに歩むことに関して,後ほど書いたとおりです。「もし神の光のうちに在すごとく光のうちを歩まば,我ら互に交際を得,またその子イエスの血,すべての罪より我らを潔む」。(ヨハネ第一 1:7)その結果,神はわたしたちをもはや罪人とは見られず,ひいては,神のこの慈悲から生じる,神との平和な関係が,はかりしれないさわやかさをもたらします。
16 その「さわやかにする時期」が「エホバのみもとから」来るというペテロのことばは,何を意味していましたか。西暦70年以降のユダヤ人について,歴史はその点,何を明らかにしていますか。
16 その「さわやかにする時期」は,『エホバのみもとから到来する』と言われているのですから,それは,エホバの顔が恵みとともにわたしたちの方に向けられることを意味します。彼が好意的な注意をわたしたちに向けてくださるのです。「エホバの善意の年」の間,彼の善意はわたしたちに向けられます。わたしたちはエホバの「善意の人々」となったのです。(イザヤ 61:1,2,ルカ 2:14,新)クリスチャン使徒ペテロの時代,エルサレムでエホバのメシヤを殺した後のそれらのユダヤ人がエホバの善意を得ることは,エルサレム市の破壊とユダヤの地におけるユダヤ国民の解体という事態が間近に迫っていただけに,緊急を要する問題でした。西暦70年のローマ人によるエルサレム破壊後のユダヤ国民の悲惨な歴史は,離散したユダヤ国民が,『エホバのみもとから[文字どおりには,エホバの顔から]の,さわやかにする時期』を享受していないことを証明しています。
17 同じ点に関し,キリスト教世界についてはなんと言わねばなりませんか。西暦70年におけるエルサレムの破壊は,キリスト教世界に対して何を示すものですか。
17 また,キリスト教世界の宗教組織の歴史を,4世紀の設立当初から調べてゆくと,キリスト教世界が今日に至るまでの16世紀以上にわたる存続期間中,『エホバのみもとからの,さわやかにする時期』を享受してこなかったことを認めざるをえません。キリスト教世界はその全歴史を通じて,内部における宗教論争や戦争,分派,不一致,いよいよ深刻さを増す宗教上の混乱によって,分裂の状態に苦しんできました。西暦70年におけるエルサレムの破壊は,キリスト教世界が近い将来,この世の世俗的な敵たちの手にかかって破壊することを予示するひな形でした。エホバの恵みの顔はキリスト教世界からそむけられています。西暦70年にエルサレムを保護されなかったと同じく,エホバは,近づく破壊からキリスト教世界を保護されないでしょう。
18 したがって,どんな助言に従うことがすべての人々にとって緊急に必要ですか。すでにそうしているのはだれですか。それはどんな結果をもたらしていますか。
18 これが,人々がユダヤ人と異邦人の別なく,使徒ペテロの次の助言を緊急に実行しなければならない理由です。「ゆえに,あなたがたの罪が消し去られる[または,許される]ため,悔い改めて,身を転じなさい」。これこそ,エホバのクリスチャン証人の行なったことであって,彼らが霊的な意味で,『エホバのみもとからの,さわやかにする時期』を豊かに享受していることは,あらゆる証拠が証明するところです。メシヤ,すなわちキリストを通し,全き献身のうちにエホバに自らをささげることによって,彼らはその「善意の人々」となりました。その報いとして彼らは,ベツレヘムでイエスが誕生した際に羊飼いたちの聞こえるところで天使たちの言ったこと,つまり,「地上では善意の人々の間に平和があるように」という状態を享受しています。彼らは平和のないキリスト教世界とともに,あるいは偽りの宗教の世界帝国の他の部分全部とともに,間近い将来に滅ぼされることを望みません。キリスト教世界,およびかの宗教上の世界帝国,大いなるバビロンの罪に,その共同体としてあずかることを免れているゆえ,彼らは「さわやかにする」状態を十分に味わっています。―黙示 18:2-5,新。
メシヤの二度目の派遣とその理由
19 メシヤの到来に関して,キリスト教世界と生来のユダヤ人はどのように違いますか。それが「さわやかにする」結果となるためには,キリスト教世界は何をする必要がありますか。
19 キリスト教世界はイエス・キリストの帰還を待っていると主張し,その帰還の結果として,「さわやかにする時期」を経験することを期待しています。しかしそうするためには,キリスト教世界は,罪を負っていたユダヤ人にペテロがするようにと告げたこと,すなわち,「ゆえにあなたがたの罪が消し去られるため,悔い改めて,身を転じ(る)[または,改宗する]」ことをしなければなりません。ペテロが続いて示したように,この行動の後にそのようなさわやかにする時は来るものです。「そうすればエホバのみもとから,さわやかにする時期が到来し,彼は,あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエスを遣わされるでしょう。そのかたを確かに天は,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復の時まで,そのうちに留めておかねばなりません」。(使行 3:19-21,新)メシヤが19世紀前に来たことを信じていない,割礼を受けた生来のユダヤ人は,将来,彼が初めて来るのを待ち望んでいます。しかしペテロやヨハネ,および,クリスチャンとなった他のユダヤ人たちは,別の目的のためにメシヤが帰還する,すなわち二度目の到来をすることを待ち望んでいました。ペテロとヨハネは,彼が天にのぼって帰るのを見ました。
20 メシヤが帰還することはなぜ必要でしたか。神が彼を送った最初の理由はなんですか。
20 ペテロとヨハネは,イエスがユダヤ人に向かって言われた次のことばを覚えていました。「それでは,もしあなたがたが,人の子が,前にいた所に上ってゆくのを見つめるようなことになれば,いったいどうなりますか」。イエスはご自分の復活の日に,マグダラ市のマリヤに現われて,こう言いました。「わたしはまだ父のもとに上っていない……。むしろわたしの兄弟たちのところに行き,彼らにこう言いなさい。『わたしは,わたしの父およびあなたがたの父,わたしの神およびあなたがたの神のもとに上ろうとしている』」。(ヨハネ 6:62; 20:17,新)彼は死人の中からの復活後40日目に,天に上って帰って行きました。しかし,メシヤに関するすべての預言を成就するため,彼は再び来なければなりませんでした。それゆえ使徒ペテロは,エホバのみもとからの,「さわやかにする時期」について話した後,次のように付け加えました。「彼は,あなたがたのために定められていたキリスト,つまりイエスを遣わされるでしょう」。エホバがご自分のみ子を初めて地上に送られたのは,み子が全人類のあがないの犠牲として死ぬためでした。したがって,ペテロは自分の回りのユダヤ人の群衆にこう言いました。「神はこのようにして,ご自分がすべての預言者たちの口を通して発表された事柄,すなわち,ご自分のキリストが苦しむであろうということを成就されました」― 使行 3:18,新。
21 ペテロが自分の手紙の中で示しているように,エホバの預言者たちはメシヤに関して,他のどんな事柄を予告しましたか。エホバが二度目にメシヤを送られる理由はなんですか。
21 エホバのすべての預言者たちの口を通して前もって発表された他の事柄は,メシヤの王国における彼のきたるべき栄光を告げていました。使徒ペテロはクリスチャンの信者にあてた最初の手紙の中で,そうした預言者に関しこう述べています。「彼らは,自分たちのうちにある霊が,キリストの数々の苦しみと,それに続く数々の栄光について事前に証をしている際,具体的にどの時期,またどんな時期をキリストに関して示しているかを詳しく調べつづけました」。(ペテロ前 1:10,11,新)ペテロは,エルサレムの破壊についての預言の中で,イエスが語った次のことばを覚えていました。「人の子は,すべての天使たちとともにその栄光のうちに到来するその時,彼は自分の栄光の王座にすわります」。(マタイ 25:31,新)預言者たちを通して彼のために予告されていた,地上での肉体における彼の数々の苦しみは,その時,永久に過去のものとなります。エホバが二度目に彼を地上に送られるのは,彼がメシヤの王国に関する他のすべての預言を成就すべく,天の栄光のうちに統治するためです。
22 王国の預言のこの成就がいつかに関して,詩篇 110篇1,2節とヘブル書 10章12,13節は何を明らかにしていますか。
22 ところでそれはいつのことですか。イエス・キリストの王統の先祖にあたる,エルサレムのダビデ王は,キリストの昇天に関して預言的にこう語りました。「わたしの主に対するエホバの発言はこうである。『わたしが,あなたの敵をあなたの両足の台として置くまで,わたしの右にすわっていなさい。あなたの力のつえを,エホバはシオンから送り出して,こう言われるであろう。『あなたの敵のただ中に行って征服しなさい』」。(詩 110:1,2,新)この預言的な詩篇の注解として,ヘブル書 10章12,13節(新)はイエス・キリストと,完全な人間としてのその犠牲について次のように述べています。「この人は罪のためにひとつの犠牲を永久にささげて神の右に座し,それ以後,彼の敵が自分の両足の台として置かれるまで待っておられるのです」。この預言は次のことを意味します。つまり,神の右において天で栄光を受けたイエス・キリストは,エホバのメシヤとしての彼の全人類統治に反対する,地上の人々すべてに対して,勝利を収めるということです。
23 したがって各自が,どんな重要な質問を自分自身に尋ねてみるのは賢明なことですか。なぜですか。
23 したがって,『私はイエス・キリストによるメシヤの王国の敵だろうか』との,きわめて重要な質問をおのおのが自分に尋ねるのは賢明なことです。キリスト教世界はその敵です。偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンも敵です。世界の平和と安全のための国際組織,すなわち国際連合を構成する政治諸国家もそうです。そうした敵はことごとく征服され,粉砕されるべく定められています。聖書の預言と世界の情勢とを照らし合わせてみると,それはまもなく起こります。
24 天はどの時まで,そのうちにメシヤ・イエスを留めておかねばなりませんでしたか。そこで,今度はどんな主要な質問がわたしたちに提起されていますか。
24 その世界的な災難が起こるのは近いことを,どうして確信できるのですか。その理由は,使徒ペテロが,昇天されたそのイエス・キリストを,「確かに天は,神が昔のご自分の聖なる預言者たちの口を通して話された,すべての物事の回復aの時まで,そのうちに留めておかねばなりません」と預言したことにあります。(使行 3:21,新)ここで主要な質問となってくるのは,エホバの右に座して,自分の敵が足台とされるのを待っている昇天したメシヤ・イエスを,天がそのうちに留めておかねばならないという回復の時までの,その「すべての物事」とは何か,ということです。
25 簡単に言うと,この「すべての物事」とはなんですか。その簡潔な答えはどんな質問を提起しますか。
25 その「すべての物事」とは,メシヤによる王国および地でのその権利です。前述の質問に対するこの答えに驚かれるかたがいますか。使徒ペテロの時代に,エホバのメシヤによる問題の王国が,まだこれから後に来るものであった以上,どうしてそんな答えが得られるのか。メシヤの王国は建てられたことも,失われたこともなかったのだから,どうして回復されるというようなことがありうるのか。と,このように尋ねられるかたがいますか。
26 昇天される前のイエスに,ペテロと仲間の使徒たちが尋ねたのは何に関する回復でしたか。それに対してイエスはどのように答えましたか。
26 しかしながら,使徒ペテロは自分の話している意味をよく悟っていました。その王国がどうして回復されうるかを知っていたのです。彼は,天に上る少し前の復活したメシヤ・イエスに,「主よ,あなたはこの時に,イスラエルに王国を回復させようとしておられるのですか」と尋ねた使徒たちのひとりでした。その質問に対して,復活したメシヤ・イエスはこう答えました。「み父がご自分の権限下に置かれた時,また時期についての知識を得ることは,あなたがたの関与するところではありません。しかし,聖霊があなたがたに到来するとき,あなたがたは力を受けるでしょう。そして,エルサレムと,ユダヤおよびサマリヤの全土の両方において,また,地の最も遠いところにまで,わたしの証人となるでしょう」。そう言い終えてから,彼らを祝福している間に,彼は,オリブ山上にいた弟子たちのもとから天へ上げられました。―使行 1:6-11,新。ルカ 24:5-53。
[脚注]
a マタイ伝 17章11節(新)で,イエスは同様な表現を使って,こう言いました。「確かにエリヤが来ます。そして,すべての物事を回復するでしょう」。このことばはマラキ書 4章5,6節に言及していました。しかし,続いてイエスは,エリヤに関するこの預言をバプテスマのヨハネに適用しました。(マタイ 17:12,13)バプテスマのヨハネはまた,イエス・キリストの先駆者として奉仕しました。「天の王国は近づいた」と,彼が宣布したのはその理由によります。(マタイ 3:1,2,新)しかし現代について言えば,第一次大戦後そして1919年以降,エリヤのわざに似たわざがエホバのクリスチャン証人によって行なわれてきました。エホバのメシヤによる王国に関する証言は,彼らによってその時から今日に至るまで,それ以前の人類史上のいかなる時にも,これほど世界的な規模でなされたことがないようなスケールで行なわれてきました。―マタイ 24:14,マルコ 13:10,新。
西暦1919年以来,それらエホバのクリスチャン証人は,イザヤ書 1章25-27のことばが自分たちに対して成就していることを悟っています。「我また手をなんぢの上にそへなんぢの滓をことごとく浄くし なんぢの鉛をすべて取去り なんぢの審士を旧のごとく なんぢの議官を始のごとくに復すべし 然るのちなんぢは正義の邑忠信の邑ととなへられん シオンは公平をもてあがなはれ 帰来るものも正義をもて贖はるべし」。
[233ページの図版]
すべての物事の回復には地の楽園が含まれる