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貪欲な者たちは滅び去りますかものみの塔 1973 | 3月1日
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もしわたしたちがこのことを正しく評価するなら,エゼキエルにならって,そのことを他の人びとに告げるでしょう。そうすれば,人びとは自分たちの生き方を変えて,神の保護と祝福を受けられる立場にみずから立つ機会に恵まれるでしょう。それとともに,「大かん難」がキリスト教世界を含め,この貪欲な事物の全体制に終わりをもたらすとき,わたしたちは意を決して,みずからの安全を図れる状態にとどまっていなければなりません。
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読者からの質問ものみの塔 1973 | 3月1日
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読者からの質問
● マタイの記録によると,離婚の正当な根拠について論じるさい,イエスはなぜ二つの違ったことば ―「淫行」と「姦淫」― を用いたのですか。この後者の語の一般的な解釈からすれば,「姦淫」が聖書の許す離婚の唯一の根拠ではないのでしょうか。―アメリカの一読者より
マタイ伝 5章32節のイエスのことばは次のとおりです。『されど我は汝らに告ぐ,淫行[ギリシア語,ポルネイア]のゆえならでその妻をいだす者は,これに姦淫[ギリシア語,モイケヘイア]を行なわしむるなり。またいだされたる女を娶る者は,姦淫を行なうなり』。同様に,マタイ伝 19章9節にはこう書かれています。『われ汝らに告ぐ,おおよそ淫行[ポルネイア]のゆえならでその妻をいだし,ほかに娶る者は姦淫[モイケヘイア]を行なうなり』。
このように,これらの記述には明らかに二つの異なったことばが用いられています。最初に,これらのことばの意味を調べ,次にそれがどのような意味で用いられているかを考慮してみましょう。
マタイの記録の中で用いられている語の一つ,モイケヘイアは正しく「姦淫」と訳されています。英語の“adultery”(アダルタリー,姦淫)はラテン語のアダルテラーレから来ており,この語は基本的には「変える」を意味し,広義には「異質の,もしくは品質の劣った物質を加えるなどして,汚す,または不純にする」という意味を持ちます。たとえば,食品に異物を加えて品質をおとすことを,『不純にする』(adulterate,アダルタレイト)と言います。結婚は,配偶者の一方がみずからの結婚関係外のだれかと関係を持って結婚関係を汚すと,『不純にされ』ます。ギリシア語のモイケヘイアにも,不純にする,もしくは汚す,または神聖な関係に不忠実になるというこうした考えがやはり含まれています。このように,ギリシア語でも英語でもともに,不正な性関係が結婚関係にもたらす影響,すなわち姦淫をする配偶者は自分の結婚関係に他のだれかを引きいれて,夫婦だけに限られるべき交わりを汚す罪を犯しているということに焦点が置かれています。
用いられているもう一つの語についてはどうでしょうか。「淫行」は,性的不道徳が結婚関係にもたらす影響にではなく,性行為そのものの性格もしくは性質に注意を向けています。このことは,英語の“fornication”(フォーニケイション,淫行)だけでなく,マタイの記述の中で用いられているギリシア語,ポルネイアにも当てはまります。もちろん,わたしたちがおもに関心を持っているのは,福音書の筆者が用いたギリシア語のことばです。というのは,英語国民の間で“fornication”(フォーニケイション)ということばが普通どんな意味に解されていようと,真に重要で決定的な事がらとなるのは,聖書中に用いられていることばが筆者や当時の人びとにとって何を意味していたかということだからです。
今日,「淫行」についてうんぬんされる場合,一般に人は,異性間の性関係,つまり結婚関係外で行なわれる性関係ではあっても,『普通の』もしくは自然な仕方でなされる性交渉のことを考えます。「淫行[ポルネイア]」が離婚の唯一の根拠であると述べたイエスは,妻がその夫以外の男性と,あるいはさらに意味を拡張して,夫がその妻以外の女性との間で普通の,もしくは自然な仕方で行なう性交だけを意味していたと,多くの人は解釈してきました。しかし,実際にそうでしょうか。マタイの記述の中で用いられている,ポルネイアということばは,そのような自然な性関係だけをさしているのでしょうか。それとも,同性間の性関係や異性間で行なわれる倒錯した形のものを含め,あらゆる種類の不道徳な性関係が含まれていたのでしょうか。イエスが地上におられた西暦1世紀当時の人びとにとって,ポルネイアという
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