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あわれみ ― あなたの生活の中でどんな役割を果たしますかものみの塔 1971 | 10月1日
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をかけますか。集会に出席するようその人を動かした信仰をほめて,建て起こしますか。一見内気な人,さびしそうな人,心配あるいは失意している人についてはどうですか。気の毒に思って関心を表わし,そうした人々を楽しい気持ちにさせるよう努力しますか。こうしたあわれみは神のしもべたちのどの群れの中にもなんとすぐれた精神を増進するのでしょう。
物質上の「あわれみの贈り物」
しかし,霊的な面で与えるのは最も肝要なこととはいえ,これは物質面であわれみを示さなくてもよいという意味では決してありません。山上の垂訓の中で「あわれみの贈り物をする」ことについて話したイエスは明らかに,困っている人々,つまり貧困,逆境,病気,その他の理由で苦しんでいる人たちへの贈り物のことを述べておられたのです。確かにイエスは,そうした贈り物によって賞賛を博そうとした偽善的な人々を非難しましたが,与えることそのものを卑下もしくは軽視されませんでした。それどころか,弟子たちにこう言われました。「しかし,あわれみの贈り物をするとき,あなたの右手がしていることをあなたの左手に知らせてはなりません。あなたのあわれみの贈り物がひそかであるためです。そうであれば,ひそかに見ておられるあなたの父があなたに返報されるでしょう」― マタイ 6:1-4,新。
ドルカスは,「良い行ないとあわれみの贈り物とに富(む)」クリスチャン婦人でした。そうした贈り物には何が含まれていましたか。ドルカスがなくなったのち,ペテロが到着したところ,「寡婦らみな…泣きつつ,ドルカスが偕に居りしほどに製りし下衣・上衣を見せ」たのです。(使行 9:36〔新〕-41)そうです,ドルカスはあわれみ深い婦人でした。その記録は,彼女がそれらやもめたちのためのそうした衣服の費用すべてを自分で負担したのか,それとも,時間や労力また技術だけを提供したのかについては何も述べていません。今日,わたしたちは物質上の資産をあまり持ってはいなくても,自分の時間や精力また才能を費やして他の人のためにあわれみの行ないをすることができます。
また,資力が許す場合には,あわれみをもって,ふさわしい人を経済的に援助できます。律法契約は特にそうしたあわれみを促し,「貧しき兄弟にむかひて汝の心を剛愎にする勿れまた汝の手を閉る勿れ」といましめています。(申命 15:7-10。箴言 19:17と比べてください)。1世紀のクリスチャン会衆は物質上の援助を受けたやもめたちの名簿を保持していました。そうした名簿に載せられるにふさわしいやもめは,見知らぬ人をもてなしたり,悩みのうちにある人を援助したり,その他同様の良いわざをして,あわれみの行ないの記録を持つ人でなければなりませんでした。(テモテ前 5:9,10)自分が困ったらどうしょうかと将来のことを考えて,困っている人を助けるのに自分のお金を使おうかどうかと戸惑うべきですか。使徒パウロはコリントの兄弟たちに対して,神は「喜びて与ふる人」を祝福し,そのような人の必要とするものを備えてくださると保証しました。―コリント後 9:6-14。
あわれみ深い人はなんと豊かで満足のゆく有意義な生活を送れるのでしょう。そのような人のひとりであれば,あなたは幸福です。なぜなら神は現在また将来の日々,あなたにあわれみを示されるからです。
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