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ネブカデネザルの支配したバビロンものみの塔 1981 | 4月15日
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ネブカデネザルの支配したバビロン
ネブカデネザルの時代のバビロンについて,マクリントクとストロングの“百科事典”にはこう記されています。「大王国の中心地であったバビロンは豪華の極みを尽くし,その住民は放らつな生活にふけり,惰弱なことで広く知られていた。[神学者クルティウス]はこう語っている。『その道徳は類例を見ないほど堕落していた。人を過度の快楽に誘い,夢中にならせるのにこれ以上適したものはなかろう。歓待のしきたりは恥知らずでひわいこの上ない淫乱なものだった』」。同百科事典は,汚れた性崇拝と同市の腐敗について述べた後,こう結んでいます。「それゆえ,新約聖書の中(啓示 17章5節)でも,バビロンは極めて恥知らずな放とうと偶像崇拝の典型として挙げられている」。
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読者からの質問ものみの塔 1981 | 4月15日
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読者からの質問
● 「ヤコブの手紙の注解」の48,49ページには,「エホバはクリスチャンの神であると同時に父でもあられます。エホバは彼らをご自分の子となるよう霊によって生み出されたからです」と説明されています。また,57ページのこれに関連した質問は,「神がクリスチャンにとって父でもあるのはどうしてですか」となっています。これは,献身しバプテスマを受けたクリスチャンすべてが神の聖霊によって生み出され,その子となったという意味ですか。
この説明から,その点に関するわたしたちの理解が変わったかのように考えるべきではありません。そのような変化は,報いを得る人々の前途に二つの別個の見込み,すなわち天的な見込みと地的な見込みが置かれているという聖書の教えを否定するものと言えるでしょう。この本は,研究している人たちが,ヤコブ 1章1節とその節の「各地に散っている十二部族へ」の部分の注解(12,13ページを参照)を読んで,神の霊によって生み出され,その子となるのは霊的イスラエルを構成する限られた数の人々であることを理解しているという前提の下に説明を行なっています。―ガラテア 6:16。啓示 14:1。
あいまいさを除く上で,48ページのこの最後の文に「油そそがれた」という語を入れておくこともできたでしょう。その場合,その部分は次のようになります。「エホバは油そそがれたクリスチャンの神であると同時に父でもあられます。エホバは彼らをご自分の子となるよう霊によって生み出されたからです」。また,この部分に対する57ページの質問は,「神が油そそがれたクリスチャンにとって父でもあるのはどうしてですか」となります。
キリスト教世界の信じるところによれば人間には不滅の魂があり,すべての人は死ぬと天国か地獄(あるいは煉獄)に行き,地球はいつの日か火で滅ぼされるということになり,神のいかなる忠実な僕にも地的な前途の見込みはなくなってしまいます。しかし,地球と人間に対するエホバの目的を正しく理解している人々は,全地がパラダイスになり,神の僕である忠実な人間がそこに住む日の訪れることを確信しています。
この点に関して,次の事柄にも触れておくことができるでしょう。エホバ神は,霊によって生み出され,油そそがれたクリスチャンたちに対して独特な仕方で父となっておられます(ローマ 8:14-17。ヨハネ第一 3:2)が,地的な前途の見込みを持つ人々の父でもあられることを聖書は述べています。例えば,イザヤ 63章16節(新)にはこう記されています。「あなたはわたしの父だからです。たとえアブラハムがわたしを知らず,イスラエルがわたしを認めなくても,エホバよ,あなたはわたしの父です」。ですから,「ほかの羊」の「大群衆」を構成する人すべてが,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように」と祈ることは当を得たことと言えるでしょう。―マタイ 6:9。ヨハネ 10:16。啓示 7:9。
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