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独立の道を捨てるものみの塔 1972 | 10月15日
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者は慈悲を受けることなく,二,三人の証人により死に至る。まして神の子をふみつけ,己が潔められし契約の血を潔からずとなし,恩恵の御霊を侮る者の受くべき罰の重きこと如何許とおもふか。『仇を復すは我に在り,われ之を報いん』と言ひ,また『〔エホバ〕その民を審かん』と言い給ひし者を我らは知るなり。活ける神の御手に陥るは畏るべきかな」― ヘブル 10:26-31〔新〕。
20 罪の道に凝り固まる理由はどこにもありません。なぜですか。
20 しかし,悔い改めの可能性が全くないほど悪の道に凝り固まってしまう理由はどこにもありません。エホバ神はご自分に仕えることをだれにも強制しておられません。同様に,ご自分の敵対者サタン悪魔の側にとどまることをだれにも強要しておりません。エホバはその代わりに,人がイエスのあがないの犠牲に基づいて,罪のゆるしを求めてご自分に懇願することを可能にしてくださいました。この備えにあずかることを拒み,創造者の規準よりも自分自身の規準にしたがって歩みつづける人は,意識的に悪を行なう者であり,イエスの犠牲の益を適用してもらうことを自分の行動によって拒絶しているのです。そのため,彼らの違犯は本人に敵するものとして残り,罪をあがなう犠牲はほかにありません。結局,自分の違犯に対する刑罰を受けなければなりません。それは神が報復されるときにもたらされる完全な滅亡です。
21 悔い改めてエホバに帰る人にはどんな祝福がもたらされますか。
21 しかし一方では,エホバはご自分を捨てた人々すべてに,神であるご自分のもとに帰るようあたたかく訴えておられます。その招待に応じる人は,数々の永続する祝福に導かれます。すなわち,世とその神サタン悪魔の奴隷状態からの解放,霊的に飢えた状態の終わり,満足,幸福,エホバの忠節なしもべたちとの楽しい交わり,愛とあわれみに富む天の父への奉仕に費やされる有意義な人生がそれです。エホバに帰る人に対して,地ではエホバのしもべたちは愛を表わし,天ではみ使いたちが歓喜することでしょう。もしあなたが,迷いでた人たちのひとりであるなら,はじめにイスラエル人に向かって述べられたエホバの招待のことばに,ちゅうちょすることなく応じてください。『汝ら我に帰れ 我も汝らに帰らん』― マラキ 3:7。
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祈りに対する答えものみの塔 1972 | 10月15日
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祈りに対する答え
◆ 戸別訪問によって神のことばを伝える奉仕に携わっていたチリの一奉仕者は,1軒の大きな美しい家にはいり,自分がエホバの証人であることを告げました。するとその家の婦人は両手を上げ,熱情をこめて「ありがとう,エホバ神」と言ったのです。
証人はあっけにとられてしまいました。婦人は奉仕者の手を握り,1年以上もの間エホバの証人が尋ねてくれるようにと祈っていたことを説明し,次のように語りました。「ちょうど昨晩のことです。私はエホバ神にあなたの民の一人を私のところに遣わしてくださいと,一生懸命に祈りました。あなたが私の家の門に近づいてくるのが見えた時にも,あの人がエホバの証人でありますようにと祈りました」。この婦人には肉身の姉妹がおりその姉妹が聖書研究用の出版物である「とこしえの命に導く真理」の本を1冊おくって,次に訪れる証人と必ず定期的な聖書研究を始めるようにとすすめたようでした。研究のための取り決めがただちになされました。
個々の人が神のことばの真理を知りたいという願いを心から表明することは,神にとって何とさわやかなことでしょう。そのような人々が神に助けを請い求める時,神はそれを備えられます。―マタイ 7:7-11。
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