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神に仕える正しい動機ものみの塔 1964 | 9月1日
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がエホバの民を襲い,二度とないような患難をもたらしても,私たちの従順と忠実はゆらぐことなく,どんな反対にも耐えて正しい崇拝のために固く立つことができるでしょう。(マタイ 7:24-27)神に対する愛を表わし,神のさしのべる生命と将来の祝福に対する感謝を表わす唯一の道は崇拝と奉仕であり,私たちはこれに心をこめなければなりません。―ヘブル 13:15。
21 エホバはご自分のしもべにいまどんな祝福を与えますか。私たちには何が求められていますか。
21 エホバを知ってエホバに仕えることは,いまでも祝福をもたらします。揺れ動く世界の中にあっても私たちは心を悩ますことなく,聖書を知るゆえに心の平安と落着きを保ちます。世間の友人や,場合によっては家族を失なうことがあっても,エホバの家族から百倍の兄弟,姉妹,父,母,家を受け,永遠の生命の約束を得ます。私たちはその事を確信できます。「神は不義なかたではないから,あなたがたの働きや,あなたがたがかつて聖徒に仕え,今もなお仕えて,御名のために示してくれた愛を,お忘れになることはない」からです。「わたしたちは,あなたがたがひとり残らず,最後まで望みを持ちつづけるためにも,同じ熱意を示し,怠ることがなく,信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように,と願ってやまない」と,パウロは書きました。―ヘブル 6:10-12。ロマ 8:6。マルコ 10:30。
22 エホバの前に正しい立場を得ることは何をもたらしますか。神に奉仕する人はどんな益を得ますか。
22 地位や名誉あるいは金銭的な利益のために職を選ぶ人は多いかも知れません。しかしそれは神の恵みを得る道ではありません。神と隣人を愛し,エホバのさしのべる祝福と希望に感謝するという,聖書にかなった動機で奉仕する人は,神の前に恵みを得ます。今日エホバのわざを行ない,神を求める人に真理をわかつために多くの事をしなければなりません。同様にキリストの千年統治のあいだにも,地を楽園にし,人をみたす大きなわざが行なわれます。その時にも奉仕する動機はいまと同じくエホバに対する愛です。その幸福な時に生きることを望むならば,忠実な奉仕によってその願いを示すべきです。エホバの覚えの本はいま書かれています。その事を忘れてはなりません。神のことばはそのことを告げています。「万軍のエホバいひたまふ我わが設くる日にかれらをもて我宝となすべしまた人の己につかふる子をあはれむがごとく我彼等をあはれまんその時汝らは更にまた義者と悪きものと神に服事るものと事へざる者との区別をしらん」― マラキ 3:17,18,文語。
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皇帝の友人ものみの塔 1964 | 9月1日
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皇帝の友人
◆ 使徒行伝 18章12-16節は,コリント滞在中の使徒パウロが,「アカヤ総督」ガリオの前に引き出された時の模様を記しています。この時パウロが前に立ったと思われる裁判席は,考古学者により発見されました。また,「私の友人にして,アカヤの総督ルシウス・ジュニアス・ガリオの書いたごとく」との一文を載せた,ローマ皇帝クラウデオの手紙も発見されています。しかも,その手紙によると,ガリオがコリントに来たのは西暦51年ごろであり,聖書から推察できるパウロのコリント滞在の年代と一致します。
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