私たちの宣教の目的
「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。―ヨハネ 18:37,新口
1,2 (イ)エホバは過去において御自分のこころをなし遂げるために何を用いましたか。(ロ)この悪い世が終わる前に,エホバはどんな目的をたてていますか。まただれによって。
生ける神エホバが御自分の目的を成就しようとされるとき,彼がその目的を達成する手段にこまってしまうということは決してありません。無限の知恵を持たれるエホバは,おおくの力と被造物を用いて御自分の永遠の目的を達成せしめ,神の御心に一致する特定な仕事をさせます。むかし,神は燃える火の炎,暴風で波立つ海,大魚,野の獣,空の鳥,昆虫,御使たち,および人間を用いました。その全部は,こんどはその創造者たる神の目的をはたすために仕えました。―創世 19:1,24。ヨナ 1:4,17。列王紀下 2:24。民数紀 11:31-33。出エジプト 8:16,17。
2 今日,エホバの目的に従い,この悪い世が全く終わる時は急速に近づいています。しかし,エホバの永遠の新しい世を設立するために,サタン悪魔の支配するこの古い制度が終わる前に,エホバはもっとも緊急なもっとも重要なわざをする目的を立てられています。この緊急なわざをされるために,エホバ神は火やあらしを召しますか。彼は野の獣や空の鳥を召しますか。そのようなことはありません。この特別な特権は,天の御使たちにも与えられません。彼はこの仕事を,神を恐れる地上の人間,すなわち忠実な男や女および子供たちのために保留されました。彼らはこの悪い古い世を捨てて,神の奉仕者になるでしょう。―マタイ 24:14。
3 エホバの僕すべての第一の目的はいつも何でしたか。今日エホバが彼らの奉仕を祝福されているというどんな証拠がありますか。
3 エホバ神の証者であった最初の人間アベルの時から,エホバは御自分のしもべたちをつねに地上に有しておられました。彼らはちがったときにいろいろの奉仕の任命をうけました。しかし,彼らはみなひとつの主要な目的を共通に持っていました。それは,エホバの御名と目的を知らせることにより,エホバの御名の立証に参加することでした。それはこの地上におられたときのキリスト・イエスの目標でした。それは忠実な使徒たちの目標でした。それは,今日新しい世の社会をつくりあげる幾十万人というエホバの献身した奉仕者たちの目標です。エホバ神がこの新しい世の社会を地上につくられたのは,エホバ神の大いにして聖なる御名のためであります。そして,新しい世の社会の成員は,産出的な奉仕者であると証明しています。今日,ますます増加する善意者たちは,エホバの民のこの生命を救うわざに答え応じて,新しい世の社会と交わっています。そのことは,エホバが御自分の民の宣教を真実に祝福しているというたしかな証拠であります。―箴言 14:25。
4 エホバは御自分の奉仕者をどのように見なされますか。どのようにして彼らは光を反映させていますか。
4 エホバが,その高い御位から御自分の奉仕者たちをどのように見なされるかについての私たちの認識をたすけるために,ペテロは次のように書きました,「あなたがたは……神につける民である。それによって,暗やみから,驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを,あなたがたが語り伝えるためである」。(ペテロ前 2:9,新口)神の御国の良いたよりのこの光を遠く広く照りかがやかすことはクリスチャン奉仕であります。その目的は,「エホバの御名を呼び求める者はみな救われる」ためです。―ロマ 10:13,新世。
エホバの立証は最重要なこと
5,6 (イ)生命の主な敵はだれですか。(ロ)偽りの宗教の羊飼たちは,どのようにして人々を暗やみにとじこめ,この世と友好関係にはいるようすすめていますか。
5 幾世紀にもわたって,神の敵対者サタンはこのすばらしい光を消して,地上の人々を暗やみに閉じこめようと努力してきました。約6000年のむかし,エデンの園でその野心的な生物がエホバ神の正しい主権に挑戦したとき,彼は悪い仕方によって全人類をその創造者に敵対させようとしました。彼はこのことを行なうために,数多くの悪い計画を使用しました。これらの計画の中でももっとも効果的なものは,偽りの宗教で,その羊飼たちは先頭に立って指導しました。これらの宗教指導者たちは自ら神の奉仕者と唱え,そのような口実で生計を立てています。しかし,事実の示すところ,彼らはエホバの御名に誉をもたらさず,かえってその御名をかくして,冒とくし,彼らの現代訳聖書からその御名を取りのぞきました。むかしの不正直な商人たちは,ぶどう酒に水を割って,その量をまして多くの収入を得ました。それと同じように,牧師たちは,偽りの宗教的な商人になり,神の御言葉をうすめて不純物をまぜ合わせています。彼らはわずかな聖書の真理に,たくさんの人間の言伝え,異教の教理および科学的な哲学をまぜ合わせました。彼らは神の御言葉の代りに,異教の煉獄や三位一体,異教の地獄や不滅の魂というものをごちゃまぜにしています。そして,この宗教的な混ぜものを給しながら,彼らは自分たちの群れから物質的な援助をうけます。
6 これらの宗教指導者たちは,またこの悪い古い世と友になるよう人々にすすめています。40年以上ものあいだ彼らは国際連盟とその後継者である国際連合を支持してきました。彼らはキリスト・イエスの名前を口さきではいくたびとなく言います。しかし,彼らは神によって御座につけられた王キリスト・イエスに従おうとしません。むしろ,彼らは自分たちの候補者を支持して官職につくよう投票し,彼らが成功するようにと神に祈ります。彼らはヤコブの述べた神の警告をまったく無視しています,「不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか」。(ヤコブ 4:4,新口)イエスは,当時および今日の偽りの羊飼たちを非難しました。彼は預言者イザヤによって述べられた神の言葉を引用しました。「この民は,口さきではわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている」。(マタイ 15:8,新口)牧師たちの悪い指導のために,今日の崇拝の形式は,使徒パウロがアテネの町に行ったときよりもずっと悪いものです。そのときアテネの人々は,たくさんの神々を信じていましたが,真の神エホバを知っていませんでした。―使行 17:23。
7 人々はどのような偽りの神々を崇拝していますか。だれが真の神を知るようになりますか。
7 今日,私たちのまわりでは,人々はどんな代用の神々を崇拝し仕えていますか。人間の指導者,戦争,物質主義があります。しかし,この世にとっては真の神エホバは,知られざる神です。しかし,つねにこのような状態であるわけではありません。エホバの述べられている目的によると,すべての人はエホバを知るでしょう。それにより,彼らは益をうけるか,または永遠の滅びをうけるでしょう。エホバは,預言者エゼキエルを通して,次のように述べています,「我わが大なることときよきことを明らかにし,衆多の国民の目のまへに我を示さん,彼らすなはち我のヱホバなることを知るべし」― エゼキエル 38:23。
8 地にきた時,イエスは彼の目的と任務が何であると言いましたか。今日だれが同じような任務を持っていますか。
8 イエスはエホバの目的とまったく一致調和していました。そして,彼が地上に来た主要な理由は,御父の名前と主権を立証することであると示しました。彼は,ピラトの前に連れ出されてさばきをうけたとき,大胆にもこう宣言しました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は,わたしの声に耳を傾ける」。(ヨハネ 18:37,新口)イエスは,神から与えられた使命を認識していました。彼はイザヤの預言を読んだとき,会堂でそのことを公に述べました,「エホバの御霊は私にのぞんでいる。エホバは貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるために,私に油を注いだ。とらわれ人にゆるしを伝道し,めくらの目をひらき,打ちひしがれた者に自由を得させ,エホバのうけいれたもう年をのべ伝えるために,エホバは私をつかわした」。(ルカ 4:18,19,新世)今日のエホバの証者は,伝道してエホバ神の御名をあかしするという同じ使命を持っています。エホバは彼らについて次のように述べています,「あなたがたは私の証者である」。―イザヤ 43:10,新世。
世界的な聖書教育のわざにより他の羊は集められる
9 マーズの丘でパウロが伝道したとき,その結果はどうでしたか。このことから何を学ぶことができますか。
9 使徒パウロがギリシャにいたとき,彼はただおひとりの真の神についてあかしをするすばらしい機会のあることを認めました。アテネ人たちは,この真の神を知っていなかったのです。ギリシャのアレオパゴスで,彼があの記憶すべき話を終えたとき,大ぜいの人々は彼をおしゃべりと呼んで,彼をばかにし,心かたくなな,分別のないやぎのような態度を示しました。しかしこのような態度を示さぬ人々もいました。「彼にしたがって信じた者も,幾人かあった。その中には,アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女,また,その他の人々もいた」。(使行 17:33,34,新口)これらの人々こそ,パウロの探しもとめていた人々でした。パウロのように,神の奉仕者はあらゆる機会を用いて真理についてのあかしをしなければなりません。彼らは,主の他の羊を見出すために多数の反対者たちの中で宣教を行ないます。彼らは隣人,友たち,親族,そして同労者に話をして,エホバの羊を見出します。それらの人々は,善意者であって,エホバの奉仕者の口を通して述べられる正しい羊飼キリスト・イエスの声に聞き従います。
10 この時代に御国のおとずれを述べ伝えることは,なぜそんなにもさし迫って大切なことなのですか。そしてどの預言の成就ですか。
10 やぎの中に羊をさがして,羊をやぎから分けることは,クリスチャン宣教の目的です。そのことは,この世にいまのぞんでいる大きなさばきの期間中に行なわなければならぬ出来事のひとつであるとはっきり示されました。エホバがハルマゲドンでサタンの悪い制度をこなごなに粉砕する前に,御国の良いたよりはクリスチャン奉仕者により宣明されねばなりません。かくして,イエスの預言は成就されるのです,「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき,彼はその栄光の座につくであろう。そして,すべての国民をその前に集めて,羊飼が羊とやぎとを分けるように,彼らをより分け……るであろう」。―マタイ 25:31,32,新口。黙示 16:16。
11 私たちの奉仕は善意者を見つけた時に終わってしまいますか。
11 この預言から私たちの宣教の別の大きな目的が分かります。すなわち,「万国の願ふところのもの」をエホバの新しい世の社会に集めることです。(ハガイ 2:7)これらの他の羊級の人々を集めることだけが私たちの目的ではありません。彼らは,生命の祝福を得るために神の御心を知って守るように教えられねばなりません。キリスト・イエスは,エホバ神を知りたいとのぞみ,仕えたいとのぞむ大いなる群衆がいると黙示録の中でヨハネに示しました。「その後,わたしが見ていると,見よ,あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が…」― 黙示 7:9,新口。ヨハネ 17:3。
12 今日何が大いに必要となっていますか。そして主の羊がまだ全部見出されてないということを,何が示していますか。
12 今日これら生命を求める者たちを教えて,援助することのできる資格を持つ奉仕者の数は,イエスの日のときと同じくわずかです。イエスは,当時彼の教えに注意深く耳を傾けた群衆をふかくあわれみました。なぜなら,彼は「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて,倒れているのをごらんになっ」たからです。そして「弟子たちに言われた,『収穫は多いが,働き人が少ない。だから,収穫の主に願って,その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい』」。(マタイ 9:36-38,新口)いまでは,さらに大ぜいの人々が主の他の羊を集めるこの大きなわざに参加する緊急の必要性があります。彼らの全部がすでに集められたようには見えません。1961年度のエホバの証者の年鑑(英文)の示すところによると,ギネア共和国では,31万2500人のうちにただひとりの証者という割合です。アフガニスタンでは,その比率は171万4286人にひとりです。イラクでは,32万6955人のうちにひとりの証者という割合です。これらの国々にいる人々には,世界の他の場所にいる人々のように,神の忠実なしもべたちの述べているこの御国の音信を聞く機会が与えられねばなりません。
13 (イ)これからなされねばならぬ大きな仕事を考える時,どう自問すべきですか。(ロ)パウロにさしのべられたどんな招待を,私たちは受けいれることができますか。
13 あなたは教える資格がありますか。そして,生命を救うこの宣教のわざに参加する資格がありますか。あるいは,あなたがいま楽しんでいるもの以上にもっとおおく参加できる資格がありますか。あるいはなんらかの聖書的な理由のゆえにさしひかえていますか。そして,安全と保障をはかるため十分の金を銀行に預けいれる時まで待ちますか。あるいは,妻をめとる,または夫と結婚するまでのもう数年を待ちますか。待たないでください! いまこそエホバの奉仕があなたの一生の目的になるべき時です。「マケドニヤに渡ってきて,わたしたちを助けて下さい」と願い求めて招待するエホバの奉仕者の言葉に答え応じて下さい。使徒パウロは,彼とテモテに招待の言葉が告げられたときに答え応じました,「パウロがこの幻を見た時,これは彼らに福音を伝えるために,神がわたしたちをお招きになったのだと確信して,わたしたちは,ただちにマケドニヤに渡って行くことにした」。(使行 16:9,10,新口)私たちは,宣教を私たちの社会,州,あるいは国家に限定する必要はありません。「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう」とイエスは言われました。(マタイ 24:14,新口)それで,イエスの言葉によると,私たちの宣教の畑は世界的なひろさです。イエス,パウロそして他の奉仕者の模範に従いなさい。そして,できるなら,必要の大きなところへ行きなさい。
14 羊を見つけるために最も良いとわかった聖書的な方法は何ですか。どの奉仕者はこの方法に従いますか。
14 私たちは,ニュースがすぐ伝わり,旅行が早くできる世界に生活しています。しかし,主の他の羊を見つけて,やしない,訓練を与えるための新しい仕方,現代的な仕方,早い仕方というものはありません。伝道の方法は,イエスや使徒たちの時代に用いられた方法といまでも同じです。時間をかけてためされたこの方法は,もっとも効果的な方法であると毎年証明されています。この方法は,聖書の中で次のように述べられています,「毎日,宮にいて,また家から家へと行って,彼らはキリスト・イエスについての良いたよりを引きつづき教えたり,述べ伝えたりしてやめなかった」。(使行 5:42,新世)1960年中,91万6332名のエホバの証者はその言葉を信じて,その伝道や教えることに,この証明ずみの方法に従いました。
15 箴言 3章27節にあるごとく何がないと私たちの奉仕は不完全なものになりますか。
15 エホバの証者の宣教は,人々の家に行って,聖書や聖書の手引を人々のところに配布するだけにかぎられていません。正しい心を持つこれらの人々は,探し出されるだけでなく,霊的に養われなければなりません。このためには,神の奉仕者は彼らの家を再訪問して,家庭聖書研究によりエホバの御言葉を彼らに教えなければなりません。宣教の中のこの肝要な部分がないなら,宣教は十分といえません。なぜなら,箴言の賢明な助言は,次のように述べています,「あなたの手に善をなす力があるならば,これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」。―箴言 3:27,新口。使行 15:36。コリント前 3:6。
16 エホバを愛する者を見出して養った後,パウロが使徒行伝 20章の20節で言っているように,何をしますか。そしてその結果はどうでしたか。
16 善意者を見出してやしなうことで宣教の目的は終わりません。次の段階は,これら生命を求める人々を訓練して,奉仕者にならせることです。クリスチャンたちはキリスト・イエスの足跡に従うよういつも訓練されてきました。奉仕者をつくるということでパウロがこのキリストのごとき方法にどう従ったかに気をつけてごらんなさい,「あなたがたの益になることは,公衆の前でも,また家々でも,すべてあますところなく話して聞かせ,また教え……」(使行 20:20,新口)新しい奉仕者を見つけて,養い,訓練するというこの方法は,どのくらい効果的でしたか。エホバの証者の年鑑(英文)は,洗礼をうけた新しい奉仕者の増加を次のように示しています。1957年,5万9828名。1958年,6万2666名,1959年,8万6345名。1960年,6万9027名。
正しい種類の奉仕者であることを証明する
17 何によって正しい種類の奉仕者だと確認されますか。
17 たしかに,世界はエホバの新しい世の社会の進歩に驚嘆しています。しかし神の奉仕者は,それを不思議なものと見ません。彼らが目的を持つ奉仕者である故にエホバの御霊は彼らとともにあり,彼らを祝福してきたと,彼らは知っています。彼らは神の御こころに従ってきました。そして,これからも従いつづけるでしょう。エホバが彼らを祝福しつづけると彼らはつよく確信しています。おそらく,さらに幾百万もの人が彼らの宣教にくわわり,全地で聞かれている賛美の叫びに声を合わせるでしょう。いまは,新しい世の社会が多くの実を結んで増加するときです。イザヤは次のように預言しました,「その小さきものは千となり……」(イザヤ 60:22)毎年見出されて養われ,そして御国奉仕のために訓練をうける幾千幾万という他の羊は,エホバの御名の立証に参加しています。そのことは,エホバの証者が神の御こころを行なっており,正しい種類の奉仕者であることを絶対的に証明するものです。正しい種類の医者は,治療できる患者の数で認められ,正しい種類の弁護士は,彼が勝つ裁判の件数で認められ,正しい種類の農夫は,豊かな収穫によって知られます。同様に正しい種類の奉仕者はその奉仕の結果で自分自身を証明します。彼は人々を援助して真理を知らせ,彼らは彼とともに奉仕に参加しました。彼はそれらの人々を紹介することができます。それらの人々は,彼が奉仕者であることをすいせんして示すものです,「ある人々のように,あなたがたにあてた,あるいは,あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか。わたしたちの推薦状は,あなたがたなのである。それは,わたしたちの心にしるされていて,すべての人に知られ,かつ読まれている」。―コリント後 3:1,2,新口。
18 私たちの奉仕に時間的制限を付すことはなぜよくありせまんか。どのくらいの期間エホバは私たちが伝道すべきだと言いましたか。
18 私たちは,宣教に時間の制限を設けてはなりません。次のように考えるべきではありません,「私は2年,3年,5年あるいは10年間は奉仕者になっていよう。そのときまでにはハルマゲドンは来るだろうし,私はもう伝道しなくても良い」。過去,このような考えをいだいた人々は,エホバの進歩する制度と,もはやいっしょにいません。エホバがイザヤに教えた教訓を学ぶ方がずっと良いでしょう。イザヤは,「エホバよ,どのくらいの期間ですか」とたずねました。「エホバは言われた,『町々は荒れすたれ住む者もなく,家には人かげもなく,国は全く荒れ地と……なる時まで』」。(イザヤ 6:11,新世)エホバ神は,伝道の終了する時を御存じです。それを始めさせられたのはエホバでした。それで,止める時であるとエホバが言われる時まで待ちなさい。
19 神の奉仕者が今日ならうべきどんなことを,エレミヤとイエスはしましたか。
19 私たちはエホバの日に生活しています。エホバからの割り当ては,地の住民に伝道することです。人々が耳を傾けて聞くか,あるいは聞くのを拒絶するかは,彼らが決定すべき事がらです。もし拒絶されるとするなら,彼らが拒絶するのであって,エホバの奉仕者が,御国の音信を持って彼らのところに行くことを拒絶すべきではありません。当時の心かたくなな,がんこな人々に対して何をしなさいとエホバはエレミヤに告げましたか。「そのままにしておけ。どっちみち彼らはやぎなのだ」とエホバは言われましたか。そう言われませんでした。エホバの言葉に耳をかたむけて聞いてごらんなさい,「たといあなたが彼らにこのすべての言葉を語っても彼らは聞かない。また彼らを呼んでもあなたに答えない」。(エレミヤ 7:27,新口)イエスもエレミヤと同じく,同国民からメシヤとしてうけいれられないということを十分に知っていながら,それでも,彼らに伝道しました。深い悲しみの中に,彼は次のように語りました,「ちょうど,めんどりが翼の下にそのひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに,おまえたちは応じようとしなかった」。(マタイ 23:37,新口)正直な心を持つ大ぜいの人々はイエスの言葉を聞いて,イエスの伝道に注意を払いました。しかし,圧倒的に大多数の人々は,イエスの平和にみちる音信を捨てて,それを憎みました。そして悪意にみちた憎しみの最高潮に彼を殺してしまいました。イエスは,反対をうけたにもかかわらず気落ちせず,またその宣教によって世界を改宗しようとも期待しませんでした。彼は,彼の弟子たちが同じ反応を経験すると警告しました,「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。―マタイ 24:9,新口。
20 私たちのおとずれに最初反対する者を,なぜはやまって非難してはいけませんか。
20 世はこの宣教を憎んで反対します。しかし,最初この宣教に反対する個人をいそいでさばいてはなりません。状態が変化するように人々の心も変化するということを忘れてはなりません。タルソのサウロがそうでした。彼は神に反対していて神の忠実な奉仕者たちを迫害していました。しかし,後には神をよろこばす者,諸国民につかわされた神の忠実な奉仕者になりました。今日,神に献身している忠実な奉仕者たちの多数の者は,はじめて音信を聞いたときには音信に反対しました。―使行 9:11-15。
宣教の祝福
21 ソロモンの王国を見にきたシバの女王を感激させたものは何でしたか。
21 さらに幾千幾万という羊を見つけて新しい世の社会内にみちびき入れねばなりません。それは,宣教の結果として多くのよろこびと祝福がうけられることを意味します。ソロモンの国の繁栄,栄光,および輝きを思いおこしてごらんなさい。シバの女王が,自ら見学に来たとき,彼女は言葉も出ないほど感銘をうけました。記録は次のように述べています,「(彼女は)全く気を奪われてしまった。彼女は王に言った,『わたしが国であなたの事と,あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。しかし,わたしがきて,目に見るまでは,その言葉を信じませんでしたが,今見るとその半分もわたしは知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています。……常にあなたの前に立って,あなたの知恵を聞く家来たちはさいわいです」。―列王記上 10:5-8,新口。
22 (イ)エホバの奉仕者は今どんな祝福をまのあたりに見ていますか。(ロ)どのような気持になってはなりませんか。そしてなぜですか。
22 今日,大いなるソロモン,キリスト・イエスに仕えている者たちは,躍進している新しい世の社会の繁栄,よろこび,そして幸福をまのあたりに見ています。彼らは,地のあらゆる場所から来た男,女,子供たちであって,物事を見たり聞いたりすることができます。そして彼らはエホバ神の御名を高くかかげています。神とその御子の御国の栄光と輝きは,また善意者によっても反映されます。彼らは,過去10年間,1週間に1000人以上という割合で制度のなかにはいってきました。主の他の羊を集めるよろこびを知ることは,宣教の別の祝福であります。宣教の地位あるいは特権をこの世の提供するあらゆる地位と交換してはなりません。宣教は私たちの主要な職であり,私たちの世俗の職業は二次的なものでなければなりません。世俗の職業は,私たちが宣教をつづけて行くのを援助する手段に過ぎません。神の奉仕者である私たちの関心事は,「まず神の国と神の義とを求める」ことです。(マタイ 6:33,新口)この要求が,エホバの奉仕者ひとりびとりの上に課せられていることを認識するとき,「私がいなくてもわざは大丈夫行なわれる」などという気分になってはなりません。もちろん,エホバ神は私たちがいなくても,この宣教を行なわせることができます。エホバ神は,私たちがいなくても新しい世を設立することができます。むしろ次のように見る方がずっと良いでしょう。エホバは私たちを用いられるのであり,もし私たちがいま私たちの宣教の目的を達成するなら彼の新しい世においても永遠にわたって私たちを用いつづけられるだろう,という見方です。この世の人々が物質的な富,権力,人気,名声,および快楽を求めるなら,求めさせなさい。しかし,これらの目標は,ハルマゲドンまでしかつづかないということを忘れてはなりません。しかし,神の奉仕者として,エホバの御名の立証に参加し,他の人々を援助してエホバ神を知らせ,あなた自身忠実な者の産出の多い奉仕者と証明することを目標にするなら,その目標はハルマゲドンの後の新しい世にいたるまであなたをみちびくでしょう。私たちの宣教がエホバ神をよろこばし,忠実な者には,それぞれ永遠の生命という報いがあたえられますように。