エホバの御名は強い塔
「エホバの御名は強い塔である。正しい人はこれに走り入って保護される」―箴言 18:10,新世。
1 この世の終りを生き残るには何がどうしても必要ですか。それはどこにありますか。
信仰の力 ― エホバと御子キリスト・イエス,エホバの栄光ある御国の御目的を正しく知ることから得られる。ゆるがない強い信仰 ― は,サタンの世のたそがれの時に保護され,生き残ってゆくために,肝要です。これをキリスト教国の宗教の軽信と混同してはなりません。偶像や聖遺物を崇拝したり,神秘的な三位一体を奉ずる人々は,このような信仰を持っていません。また不品行にふけったり,異教徒のように物質を追い求めている自称クリスチャン,真のクリスチャンの強い塔 ― エホバの御名のかわりに戦争の神,何メガトンもの爆弾を頼みとしている,いわゆるクリスチャンは,この信仰を持っていません。―詩 20:7。
2 キリスト教国は,創造主からどのように裁かれていますか。
2 偽善のキリスト教国は,エホバの御名を拒絶しました。この理由でキリスト教国は昔の不忠実なイスラエルと同じく,罪に定められています,「汝かく彼らに語れ之はその神ヱホバの声を聴かずそのいましめを受けざる民なり真実はうせてその口に絶えたり……山のうへになげきの声をあげよ,ヱホバその怒るところの世の人をすててこれを離れ給へばなり」(エレミヤ 7:28,29)私たちはいまこのような時代に住んでいます。この時代の人々は,ハルマゲドンの怒りの嵐が臨む最後の時に,つむじ風を刈り取るでしょう。(ホセア 8:7)戦略空軍と核兵器を誇るキリスト教国の誇りは空しいものです。キリスト教国は,真実の力を与える強い塔に信仰を持たず,にせの羊飼に従っているゆえに,エホバは言われます,「わが怒りは牧者にむかって燃え,わたしは雄やぎを罰する」。(ゼカリヤ 10:3,新口)忠実な創造主を捨てたキリスト教国は,最も重い罰を受けなければなりません。―エレミヤ 23:1-4。
3 キリスト教国に信仰が欠けているひとつの理由は何ですか。
3 キリスト教国には,なぜ信仰がないのですか。1961年6月10日付ニューヨーク発AP電報から,ひとつの理由がうかがわれます。これは合同聖書協会の事務長が世界的な調査を行なって得た結果を報道したものです。「今日,聖書を求める人は何百万人もいるが,クリスチャンでない人を除いては,聖書を読む人は少ない。……例外はアジア諸国のクリスチャンでない人々である。アジアでは『聖書に対する新たな関心が高まっている』」a クリスチャンと自称する人々は聖書を買い込んではいますが,聖書を学ぶことはおろか,読むことさえしていません。キリスト教国が「ヱホバの言を聴くことの」ききんに見舞われているのも当然です!―アモス 8:11。
4 クリスチャンの信仰は,どんな実体に基づいていますか。
4 真のキリスト教は生きたもの,意義のあるものです。恐れているキリスト教国とは全く異なり,真のキリスト教は勇気を与え,忠実な創造主,聖書の神エホバに望みをおかせます。エホバの御名は何時までも強い塔であって,保護を与えます。真のクリスチャンの信仰は聖書の知識に基づいており,確信を与えます。それは「望むところを確信し,見ぬ物を真実とする」ことです。(ヘブル 11:1)エホバの御名によって40年以上も奉仕してきた新世社会は,今までずっと,これら見えない実体の表われを経験してきました! エホバの豊かな愛ある御親切,真理,西暦1914年以来現実のものとなったキリストによる栄光の御国,御国に対する認識と理解,全世界にわたる御国の証言のわざの拡大と繁栄,「終りの時」における預言の著しい成就 ― このすべては,私たちにとって明らかに表われている事です。それは私たちの信仰です。
5 神の忍耐に関して,信仰の人は何を認識していますか。
5 この世の考えを持った今の人は,エホバとエホバの強い塔を嘲笑します。そのような人は,人間が如何に小さいかを知らず,人間が創造主の支えとか,あわれみに依存していることを知りません。あとわずかの期間,エホバは「悪い者の上にも良い者の上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さ」るでしょう。しかし,正しくない者に対するエホバの忍耐はこの時代のうちに終りを告げ,正しい者だけが残って,祝福にみちたエホバの新しい世の到来を見るでしょう。(マタイ 5:45,新口)保護を求めてエホバの強い塔に走り入る信仰の人は,幸いです! そのような人は次の事実を心から認識しています。「もし,神が怒りをあらわし,かつ,ご自身の力を知らせようと思われつつも,滅びることになっている怒りの器を,大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば,かつ栄光にあずからせるために,あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば,どうであろうか」― ロマ 9:22,23,新口。
6,7 (イ)物質的な人は,どんな事柄を理解できませんか。(ロ)キリストにある者は,何を得ますか。(ハ)人間に関して,エホバの御心はどこで行なわれますか。
6 物質的な人は知識と能力を如何に誇っても,「キリストにある……新しく造られた者」の「栄光の富」を知ることができません。人間は発明の才とロケットを如何に誇っても,望遠鏡を通して見た物質の宇宙でさえ,とうてい究めることの出来ないことが明らかです。時間の無限の経過も,弱小な人間の理解できない事柄です。いま人間は,はてしない宇宙のごく小さな一点を占め,無限の時間のつかの間を生きるに過ぎません。人は草のように一時のあいだ萌え出て,すぐに死にます。しかし神の人は,更に栄光あるものの確証を得て喜び楽しみます。「すべての人は草のようであり,その栄光は草の花のようである。草はしおれ,花は落ちる。しかしエホバの話された言葉は永遠に存続する」― ペテロ前 1:24,25,新世。
7 「エホバの話された言葉」に頼る人は幸いです。その人は「信仰によって生」きるでしょう。(ガラテヤ 3:11)その人々は次のことを認めます。すなわち天はエホバのものであり,神の住まれる霊的な天には,聖なる天使と,新しい契約のとりきめに従い,エホバによって「栄光から栄光へと同じかたちに変」えられる,キリストと共にいる選ばれた人々が住むということです。(コリント後 3:18,新世)また宇宙ではなくて地球こそ,神が人類にお与えになった住み家であり,人間に対するエホバの御心は地で行なわれるということを認めます。(詩 115:16,マタイ 6:10)その人々は,過去における神の偉大なわざを嘲笑し,この悪の世がハルマゲドンで滅びるという宣言を一笑に付す現代の人々とは異なっています。聖書に記録されている「エホバの言われた言葉」および過去においてエホバが力強いわざを行なわれたことの証拠は,その人々にとって真実なものです。―ペテロ後 3:3-7。
8 預言されたハルマゲドンは,私たちにとってなぜ真実のものですか。
8 ノアの時代に全地を覆った洪水,また紅海におけるパロの軍勢の滅びなど,昔にあった大いなるみわざを再び見ることはできません。それは過去のことであって二度と起きません。しかしそれだからと言って,そのような事がなかったと論ずることはできません。神の言葉は,それらの出来事を事実として記録しており,しかもそれがこれから来る大きな事を予め示していると述べています。(マタイ 24:37-39。コリント前 10:11)私たちは将来における実体をまだ見ることができませんが,それはこの世を滅ぼすと預言されたハルマゲドンが来ないという意味ではありません。それは定められた時に来ます! 時は流れてやがて神の定めたハルマゲドンの時が必らず来るのと同じく,この悪の世が滅びに落ち込むことは間違いありません。「汝ら叫べ……その日近しヱホバの日近し」― エゼキエル 30:2,3。エレミヤ 25:31-36。
9 信仰の人は,ルカ伝 21章25-28節の成就をどのように見ますか。
9 ナイアガラのような滝の水が,遂には下の滝つぼに落ちこむことを疑う人がいますか。疑う人はいません! ふちを目がけて水の流れが押し寄せるにつれて,そのことはいっそう確かになります。それと同じく,世界情勢の流れは,イエスの預言した多難な時に達しました,「また日と月と星とに,しるしが現れるであろう。そして,地上では,諸国民が悩み,海と大波とのとどろきにおじ惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである」。うぬぼれている世界の指導者も,滅びのさし迫っている徴候を認めています。平和をすすめるかわりに,彼らは人類を全滅させてなお余るだけの核兵器を貯えて,「恐怖の均衡」を保つことに努めています。この危機に対処する現実的な道をとっているのは,信仰を持つ人々だけです。その人々にとって,「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいている」との約束は真実のものです。―ルカ 21:25-28,新口。
10 信仰のない人と信仰の人とをくらべなさい。
10 創造された宇宙の中で自分の占める低い場所から神を見ることができないからと言って,神を信じられないという人間は何と小さいのでしょう! 自分の知るわずか数世代を見ただけで,すべての結論を出し,創造以来の人類の世代のことを述べた神の言葉を無視している人間,神を愛する者に対して「千代にいた」る神の祝福を無視している人間は全く小さな者です!(申命 7:9。詩 135:13)信仰を持たない人は,途方に暮れ不幸で,生活に本当の目的を見出していません。信仰の人は,明るい希望を持ち,神と隣人に対して心からの愛を持っています。生命,忠実な神の被造物の間で永遠の生命を得る見込みは,信仰の人にとって現実のものであり,この祝福を受けるにふさわしい者となるため,喜んで熱心に努めます。またエホバの御名によって呼ばれることを喜びます。その人にとって「エホバの名は強い塔」であっていま力を与え,また「かぎりなき生命」の希望を与える永続する塔となります。―箴言 18:10。詩 133:3。
エホバの御名によって耐え忍ぶ
11 ヘブル書 11章およびイエスの手本からどんな励ましを得ますか。
11 ヘブル書 11章にある40の節は,信仰のすばらしい定義です! 何者も打ち勝つことのできないエホバの大きな力と,愛にみちたエホバの御約束は,そこに述べられた信仰の人々にとって真実のものでした! 彼らは「このような多くの証人」であり,エホバの御名によって耐え忍びました。彼らは,信仰の欠如という容易にからみつく罪に陥らないように私たちを励ます手本です。私たちはまた,喜んで耐え忍んだ,「信仰の導き手であり,またその完成者であるイエスを仰ぎ見」るようにとさとされています。それは私たちが「弱り果てて意気そそうしないため」です。―ヘブル 12:1-3,新口。
12 (イ)イエスおよび地上の他の忠実な人々は,どんな点で目立っていますか。(ロ)初期クリスチャン会衆は,どんな良い手本を残しましたか。
12 イエスをはじめ,地上でエホバに忠実に奉仕したすべての人は,どんな点で目立っていましたか。彼らは活動家で,力強い,生きた信仰を持ち,従ってその生活は敬虔なわざで満ちていました。(ヨハネ 5:17)それは実生活に即した信仰でした。信仰の基礎は知識にありましたから,彼らは何時も自分の心,また互の心をふるい立たせて,神の大いなるみわざに対する認識を深めました。(使行 2:11。ペテロ後 1:12-15)クリスチャン会衆がはじめて組織されたとき,人々は時々,何となく集まったのではなく,「一同はひたすら,使徒たちの教を守り」エホバの霊的な御準備にあずかるため「信徒の交わりをなし」たのです。「そして日々心を一つにして,絶えず宮もうでをなし」ていました。人々は宮に集まってエホバの言葉を学んだからです。―使行 2:42,46,新口。
13 使徒時代の会衆が余すところなく伝道したことはどのように記録されていますか。
13 会衆はまた,エホバの御国の御目的を証しするため,熱心に働きました。五旬節の日,ペテロは「多くの言葉であかしをなし,人々に『この曲った時代から救われよ』と言って勧め」ました。(使行 2:40,新口)活発にまた余すところなく証言をした記録は,使徒行伝の最後に至るまでつづられています。(4:32,33; 8:25; 10:42; 18:5; 20:20,21)全く,いちばん最後の章にも,「パウロは語り続け,神の国のことをあかし,またモーセの律法や預言者の書を引いて,イエスについて彼らの説得につとめた」ことが,しるされています。(使行 28:23,新口)初期クリスチャン会衆は聖書を知り,油そそがれたその成員全部は,興味を抱いた人に訪問を重ね,研究を開いてエホバの御国の御目的を説明し,明らかにしました。熱心に徹底的に,大きな力を以ってそれをしたのです。この事に間違いはありません。
14,15 今日エホバの証者は,どのようにエホバの強い塔に走り入りますか。
14 エホバの強い塔に走り入って保護を得るため,今日のエホバの証者は,同じく週毎の定期的な奉仕を活発に行ない,善意者を何度も訪問して,一諸に聖書を学ばなければなりません。使徒たちは,信仰を持つすべての人にこの活動をすすめました。「わたしたちは,あなたがたがひとり残らず,最後まで望みを持ちつづけるためにも,同じ熱意を示し,怠ることがなく,信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように,と願ってやまない」― ヘブル 6:11,12,新口。
15 この熱意と活動的な信仰のゆえに,エホバの証者は地のはてにまで出て行きました。この点でエホバの証者は,他のあらゆる宗教と異なっており,諸国民の間で一つの奇跡また驚異となってきたのです。(イザヤ 8:18)宗教指導者も,専横な共産主義者も,日の下にあるすべての国々にひろまって善意者の心をとらえた彼らの信仰を説明できませんでした。―ロマ 10:18。
16 (イ)開拓者の精神を持つ人には,どんな報いがありますか。(ロ)いま開拓奉仕をすすめるのはなぜですか。
16 「エホバに仕えるように心をこめて働」いた宣教者は,信仰の大きな試練に何回もあってきました。しかし報いはすばらしいもの,心を励ますものです。その国の人々の中から奉仕者の大きな群衆が出て,彼らも同じ開拓者の精神を持つようになったことは,大きな報いでした。(コロサイ 3:23,新世)この活動の精神,イエスや使徒たち,また現代のエホバの証者に力を与えた真の開拓者精神は,エホバの御国の御目的を学んだすべての人が持つべきものです! 世の終る前に,できるすべての区域で余すところなく証言するため,今ほど開拓奉仕が必要な時はありません。「信仰の働き」と「愛の労苦」にすべての時間と精力をささげるとき,「聖霊による喜びをもって」耐え忍ぶことができます。(テサロニケ前 1:2-7,新口)開拓者の喜びを抱いて忍耐するのは,記録のために時おり奉仕に時間をついやす喜びのない中途半端なやり方で忍耐することよりも,はるかにまさったことです。―黙示 3:14-18。
17 エホバの証者には,どんなすばらしい保証がありますか。どのようにそれを求めますか。
17 「エホバを俟望むものは新なる力をえん,また鷲のごとく翼をはりてのぼらん,走れどもつかれず歩めども倦まざるべし」(イザヤ 40:31)この大いなる約束を自分自身のものにしなさい。エホバへの奉仕に携わり,何時も家から家に歩きなさい。それは清新な力を与えます。奉仕を拡大しなさい。走りなさい! 休暇開拓奉仕を味わって下さい。そのために疲れてしまうことはなく,かえって心を躍らせる奉仕の経験や,新しい研究を得,御国の活動を増し加えたいという願いと認識を深めることになります。舞い上がるわしのように前途を見て,正規あるいは特別開拓者を生涯のわざとする機会をとらえなさい。活動を増し加えるならば,エホバの御霊の力はそれだけ豊かに与えられます。前進の歩を進めて開拓奉仕を始め,その奉仕をつづけるとき,御霊の豊かな報いに喜ぶことができます!―マタイ 11:28-30。
18 忍耐して忠実に働くことの結果は何ですか。
18 喜びつゝ励んで忍耐しなさい。信仰を常に強め,エホバの恵みに何時も深く感謝しなさい。御国奉仕に多くの年月を有為に過すにつれて,この感謝の気持はますます深くなり,ダビデと同じく感謝を言い表わすことができるでしょう,「われもしエホバの恩寵を生けるものの地にて見るの恃なからましかばいかにぞや」。あなたもダビデと同じように,エホバの恵みを他の人々にすすめることができます「エホバを俟望め雄々しかれ汝のこゝろを堅うせよ,必ずやエホバをまちのぞめ」(詩 27:13,14)エホバの御名は私たちの強い塔です!
強い塔の中にとどまる
19 信仰をもって忍耐する人には,どんな力強い保証がありますか。
19 忠実に働くとき,試練に会います。しかしイエスはさとしました,「あなたがたは,心を騒がせないがよい。神を信じ,またわたしを信じなさい」。(ヨハネ 14:1,新口)御名を証言してこの強い塔の中に留まるすべての人に,エホバはキリストを通して力を与えます。試練の中には苦しいものもあります。この組織制度の終りに関するイエスの預言は,共産主義国や他のある国々において成就してきました,「あなたがたは両親,兄弟,親族,友人にさえ裏切られるであろう。また,あなたがたの中で殺されるものもあろう。また,わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう」。しかし信仰を固くもって忍耐する人には,力強い約束が与えられています,「しかしあなたがの髪の毛一すじでも失なわれることはない。あなたがたは耐え忍ぶことによって,自分の魂をかち取るであろう」― ルカ 21:16-19,新口。
20 今の悪い時代には,なぜ心と思いを守らなければなりませんか。どのように?
20 家族の反対,強制収容所,刑務所,この世の人々の嘲笑や悪口に耐えるだけが,その事のすべてではありません。サタンはあらゆる面から圧迫を加えます。迫害という正面攻撃が成功しないとみれば,サタンは物質主義や不品行の誘いという更に巧妙な手だてを使います。ゆえに「心の腰に帯を締め」ると共に「慎んで」,ハルマゲドンで「イエス・キリストの現われる時に与えられる恵み」に心を全く向けなければなりません。「わたしたちは昼の者なのだから,信仰と愛との胸当を身につけ,救いの望みのかぶとをかぶって,慎んでいよう」。(ペテロ前 1:13。テサロニケ前 5:6,8,新口)この世の欲や不品行な考えが少しでも心にはいらないように,心と思いを守りなさい。それが根をおろすのに任せる不注意な人は,遂に災に陥ります。―ヨハネ第一 2:15-17。ヤコブ 1:14-16。
21 どうすれば,主にあってますます強くなることができますか。
21 たとえ死の危険をおかして長年のあいだ迫害に耐えようとも,自由を得たときに不品行の生活を始めるならば,何の価値がありますか。長年にわたる忠実な宣教の記録も,サタンの世の道に戻ってそれを汚し,エホバの清い制度から絶たれるならば,何の益がありますか。間違ってはなりません! 私たち一人一人は,最後まで霊的な戦いをつづけなければなりません。私たち全部は「主にあって,その偉大な力によって,強くなり」,「神の武具で身を固め」ることが必要です。(エペソ 6:10,11,新口)心と思いとからだを用いて御国奉仕に励み,「御霊の実」をいよいよ培わなければなりません。(ガラテヤ 5:22,23,新口)エホバへの奉仕に何年携わっていようとも,パウロの助言に従うことが必要です,「あなたがたは,はたして信仰があるかどうか,自分を反省し,自分を吟味するがよい」― コリント後 13:5,新口。
22 何を「避ける」ように命ぜられていますか。どのようにそのことをしますか。
22 「偶像礼拝を避けなさい」と述べた使徒の同じ手紙は,「不品行を避けなさい」と命じています。(コリント前 10:14; 6:18,新口)そうです,逃れて避けなさい! 誘惑されるような場所に身を置いてはなりません。正しい人であったヨセフは,ポテパルの好色な妻から逃れました。そのことを心に留めなさい。(創世 39:7-21)罪をもてあそびながら,再びエホバの家に戻れると考えるのは愚かなことです。ひとたびエホバの御霊を失うならば,罪をおかした者は不敬虔な世の中で何の助けもないことになります。身を守るために「強い塔」の中に留まり,常にエホバの御名にほまれとなるべきです。救いは,常に義を追い求めることにあります,「そこで,あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして,きよい心をもって主を求める人々と共に,義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい」― テモテ後 2:22,新口。テモテ前書 6:9-11をも見なさい。
23,24 どうすれば,エホバの強い塔の中に留まることができますか。
23 競争は決勝点に近づいています。ですから目あてのないような走り方をせず,節制を守りましょう。(コリント前 9:24-27)ハルマゲドンの恐るべき日は迫り,それと共に永遠の生命の報いを得る時も近づいています。「走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした」使徒パウロにならい,「公平な審判者である主が……主の出現を心から待ち望んでいたすべての人々にも授けて下さる」報いに与ることができますように。(テモテ後 4:7,8,新口)エホバの強い塔の中にしっかりと留まり,喜んでこの行程を走りつくすことができますように。
24 エホバの御名を避け所とし,献身を全うして立場を保つすべての人は,大きな報いを得ます。勝ちを得るものに与えられる朽ちない相続のことを,ペテロはこう書いています,「そのことを思って,今しばらくの間は,さまざまな試練で悩まねばならないかも知れないが,あなたがたは大いに喜んでいる。こうして,あなたがたの信仰はためされて,火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ,イエス・キリストの現われるとき,さんびと栄光とほまれとに変るであろう」― ペテロ前 1:6,7,新口。
25,26 (イ)今日,信仰を働かせる人の前途には何がありますか。(ロ)その人々はいま何をしなければなりませんか。
25 マゴグのゴグが,見えると見えないとを問わず,その悪魔的な軍勢のすべてをあげてエホバの証者の新世社会を攻撃するのに任せなさい! マゴグのゴグは,エホバの御名により頼む人々の信仰をくつがえすことができません! 彼らはエホバの強い塔により頼み,耐え忍びます。そして私たちの愛する王キリスト・イエスが,ハルマゲドンにおいて火のような威厳のうちに現われ,ゴグとその配下に裁きを執行するとき,私たちは「信仰の結果なるたましいの救を得」ます。いまキリストを目に見ることができなくても,私たちは信仰により,ハルマゲドンを戦って勝利を得るキリストの力を全く確信できます。キリストに信仰を働かせるゆえに,私たちは「言葉につくせない,輝きにみちた喜びにあふれて」います。―ペテロ前 1:8,9,新口。
26 その喜びは何と大きいのでしょう! それはエホバの御名の強い塔の中にのみ,見出される喜びです。忠実な創造主の御国の御目的を忠節な心で証言し,創造主の正義の原則を固く守ることによって,その塔の中に留まる人々は,この喜びを得ます。このすべての人に向かって,使徒は述べています,「主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが,喜びなさい」― ピリピ 4:4,新口。
[脚注]
a 英国ロンドンのリビエ・ベグイン。1961年6月11日付東京読売新聞。