戦争に悩まされた世界で良いたよりの種をまく
「その希望は,良いたよりの真理が語り告げられることによってあなたがたが以前に聞いたものです。その良いたよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大しているので(す)」― コロサイ 1:5,6。
1 全世界で今どんな2種類の種がまかれていますか。だれがそれをまいていますか。
今日2種類の種が全世界でまかれています。恒久平和にかんする良いたよりの種と,戦争宣伝の種です。後者は多数者によってまかれ,前者は少数者によってまかれています。
2 (イ)農地ばかりでなく,国際間の事柄においても,まかれたものにかんするどんな法則が働きますか。(ロ)良いたよりの種をまくことにかんして,パウロが述べたどんな通則は真実ですか。
2 軍備を持つ諸国家は,軍備の充実という種をまくのに多忙です。農地においても,国際関係の畑においても,必ずまかれたものが繁殖し,同種類のものを産出します。この事実は,最初の人間が農業を始めて以来変わっていません。(創世 3:17-19; 4:1,2; 1:11,12; 9:20)この法則は,諸国民の生活においても容赦なく働きます。神の預言は,古代イスラエルのみならず,諸国民の多くにかんしても真実でした。「かれらは風をまきて狂風をかりとらん」。(ホセア 8:7)大多数の人が軍備の充実という種をまいているからには,平和な良いたよりの種はどうでしょうか。この種はよく成育し,実を結び,繁殖することができますか。確かにできます。「人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになる」ということが,絶対確実な法則であることは幾度となく実証されました。(ガラテア 6:7)人間の創造者はそうなるようにお定めになったのです。
3 (イ)この平和な良いたよりの種をまくわざはいつ始まりましたか。(ロ)戦争に悩まされたこの20世紀において,わたしたちは種まきにかんしどんな決定をしなければなりませんか。
3 今日,恒久平和の良いたよりの種をまいている人びとは,実際に,19世紀昔に開始されたわざを続けているのです。彼らは現在このわざを,全世界の人びとが気づかぬわけにはいかない規模で進めています。西暦1世紀の種まき人たちが経験したことを,戦争に悩まされたこの20世紀の今日の種まき人たちも経験しつつあります。地上の恒久平和を愛する人びとはそれに関心を持つべきです。しかしわたしたちはみな,戦争宣伝の種まき人になりたいか,あるいは平和な良いたよりの種まき人になりたいかを決めなければなりません。その決定によって,自分におよぶ結果が決まります。
4,5 (イ)西暦1世紀の60年代の昔にそこでどんな宗教的衝撃を与える災厄が起ころうとしていましたか。(ロ)そのような災厄のことを考えて,イエスは,受け入れるユダヤ人に慰めをもたらすどんな事柄を話されましたか。
4 西暦1世紀の60年代中,ローマ帝国に対する激しい反感で情勢は緊迫していました。中東のローマ領ユダヤ州においてはとくにそうでした。異教徒のローマ人行政官の指揮するローマ軍の駐留と支配に対する反乱が醸成されつつありました。聖都エルサレムの悲惨な最期は近づいていました。ユダヤ人の崇拝の中心地としての同市はその終わりの時にありました。地上における公の宣教の間にイエス・キリストご自身が話しかけられたユダヤ人の世代は,エルサレムとその豪華な神殿が破壊されるまで過ぎ去ることはないであろう,とイエスが言われた世代でした。(マタイ 24:34,1-22)歴史はこの恐ろしい破滅が,あの悲しみの年,西暦70年に臨んだことを記録しています。宗教的に大きな衝激を与えるそのような破滅を,ユダヤ人がひどく嘆かなくともすむようになしうる何ものかがあったでしょうか。たしかにありました。もしユダヤ人が心にそれを受け入れるなら,ユダヤ人の心を慰めうるものがひとつだけありました。それは何でしたか。イエス・キリストは,中東のそこにあったユダヤ教の事物の体制の終結にかんしてすぐれた預言をされた時に,それを述べられました。イエスは,ご自分の忠実な弟子たちの上に臨むであろう迫害について語ったのち,この喜ばしい,心暖まる事柄について話し,次のように言われました。
5 「しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:13,14。
6 イエスが宣べ伝えたのはどんなたよりでしたか。それはどんな政府のことを告げるものでしたか。
6 エルサレムとその神殿の悲惨な破滅は,依然としてその地的都市を自分たちの宗教の中心地と見ていた世界中のユダヤ人にとって,胸のはり裂けるようなニュースでした。それは彼らにとって最悪のニュースでした。しかし,イエス・キリストが地上での宣教において終始宣べ伝えられた事柄は良いたより,福音,吉報でした。しかしどの王国にかんする良いたよりでしたか。イエスは,王国は王国に敵対して立ち,同時に国民は国民に敵対して立ち,それに伴ってあちこちで飢きん,疫病,地震などが生ずるであろうと言われましたが,その王国ではありません。それはイエスが唱道し,布れ告げたただ一つの王国でした。それはイエスがこの同じ預言の中で触れ,「天の王国」と呼んでおられる王国でした。(マタイ 24:7; 25:1)イエスはこの王国が近づいていることを示すしるしを予告し,この預言の中で言われています。「このように,あなたがたはまた,これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」― ルカ 21:10,31。
7 (イ)エルサレムが破滅する前に,キリストの弟子たちによって何が行なわれることになっていましたか。(ロ)エルサレムの破滅はなぜクリスチャンたちに衝撃を与えず,失望させることもありませんでしたか。
7 したがって,ローマ帝国への反逆のゆえに地上のエルサレムが西暦70年に滅びる以前でさえ,神の王国の,天の王国の「この良いたより」は,ローマ帝国内外のすべての国民への証しとして,人の住む全地で宣べ伝えられることになっていたのです。ではそれはどんな効果をもたらしましたか。ローマ軍団がエルサレムとその神殿を破壊したとき,神を信じていたクリスチャンたちは,それどころかキリスト教徒になっていたユダヤ人たちでさえも,そのことに驚きませんでした。彼らはその滅びを実際に予期していました。エルサレムとユダヤ州の他のすべての場所にいたキリスト教徒のユダヤ人は,イエスの預言の中で与えられていた忠告に従って行動しました。ユダヤ人が反乱を起こした西暦66年に,エルサレムがローマ軍によって一時的に包囲されたのち,彼らはできるかぎり速くユダヤとエルサレムから逃げました。(マタイ 24:15-22。ルカ 21:20-24。マルコ 13:14-20)ユダヤとエルサレムの荒廃は,「天の王国」,「神の王国」の破滅を意味するものではないことを彼らは知っていました。彼らにとってはもはや地上のどの王国も神の王国を象徴するものではなかったのです。彼らは,自分たちがあずかる,神の天の王国に希望を置いていたのです。
8 (イ)クリスチャンたちは,どの政府に対するいっそうの確信で満たされましたか。その確信は1世紀の終わりまでどのように示されましたか。(ロ)そのようにしてだれのために模範が示されましたか。
8 エルサレムの破滅は,神の真のメシアの王国に対するなおいっそうの確信を彼らに満たしました。その証拠に彼らは,ローマ帝国が激しい迫害を加えたにもかかわらず,1世紀の終わりに至るまで,その王国の良いたよりを宣明しつづけました。クリスチャン使徒ヨハネは,西暦100年ごろに死にましたが,死ぬ少し前に啓示(聖書の巻末に収められている本)を受けました。彼はその最初の章の中で次のように記述しています。「あなたがたの兄弟であり,イエスとともになって患難と王国と忍耐をあなたがたと分け合う者であるわたしヨハネは,神について語り,イエスについて証ししたために,パトモスと呼ばれる島に来ることになった」。(啓示 1:9)その時までには「王国の良いたより」は,西暦70年のエルサレムの終わり以前に良いたよりが宣べ伝えられたよりもさらに広範囲にわたり,証しとして人の住む全地に伝道されていました。したがって,神のメシアの王国の良いたよりの世界的伝道にかんするイエスの預言は失敗に終わりませんでした。これは現代の事物の体制の終結の時における「王国のこの良いたより」の同様の伝道の模範となりました。イエスの預言は,最高潮に到達する意味で,現代の事物の体制の終結の時に当てはまります。
「世界じゅうで……増大している」
9,10 (イ)エルサレムの破滅以前に行なわれた良いたよりの世界的な伝道は,だれにより,またどのように証しされましたか。(ロ)パウロはコロサイ人への手紙の中で,どのように未知の会衆と近づきになりますか。
9 預言されていた王国の良いたよりの伝道が,西暦70年のエルサレムの破滅以前に成し遂げられていたことは,ユダヤ人にその惨禍が臨む何年も前に証しされていました。それを証ししたのはだれでしたか。クリスチャン使徒パウロです。西暦60年か61年ごろ,彼はローマの自宅にローマによって監禁され,くさりにつながれていました。ローマにおける,2年か2年余にわたるこの自宅監禁期間中に,パウロはギリシャと小アジアのクリスチャン会衆にあてて,霊感による手紙を書きました。それらの手紙の中のひとつは,小アジアの町コロサイにあった会衆にあてたものでした。コロサイの町は,やはりクリスチャン会衆のあったラオデキアおよびヒエラポリスの町の近くに位置していました。現代においてはそれらの場所はトルコの中にはいっています。使徒パウロはその手紙を,自分と仲間の宣教者テモテの名で送ります。コロサイの会衆はパウロが設立したものではありませんでした。そして彼の手紙は,彼がそこへ一度も行ったことがないことを示しています。しかしパウロは,尋ねて来た仲間のクリスチャンを通して,このコロサイ会衆のことを聞きました。エパフラスがもたらしたこの報告にパウロは非常に感動し,まだ会ったことのないクリスチャンたちにこの手紙を書くべく心を動かされました。彼は自分を紹介し,次のように述べます。
10 「わたしたちは,あなたがたのために祈るさいいつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。それは,キリスト・イエスに関するあなたがたの信仰と,あなたがたのため天に蓄えられている希望のゆえにあなたがたが聖なる者たちすべてに対していだく愛とについて聞いたからです。その希望は,良いたよりの真理が語り告げられることによってあなたがたが以前に聞いたものです。その良いたよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大しているのであり,それは,あなたがたが真に神の過分のご親切について聞きかつ正確に知った日以来あなたがたの間でも起きていることと同じです。これはあなたがたが,わたしたちの愛する仲間の奴隷エパフラスから学んだ事がらです。彼はわたしたちのための,キリストの忠実な奉仕者であり,また霊的な面でのあなたがたの愛をわたしたちに聞かせてもくれました」― コロサイ 1:3-8。
11 (イ)それが世界的伝道を意味したことは,コロサイ人への手紙 1章23節の中でどのように示されていますか。(ロ)当時までの伝道にかんし,どんな意味でこのことは真実でしたか。
11 この手紙を書いた時にパウロは,見聞の広い,広く旅をした宣教者として,彼の手紙の前述の紹介の部分の中で述べたことばにより,良いたよりの世界的伝道が行なわれたことを証ししています。彼は,「良いたよりの真理が語り告げられ(た)」ことを述べ,「その良たよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大している」と記しています。(コロサイ 1:5,6)パウロは,世界的伝道という意味で言ったことを,少しあとの文章で証明しています。パウロは彼らが「自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされない」ことについて述べ,「その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。わたくしパウロは,この良いたよりの奉仕者となりました」と言いました。(コロサイ 1:23)もちろんこれは,天下の人びとすべてに,じかに宣べ伝えられたという意味ではありませんでした。それは,良いたよりの伝道が,天が下の,人の住む地の隅々にまで押し進められ,言語,皮膚の色,人種,国籍の別なく,全部の人間が王国のたよりを聞く機会を与えられた,という意味でした。制限はありませんでした。パウロは,前に書いたローマの会衆あての手紙(西暦56年ごろ)の中で,スペインに良いたよりを携えてゆく意図を表明しています。さらに西方の米州の存在は,当時彼には知られていませんでした。―ローマ 15:24。
12 それは預言の成就の完了でしたか。それともそれはまだ将来に来るものでしたか。
12 1世紀中に,アジア,ヨーロッパ,またアフリカで,キリストの弟子たちのそのころはまだ小さかった群れによって行なわれた「王国のこの良いたより」のこの伝道は,聖書の預言の成就でした。(マタイ 24:14。マルコ 13:10。使徒 1:8)しかしそれで預言の成就が完了したわけではありませんでした。ヨーロッパ人が米州を発見したあと,そして反逆的なエルサレムの対型である現代のキリスト教世界が滅びる前に,西暦1914年以来始まっている同世界の終わりの時に,その伝道はもう一度世界的な規模で繰り返され,最高潮に達しなければなりません。
13 パウロによると,王国の希望を広めるわざは,コロサイの場合が示すように,どんな影響を及ぼしましたか。
13 さて,王国の希望を広めるこのわざが及ぼす霊的影響は,西暦1世紀中のイエス・キリストの使徒たちの時代のそれと同じでなければなりません。それでパウロがその影響につき,小アジアのコロサイにあった会衆にかんして何と言っているかを考えてみましょう。彼は,コロサイ人に「良いたよりの真理が語り告げられ(た)」ことを述べ,「その良いたよりはあなたがたのところにもたらされましたが,世界じゅうで実を結んで増大しているのであり,それは……あなたがたの間でも起きていることと同じです」と記しています。(コロサイ 1:5,6)したがって,口で語られた「良いたよりの真理」のことばを『語り告げる』ことは,コロサイを含め全世界で「実を結んで」いたのです。
14,15 (イ)こうしてパウロは,正しく伝えられた良いたよりを何になぞらえましたか。(ロ)ここで示されている状態は,イエス・キリストが話されたどんなぐう話的な例と一致しますか。
14 使徒パウロはここで,彼らに正しく伝えられた「良いたより」を,地の中にまかれた種になぞらえています。地もしくは土は非常に肥沃です。そして種は根をおろし発芽して同種の実を結びます。この状態は,イエス・キリストが4種類の土の生産能力について語られたぐう話的な例と一致します。イエスはこう言われました。
15 「ごらんなさい,種まき人が種をまきに出かけました。まいていると,幾つかの種は道路のわきに落ち,鳥が来てそれを食べてしまいました。ほかの種は,土のあまりない岩地に落ち,土が深くないのですぐにもえ出ました。しかし太陽が昇ったとき,それは焼かれ,根がないので枯れてしまいました。またほかの種はいばらの中に落ち,いばらが伸びて来てそれをふさぎました。さらにほかの種はりっぱな土の上に落ちて実をならせるようになり,あるものは百倍,あるものは六十倍,あるものは三十倍の実をならせました。
16 この例にかんし,イエスご自身どのように説明されましたか。
16 「ではあなたがたは,種をまいた人の例えを聴きなさい。人が王国のことばを聞きながらその意味を悟らない場合,邪悪な者がやって来て,その心の中にまかれたものをさらって行きます。これが道路のわきにまかれたものです。岩地にまかれたもの,これはみことばを聞き,喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。でも,自分に根がなく,一時は続きますが,みことばのために患難や迫害が生じると,すぐにつまずくのです。いばらの中にまかれたもの,これはみことばを聞きますが,この事物の体制の思い煩いと富の欺きの力がみことばをふさぐ人のことであり,その人は実を結べなくなります。りっぱな土の上にまかれたもの,これはみことばを聞いて,その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び,ある者は百倍,ある者は六十倍,ある者は三十倍を生み出すのです」― マタイ 13:3-8,18-23。
17 (イ)コロサイ人の心は,イエスの話された例の中の何のようでしたか。だれが彼らに直接種をまきましたか。(ロ)実際に「種」は何ですか。それはどんな状態にありますか。
17 使徒パウロが,彼を尋ねて来たエパフラスから聞いたところによると,コロサイのクリスチャン会衆の成員は,イエスが説明された「りっぱな土」のような心を持っていました。そのために彼らの心にまかれた「王国のことば」は実を結び,100倍,60倍,30倍というふうに,異なる量を生産しました。使徒パウロは,コロサイ人の心に王国の種をまいてはいませんでしたが,コロサイのエパフラスがそれを行なっていたようです。というのは,パウロが彼のことを,「キリスト・イエスの奴隷であり,あなたがたのところから来たエパフラス」と述べているからです。パウロはまた,「これはあなたがたが,わたしたちの愛する仲間の奴隷エパフラスから学んだ事がらです。彼はわたしたちのための,キリストの忠実な奉仕者であり,また霊的な面でのあなたがたの愛をわたしたちに聞かせてもくれました」と述べています。(コロサイ 4:12; 1:7,8。フィレモン 23)この「キリストの奉仕者」は単に,偉大な種まき人イエス・キリストの代理を勤めていたにすぎません。「種は神のことばです」とイエスは言われました。(ルカ 8:11)それは「王国のことば」です。しかしそれは倉庫の中の種ではなく,「まかれる」種,すなわち,伝道され,宣明され,教えられる神の「王国のことば」です。
18 (イ)パウロはローマの監禁の家にいて,どのように「種」をまきつづけましたか。(ロ)この種はそれ自身の中に何を含んでいますか。それが人間の心の中に根をおろすには何が必要ですか。
18 「王国のことば」の種をまき,伝道し,宣明し,教えることにおいて,偉大な種まき人イエス・キリストのもとで行動をともにする人びとは,使徒パウロが言っているとおりに,「神の王国のためのわたしの同労者」です。(コロサイ 4:11)ローマの監禁の家にいた間でさえ,パウロは,コロサイ人に送ったような手紙を書いただけでなく,それ以外のことも行ないました。彼は,「[エパフラスのように]そのもとに来る者をみな親切に迎え,妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人びとに神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教え」ました。(使徒 28:30,31)この霊的「種」は「神のことば」であり,「王国のことば」ですから,それ自体が,良いたより,希望のおとずれ,全人類の祝福となる最も偉大な政府である神のメシアの王国にかんするおとずれを含んでいます。「種」の中に含まれるこのおとずれこそ,「種」を受ける人が理解し,その価値を認識しなければならないものです。その意味を,その意義を心で悟らねばならないのです。そのようにして「種」はその人の心に根をおろします。
心の中の信仰と愛
19 (イ)パウロによると,良いたよりを語り告げることは,コロサイ人の心の中でどんな効果を生じましたか。(ロ)まかれた「種」のために,なぜ心の中で信仰と愛の発達がなければなりませんか。
19 正しく伝えられた「良いたより」は,コロサイの会衆を構成していた成員たちの心の中でどんな効果を生じたでしょうか。それは,パウロがそのことについて聞いた時に感動して彼らにすばらしい手紙を書いたほどの効果を生み出していました。パウロが述べていることこそ,彼らの心のうちに生じた効果でした。すなわち,「キリスト・イエスに関するあなたがたの信仰」「霊的な面でのあなたがたの愛」です。(コロサイ 1:4,8)「神のことば」の種が下に向けて根をおろし,上に向けて芽を出して外面にそれを表わすことをし,そうすることによって,もとの種の30倍,60倍,あるいは100倍という多くの新しい,生きた種粒を生産するためには,心の中でそのような信仰と愛が培われねばなりません。内部にまかれたものを産する外面での表現がある前に,まず心の中でこの発達がなければならないのです。
20 (イ)なぜ異邦人は「種」を受け入れるために信仰を特に働かせねばなりませんでしたか。(ロ)ユダヤ人であれ,異邦人であれ,彼らはイエスにかんするどんな貴重な事実を受け入れなければなりませんでしたか。
20 コロサイ会衆の多くの人がそうであった異邦人,すなわち非ユダヤ人について言うなら,彼らが神のことばの「種」を受け入れるには,信仰が必要でした。彼らが献身していた多くのギリシャやローマの神々を捨てて,エホバという名を持つ,天地とその中の万物の創造者である,唯一の生きた真の神に信仰を集中しなければなりませんでした。しかし彼らは,割礼のない異邦人であろうと,生来のユダヤ人であろうと,イエス・キリストをも,エルサレムのダビデ王の子孫であるこのイエスが約束のメシア,すなわちキリストであるということをも,信じなければなりませんでした。彼らは,この人が「全創造物の初子」であるということを信じなければなりませんでした。エホバ神がイエスを死人の中からよみがえらせて,天における不滅の命を与えられたので,イエスがまた「死人の中からの初子」であるということも信じる必要がありました。さらに彼らは,イエス・キリストが,彼らが所属することを望んだ「からだである会衆の頭」である,ということも信じなければなりませんでした。また,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」ということも信じなければなりませんでした。ですから彼らは,異教哲学や人間がつくり上げた宗教的伝統にはもはや固執してはなりませんでした。―コロサイ 1:15-18; 2:3,8。使徒 14:11-18。
21 (イ)コロサイ人は,彼らの口の中に入れられたその「種」をどうしなければなりませんでしたか。なぜですか。(ロ)外面で表現するよう彼らを動かすには,どんな特質を心から働かせなければなりませんでしたか。
21 こうしたことは,「良いたよりの真理」の中に含まれている重要な事がらの一部でした。そして彼らはこれらの事がらに心から信仰を持たねばなりませんでした。使徒パウロが何年か前ローマ人に書き送っていたとおりでした。「信仰の『ことば』……わたしたちが宣べ伝えているものです。その『あなたの口の中にあることば』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言[あるいは,告白]し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言[あるいは,告白]をするからです」。(ローマ 10:8-10)コロサイ人の心は「りっぱな土」のようだったので,彼らは確かに心から信仰を働かせて「王国のことば」,「神のことば」の種を受け入れ,それが心の中で根をおろし,また自らを表現するようにしました。
22,23 (イ)それらのコロサイ人は,イエスがどんな公の立場を占めておられることを信じなければなりませんでしたか。ですから彼らは何の支配のもとにありましたか。(ロ)したがって彼らは,手紙の筆者のパウロのように,その政府に関連してどんな立場を占めていましたか。そしてイエスのどんな命令を行なうことにあずかりましたか。
22 イエスはメシアすなわちキリストである,という信仰とともに,エホバ神がイエスを,昔のサレムの王メルキゼデクによって予表されていた王なる祭司のように,ご自分の右にすわらせたということを信じなければなりませんでした。その結果彼らはキリストの霊的王国の支配下にはいりました。そうです,彼らは,神が「わたしたちをやみの権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました」ということを信ずることが要求されました。(コロサイ 1:13)彼らは,神の愛するみ子の,当時すでにあった王権のもとにいただけでなく,キリストによって「世をご自分と和解させ」る神の取決めにおいて,「キリストの代理をする大使」でもありました。(コリント第二 5:19,20)コロサイ人に手紙を書いた獄舎にいた間,パウロは,「少しもはばかりのないことばで良いたよりの神聖な奥義を知らせる」ことについて述べ,「その良いたよりのために,わたしは鎖につながれた大使となっています」と言いました。(エフェソス 6:19,20)したがってコロサイ会衆は,使徒パウロのように,「良いたよりの神聖な奥義」のための大使の一団でした。彼らは,マタイによる書 24章14節のイエスの預言の成就にあずかる義務がありました。
23 「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。
24 (イ)コロサイ人はいまやどの国民に属していましたか。彼らはどんな実を生み出さねばなりませんでしたか。(ロ)したがって,彼らの心にまかれた「種」が生み出していた実はどんな種類の実でしたか。
24 神のメシアの王国のためにこの大使の活動に携わることによって,コロサイ人は王国の実を生み出していました。彼らは,「その実を生み出す国民」の一部であることを証明していました。生来の,割礼を受けたイスラエルの国民から取り去られた「王国」はいまや,それらコロサイ人のクリスチャンたちが属していた霊的イスラエルの国民に与えられていました。(マタイ 21:43)「王国のことば」,「神のことば」の象徴的な「種」は彼らの心にまかれていました。そして彼らの心はりっぱな土だったので,彼らは自分たちの心にまかれたものと同種のものを産出していました。つまり,彼らもまた「王国のことば」を他の人びとに,すなわちコロサイ会衆外の人びとにもたらし,宣べ伝え,教えていたのです。―マタイ 13:19。ルカ 8:11,15。
25 コロサイ人が示した模範を考えるとき,わたしたちには,戦争に悩まされた世紀についてどんな質問が湧いてきますか。わたしたちは何に対して神に感謝するでしょうか。
25 西暦1世紀の昔に,小アジアのコロサイにあったクリスチャン会衆に関連して,見習う価値のあるすぐれた模範が示されました。戦争に悩まされた20世紀の今日においてもそれは繰り返されているでしょうか。もしそうであれば,それはわたしたちが,宗教的状態にかんして神に祈るときに,使徒パウロのように,「いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝」する理由となるでしょう。