エホバの証人はエホバ神の至上権のために耐え忍ぶ
「忍び抜いた人たちはさいわいであると,わたしたちは思う。あなたがたは,ヨブの忍耐のことを聞いている。また,〔エホバ〕が彼になさったことの結果を見」― ヤコブ 5:11,〔新世訳〕。
1,2 (イ)至上権論争に伴う敵意はなぜ,そしてどのように今でも続いていますか。(ロ)大いなるバビロンが1919年に倒れたとはどういう意味ですか。これによって救出活動が可能になっていることを説明しなさい。
イエス・キリストは,その時代における大いなるヨブ(すなわち「敵意の的」)として,エホバ神の宇宙主権に関するサタンの非難が全く偽りであることを明らかにされました。イエスは自分に加えられるバビロン的な宗教の圧迫に最後まで耐えました。イエスは忍び抜いて勝利を得,真の主権者であられるエホバ神のみ手によって幸いな結末を与えられたのです。しかし悪魔はエホバに対する自分の挑戦の答えをさらに求め,油を注がれたイエスのまことの追随者に対する偽りの非難と敵対行為とを,今日まで続けてきました。
2 事実,キリスト・イエスが天の御国の王座につけられた1914年(ダニエル 7:13,14),サタンは油を注がれた地上の残れる者に,1914年から1919年までの間,『バビロン捕囚』のような苦しみを加えることを許されました。a 1914年における御国の樹立は,直ちに,ミカエルと呼ばれる王キリスト・イエスと,その敵対者サタンおよび配下の邪悪な使いたちとの戦いをひき起こしました。サタンは1918年までにこの戦いに完敗し,配下の悪鬼の軍勢と共に天界を追われ,地の近くに落とされました。(黙示 12:7-10)「日の出る方から来る王たち」,すなわちエホバ神とキリスト・イエスは,古代都市バビロンを征服した昔のダリヨスやクロスのごとく,天における勝利につづいて,サタンが地上に作りあげた偽りの宗教の帝国,大いなるバビロンに対するさばきを進められました。(黙示 16:12)大いなるクロスであるキリスト・イエスは,戦わずして大いなるバビロンに対する勝利を収められたのです。すなわち大いなるバビロンはキリストの強い手中に陥り,見せかけの天の恵みをあばかれ,包囲されました。(黙示 14:8; 18:2)大いなるバビロンは今なおキリストの監視下にあり,エホバの選びの時に来る完全な滅びを眼前にしています。(黙示 17:15-18),あわれみによって長くされたこの1919年以来の包囲の期間に,キリスト・イエスはバビロン的な人々のとりことなっていた真のクリスチャンの残りの者を愛の心から,骨身を惜しまずに解放してこられました。(黙示 18:4)愛とあわれみによって行なわれるこの解放の仕事は実際には1966年の今日まで続いており,正義を愛する人々の大群衆が大いなるバビロンから救い出されています。(黙示 7:9,14)天から投げ出されたサタンは,今日『キリストの足台』となっており,キリストの包囲下にある大いなるバビロンの「神」であって行動を制限されています。(詩 110:1,2。コリント第二 4:4)しかしサタンは1919年以来,バビロン的な敵意を燃やすことを再び許されており,キリストの油を注がれた追随者の残れる者だけでなく,今日バビロンを離れてエホバ神の至上権の擁護に加わるほかの多くの人々に対しても攻撃のほこ先を向けています。―黙示 12:13-17。
3 今日の事態に箴言 27章11節をあてはめなさい。
3 それゆえ,昔のヨブのごとく,また大いなるヨブであるイエス・キリストが行なわれたごとく,エホバのクリスチャン証人からなる現代のヨブたちは,サタンが天から落とされた今の時代においても,サタンに対する神の良い答えとならねばなりませんでした。彼らに関する限り,エホバをそしるサタンにいかなる論拠をも与えぬためです。この者たちに向かって天の父エホバは今こう言われます。「わが子よ,知恵を得て,わたしの心を喜ばせよ,そうすればわたしをそしる者に答えることができる」― 箴言 27:11。
キリスト教国のバビロン的な背教
4,5 (イ)今日「敵意の的」となっているのはだれですか。なぜ?(ロ)二つの面を持つ背教の動きが発展したことを説明しなさい。その背後にはどんな力がありましたか。
4 預言的なヨブのドラマの成就に関する私たちの研究はイエスの時代から今日の20世紀に移ります。現代において,ヨブすなわち主要な「敵意の的」となるのは,油を注がれた,イエスの忠実な追随者全体です。この者たちはまことの神エホバに対する忠実な態度のゆえに,またバビロン的な宗教からあびせられるあらゆる敵意に耐えるがゆえに,イエスと共に迫害を受け,イエスのように苦難にあいました。(ヨハネ 15:20)エホバの油そそがれた証人の歴史を簡単にふり返るなら,このことをありありと見ることができ,研究の背景とすることができるでしょう。(詳しくは1959年発行の「神の目的とエホバの証人」をごらんください)
5 生き残りの使徒も死んで2世紀に入る頃,真のキリスト教を実践していた者の中に脱落ないしは背教する者が多くなりました。旧敵サタンは二面にわたるきわめてこうかつな手口で,エホバの真の崇拝を汚す活動を始めていました。まず第1は,非神権的な教会統治形態を導入して,イエス・キリストの定めた宮の組織の清いつくりを汚すことでした。(エペソ 2:19-22)第2には,異教の教えと異教の祝祭を導き入れて,油を注がれた宮級のクリスチャンがささげる「さんびのいけにえ」(ヘブル 13:15),つまり正しい公の宣明を汚すことでした。こうした背教のすべては,イエスの現われる以前に背教的なユダヤ教を生んだ力と同じようにバビロン的な由来をもつものでした。クリスチャンを自称する人は多くなりましたが,サタンがそれらの人々をとりこにするために再び用いたのはバビロン化したヘレニズムです。
6 受け入れられるようになった誤りの慣行を幾つかあげなさい。
6 やがて,会衆の監督や長老の中には,自らを群れの支配者と見る者が現われました。こうして平信徒と,これを支配する牧師の別が始まりました。これは,「あなたがたの先生は,ただひとり〔キリスト〕であって,あなたがたはみな兄弟なのだから」という,イエスの戒めに全く逆らうものでした。(マタイ 23:8)クリスマスやイースターなど,異教の祭りが祝われるようになりました。世俗の支配者の誕生日が尊重されるようになりました。また3世紀には,ギリシヤ語聖書やギリシヤ語七十人訳聖書の写本の中から,神の名エホバが取り除かれました。b 固有のみ名エホバにかわって入れられたのは主(キリオス)という称号です。読者も記憶されるとおり,紀元前6世紀のバビロン捕囚後の,背教したユダヤ人はこれと同じことをしています。それは,自分たちの主神マルズクを呼ぶのに,その固有の名を使わず,ベル(主)という称号を好んで用いたバビロニア人の習慣にならうものでした。一般的な称号ベルはほかの宗教的な人々に受け入れられるようになりました。
7 (イ)バビロンに起源をもつ教義でしのび込んできたものを幾つかあげなさい。(ロ)イエスのたとえ話にある「麦」と「毒麦」はどうなりましたか。(ハ)パウロの言う「不法の者」とは何ですか。そのおこりについて述べなさい。
7 バビロンに起源をもつ魂の不滅の教えも,異教ギリシヤの宗教的な影響によって忍び込みました。また,悪人のたましいを苦しめる場所としてのヘーデスないしは地獄の概念も非聖書的なものですが,同じようにしてギリシヤ思想(ヘレニズム)をとおして伝わりました。まさにイエスの預言どおり,「毒麦」のような背教者,すなわちバビロン化したキリスト教の「セボレテ」(士師 12:6)的な教えを奉ずるにせのクリスチャンが,真の「麦」,すなわちまことのキリスト教の「シボレテ」的な教えをもつ,油そそがれた人々をおおい隠すようになりました。(マタイ 13:24-30)パウロも,強力な「不法の者」が成長し,「反抗して立ち上り」,「神の宮に座」すと述べて,組織的な背教が起こることを予告していました。(テサロニケ第二 2:3-8)背教した指導者からなるこの「不法の者」は,背教したキリスト教とローマの宗教とを融合したローマの新しい国教の支配者として,コンスタンチヌス帝治下のローマ帝国で,西暦325年までに存在を認められるようになりました。こうして,今日キリスト教国と呼ばれるものが出現し,同時にそれは偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの中心的な部分となりました。「不法の者」級とは,幾多の宗派に分かれるキリスト教国の牧師の集合体をさしておりこの時以来それは完全にバビロン化して大いなるバビロンの枢要な部分となってきました。それで西暦325年以後,今日までの1600年の間,キリスト教国の牧師は偽りの宗教の世界舞台を支配し,「不法の者」として象徴的な「毒麦」つまり偽りのクリスチャンを育ててきました。
麦のようなクリスチャンの再現
8 麦のようなクリスチャンはどのようにして再び現われましたか。
8 「世の終り」の「収穫」の時が近づくにつれ,「麦」すなわちまことのクリスチャンは再び現われ,「毒麦」すなわち背教者とはっきり区別できるようになりました。これは史実であり,また先のイエスの預言どおりです。(マタイ 13:37-43)こうして,少数ながら油を注がれた誠実な人々が集まり,チャールズ・テーズ・ラッセルを会長としてものみの塔聖書冊子協会を立てたのは1870年代も過ぎてからです。これら油を注がれた人々は後に「エホバの証人」の名を採用しました。1966年の今日に至るまで,これらの者たちはエホバのクリスチャン証人として世界の舞台に登場しています。
9 基本的な教義に関する間違った理解と明らかにされた真理とを幾つかあげなさい。
9 この油を注がれた人々のグループは,純粋な信仰の妨げとなる,バビロン的な偽りの信条の多くを早くから取り除きました。こうして明らかにされた真理を幾つかあげれば次のとおりです。人間に不滅の魂はなく,人間そのものが生きた魂である。(創世 2:7)あがない主キリスト・イエスは完全に人間であり,神と人間の性質を半々にそなえていたのではない。(テモテ第一 2:5,6。ヨハネ第一 4:2,3)「からだの復活」はなく,復活するのは死んだ「魂」すなわち人個人である。(ヨハネ 5:25-28)不可思議な「三位一体」は実在せず,エホバだけが唯一至上の神である。(コリント第一 8:4-6)またこのグループの人々は,『地獄にホース』を向け,悪人はヘーデスないしは地獄で焼かれるというヘレニズムの炎を消しました。c (使行 2:31)やがて,エホバの名も彼らの集会で復活し,聖書の文書にも再び現われました。また彼らの手になる「新世界訳聖書」の中にもエホバの名が復現され,その総計は7198回に上ります。d
教派的な牧師からの敵意
10,11 (イ)今日,ヨブの3人の偽りの友に相当するのはだれですか。(ロ)宗教問題の著述家のある者はエホバの証人について何を述べていますか。
10 現代のヨブとも言うべき,油を注がれた者たちのこのグループは,すでに1880年代から,「不法の者」級,つまり今日幾つもの教派に分かれるキリスト教国の牧師から,火のような宗教上の敵意をあびせられました。それで,これらヨブのような,油そそがれた者たちは,3人の者と議論した昔のヨブや,教派的な圧力グループと論じられたイエスと同じように,議論の相手となる「偽りの友」をもつことになりました。ここでも強調の意味を含む「3」という数字は,現代のヨブのような人々に対する,キリスト教国諸教派の牧師の一致した全面攻撃の強さをよく表わしています。ヨブとイエスはそれぞれその時代の「のけ者」とされましたが,エホバの証人がキリスト教国で敬遠され,さながらのけ者のごとく扱われていることも事実です。―ヨブ 2:7,8。
11 たとえば,キリスト教国の毒麦のような宗派とエホバの証人とを対比させたある文章は,証人を「尊敬すべき」もの,また「公認の」ものとはしていません。
「好かれても好かれなくても,また認められても認められなくても,彼ら〔エホバの証人〕はとにかく証言を続ける。アメリカだけでなく,諸外国でも行なわれる彼らの証言はきわめて活発,またねばり強いものであり,自分の教会や他の尊敬すべき『公認の』教会に,この種の活力とねばり強さを求める者は多いであろう。e (傍線は本誌の編者)
富裕な宗教指導者は「麦のような」証人を『貧しく教養のない』人々の「異端」ときめつけていますす。
「エホバの証人は異端の一つであり……世の富や教養に恵まれなかった人々の間に多くの信徒を得ている」。f (傍線は本誌編者)
また,これら「のけ者」の証人たちは『分離派』とも呼ばれています。
「エホバの証人を観察した人の多くは,これが『キリスト教の分離派』であるとの結論を得ている。その教義大系がキリスト教の基本信条を模倣するものでありながら,同時にそれを曲解しているからである。g (傍線は本誌編者)
最後に,エホバの証人は牧師により,「嫌悪すべきもの」また「狂信的」と見られています。
「公衆に危害を及ぼすことが明らかな場合は別であるが,ただ嫌悪すべき宗派であるとの理由でその伝道活動にくつわをかけることは,全市民の自由をおびやかすことである。われわれからすれば,エホバの証人は特に嫌悪すべきものまた狂信的な宗派であるが,その教義の真偽は今問題にされておらず,また最高裁判所のこの〔われわれに不利な〕決定はこの派の反社会的な傾向を取り上げるものではない」。h (傍線は本誌編者)
バビロン的なやり方を除く
12 1880年代以降,初期キリスト教のどんな方法が復興されましたか。
12 ヨブのような現代の油そそがれた者たちは,1880年代以来,初期のキリスト教のやり方を徐々に復興させました。これによってすべての者が奉仕者となり,「世の光」として人々の前に光を輝かすことができるようになりました。(マタイ 5:14-16)これは家から家に証言し,関心をもつ人を親しく何度も尋ねるという昔のイエスや使徒の方法を復興することによってなされました。さらに,彼らの会衆の集会から儀式主義的な部分は一掃され,かわって集会は感情や儀式ではなく,聖書研究を中心とする知的で教育的なものになりました。油そそがれた者たちのこのグループは聖書や聖書文書また小冊子などの広範囲な配布にも力を注ぎ,その総部数は幾億冊にも上ります。
13 1914年についてあらかじめどんなことが宣べ伝えられましたか。油そそがれた者はどれほど熱心でしたか。これは牧師にどんな影を投げましたか。
13 彼らが特に宣べ伝えたのは,1914年が「異邦人の時期」(ルカ 21:24)の終わりの年であり,また天のキリストの国が建てられる年であるということでした。このことのすべては真実であり,第一次世界大戦のぼっ発と,それに伴って異邦諸国民に起きたことがらによって確証されました。目ざましいクリスチャン活動を多くの国々で大規模に行なった,これら油そそがれた者たちは世界の宗教史上で顕著な存在となりました。彼らの熱心な宗教活動は,宗派的な牧師からなる「不法の者」級を恥じいらせる結果になりました。そうした牧師たちは,バビロン的な教義の有害な食事を自分の教区民に提供するかわりに,神のことばそのものを教えることにもっと心を用いるべきでした。こうして油そそがれた者たちはごく少数者ではありましたが,キリスト・イエスおよび神に対する誠実な態度を表わし始め,それは逆にキリスト教国のカトリック,正統派および新教牧師に暗い影を投げかけるものとなりました。
自己弁護に没頭
14 油そそがれた者たちが自己弁護に没頭したいきさつを述べなさい。
14 昔のヨブの場合と同じように,これら現代の証人たちはキリスト教国の牧師や指導者にそしられ,また誤まり伝えられました。ヘたな慰め手であり,偽りの友であったヨブの3人の仲間はこれら牧師や指導者を表わしていました。証人たちは「地獄の否定者」「たましいの眠る人々」「ラッセル派」「ラザフォード主義者」「千年期黎明派」「非愛国的な平和主義者」「聖書の曲解者」「肩書きのない説教者」など,あらゆる軽蔑的な名前で呼ばれました。また神のことばを伝える彼らの宣教は詐欺的または欺まん的で,神の任命を受けておらず,それがものみの塔聖書冊子協会,万国聖書研究会,人々の説教壇協会などさまざまな名称で行なわれているのは,「ラッセル派」の活動であるという事実をおおい隠すためであると挑まれました。彼らは偽りのクリスチャン,すなわち実際にはクリスチャンでないかのごとく扱われ,また「偽預言者」,反キリスト,神の前で全く立場のない者とみなされました。偽善者の異端であるとのこうした宗教上の非難に対して,エホバの油を注がれた残れる者は,昔のヨブと同じく自分を弁護し,真のクリスチャンとしての自分の誠実さ,また自分が「本物」であり,神と神のことばに真に一致して神の恵みを受けており,牧師会ではなく神から任命を受けた真のクリスチャン奉仕者であることを証明しようと努めました。こうして,神に油を注がれ,任命された残れる者と諸宗派の牧師との間には大きな論争が持ち上がりました。ヨブがエリパズ,ゾパル,ビルダデなどと論じ合ったのと同じです。こうして油そそがれた残れる者も,ヨブと同じく自分のことおよび自分と神との関係にのみ心を奪われ,神のみ名エホバの大切さを十分に認めず,神のみ名と神の宇宙至上権の立証こそ最大事であり,この点を心にとめて神の証人となるべきことを悟りませんでした。彼らが天に行くかどうかということはいちばん大切な問題ではありませんでした。
エリフの正しい評価
15,16 (イ)今日,エリフに相当するのはなんですか。どのようにそうですか。(ロ)正しい評価を提出するために「ものみの塔」誌はどのように用いられていますか。
15 それでは,これら基本的な問題を最後に正しく評価し,それを油そそがれた者たちに悟らせて,物事を正すのはだれでしたか。(イザヤ 1:18。テモテ第二 3:16)ヨブの時代には年若いエリフが年長のヨブについて正しい評価をしましたが,1900年の歴史をもつ,ヨブのような油そそがれた者たちを叱責したのも現代の年若いエリフです。昔のエリフは,「ヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので……ヨブに向かって怒りを起し」ました。(ヨブ 32:2)現代のエリフはキリストのからだをなす油そそがれた残れる者のうち,その霊的な統治体であると思われます。この統治体はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会の理事と絶えず密接なつながりをもってきました。i 油そそがれた者たちのこの統治グループが一つの単位として働き始めたのは1870年代ですから,1900年の歴史をもつ「忠実な思慮深い僕」よりずっと若いことになります。「忠実な思慮深い僕」とは,いつの時代でも,その時代に地上にいる油そそがれた忠実な人々の全体をさしています。(マタイ 24:45,46)エリフのような統治体は1879年以来,「ものみの塔」誌の発行に責任をもってきました。
16 今日のエリフは,物事に対する正しい評価を得るとき,「ものみの塔」誌を使って油そそがれた者たちに少しずつ忠告してきました。いかなる人間の正しさを立証するより,エホバの宇宙主権を立証するほうがはるかに重大なことを初めて明らかにしたのは「ものみの塔」誌です。歴史的に年若い統治グループは霊的な助言ないしは忠告のことばを述べる時,ヨブ時代の年若いエリフがしたように,人間の知恵や哲学に頼るより,神の霊に頼りました。これは牧師たちとは対照的な点でした。このため,現代のエリフは「ものみの塔」誌を通じて,1600年の歴史をもつ「不法の者」級つまり宗派的な牧師を率先して暴露することができました。1919年以来,「ものみの塔」誌はクリスチャンの大胆さをもってキリスト教国牧師の実情を評価し,エホバに逆らうバビロン的な教義に基づく事柄を長年伝道したことによって,彼らが「〔神〕を罪あり」としてきたと述べることができました。(ヨブ 32:3,〔新世訳〕)こうして「ものみの塔」誌によって,正しい心をもつ人々は,宗教の発展に対する正しい評価をしだいに身につけることができます。
ヨブのような試練
17 油そそがれた者たちが1914年から1919年まで,バビロンに捕われているかのような経験をしたことについて述べなさい。
17 さて,1914年の秋から1919年の春にかけて,わずか数千を数えるだけの油そそがれた残れる者の上には,ヨブの場合のような特別の試練が臨みました。彼らはバビロンに捕われているかのような経験を余儀なくされたのです。牧師から山のような嘲笑があびせられました。第一次世界大戦の間,彼らは「危険人物」であるとの刻印を押されました。これはカナダやアメリカ合衆国において,政府が彼らに反対する結果になりました。彼らの出版物は禁令の対象になりました。彼らの中にあって指導していた者たちは投獄されました。最後に,彼らの組織的な公の証言活動は1918年の夏までに力を奪われた状態になりました。ニューヨーク市ブルックリンにあった彼らの本部は閉鎖を余儀なくされ,仮の事務所がペンシルバニア州ピッツバーグに設けられました。彼らの集会場所は警察の手入れを受け,のち閉鎖されました。彼らは霊的な困苦と見捨てられた状態に置かれたのです。忠実な油そそがれた者たちにとって,このすべては全くの疑問でした。エホバはなぜこうしたあからさまな敵意を許しておかれるのですか。彼らは1914年以前の30数年の間,神とキリストの名の下に,諸国民に対して大きな証言活動をしてきたのではありませんか。1914年以前にこの活動を成長させられたエホバは,ひきつづき恵みを与えられるはずではなかったのですか。なぜ今こうした苦境におかれ,人々の敵意をあびなければならないのですか。ヨブのような人々はこのことを知ろうとしました。―マタイ 24:9,10。
18 ヨブが子供を失ったこと,およびヨブの病気に相当するものは何ですか。
18 子供のごとく,彼らに霊的な助力と導きを求めていた者の多くは今彼らと交わらなくなりました。「霊の子供」と崇拝の手段に関して言えば,これは全く困窮の時でした。宗派的な牧師によりいとうべき霊的な病人とみなされ,のけ者のごとく扱われた油そそがれた者たちは,1918年までに,自分たちの悲しむべき状態や前途について深く考えるようになりました。(黙示 11:7-10)サタンおよび配下にある地上の全勢力によって,霊的に不幸な状態が彼らにもたらされたのです。しかし,ヨブのような油そそがれた者たちは,祈りの中でくりかえしこう尋ねました。おおエホバよ,なぜこれらのことを許されるのですか。
19 ヨブの3人の仲間に予表された人々はあらかじめ示されたとおりどんな行ないをしますか。
19 油そそがれた者たちがこの零落の状態に耐える間,現代の『三人の偽りの友』すなわちキリスト教国牧師の集合体は,残れる者に対する燃えるような敵意をいよいよ熱くしました。これら宗教指導者は考えにも心にも愛を欠き,バビロン的な論議と術策をほしいままにしました。彼らは聖書の神を崇拝することを装っていましたが,実際には「〔神を〕罪ありと」していました。(ヨブ 32:3,〔新世訳〕)エホバ神は彼らの論議と攻撃が偽りであることを見られ,同時に油そそがれた者たちが真実であることを見いだされました。(ヨブ 42:7,8)牧師の従う教えや言い伝えは遠くバビロンに由来をもつものであり,聖書に基づくものではありません。西暦325年から今日に至るまで,キリスト教国の牧師は大いなるバビロンの最も強力な部分となってきました。そして彼らは昔も今も,エホバの証人の最大の迫害者です。これら現代の『三人の偽りの慰め手』は,自分の苦しさから,陰に陽にまことの証人を迫害し,大いなるバビロンの滅びの時までそのことをやめないでしょう。
救われて霊的な繁栄にはいる
20 油そそがれた者たちの経験した復興について述べなさい。それはいつからですか。
20 ヨブは結末において元の状態を回復して幸福を得ましたが,現代の油そそがれた者たちも1919年以来,霊的楽園のような状態を復興しました。この復興はエホバの御国奉仕にたずさわる彼らにとって霊的な繁栄と幸福を意味するものになりました。そして,これに加えて彼らの喜びは,羊のような人々の大群衆が大いなるバビロンから導き出され,彼らと共に霊的な恵みを受けるようになったことです。事実1934年に,「他の羊」は献身してバプテスマを受け,油そそがれた残れる者の霊の子供となることを求められました。j しかし,ヨブが新たに10人の子供を得たことに対応するできごとが大規模に起きはじめたのは1942年です。k この時以来,「十人の子供」によって表わされた幾十万の人々が現代のヨブである油そそがれた残れる者を助けるために集まってきました。―イザヤ 2:2,3。ゼカリヤ 8:23
以前牧師で今証人となった人
21,22 (イ)ヨブ記 42章8,9節は今日どのようにあてはまりますか。(ロ)最近の経験に見るとおり,それら悔い改めた人々はどんなことをしましたか。
21 ヨブが元の状態を回復した時,エリパズとゾパルとビルダデはエホバのことばに従って自分の偽りの宗教的な態度を改め,ヨブの祭司職を受け入れて,「愚か」な目にあうのを免れました。(ヨブ 42:8,9)またイエスが復活して天に上げられた後,『多数の祭司たちも』イエスの有効な祭司職を認めて「信仰を受けいれるように」なりました。(使行 6:7)今日の終わりの時代にもこれに相当するものがありました。1919年以来の回復の時期に,各地のいろいろな宗派の牧師で,ヨブに似た油そそがれた残れる者の祭司的な奉仕を受け入れ,自分の道を改めてバプテスマを受け直し,エホバの真の奉仕者として任命を受けた者は少なくありません。l かつてギリシヤ正教会の主教であった人をも含め,高い地位にいた牧師でこうした変化を遂げている人々もいます。こうして改心した多数の牧師はもはや世俗的な名声を求めず,自分がそれまで牧師として働いてきた区域で御国の福音を熱心に伝道しています。こうした人々は教会堂の説教壇で説教するのではなく,人々の家をおとずれ,その戸口を自分の説教壇としているのです。
22 謙遜な態度で正しい道に従ったこれら以前の牧師たちにはその後どんなことがありましたか。以前の牧師「仲間」から多くのバビロン的な敵意と非難をあびましたが,彼らは勇気と忠実さとをもってそれに耐えました。イエス・キリストのごとく神の御名を擁護し,エホバ神の至上権を家から家に宣べ伝える彼らは,至上の神エホバの善意を得ています。こうしたかつての牧師の中には正しい伝道活動を何年も続けた後,土地のエホバの証人の会衆の主宰奉仕者に任命された者もいます。彼らはまた,奉仕者としての訓練をさらに受けるため,ものみの塔協会の御国宣教学校に入学する特権にもあずかりました。エホバが大いなるバビロンの存続を今しばらくの間許しておられる理由はここにもあります。それはエホバのあわれみであり,謙遜で正しい心をもちながらなおとらわれている牧師が,早く出た人に従って大いなるバビロンを離れ,そこに残る者すべてにやがて臨む罰を避けるためです。
牧師の敵意はまだ続く
23,24 牧師の敵意がまだ続いていることについて,(イ)エジプトのヨセフの例,および(ロ)イエスのたとえ話から説明しなさい。
23 しかし,油そそがれた者たちにとって今が復興と繁栄の時であるとするなら,現代のヨブである彼らが心のかたくななバビロン的な牧師からまだ激しい敵意をあび,その度合が強まっているのはなぜですか。この状態はヨセフが為政者であった時代のエジプトの7年のききんと7年の繁栄の現代的な意味に似ています。a (創世 41:29-32)現代において昔の二つの7年の期間に相当するものは同時に起きています。キリスト教国の国土ないし領域には霊的な大ききんすなわち,神のことばを聞くことのききんがあります。(アモス 8:11)他方,真に油そそがれた者たちの国ないし領域には霊的な豊饒が見られます。
24 こうした同時的な成就は金持ちとラザロのたとえ話によっても裏書きされています。(ルカ 16:19-31)「金持」すなわち牧師級と「ラザロ」グループすなわち油そそがれた残れる者との対照的な状態は同時に,つまり1919年以降の今の時代に見られます。豊富な証拠から明白に言えるとおり,油そそがれたエホバの証人は1919年以来,その宣教活動において霊的な繁栄を楽しんできました。他方,同じ期間に,牧師たちの宣教活動は失敗とざ折を重ねてきました。これは彼らの「苦しみ」のしるしです。この記事の初めにあげたことはこの点で別の説明になります。すなわち,大いなるバビロンは1919年以来キリスト・イエスの包囲下に置かれていますが,そこにとらわれている人々の救出が完了するまで,大いなるバビロンは存続を許され,敵意と腐敗の力とを働かせることを許されています。しかし,救出のわざの完了と共に,大いなるバビロンは全く滅ぼされます。―黙示 18:4; 17:15-18。
25 (イ)エホバがバビロン的な敵意の存続をなお許しておられることにはほかにどんな目的がありますか。(ロ)次の記事ではどんなことを学びますか。
25 知恵の神エホバがバビロン的な敵意の存続をなお許されていることにはもう一つの目的があります。それは,そうすることによって,「他の羊」の「大ぜいの群衆」にも,油そそがれた者たちと共に,エホバをそしり,エホバ神の至上権に挑戦したサタンに答える機会を与えることです。以上の背景を知ったうえで,エホバの神権を擁護する油そそがれた者たちと,キリスト教国のバビロン的な牧師の間にあるはげしい宗教上の論争の実例を取り上げましょう。印刷された文書の形をとっているとは言え,昔のヨブやイエスに対する攻撃が,現代の証人たちを相手として,詳細に,しかし敵意をさらに強くして,再び繰りかえされているのをごらんになるでしょう。
[脚注]
a 「神の目的とエホバの証人」74-90頁
b 「クリスチャン・ギリシャ語聖書の新世界訳」18頁。
c 「神の目的とエホバの証人」42頁。
d 「み名がきよめられますように」26頁。
e 「ザ・クリスチャン・センチュリー」誌1944年2月2日号,140頁。
f 「ザ・クリスチャン・センチュリー」誌1939年7月5日号,843頁,論説欄。
g ジョージ・D・マッキニー著「エホバの証人の神学」1962年。
h 「ザ・クリスチャン・センチュリー」誌1942年6月24日,798頁。
i 「ものみの塔」1957年,603頁。
j 「ものみの塔」1934年8月1日,15日号の「彼の親切」その1およびその2参照。この記事は「他の羊」が現代の「のがれの町」にはいることを求めています。
k クリーブランドを中心とする多都市大会(1942年9月18,19,20日)で採択された決議は,「他の羊」の増加を知らせました。その一部は次のとおりです。「神の『他の羊』を囲いの中に集めるこの仕事における増加はすべて神からのものであり,また主に帰すべきものである。こうして生み出される『他の羊』は主の奉仕に全く用いられるであろう」― 塔42年319頁。
l 塔51年650頁。塔52年684頁。塔55年255頁。年鑑63年149頁。
a 「ハルマゲドンを生き残って神の新しい世へ」(1955年)327-330頁。