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『こうべを上げ』て救いを知らせるものみの塔 1969 | 10月15日
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別の会衆でも迫害がたびたび起こり,兄弟たちは政府の監視を受けました。この会衆で幾人もの兄弟たちは休暇開拓奉仕に参加したいと考えていました。はたして休暇開拓を行なえましたか。同じ月にそのうちの9人が休暇開拓を申し込み,奉仕の任命を受けました。時間を賢明にそして注意深く用いたので,その月の間にこれら9人はそれぞれ野外で84時間以上を費やし,32以上の再訪問を行ない,二つ以上の聖書研究を司会することができました。これは逆境の下で伝道するなんとすばらしい模範でしょう。
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愛と感謝ものみの塔 1969 | 10月15日
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愛と感謝
● ウガンダの,町から約130キロ離れた漁村に住む一兄弟は,巡回のしもべに会うため幹線道路まで19キロも歩きました。彼といっしょに一日だけ奉仕するための巡回のしもべの訪問が取り決められていたのです。この兄弟はお金をほとんど持っていませんでしたが,その日の奉仕に必要なガソリン代は自分が払いましょうと申し出ました。こうした兄弟たちは愛と感謝を表わす上でなんとすばらしい模範を示しているではありませんか!
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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読者からの質問ものみの塔 1969 | 10月15日
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読者からの質問
● イエスは使徒ペテロに人を77回許すようにと言われましたか,それとも70の7倍(490)回許しなさいと言われましたか。―アメリカの一読者より
この質問はマタイ伝 18章21,22節に基づいています。新世界訳聖書は問題の部分をつぎのように訳しています。「ここにペテロみもとに来たりて言ふ『主よ,わが兄弟われに対して罪を犯さば幾たびゆるすべきか,七度までか』イエス言ひたまふ『否われ「七度まで」とは言はず「〔七十七回〕」までと言ふなり』」〔新〕。
このような最近の注意深い翻訳によれば,イエスはペテロに,人を77回許すようにと言われたことがわかります。このように訳出するには十分の理由があります。しかし,イエスの答えに関して独断的になる必要はありません。有名なギリシア語の教授A・T・ロバートソンはこう述べています。「この語法が77回を意味するものか,あるいは改訂訳聖書が訳出しているようにそれ(490回)を意味するものかはっきりしていない」。
ギリシア語写本にあるイエスの答えに注意すれば,この問題を理解できます。キリストはヘブドメコンタキスヘプタと答えられました。これを文字どおりに訳出すれば「70の7倍」です。問題となるのは70を意味する「ヘブドメコンタ」に付けられたキスという接尾辞です。ギリシア語ではこの接尾辞は二様に用いられており,「何倍」という意味で倍数を表わすのに使えます。そこで「7の7倍」(7×7)はヘプタキス ヘプタとなります。しかしキスはまた度数や回数の意味を持つ「回」を表わす接尾辞としても使用されます。たとえば,このような例があります。「その子は何回ころんだのか」。「7回(ヘプタキス)ころんだ」。したがって,イエスの答えを「70の7倍」と解すべきか,それとも「七十七回」と解すべきかが問題になります。
新世界訳聖書が後者の見解をとり,「七十七回」と訳出した理由の一つはペテロの質問の形式にあります。ペテロは「どれほど多く」を意味するギリシア語ポサスを使わず,「何回ですか」という意味のポサキスということばを用いて尋ねました。それから彼は続けて,「七回(ヘプタキス)までですか」と尋ねました。論理的に言って,イエスはペテロのことばづかいにあわせて答え,「七十七回まで」と言われたことでしょう。
「七十七回」とした翻訳をさらに有力なものにするのは創世記 4章24節の記述です。エホバはカインを害する者に7倍の報復をすると言われました。(創世 4:15)その後,カインの子孫であるレメクは高慢にも「カインのために七倍の罰あればレメクのために七十七倍の罰あらん」と言いました。(創世 4:24)ヘブル語聖書本文はこの箇所を70と7倍すなわち77倍と明示しています。ではギリシア語でこれに相当することばはなんですか。ギリシア語七十人訳はヘブドメコンタキスヘプタを使っています。これはマタイ伝 18章22節に見られるものと全く同じ表現ですから,これはペテロに対するイエスの答えを「七十七回」と訳出できることを示しています。
そのうえ,イエスはおそらくレメクの威嚇のことばを念頭に置いておられたことでしょう。イエスのことばはなんとすぐれた対照をなしているのでしょう! 77倍も復しゅうされるのだとおどして自慢するのとは正反対に,クリスチャンは人を77回許すべきです。イエスはわたしたちが許すことをためらうのではなく,惜しみなくすぐに許すべきことを強調されました。イエスはその前にも,「さいはひなるかな あはれみある者。その人はあはれみを得ん」と言われました。―マタイ 5:7。
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