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独身 ― その利点とさまざまな機会ものみの塔 1982 | 9月15日
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3 (イ)イエスの時代,独身はどのようにみなされていましたか。(ロ)イエスは,「王国のゆえ」の独身をどう考えておられましたか。
3 イエス・キリストは,「王国のゆえ」の独身は神からの賜物であることを明らかにされました。当時のユダヤ人の間で結婚は“普遍的義務”,独身は恥辱と考えられていたため,これは全く新しい考え方でした。「妻を持たない者は人にあらず」と言った,ユダヤ人のラビがいました。ところがイエスは,ご自分の弟子たちに対して,独身の賜物を「受け入れる」よう,そして結婚しなければならないと感じることのないようにと勧められました。―マタイ 19:10-12。
4 多くのクリスチャンはどんな歩み方をしてきましたか。これらの人々は自分たちの状況についてどのように考えていますか。
4 したがって,結婚も独身も共に神からの賜物です。現代と同じく,キリスト教の揺らん期にも「王国のゆえ」に独身の生活を追い求めた人は少なくありませんでした。a そのような人々の多くは,自分たちの境遇について不平を述べるのではなく,結婚の経験がない41歳のある婦人と同じように考えています。この婦人は最近,「私が独身で過ごした年月は,何にも代え難いものだと思います」と述べました。数多くの人がこのように考えているのはなぜでしょうか。
広げられた機会
5 結婚していないクリスチャンは,自分の状況のゆえに開かれる様々な機会を,どのように活用できますか。
5 イエスの使徒たち,及びアクラとプリスキラのような結婚したクリスチャンたちの例から,夫婦は神への奉仕に立派に貢献できることが分かります。(使徒 18:26-28。コリント第一 9:5)それでも使徒パウロは,独身者にはより広い奉仕の分野に入る機会が開けることを示しました。こう書かれています。「結婚していない男子[あるいは女子]は,どうしたら主の是認を得られるかと,主の事柄に気を遣います。一方,結婚している男子[あるいは女子]は,どうしたら妻[あるいは夫]の是認を得られるかと,世の事柄に気を遣い,彼[あるいは彼女]は分かたれるのです」。(コリント第一 7:32-34)独身者は,「肉身に患難」をもたらす結婚の責任ゆえに「分かたれる」ことはありません。そのために霊的な事柄に「気を遣い」,熱心になることができます。右の枠の中に挙げられている人々の生活が,どれほど神聖な業に満たされていたかに注目してください。宣べ伝える業を主要なものとする神の奉仕に「気を散らすことなく」携われるということは,貴重な宝です。独身者には普通,研究や黙想のための時間が多くあります。そのために「霊」すなわち内部の動機を改善することができ,その結果人は,『体と霊の面で聖なる者』となることに気持ちを集中して,ますますエホバに近付くことになります。配偶者のいない多くの人々は,全面的に神に頼ることを学び,神の指示と諭しを仰ぎ求めます。結婚していないクリスチャンたちは,結婚した夫婦には不可能な奉仕の特権を大抵の場合受け入れることができます。独身のクリスチャンの立場を保つこの特権を,イエスが「賜物」と呼ばれたのも,少しも不思議ではありません。―マタイ 28:19,20。コリント第一 7:28,35。
6,7 (イ)独身の賜物を持つということは,その人がもはや異性には魅力を感じないとか,絶対に結婚しないという意味ですか。(ロ)「自らの心の中で決めている」とはどういう意味ですか。(ハ)独身者の中に,どんな疑問を抱く人がいるかもしれませんか。
6 『その賜物を受け入れる』のは,必ずしも,感情の仕組みに何かの特別な「賜物」が備わっていて,そのためにもはや異性に魅力を感じないという人ではありません。彼らは,絶対に結婚しないと心に決めているかのような,何らかの独身の誓いを立てた人でもありません。それは自らの独身の立場を成功に導くため心の中で「決めている」,あるいはそう判断している人です。b (コリント第一 7:37)これらの人々は自らの心の中で独身の利点を考察しました。この『証拠』に基づき,彼らの心は独身が「賜物」であるとの『判断を下し』始め,それを「受け入れる」のです。―コリント第一 7:38。
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独身 ― その利点とさまざまな機会ものみの塔 1982 | 9月15日
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a キリスト教の著述家を自任したアテナゴラスは,西暦175年ごろにこう書いています。「諸君は我々の中に,神との親しい霊的交友のうちに生きることを望んで,未婚のまま年齢を加えた多くの男女を見いだすであろう」―「クリスチャンに対する訴え」,33章。
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