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1「デナリ」を感謝して使うものみの塔 1967 | 5月1日
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にすわってラビととなえられていたことを改め,またローマ政府によって許された地位を離れることでした。これらは西暦33年の五旬節に至るまで,イスラエルの神の「ぶどう園」での奉仕に対する良い報酬として,彼らが得ていたものでした。彼らがヨエル書 2章28,29節の成就として,聖霊の賜物を得ることを大いなる家あるじである「ぶどう園」の所有者と約束をしていたのは確かです。しかし今,イエス・キリストによって注がれる聖霊を受けて油そそがれた者となり,「あと」の人々,第11時の働き人である使徒と共にイエス・キリストの弟子としての仕事をするため,これまでイスラエルで得てきた宗教上の利益すべてを放棄することは,彼らにとって大きすぎる犠牲に見えました。
37 彼らはただの「デナリ」を受けることに満足しましたか。彼らの態度は「あとの」労働者に対してどう表われましたか。
37 彼らは神からの賃銀として,聖霊とその奇跡の賜物,およびそれに伴う御国の特権以上のものを求めました。それで彼らは象徴的な「デナリ」以上を求めました。それゆえ,これら「先の」労働者は「ぶどう園」の所有者に不平を言い,ただの「デナリ」を受けることをいやがりました。金持ちの若い支配者が使徒ペテロと対象的であったのに似ています。彼らの不平と不満は「ぶどう園」に「あと」に雇われた労働者であるキリストの弟子に対する迫害となって表われました。―マタイ 20:10-12。
38 「先の」労働者すべてが「デナリ」を断わったかどうかを何が示していますか。ある者は何を捨てませんでしたか。
38 もとより,クプロ生まれのヨセフ・バルナバのごとく,宮のレビ人で「デナリ」を受け入れた者もいます。(使行 4:36,37)そして,神の奉仕に「デナリ」を使ったことを理由に,12使徒が投獄され,エルサレムのサンヘドリンで裁かれたのちも,使徒行伝 6章7節の記録どおり,「神の言は,ますますひろまり,エルサレムにおける弟子の数が,非常にふえていき,祭司たちも多数,信仰を受けいれるように」なりました。またユダヤ人の大祭司と親しい間柄にあったタルソのサウロも,パリサイ人でありながら「デナリ」を受け入れました。(使行 9:1-22。ピリピ 3:4-6)しかし,「先の」労働者であるユダヤ人の宗教指導者の大部分は,生来のイスラエルにおけるそれまでの宗教上の特権を捨てず,モーセの律法に基づく報酬を受けて,「デナリ」を断わりました。
39 彼らはこの種の宗教上の奉仕をいつまで続けましたか。しかし,イエスの弟子は何を使いつづけましたか。
39 彼らは宗教上のこの種の奉仕を西暦70年まで続けました。しかしその年,彼らはエルサレムの宮を取り上げられました。彼らは宮での仕事を失いました。そしてローマ人は彼らの土地と国民とを奪いました。それは彼らがイエス・キリストを受け入れたためでなく,これを退け,「デナリ」を断わったためでした。(ヨハネ 11:47,48)エホバ神がイエス・キリストの弟子をよくあしらわれたので彼らの目はよこしまになりました。他方,使徒ヨハネを含めイエス・キリストの弟子たちは,神の国の奉仕をなしとげ,自らの永遠の命を得るため,迫害にめげず自分の「デナリ」を使いつづけました。―マルコ 10:29,30。黙示 1:9。
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読む時間を見いだすものみの塔 1967 | 5月1日
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読む時間を見いだす
● 新しい出版物「神が偽ることのできない事柄」を読む時間を生み出すことはむつかしいですか。もしそうであるなら,次の興味深い手紙を読んでください。「夕食のテーブルで新しい本を読むことについて,今年の夏のモントリオールの地域大会ですばらしい提案をあなたからいただいたことに家族一同お礼を申しあげたいと思います。新しい時間を生み出したため,この本を2ヵ月で読み終え,豊富な知識を取り入れて,宣教によりよく備えることができました。私たちは今,この時間を,これまで読まずにいた協会のほかの出版物を読むことにあてています。新しい時間 ― さもなければ無駄にすることの多い ― を生み出すように注意をうながしてくださったノア兄弟に感謝いたします」。この提案をあなたのご家庭で実行してごらんになってはいかがですか。
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