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  • 祝宴に連なる代わりの人々を集める
    ものみの塔 1975 | 2月15日
    • 「王が客[席に寄りかかっている人たち]を見まわるためにはいって来たとき,結婚式の衣をまとっていない人をそこに見つけました。

  • 祝宴に連なる代わりの人々を集める
    ものみの塔 1975 | 2月15日
    • マタイ 22:11,12。

      11 衣を着ていなかったその人は,王に問いただされたとき,何も言えなくなりました。どうしてですか。

      11 王は婚礼の行事に際してすべての客に着用させる結婚式の衣を用意しておいたので,その衣を着ていなかった人は,そうしていなかった点で言いわけをする余地はありませんでした。

  • 祝宴に連なる代わりの人々を集める
    ものみの塔 1975 | 2月15日
    • 12 衣を着ていなかったその人は,簡単に言って,だれを表わしていますか。結婚式の衣は何を表わしていたと聖書注釈者は述べていますか。

      12 彼は,敬虔なクリスチャンであると称しながら,「結婚式の衣」で表わされているものを着けていない人たちのことを表わしています。伝えられるところによれば,この例えの主人がたくさん用意したそうした衣は,亜麻布でできた白くて長い服だったので,それを着た客は,元をたどれば招かれたユダヤ人であれ,あるいは偶然に見つけられた異邦人であれ,すべて外見は同じように見えました。したがって,子羊の妻に関して次のように言われている啓示 19章7,8節を引き合いに出す聖書注釈者は少なくありません。その句はこう述べています。「彼女には,輝く,清い,上等の亜麻布で自分を装うことが許された。上等の亜麻布は聖なる者たちの義の行為を表わすのである」。それで,「結婚式の衣」は,バプテスマを受けたクリスチャンに帰するとみなされた義,つまりその人が義認されたことを表わしていると言われています。

      13 「結婚式の衣」は「義認」以上のことを表わしています。なぜですか。

      13 とはいえ,その結婚式の衣は,贖いの犠牲となったキリストに対する信仰のゆえに人が神によって義と宣せられる以上の事柄を意味しているに違いありません。(ローマ 5:1,9)そのようにして義認される,つまりいま義と宣せられることは,それだけで終わるものではありません。今その状態のまま留まるのではありません。今やその目的は,義認された者が,義認者であられる神によってその霊的な子として養子にされ,アブラハムの霊的な「胤」の一成員となり,そのようにして霊的なイスラエルの一成員となることにあります。こうした資格を持っているので,そのようにして養子として迎えられる神の子は,神のみ子イエス・キリストを介して立てられた新しい契約に入れられます。(ガラテア 4:4-7。ローマ 8:16,17。ルカ 22:19,20)したがって,「結婚式の衣」は,悔い改めてバプテスマを受けた,祝宴に連なる客に対するそうした事柄すべてを象徴しています。ゆえにそれは,霊的なイスラエル人,つまりアブラハムの霊的な「胤」の一人としての身分を証明するものです。

      14 では,その衣を着けていない者の級は,だれを表わしていましたか。

      14 王が発見したただ一人の人は,入手できる婚礼用の衣を着てはいませんでしたから,その人は信仰を働かさなかったある級の者を表わしていました。その級の者は,自分が神によって義とされ,神の霊的な子として養子にされ,キリストを通して霊的なイスラエルと結ばれている新しい契約に入れられているという信仰と調和した,ふさわしい行動を取りませんでした。その人は,神の霊によって油そそがれ,キリストとともになる共同相続者とされながらも神に対して不忠実になって,天の王国に入り損うクリスチャンを表わしているわけではありません。むしろその人は,今日のキリスト教世界を構成している偽クリスチャンを表わしています。そのような偽クリスチャンは,婚宴の「食卓」に連なっていると唱え,またそのようなふりをしています。しかし,王なる神は決してそれら偽クリスチャンを正規の身分証明を携えて婚宴に居合わせている者とは認めませんでした。それで神は,彼らを王国相続者にして聖霊で油そそぐことはなさいませんでした。

      15,16 (イ)その衣を着けていない者の級に関して,王が何を行なうべき時が必ず到来しますか。(ロ)王が客を見まわるためにはいって来るのはいつですか。

      15 キリスト教世界によってなされているような,婚宴の「食卓」に連なっているという主張や見せかけが間違っていることを神が暴露し,あらゆる傍観者の目の前で同世界に対する不利な裁きを執行する時は必ず到来します。王なる神はみ子のための婚宴の取決めを設ける方として,『客を見まわるためにはいって来る』とき,そのことを行なわれます。イエスの例えによれば,このことは,「婚礼の部屋」が「いっぱいに」なる時に必ず起こります。(マタイ 22:10,11)その部屋が十分の人数の客でいっぱいになると,王の奴隷たちによって行なわれる集めるわざは中止されます。『選ばれる』者たちを集めるわざは,神の使いたちの見えない指導のもとで行なわれているので,イエスの予告したそのわざが,事物の体制の終結のさいに成就されるとき,天の王は入って来て,見まわるでしょう。こう記されています。

      16 「その時,人の子のしるしが天に現われます。またその時,地のすべての部族は悲嘆のあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう」― マタイ 24:30,31。

      17,18 (イ)その集めるわざが完了する時は,衣を着けていない者の級に関して何を決する時となりますか。(ロ)次いでその級に対して何が行なわれることを,イエスの例えは示していますか。

      17 「選ばれた者たち」を集めるこのわざは,イエスがノアの日の大洪水と比較した「大患難」が始まるすぐ前に完了することでしょう。(マタイ 24:21,22,37-41)それでは,天の王が見まわるその時,結婚式の衣を着けていない人によって表わされている級の者は,「選ばれた」者たちの一人のように連れて行かれるでしょうか。それとも,きたるべき滅びゆえに悲嘆のあまり身を打ちたたく「地のすべての部族」と行動をともにするままに放置されるでしょうか。キリスト教世界を構成しているその級の者は,象徴的な衣を着けずに「婚宴」に臨もうとする言いわけを王に述べることはできません。その級の者は,「婚礼」とその「宴」を楽しむ許しをもらうべき理由を何も述べることができません。最終的な視察がなされる時にさいして,その級の者は『何も言えない』ことがわかります。

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