「その日と時刻」が知らされていないのはなぜですか
「ずっと見張っていなさい。あなたがたは,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」― マタイ 24:42。
1 (イ)きたるべき「大患難」は,地の住民すべてにとって何を意味しますか。(ロ)マタイ 24章30節に予告されているように,『人の子が天の雲に乗って来る』のはいつですか。
地の全住民が,生きるか死ぬかの一つの出来事に直面する時が近づいています。イエスはそのことを予告して次のように言われました。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難がある」。この時は,「地のすべての部族」が,キリストの破壊的な力を感じる結果として「人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見」,それが自分たちにとって何を意味するかを知って利己的な悲嘆にくれ,身を打ちたたく時です。―マタイ 24:21,22,30。
2 その「大患難」に生き残る人々がいることは何から分かりますか。
2 しかし,それは集団的には「すべての部族」について真実ですが,各個人には必ずしも当てはまらないでしょう。それは,あなた自身がどうしても経験しなければならないことではありません。なぜでしょうか。なぜなら,イエスはこの同じ預言の中で,一部の「肉なるもの」が救われることを予告されたからです。イエスはすばらしい希望を差し伸べ,ある者たちが救われて「永遠の命」の見込みを持つことを知らせました。(マタイ 24:22; 25:46)そしてその預言から60年以上たった後イエスは使徒ヨハネに,「すべての国民と部族と民と国語の中から」,生存者として「大患難から出て来る」であろう人たちが出現することを示されました。(啓示 7:9-14)今適切な行動を取ることにより,あなたもそれら生存者のひとりとなることができるかもしれません。―ゼパニヤ 2:2,3。
それはいつか
3,4 イエス・キリストの使徒たちは,マタイ 24章3節に記録されている質問を行なった時にどんなことを考えていましたか。
3 自分自身の安全や,自分の愛する者たちの安全を考えるなら,この「大患難」はいつ来るか,と質問するのは至極当然なことです。聖書はそれをわたしたちに教えていますか。
4 イエス・キリストの使徒たちは同じような質問をしました。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3。マルコ 13:3,4)この質問をした時,彼らは何を考えていたでしょうか。わたしたちが住んでいる時代について尋ねていたのでしょうか。このことについては,聖書の中の,この質問に先行する幾つかの聖句が説明しています。それらの聖句の示すところによると,使徒たちは,イエスが群衆に向かって,「『エホバの名によって来るのは祝福された者』と言うときまで,あなたがたは今後決してわたしを見ないでしょう」と言われた時にちょうどイエスと共にエルサレムの神殿の敷地内にいました。そして彼らが神殿の敷地を立ち去ろうとしていたとき,イエスは神殿の建物について弟子たちに言われました。「石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してありません」。それは明らかにユダヤ教の体制の終わりを意味しました。(マタイ 23:38–24:2)使徒たちの質問は,こうした事柄を念頭に置いて行なわれたものでした。
5 (イ)イエスの答えは,ユダヤ教の事物の体制の終わりについて論ずるものでしたか。(ロ)イエスの答えに,それよりもずっと多くの事柄が関係していたことが,どうして分かりますか。
5 イエスは彼らの質問にお答えになりました。しかしその答えは,ユダヤ教の体制のみに影響する事柄ではなく,それ以上の事柄に及ぶものでした。マタイ 24章21,22節で用いられていることばは,イエスが人類史上空前の「大患難」を念頭においておられたことを示しています。さらに30節ではイエスは,ユダヤ人だけでなく「すべての部族」がそれに巻き込まれることを示しておられますし,25章32節では,「すべての国の民」がそれに関係することを示しておられます。
6 (イ)マタイ 24章のどれほどの部分は,一度以上成就しますか。(ロ)現代における成就は特に世界のどの部分で見られますか。
6 マタイ 24章4節から22節に記録されていることはすべて,一世紀当時,つまり西暦33年から70年の間に成就しました。しかしそれは,聖書も一般の歴史も世界史上画期的な年として示している西暦1914年以降,わたしたちの時代にも当てはまります。イエスの預言の成就となる出来事は,昔の不忠実なエルサレムに当たるものを構成する国々,すなわちキリスト教世界の中でとりわけはっきり見られます。キリスト教世界は,聖書の神と契約関係にあると主張します。
7 1914年以後,詐欺師たちが本当に,「わたしがキリストだ」,と言ってやって来たことについて述べなさい。
7 イエスの予告どおり,西暦1914年以後,多くの詐欺師が出て,自らをメシアの役を果たす者として示し,実際に,「わたしがキリストだ」と言いました。(マタイ 24:4,5。マルコ 13:5,6)そのうちの幾人かは宗教指導者で,1930年代に出た男などは,「神聖な父」と自称し,人からは「王の王,主の主」と呼ばれました。政治家もいました。たとえば,ガーナの元支配者エンクルマは,イエス・キリストのことばを言い換えて,「まず政治王国を求めよ」と国民に勧めました。ソ連の共産主義さえも,「楽園」というメシア的祝福をその人民にもたらす,と主張してきました。
8 (イ)イエスが予告された『戦争や戦争の知らせ』は,イエスが語られた,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』こととは違いますか。(ロ)「国民は国民に,王国は王国に敵対」するという表現は,世界大戦だけを指していますか。
8 その同じ期間中に,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がった』ので,『戦争や戦争の知らせ』がありました。(マタイ 24:6-8。マルコ 13:7,8)注目すべきことに,人類史上先例のない二つの世界大戦がありました。しかし,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』というイエスの表現は,一世紀にも適用されましたから,世界大戦だけを指すものでないことを忘れないようにしましょう。戦争と共に深刻な食糧不足や病気も,予告されていたとおりに生じました。「そこからここへと」起こる恐ろしい地震も,時代を特徴づけています。こうした事実は,わたしたちの時代に毎日のニュースとなっていますから,あなたはそれらの事実をよくご存じです。
9 (イ)今日,「王国の良いたより」はどの程度宣べ伝えられていますか。(ロ)イエスの追随者たちはどんな「名前」のために,あらゆる国民の憎しみの対象になっていますか。
9 不法の激増を含む困難な状態にもかかわらず,エホバのクリスチャン証人は,『王国の良いたより』を宣べ伝えるわざを「人の住む全地」に,そうです200以上の国々に押し広げてきました。多数の人が彼らの伝えることを喜んで聞きました。しかし彼らは,自分たちの師の名のゆえに「あらゆる国民の憎しみの的」ともなりました。こうした事柄もまた予告されていたことでした。(マタイ 24:9-14。マルコ 13:9-13)「イエス」という名を用いるということだけで彼らはそのような憎しみを受けているのではありません。イエスを信ずると主張する人の多くは,イエスという名を用いても迫害されてはいません。しかしエホバのクリスチャン証人は,イエスを,地の新しい王となるべく神から油そそがれた方として,また人間が受け入れられる方法で神に近づけるようにしてくださる唯一のかたとして示します。(ルカ 19:11-23。ヨハネ 14:6。使徒 4:12)自分自身の計画を利己的な気持ちで続行しようとする人々をいらだたせるのはこの「名前」,あるいはこの名前が暗示するもの,または意味するものです。
10 (イ)一世紀においては,イエスの追随者たちがエルサレムから逃げ出すための合図となるものは何でしたか。(ロ)「嫌悪すべきもの」,およびそれが立った「聖なる所」は何であることがわかりましたか。
10 第一世紀においては,イエスの預言から33年後に,イエスの追随者たちがエルサレムおよびその周辺から逃げ出すための合図となった事件が発生しました。エルサレムそのものが,「野営を張った軍隊」,つまりユダヤ人がイエス・キリストの代わりに選んだ皇帝の支配する国の軍隊によって包囲されたのです。(ヨハネ 19:12-15)予告されていた「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」,すなわちケスチウス・ガルスの率いるローマ軍が,ユダヤ人の「聖都」エルサレムの「聖なる所に立って」いました。そのことは,イエス・キリストのことばを信ずる人々が,物質の富を救うことなど考えずに逃げるべき時が来たことを示していました。エルサレム史上先例のない「大患難」が切迫していました。神のご配慮により,ローマ軍が一時的に撤退した時に,逃げ道が開かれました。―マタイ 24:15-22。ルカ 21:20-22。マルコ 13:14-20。
11 (イ)20世紀においては,「嫌悪すべきもの」は何であることが明らかになりましたか。そして「聖なる所」とは何ですか。(ロ)神のみ子の王国にではなく,人間の支配に信頼を寄せたキリスト教世界はどうなりますか。
11 「しるし」のこの特色も,他の特色と同じく,20世紀に成就しました。1918年のこと,連邦教会会議は,国際連盟を「地上における神の王国の政治的表現」としてたたえ,天におられる神のみ子イエス・キリストに与えられていた諸国民を支配する権威に従うよりも,人間の支配のほうを実際に好んでいたことを示しました。(啓示 11:15; 12:10)それはエホバ神の目にどんなにか「嫌悪すべきもの」であったでしょう。連盟の後継者である国際連合も同様の「誉れ」を盛んに受け,こうして国際連合は,キリスト教世界が『神聖』視する所に置かれました。しかし聖書の予告するところによると,まず初めに(イエスの大預言の中で大きな注意を向けられている)キリスト教世界,ついで偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの残余の部分という順に,国際連合に信頼している人々を荒廃させるのは,この「嫌悪すべきもの」,すなわち国際連合です。(啓示 17:1-5,16-18)これは決してささいなことではないでしょう。イエスはそれを描写して,「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難がある」と言われました。
12 その「大患難」で滅びないようにするためには,わたしたちは各自今どんな行動を取らねばなりませんか。
12 その大患難において切り断たれるのを免れるには,今逃げること,キリスト教世界の教会とのきずなを全部断ってキリスト教世界から出ることが緊急に必要です。自分がキリスト教世界の偽善に従っていないことを,ことばだけでなく行動によって,神に実証することが必要です。キリスト教世界は,キリストを信ずると主張してきましたが,キリストの教えを適用することをせず,その代わりに世の政治問題にかかわりを持つようになりました。生存者のひとりとなるためには,人は「世も世にあるものをも」 一切「愛していてはなりません」。しかし神のみ子の忠実な追随者でなければなりません。―ヨハネ第一 2:15-17。
13 マタイ 24章4-22節の最初の成就は,真のクリスチャンたちの期待にどのような有益な影響を与えましたか。
13 生じた出来事によって示されているように,マタイ 24章4節から22節に記録されているイエスの預言の個所全体は二重に適用されるということを念頭に置いておきましょう。その最初の成就は,あとの事柄も生ずるという,真のクリスチャンの確信を強めました。
エルサレムに患難が臨んだ後
14 (イ)マタイ 24章23-28節に予告されている出来事は,歴史のどの期間中に生じますか。(ロ)それで,マタイ 24章24節に記されている「偽キリスト」に注意しなさいという警告と,4,5節に見られる警告との間にはどんな相違がありますか。
14 マタイ 24章23節から28節に記録されている事柄は,西暦70年から後に,そして目に見えないキリストの臨在(パルーシア)の日に至るまでに発展する事柄に触れています。「偽キリスト」に注意しなさいという警告は,4,5節の単なる繰り返しではありません。あとのほうの聖句は,より長い一つの期間 ― ユダヤ人バル・コヘバなどが西暦131年から135年にかけてローマ人圧制者たちに反抗したり,ずっと後にバハイ教の指導者が再臨のキリストと主張したり,またカナダのドゥクオボル派の指導者がメシアなるキリストと自称したりした一つの期間について述べています。しかし,イエスはその預言の中で,人間の詐称者たちの主張に誤導されないようにと,ご自分の追随者たちに警告しておられます。
15 イエスの臨在は目に見えない,という事実に対する認識は,イエスの弟子たちをどのように誤導から守りましたか。
15 イエスが弟子たちに告げられたところによると,イエスの臨在は単なる局地的な事柄ではありません。イエスは,天から地に注意を向ける,目に見えない王になるのですから,イエスの臨在は,「東のほうから来て西のほうに輝き渡る」いなずまのようでしょう。それでイエスは弟子たちに,鷲のように遠くを見るように,真の霊的食物はイエス・キリストのところにしか見いだされないことを認識するように,イエスが目に見えないさまで臨在される時には,イエスを真のメシアとしてそのもとに集まるように勧められました。1914年以降は,イエスが目に見えないさまで臨在されているときとなります。―マタイ 24:23-28。マルコ 13:21-23。「神の千年王国は近づいた」の320-324ページをご覧ください。
西暦1914年以後
16 マタイ 24章29節–25章46節に記述されている出来事は,どの時期に成就しますか。
16 聖句と歴史上の出来事とを比較してみると分かるように,マタイの記録の24章29節から25章の終わりまでに叙述されている出来事は,西暦1914年以後の期間中に最高潮に達するものです。もとより,これらの出来事のうちには一世紀に始まったものもあります。しかしそれらが指し示す大詰は20世紀に見られます。このことは,「忠実で思慮深い奴隷」に関して言われていることや,十人の処女やタラントの例えについても言えます。―マタイ 24:45-47; 25:1-30。
17 (イ)マタイ 24章29節の「患難」は何を指していますか。(ロ)西暦1914年から始まった出来事は,西暦70年に生じた事柄の「すぐのち」に起こる出来事であると言えるのはなぜですか。
17 マタイ 24章29節が,『それらの日の患難ののち』に起こる何かの事柄に言及しているなら,それは西暦1914年以後の,そして西暦70年にエルサレムに臨んだ「大患難」ののちの出来事について述べているのです。寿命の短い人間の見地からすれば,わたしたちの時代の出来事は,西暦70年に起きたことの「すぐのちに」生じたとは実際に考えられないかもしれません。しかし,千年も「すでにすぐる昨日のごとく」に感じられる神は,異なった見方をされるのです。―詩 90:4。啓示 1:1の「ほどなくして」と比較してください。
18 マタイ 24章29節の成就について説明しなさい。
18 西暦1914年以後,「太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天の諸勢力は揺り動かされるでしょう」と,予告されていた通りのことが起きました。第一次世界大戦を始まりとして人類は本当に暗い時代に入りました。人がいつも頼りにしていたところからは,将来を照らす光は来ませんでした。また実際の天が歴史を通じて鳥の領域と見られていたことは事実です。しかし20世紀の初めに,人間は飛行機で空を飛ぶことに成功し,その飛行機はすぐに戦争の種々の目的のために利用されました。それは,人を死に追いやるロケットの開発,さらには人を月に運ぶ宇宙探検へと発展し,その結果,月は地球を支配するための重要な軍事基地とみなされるようになりました。同期間中に,太陽や星からくる宇宙線が地にふりそそぐことについても知られるようになりましたが,そのことも人々が恐怖するものの一つとなりました。天そのものが変化したからではなく,人間自身が行なっていた事柄の結果として,また人間が制御できない地球外の諸勢力についての知識が増したために,この時代の多くの人々にとって物質の天は前兆を示すもののようになりました。―マタイ 24:29。マルコ 13:24,25。
19 こうした事柄はすべて,マタイ 24章30節に記述されているどんな出来事がしだいに近づいていることを示していますか。
19 こうした事柄はすべて,この事物の体制の終わり,つまりマタイ 24章30節に,「人の子のしるしが天に現われます。またその時,地のすべての部族は悲嘆のあまり身を打ちたた(く)」と記されている時がしだいに近づいていることを示すものです。その時はいまや間近に迫っています。―マルコ 13:26。
20 その「悲嘆」にすべての人が加わるのではありませんが,それはなぜですか。次の節はそのことをどのように示していますか。
20 しかしながら,この邪悪な事物の体制を滅ぼすために『人の子が力を伴って来る』時を,すべての人が嘆くわけではありません。その時までには,「選ばれた者たち」,すなわち霊で油そそがれる14万4,000人のイエス・キリストの追随者は,イエスの預言通りに全員集められているでしょう。(マタイ 24:31。マルコ 13:27)またそのほかの人々も多数,油そそがれたそれらの人々といっしょの立場を取り,彼らと共に,神のメシアの王国について,あらゆる国民に対して証しを行なうわざにあずかっています。―ゼカリヤ 8:23。
21 人の子の「来る」時が非常に近いということを,わたしたちはどのようにして知ることができますか。
21 イエスの予告された事柄がすべて確実に成就するということについては,彼らの心には何の疑いもありません。イエスは言われました。「では,いちじくの木から例えとしてこの点を学びなさい。その若枝が柔らかくなり,それが葉を出すと,あなたがたはすぐに,夏の近いことを知ります。同じようにあなたがたは,これらのすべてのことを見たなら,彼[人の子]が近づいて戸口にいることを知りなさい」。イエスが予告された「これらのすべてのこと」は,現在,間違えようがないほどはっきり見ることができます。―マタイ 24:32-34。マルコ 13:28,29。
時を確かめる
22 破壊的な力をもってイエスが「来る」のを見る世代として,イエスはどの「世代」に言及されましたか。
22 では,人の子が,不義の道を愛する者たちをこの地から一掃するために破壊する力をもって来るのはいつでしょうか。イエスご自身が次のように答えておられます。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」。(マタイ 24:34。マルコ 13:30)その世代とはどの世代のことですか。西暦1914年以後,預言の成就である出来事を目撃してきた世代です。イエスの言われたことが真実であることについては何の疑問もありません。イエスは力をこめてさらにこう言われました。「天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしのことばは決して過ぎ去らないのです」― マタイ 24:35。マルコ 13:31。マタイ 5:18と比べてください。
23 その出来事の起こる「日と時刻」をだれかが知っているかどうかについて,イエスは何と言われましたか。
23 イエスはこれよりもさらに詳細な点を示し,これが起こる正確な時を弟子たちに告げられましたか。反対にイエスは,「日と時刻」とはだれにも分からない,と彼らに言われました。そして幾度も,そうです,五度も繰り返して言うことによって,その点を強調されました。「その日と時刻についてはだれも知りません。天の使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と言われました。―マタイ 24:36–25:13。
24 「大患難」に関する預言が一世紀に成就したとき,イエスの弟子たちは,大患難の襲う時を前もって知らされていましたか。
24 「大患難」に関するイエスの預言が第一世紀に成就したときにも,弟子たちは,エルサレムから逃げるべき時について,前もって日時を知らされていたのではありません。そのことを銘記していましょう。その代わりに,彼らが常に注意していなければならなかったのは,一つのしるし,つまり「嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる所に立つ」ことでした。(マタイ 24:15,16)しるしは西暦66年に現われました。歴史の記録によると,イエスの追随者たちは従順に都市から出て,ヨルダン川の向こうのペラの山地に居を定めました。しかしそのあと,「大患難」が西暦70年にエルサレムに臨むまで幾年か経過しました。その大患難がいつ襲うかを,イエスの追随者たちが前もって教えられていたことを示すものはなにもありません。彼らはすでに安全な場所にいました。それを知らなければならない理由は実際にありませんでした。
25,26 ノアが洪水の起こる日を前もって知らされていた事実は,わたしたちが「大患難」の来る「日と時刻」を前もって知らされることを期待する根拠とはなりません。なぜですか。
25 しかしイエスはご自分で,ノアの日をご自分の臨在の時にたとえられませんでしたか。(マタイ 24:37-39)ノアは,洪水が始まる正確な日を前もって告げられませんでしたか。そうです。しかし,ノアが「日」を告げられた理由は,わたしたちの状況には当てはまりません。ノアとその家族は,洪水の始まる時を知る必要がありました。それは,洪水の水が落ちる前に,基礎となる動物の類をすべて安全に箱船の中に入れ,それから自分たちも箱船に入ることができるようにするためでした。これは,何か月も前に行なうことのできない事柄でした。そのようなことをすれば,時期もこないのに,蓄えた食糧を使い果たす結果になったでしょう。それで神がノアに,『今七日ありて我四十日四十夜地に雨ふらしめ我造りたる万有を地の面より拭去ん』と言われたのは,ちょうど適当な時でした。―創世 7:4。
26 しかしわたしたちは,神のきたるべき破壊的なみわざの始まる「日と時刻」を知る必要はありません。わたしたちには動物を生き残らせる仕事を任されてはおらず,またいま世界中の200以上の国で見られる,神を恐れる人々の保護も,一か所にあるなんらかの物質の建造物の中に彼ら全部が入ることにかかってもいません。神の民の保護を含む神の目的の遂行には,彼らが「日と時刻」とを前もって知らされる必要はありません。
生存者の前途
27 「大患難」の生存者の一人となるためには,どんな条件を満たさねばなりませんか。
27 聖書はきたるべき「大患難」を生き残る人々がいることを明示しており,またそれら生存者の一人となるために何が要求されているかを示しています。啓示 7章14節は,大患難生存者の「大群衆」を描写し,「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べています。これは,「大患難」の襲う時に彼らがエホバ神のみ前に清い,エホバ神の意にかなった様子をしていることを意味します。そのためには彼らはどんなことを要求されることになるでしょうか。それは,自分の罪を許していただくための基礎として,イエスの流された血に信仰を働かせ,神のご意志を行なう努力を続けることです。―ヨハネ 3:36。ヤコブ 2:26。
28 その「大患難」を生き残る人々にはどんなすばらしい前途がありますか。
28 生存者の「大群衆」の前途は本当にすばらしいものです。子羊イエス・キリストは「命の水の泉に彼らを導かれる」でしょう。(啓示 7:17)その時「大群衆」は,地上の生活を不快なものにしていた圧制的な体制すべてから解放されているので,人間の弱さや不完全さから脱して元の状態を取り戻すのに理想的な状態に置かれているでしょう。イエス・キリストは,ご自分の贖いの犠牲の価値を,余すところなく彼らに適用されるでしょう。彼らは,イエスの援助に従順に答え応ずるとき,しだいに完全になっていくでしょう。先祖から受け継いだ罪と不完全さに起因する病気,老齢,それに死は,ついには永遠に滅ぼされてしまいます。(啓示 21:3-5)幾十億もの人々が復活するので,死がもたらした被害さえも,もと通りになります。(ヨハネ 5:28,29)これら復活した人々も同じく終わりのない命を得る機会を持ちます。
29 各自いま何をするのは賢明なことですか。
29 患難が襲う「日と時刻」はあなたにとって確かに生死を意味するものです。であれば,その「日と時刻」が明日くるかのように今自分が生活しているかどうかを確かめてみるのは,知恵の道ではないでしょうか。わたしたちは,「大患難」が襲う「日と時刻」を知りません。しかし,そのために大患難が急速に近づいている事実が変わるわけではありません。大体の時期は,神のことばの中に明確に記されています。1914年の出来事だけでなく「大患難」をも見るとイエスが予告しておられた「世代」は,現在かなりの年齢に達しています。そのことは,情勢の緊迫感を増し加えます。わたしたちは自分が個人的に,神の裁きの「日と時刻」が近づいている事実を本当に十分に認識して生活しているかどうか,注意深く考えてみなければなりません。
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イエス・キリストは,事物の体制の終わりにつながるさまざまな出来事を,弟子たちに話して聞かせられた
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安全なところに逃げたあとはクリスチャンたちは,エルサレムが「大患難」に襲われる正確な時を知る必要はなかった