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奉仕の務めを栄光あるものとするものみの塔 1981 | 6月15日
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キリストのメシアによる王国の任命された使者となっています。彼らの奉仕の務めは,目前に迫った「大患難」の時のこの古い事物の体制の悲惨な終わりに際しても終わることがありません。
20 コロサイ 4章17節およびテモテ第二 4章5節の諭しの中で,パウロは人々一般が行なっているごく普通のありふれた奉仕について述べていたのですか。
20 使徒パウロはアルキポという名の仲間のクリスチャンに対して,「主にあって自分が受け入れた奉仕の務めを終始見守り,それを全うするように」と書きましたが,その時に心に描いていたのは,世の人一般が行なっているごく普通のありふれた奉仕<サービス>ではありませんでした。(コロサイ 4:17)パウロはその最後の投獄期間中に,仲間の宣教者であるテモテにこう書き送りました。「福音宣明者の業[ギリシャ語でエルゴン]をなし,自分の奉仕の務めを十分に果たしなさい」。(テモテ第二 4:5)初期クリスチャン会衆の忠実な奉仕者たちに対する霊感を受けたこれらの指示は,献身してバプテスマを受けた現代のエホバの証人すべてが,滅びに定められたこの古い事物の体制の「終わりの時」にいる自分たちに適用すべき優れた諭しです。そうすることは神に永遠のほまれを帰することになるでしょう。―ダニエル 12:4,新。
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世俗の仕事を持つ奉仕者たちものみの塔 1981 | 6月15日
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世俗の仕事を持つ奉仕者たち
1 ティンダルによるローマ 13章1-6節の翻訳によると,クリスチャンたちが崇拝する神に関連して,地上の政府の官僚は何と呼ばれていますか。
ウィリアム・ティンダルは1526年にギリシャ語原語から当時の英語の方言に聖書を翻訳し,その中でこの世の「より強い権力」つまり「上にある権威」に関して次のように記しました。「彼は汝の幸福のための神の奉仕者<ミニスター>だからである。しかし,もし汝が悪を行なうなら,恐れを抱け。彼はいたずらに剣を身に帯びているのではない。彼は悪を行なう者に対して復しゅうをする神の奉仕者<ミニスター>なのである。何のために従わねばならないかと言えば,ただ復しゅうを恐れるからではなく,良心のためでもある。このために,貢を納めるようにせよ。彼らは同じ目的のために仕える神の奉仕者<ミニスター>だからである」― ローマ 13:1-6,ダブニー。
2 (イ)この世の政府の官僚は1526年のティンダルの翻訳に基づいて“ミニスター”と呼ばれているのですか。(ロ)彼らがこの語を使っているので,この世の一部ではないパウロや仲間のクリスチャンたちには,自らをミニスターと呼ぶ権利がありませんか。
2 地上の様々な政府内にいる国家の特定な官僚が,“総理大臣<プライム・ミニスター>”とか何々“大臣<ミニスター>”とか呼ばれる根拠は,前述の使徒パウロの言葉にある,と考えることはできません。たとえそう考えたとしても,「神の奉仕者」と呼ばれるこのような政治家たちの世俗的な奉仕の業と,この世の一部ではない使徒パウロやその仲間のクリスチャンたちの宗教的な「奉仕の務め」の間には大きな相違があります。各々の活動の領域は互いに異なっています。この世の政治家たちが政治的な意味で“ミニスター”という語を使うとしても,パウロや仲間のクリスチャンたちが,関係している様々な言語により,宗教的な意味での“ミニスター”と呼ばれてはならないという訳ではありません。
3 テキコやテモテと同じように家から家に宣べ伝える現代のエホバの証人は,すべて『キリストに関する良いたよりにおける神の奉仕者』ですか。
3 使徒パウロがエフェソス 6章21節でテキコのことを「愛する兄弟で,主にあって忠実な奉仕者<ミニスター>」と呼んだとき,パウロはテキコをキリスト教世界の僧職者と同列に置いていたのではありません。(コロサイ 1:7; 4:7もご覧ください。)パウロはテモテをも,『わたしたちの兄弟であり,キリストに関する良いたよりにおける神の奉仕者<ミニスター>』と呼ぶことができました。(テサロニケ第一 3:2)確かに,家から家に「王国のこの良いたより」を宣べ伝える献身しバプテスマを受けた現代のエホバの証人は,『キリストに関する良いたよりにおける神の奉仕者<ミニスター>』です。―マタイ 24:14。マルコ 13:10。
4 クリスチャン会衆全体が,その中の成員一人一人と同じように,奉仕の務めを持っていたかどうかについて聖書は何を示していますか。
4 しかしながら,バプテスマを受けたクリスチャンたちの会衆全体についてはどうでしょうか。小アジアにあるテアテラの会衆に対し,栄光を受けたみ子イエス・キリストはこのように語られました。『わたしは,あなたの行ない,またあなたの愛と信仰と奉仕<ミニストリー>を知っている』。(啓示 2:18,19)パウロはまたギリシャのアカイア地方にあったコリント会衆にこう書いています。「奉仕の務め<ミニストリー>はさまざまでも,主は同じです」。(コリント第一 12:5)この事実と一致して,栄光を受けたイエス・キリストは西暦33年のペンテコステ以降,地上のご自分の会衆に,使徒,預言者,福音宣明者,牧者,教える者などの人々の賜物を与えられました。どんな目的のためでしょうか。『それは,奉仕の業[字義通りには奉仕の務めの仕事]のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としています』。(エフェソス 4:7-12)最後の例として,使徒パウロはエルサレムにいたヘブライ人のクリスチャンから成る会衆の成員に次のように書き送りました。「神は不義なかたではないので,あなたがたがこれまで聖なる者たちに仕え(ミニスターの動詞形),いまなお仕え(ミニスターの動詞形)つづけているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされない」。(ヘブライ 6:10)このような方法で,すべての人々がエホバ神に是認される奉仕の務めを行なっていました。
世俗の仕事に関連して
5 (イ)キリスト教世界の聖職者を生業とする人の様式とは対照的に,聖書的な標準に従うミニスターがパートタイムの世俗の仕事を持つ場合がありますか。(ロ)聖書の翻訳中に“ミニスター”という語が現われたのはいつですか。
5 献身しバプテスマを受けたエホバの証人から成る会衆の一部として,聖書的に見て奉仕者<ミニスター>であるということは,ぜいたくで安楽な生活を送るという意味ではありません。キリスト教世界の宗教組織の中にいる,聖職者<ミニスター>を生業とする人の生計の手段を見て,多くの人々はそのように結論付けるかもしれません。しかし霊感を受けた聖書によれば,これはあってはならないことです。それどころか,聖書的な言葉に従えば,“奉仕者<ミニスター>”である人々は,その時間の一部を世俗の仕事にあてて働く場合があります。イエス・キリストでさえ30歳になるまでナザレの大工でした。それからイエスは神の霊によって油そそがれ,その油そそぎの目的である全時間の奉仕の務めにご自分をささげられたのです。イエスがラテン語を話し,“ミニスター”に相当するラテン語を使われたかどうかは分かりません。しかしヘブライ語およびギリシャ語聖書がローマ帝国の言語であるラテン語に翻訳された時,ミニステルという言葉が翻訳の中に現われました。
6 (イ)ラテン語やギリシャ語の相当する語の語根によると,“ミニスター”にはどんな意味がありますか。(ロ)それでは,パウロはどのようにそれを『栄光あるものとする』ことができましたか。
6 ミニステルという語が“より少ない”を意味するラテン語の形容詞ミヌスから派生しているため,ミニスターであるということは,基本的には人が“より低いものである,またはそのように振る舞う”(ラテン語でクオド ミヌス エスト)ことを意味します。そのミニスターに相当するギリシャ語のディアコノスの語源も,同じように低い状態と関係があります。それはディア(“通って”を意味する)とコニス(“ほこり”を意味する)から派生したものと考えられています。ギリシャ人にとってこの言葉は,自分自身を役立てるために,あるいは何かの奉仕を行なうためにほこりの中を通って進んで行く人という考えを表わすものでしょう。しかし,ギリシャ語の語源が低い状態と関連していたにもかかわらず,使徒パウロはこの言葉を用いて,「わたしは……自分のこの奉仕の務め<ミニストリー>を栄光あるものとします」と述べました。(ローマ 11:13)パウロは最後までその務めに固く従うことによってこの点を証明しました。
7 (イ)王国の音信に関する奉仕の務めは,料金を取らないことによって安っぽいものになりますか。(ロ)必要な世俗の仕事はどれも,王国の奉仕者たちによってどのようにみなされていますか。
7 パウロが熱心に自分の奉仕の務めを遂行したのは自らの栄光のためではありませんでした。パウロ
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